第41話「友達として」

 告白された巫女は驚いたが、優斗の気持ちにはちゃんと気付いていた。今は優斗とは付き合えないと言った彼女は、高校生になっても大人になっても仲良くしてくれるか? と問う。勿論! と言う優斗に、それならそこまで待って欲しいと言う巫女。

 今すぐ結論を出せない彼女は優斗をキープする道を選んだ。それでも構わないかと彼女が問うと、それでもいいと優斗は言う。

 今まで通り友達として仲良くしてくれればそれでいいよと言う巫女に頷いた優斗だった。


 恋人にはなれなかったが、モヤモヤする恋心が少し落ち着いた優斗。後はもう、彼の優しいところやカッコイイところを見てもらうだけだ。

 とはいえ、まだまだ未熟な優斗だから失敗もある。例えば今までチラチラ見ていたこと、これは実は気付かれていた。

 巫女は意外と視野が広い。わざと気付いてないフリをしていたが、正直に言うと優斗の印象は悪い。何か言いたいことがあるなら言って欲しいと思っていたのが巫女の考え。

 勿論今回の告白でそれがハッキリしたから今後はこんな事はないことを願う彼女。優斗は巫女のことばかりを気にすることなく、ちゃんと友達として接していったから、この問題は解決した。


 だが意識していることには間違いない。だからどれだけ綺麗ぶっても、目がいくのは事実。だけど優斗はそういう時、目を逸らさないようにした。目が合ったらにっこり笑う。

「どうかした?」

「いや、巫女さんの勉強の教え方上手いなぁと思ってね」

 笑う優斗だったが勉強中だからと誤魔化したのは確実、巫女はジト目で見る。

「ごめんごめん、可愛いなぁって思っただけだよ」

 それを聞いて巫女は顔を赤らめる。賢也は笑った。

「俺も巫女は可愛いと思ってるよ」

「本当!?」

 賢也の言葉に身を乗り出す巫女に笑う彼。更に優斗は慌てた。まさか賢也も巫女の事を……。

 だがそういうわけではない賢也は首を振り、勉強に集中しようと言う。


 集中出来そうにない優斗と巫女の二人だったが、顔を合わせるとお互い笑って教科書に目を向けた。

 好きや嫌いには色々ある。好みの人や苦手な人、惚れた人や嫌悪感を感じる人。その強弱によってその人への対応が変わる。

 迷惑も考えずに好きや嫌いを表に出すのはあまり良くない。とはいえ滲み出るものはあるだろう。露骨に好き嫌いをしなくても、見つめたり睨みつけたりはしてしまうものだ。


 そういったモノに敏感な人はストレスを感じたりする。実際巫女は過去にストレスを感じて咲花先生にこっそり相談をしていたのだ。

 優斗に関して男とはそういうものなのか聞いた巫女に咲花先生は、気になる人は見てしまうものだから気付かないフリをしてやり過ごせばいいと言った先生。

 先生は優斗の人柄から悪い意味ではないはずと考えていた。だから嫌な気持ちになるのなら止めてもらえばいいが、好意を向けられてるだけのはずだから気にし過ぎなくていいはずじゃないか? と咲花先生は言ったのだ。


 告白した事で結果としてより良い形で友達に落ち着いた二人。いつか発展するかもしれないが今はこれでいい。

 少しずつ前に進む二人に、賢也は逆に置いていかれそうになる。だが心配なんてなかった。賢也もまた強く生きて進んでいる。別方向かもしれないが先に進んでいる。

 巫女からすれば同じ方向に進んで欲しいと願うのだが、賢也は別方向を未だ見ている。それは咲花先生の道。

 なんだかグチャグチャした関係性だが、彼らの道はきっと決まっている。それは咲花先生の示した道。正しく優しく丁寧で、清く美しく柔らかく、強く誰かと共にいる道。


 今は優斗と巫女は賢也と別クラスだから昼休み時間しかゆっくりできない。だが三人の絆はとても強かった。部活動でもそうだし、咲花先生の道場でもそうだ。絆を強める機会はいくらでもある。

 それよりも賢也は同クラスの小豆のことが気にかかっていた。時々休むものの、頑張ってきている小豆は少しずつクラスに馴染むものの、未だに腫れ物を見るような目で見るクラスメイトもいる。

 それはもう仕方ない。小豆もすぐに明るくなれる訳ではない。触れれば傷つくようなガラスのハートではあるのだから、あまり関わりあいをしようとは思わない生徒がいても責められない。


 小豆自身は正直周りの目は気になると感じていた。だがそれもまた慣れだと咲花先生に言われた。社会に出れば周りの目なんていくらでもある。

 変なことをすれば盗撮されることすら普通の世の中で、周りの目を気にしないなんてことはできない。

 それに怯えてしまうと外を出歩けない。自分の出来ることをしたら堂々と歩く勇気も身につけて欲しいと思っている咲花先生。


 小豆が傷ついたSNS関連に関しても、粗を探せば……どんな人間でも埃が出る。叩けば叩くほど出るのだから、突く人間はいくらでもいるのだ。

 日本だけで一億人を超える人が住んでいる。日本語ができる人はそれ以上にいる。それだけの人間がいるのだから、価値観や文化、想像力や個性なんて幾らでも湧いてくる。

 どれだけ言っても学習しない人もいるし、他人を責める人はいなくならない。揚げ足取りのオンパレードだ。

 知識や知恵、発想と常識をしっかり備えておかないと簡単に自分が責められる。


 強く生きる心がなければ生き抜けない世界になってしまった。それなのに誰もが傷つき傷つけられ弱さを露わにする世の中。

 人を傷つける人は強いのではない。人を丸め込める技量がないと露呈しているようなものだ。

 誰かを自分の味方にできる人は強い。しっかりとした考えを持っていて、自分の意見で他人を納得させることができるのだから。


 咲花先生は芯が強くて、慈愛の心を持っている。包み込むような大きさの器を持っている先生は、背が小さくても関係ない。

 それでも、ちゃんと聞いてくれる中学生たちだから通用する話だ。ねじ曲がった考えの大人は正せない。

 だからこそ教育の大切さを痛感している先生。子供の頃培った心は、大人になっても根っこは変わらないはず。

 大人になってしまうと意固地になってしまって中々変えられない。だからこそ子供時代にしっかり、優しく強く正しい知識と心を身につけないといけないのだ。


 勿論大人になっても良い方向に変えられるなら変えていいのだが、どうしても思い込みや意地が邪魔をする。これを正すのは困難だ。

 そして若い人に自分の価値観を押し付けて強制する。若い人は情報過多の世の中で、迷い苦しみながら進むから、人によっては楽な道を選ぶ人がいる。

 楽な道は休憩にはとてもいい。だが時に闇が潜む危ない道。険しき道を選んだ人も時に楽な道で休憩してもいいが転落しないように気を付けなければいけない。

 選んだ道に悔いが生まれなければいいが、長い人生で『あの時ああしていれば良かった』なんてことはザラにある。


 少しずつでも修正していければいい、それは咲花先生の仕事ではない。本人次第である。

 いくら咲花先生が声高らかに叫んだところで聞く耳を持ってもらわねば誰も正せない。

 子供はひねくれているようで、心はまだ素直でいようと思う子が多い。学習しやすい脳を持っているからこそ、悪いことをしても後になって反省したりする。

 良い指導者がいれば尚のこと、良い方向に向かいたいと考えてくれやすくなる。誰だって認めてもらいたいと考えると行動に移すものだ。

 空を見上げた咲花先生は呟いた。

「皆に青空のような心を持ってもらいたいな」

 まるで急変する天気のように移り変わる心を持つ人間という生き物。少しでも晴れ渡るように手助けしたいと思う咲花先生だった。

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