4章③ オタクに優しいギャル

『オタギャル』のヒロインの魅力は、見た目や言動はギャルっぽくありながらも、純心一途な性格の良さとオタク趣味を持ち合わせているギャップにある。


 丹羽田とは対極。


 もし丹羽田にも少しでいいからオタクに優しいギャルとの接点があれば、彼女が演じやすくなると思うが……。

 ダメ元でちょっと掘り下げてみるか。


「おいバカギャル」

「ちょっと、バカギャルじゃないし。丹羽田ちゃんだし」

「丹羽田。演劇の経験は高校からか?」

「そーだけど。まあ女子なんて学校じゃ常に演技してるようなもんだし、そういう意味では一〇年ぐらい演技してるみたいな」

「演劇部に入った動機はなんだったんだ?」

「目立ちたいから。可愛いって思われたいから」


 承認欲求全開だった。


「実はオタク趣味的なものとか持ってたりしないか? アニメやマンガのコスプレ大好きとか」

「まったく」

「同人誌とかって興味ないか」

「怒宇神死? 暴走族のチーム名かなにか?」


 ダメだ。掘り下げてもオタクに優しそうな要素が見つからない。


「ほか、ほかは……そうだ、丹羽田って見た目はチャラチャラ遊んでそうだけど、内面は案外純心一途だったりしないか? 恋した相手に全力で尽くすとか、そういうエピソードあったら教えてくれよ」


「あたしいま彼氏二人いるんだよね」


「は?」

「いやだから、男の子二人と付き合ってまーす」

「はああああああああああ!? ふ、ふふふ、二股してるってことかお前!?」

「ひとりは文化祭でナンパされた他校の高校生で、もうひとりはSNSで知り合った大学生。その二人と付き合ってまーす。ギャルピース」

「ピース(平和)どころか彼氏が二股知ったらウォー(修羅場)だぞ」

 

 終わった……。

 ヒロイン側が二股とか絶対犯しちゃいけないタブー設定だこれ。

 丹羽田のやつ、掘れば掘るほどラブコメでの不人気要素しか見つからない。


「二人と同時に付き合っちゃいけない?」

「そりゃいけないだろ。だって――」

「だって、どっちも同じぐらい好きだよ」


 あっけらかんと丹羽田は言う。


「二人とも同じぐらい好きだよ。片方なんて選べないよ。だったら両立しよって。現にいまあたしも向こうも楽しくやってるわけだし」


 二股に対する欺瞞や後ろめたさからの言い訳、といった風には聞こえなかった。


「やっちゃいけないことなんて本当はないでしょ。恋愛だって創作だって。心のままにやりなよ。自由なんだから」


 丹羽田のありのままの感情が自身ののどを通って出た素直な言葉に聞こえた。


「つかさ、いないよ。不純じゃない女の子なんてどっこにも。ね、美空先輩もそう思いません?」

「……話がズレてるよ、丹羽田ちゃん。いまはラブコメの話をしてるんだよ。道成さんも芝居と役者の人格は切り分けて考えてください」


 そう言われたってなぁ。

 丹羽田と喋っていると価値観が違いすぎてギャルというか異星人と喋っているような気分になる。


 オタクに理解なし。オタク趣味なし。彼氏持ちでしかも二股。


 もし上記の設定でラブコメヒロイン書けと言われても、不人気要素が役満で人気を獲得できる気がしない。


「美空、やっぱり人選間違えてないか? いくら演技と役者の人格は別物とはいえ、リアルギャルにオタクに優しいギャルの芝居ができると思えないんだが」

「見切るのが早いですよ。丹羽田ちゃんだって演劇部で一年がんばってきた子です。ひとまず今作について情報共有してあげてください」


 そこまで言うならまあ、と俺は丹羽田に資料を渡す。

 本作の企画概要、ストーリーの流れ、そして恋のライバルのプロフィールが載った書類だ。


「へー。各ラブコメシチュエーションを役者が演じて小説に採用する制作方法なんですね。その名も《ラブコメタイム》……って、ダサ! ぷぷっ。オタク先輩ー、《ラブコメタイム》って物書きのくせにネーミングセンスダッサダサじゃないですか。ぷははは!」

「丹羽田ちゃん。そのネーミング考えたの、私だよ」

「あああああ美空先輩! 素敵なネーミングです! 素敵! とても素敵! だから怒らないでどうか今年も勉強教えてくださいいい!」

「やかましいぞ丹羽田! さっさと読め!」

「はいはーい」


 へらへらと軽い返事をする丹羽田。

 こいつ本当に演技やる気があるのかと不信感を募らせた、そのときだった。


 しん、と室内が水を打ったかのように静まり返った。


 あれほど騒がしかった丹羽田がヒロインのプロフィールを読みはじめると黙った。

 微に入り細を穿つように集中して文面を追っている。


 既視感があった。

 そうだ。役者が台本を熟読して役を摑もうとしているときのそれだ。


 ぴん、と心地よい緊張感が室内を満たす。静謐。時折窓から吹き込む五月の爽やかな風の音だけが響く。


 しばし経って、丹羽田が書類から顔を上げた。


「――これって要するに、〝読者を気持ちよく喜ばせること〟が大事なんでしょ」


 読み込んだ丹羽田が理解したようにひとつ頷く。


「読者が主人公と自分を結びつくよう、主人公にゲームプロデューサーって夢を持たせて共感性を持たせ、そこに理解者であるオタクに優しいギャルを投入して疑似恋愛を楽しませる。ギャルとオタク趣味で異性とわいわい楽しむありえなさをフィクションとして提供してることを目指したヒロインなんだね。で、一方でメインヒロインのほうはオタク趣味が乏しいから、主人公とギャルが話が合うことにやきもち焼いてそっちの可愛さも見せると。なるほどね」


 へえ、と俺は感嘆を漏らした。

 丹羽田のやつ、新ヒロインの狙いと三角関係の構造を理解してる。

 けれど頭でわかったところで、実際に丹羽田が《ラブコメタイム》でオタクに優しいギャルを演じられるかは別問題で――。


「オタクくんって、間近で見ると結構イケメンじゃん」


 へ? イケメン?。


「普段モテないとか言ってるけど、もっと自信持っていいよっ。ね、もっと近くに寄って顔見ていい?」


 突然、丹羽田がしなやかな猫みたいにするすると近寄ってきた。グロスに艶めく唇が遠慮なく迫ってきて、危なっ、と俺は反射的に後ろに手をついて顔を引く。


「あはっ! やばっ、いまキスしちゃいそうになっちゃったね」

「お、おいっ、なんだよいきなり!? 笑ってる場合じゃないだろ。俺が後ろに引かなかったらとんでもない事態に――」

「オタクくんオタクくん、こないだソシャゲのフレンド登録してくれてありがとね。攻略手伝ってくれたおかげでレイドボス倒せたよ! マジ嬉しい! 感謝!」


 きゃはっ、と太陽みたいに笑顔が眩しい。

 今日はじめて見る丹羽田の弾けるような笑顔。まるで別人のような表情……。


「ね、これからも学園の屋上でもっといろいろ教えてくんない。アタシ、割かしゲーム好きなんだよね。ほかにおすすめのゲームあったら教えてよ。ゲーム詳しいんでしょ?」


 オタクくんという呼称。ゲーム好きという趣味。学園の屋上という場面設定。それらの台詞はもしかして……。


「黙ってどーしたのオタクくん。アタシと一緒にいるのイヤ? リアル女子興味ない感じ? じゃあさじゃあさ、オタクくんがゲーム教えてくれる代わりにぃ、アタシがリアル女子のイイコト教えてあげるよ」


 丹羽田がスカートの裾を指でつまんで持ち上げる。下着が見えるか見えないかギリギリのラインで手を止め、劣情を煽るようにひらひらとプリーツを靡かせる。


「リアル女子だって悪くないよ」


 ごくっ、と生唾を呑む。

 ――まさか丹羽田のやつ……すでに《ラブコメタイム》をはじめてるのか!?


「こんなところでなにやってるのっ、不純だよ!」


 美空!?

 いや、その芝居がかった口調は……はミソラか!

 おいおいなんだか目まぐるしくなってきたぞ。


「わたしたちの学園は校則で不純異性交遊禁止! 生徒会メンバーとして見過ごせないよっ」


 ミソラがぷりぷりと肩を怒らせる。きっ、と音が鳴りそうなほど睨みつけ、丹羽田、いやニワダと対峙する。

 突然のミソラ参戦……まさかこれが三角関係の《ラブコメタイム》か。


「ふじゅんいせいこーゆー? バッカみたい。むかしの古臭っさい校則がそのまま残ってるだけっしょ。そんな校則守ってるやついないしー」


 ニワダは怯まない。むしろバカ呼ばわりして挑発する。


「ルールは守らないといけないよ。彼から離れて」

「うわぁ、堅物すぎ。てかそんなキレ顔してたら可愛いメイク台無しじゃん」

「生徒会メンバーとして見過ごせないって言ってるの。いいから、彼から離れてっ」

「離れて離れてってうるさすぎ。嫉妬してるみたい。あ、みたい、じゃなくて実際に嫉妬してたりしてー」


 そのときだった。丹羽田が俺の片腕を抱き締める。ぎゅっ、と豊かな胸を押し付ける形で。


「「なっ!?」」


 驚きの声が重なる。俺、そしてミソラの。


「ほら、図星じゃん」


 ニワダが畳みかける。


「アンタさ、ウソついてばっかだよねー」

「嘘? 嘘ってなに」

「ウソでしょ。正直に言えばいいじゃん。嫉妬してるって。オタクくんに気があるんだって。校則があーだーこーだ言ってるけど、それだって単にアタシとオタクくんが一緒にいるのが気に食わないだけでしょ」

「ち、違うよっ。だって――」

「違わないでしょ、さっきの反応。不純なのはそっちのほうじゃん。アタシがオタクくんとイチャついてるのに嫉妬したからって、校則持ち出して離れ離れにさせようとするなんて」


 べっ、と舌を出して挑発するニワダ。

 三角関係という緊張関係のせいか、演技とわかっているのにやけに肌がチリチリする。演技がはじまるとそこに先輩後輩もないってわけか。


 なにが飛び出すかわからない即興劇。

 主に仕掛けているのはニワダか。

 ヒロイン性を発揮しようとあの手この手を使ってくる。そのせいか今日のミソラは受けに回っている印象だ。大人しい。いや、やりこめられている感じすらする。


「わたしの都合で離れてっていってるんじゃないよ。彼には夢があるから。一流大学に出て大手ゲーム会社に就職する夢が」


 さすがのミソラも押されていると感じたのか、ヒロイン性が埋没しないように言い返す。


「いまは夢に向かって一心不乱に勉強してるんだよ。恋愛することは……彼に迷惑をかけることなんだよ」


 恋愛。夢に向かって。一心不乱。迷惑――。

 ミソラの言うその響きは妙にリアリティを伴った切実さがある。


「校則なんてバレっこないって」

「たとえバレなくても、彼が一生懸命勉強してるのに恋愛は邪魔でしか――」

「なんで? 逆じゃない、それ」

「え」

「好きだからがんばれるんでしょ。好きな人がいるからがんばれるんでしょ。だったら恋愛して二人で一緒に夢叶えるために手を取り合って進んでいけばいーじゃん」


 ニワダはすらすらと台詞を発する。


「…………」


 対してミソラは歯切れが悪い。

 どうしたミソラ。まさかニワダに呑まれてるのか?


「なんで二人で成長しようって考えがないわけ。意味わかんない。好きなら好きっていいじゃん。別に告ってフラれたわけじゃないんでしょ」


 それとも、とニワダが接続詞を続ける。

 嫌な予感がした。


「――もしかして、もうフラれてたりしてぇ」


 あっ。

 唇が固まった。

 まばたきが止まった。

 まるで時間が停止したような一瞬が生まれる。

 ニワダの即興だ。ただの芝居に過ぎない。手渡した資料にフラれたなんて関係性は書いてない。

 でも虚構と現実が重なるような台詞だった。

 核心を突くような言葉が直撃して、美空はあごを引いて前髪で表情を隠している。一秒、二秒、三秒……。空白みたいな時間が流れていき、そのときだった。


 パンパンッ――。


 美空が《ラブコメタイム》を中断するように手を叩く。そして表情を露わにするように顔を上げ、にっこり微笑んでみせた。


「ダメだよ、丹羽田ちゃん。気持ちが前面に出しすぎて、後半の台詞が役を逸脱しすぎてるよ」


 穏やかな微笑を唇に載せながら優しく指導する美空。

 すると丹羽田もてへへと後頭部に手を当てて反省してる。


「やっぱそうでしたよねー。いやーどうも三角関係意識しすぎというか、オタクに優しいギャルの存在感出さなきゃというか」

「あと台詞被せすぎかな。これも自分が自分がって意識が強すぎるからだよ」

「うっ……確かに」

「相手の台詞をしっかり受け止めてから喋る意識を持って。周りを意識して。話すことよりも聞くこと。そうすればもっとよくなるよ」

「わーん、即興劇ってほとんどやったことないから難しいですー」

「大丈夫、大丈夫。台詞が淀みなく出てきただけでもすごいよ。回数をこなせば丹羽田ちゃんはもっと上手くなるよ」


 和やかに進んでいく美空と丹羽田の反省会。

 さっきのピリピリした空気が嘘みたいに弛緩していく。


 美空が丹羽田に押されているんじゃなくて、単に丹羽田がスタンドプレーに走りすぎた……のか?


「あ! やばっ、彼氏からメッセージ来てた!」


 丹羽田が反省をメモしようと取り出した携帯を見て慌てて帰り支度をはじめる。


「ごめんオタク先輩。彼氏に呼ばれちゃって。もーあたしが好きすぎて会いたい会いたいうるさくてさー。ちょっと待たせると拗ねるんですよ。あ、大学生のほうの彼です」

「年上なのに拗ねるのかよ……」

「甘えん坊なんですよー。そこが可愛いんですけど。あ、ちなみに明日は高校生のほうとデートでーす」

「別に補足せんでもいいぞ二股デート情報」

「あははは。んじゃ、美空先輩もおつでーす。ギャルピース」


 それじゃっ、と丹羽田が靴をつっかけるようにして家を出ていった。


「なんか台風みたいなやつだったなあいつ……。まあずいぶんと騒がしい後輩が演劇部に入ってたんだな美空……美空?」


 美空は去っていった丹羽田の後を視線で追うように玄関ドアを見つめていた。


「私も、帰りますね」

「お、おう。わかった。三角関係の《ラブコメタイム》を見せてもらったし、これでプロット進めるよ」


 美空が背を向けたままスクールカバンを肩にかけ、玄関で靴を履く。背を向けたままで表情は見えない。しかしなんだかいまはその背が小さく見える。


 ――もしかして、もうフラれてたりしてぇ。


「美空っ」


 大丈夫か?


 そう言おうとした。

 けれど、のどで引っかかった。


 大丈夫か、ってなんだよ。


 さっきの丹羽田の台詞は芝居上のものでしかない。虚構だ。フィクションだ。

 第一、なんで美空が「大丈夫じゃない」って思ってるんだよ俺。

 そうこうまごついているうちに、美空がくるっと振り返って再び表情を見せた。


「なんです?」


 いつもの平然とした顔だった。喜怒哀楽どの感情にも当てはまらない、《非ラブコメタイム》時の凪のような静かな表情。


「続きのプロット待ってます。では、失礼します」


 小さく頭を下げて、出ていった。


「……俺の気にしすぎ、か」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る