第36話「国定小豆の決心」

 小豆は咲花先生に甘えていることに罪悪感を覚えていた。いつも勉強を教えに来てくれる先生は、休む間もなく働いている。

 先生の負担になってしまっていると思い至った彼女は、前に進みたいと強く願う。

 先生が正月に買ってきてくれた学業成就のお守りを握りしめて深呼吸する。まずは母親に相談する。

 小豆の母はあまりの事に驚いて言葉が出ず、涙を流した。まだ少し前に進んだだけだと言う小豆に母は抱きしめた。


 そして小豆は何とか学校へ登校してみたいと咲花先生に電話で言った。無理をしなくてもいいけど、行きたいと思ってくれたなら挑戦してみましょうかと言ってくれた先生。

「ちょっとずつ行ってみたい」

 毎日は無理かもしれない。もし難しかったら保健室に行ってもいい。学校へ登校するだけでも意味があると言ってくれた先生。

 電話を切ると小豆は心臓の音で潰れそうだった。ゆっくり自室に戻り寝転がる。

 次の週の月曜日から二年A組に行くことになった。


 咲花先生は電話を切り喜んだ。本当にちょっとずつだが前進している。それを実感できた先生は急いで準備に取り掛かった。

 その日は木曜日。先日小豆の家を訪問したばかりだからこそ電話がかかってきたのだろう。今すぐにでも伝えたかったのかもしれない。

 既に時間は放課後。皆に報せるのなら金曜日の終わりのショートホームルームがいいだろう。

 そして教頭先生と校長先生に報告する。その後、生活指導の先生を含む各教科の先生に伝える。

 まだ確定ではないが、来たいと思ってくれた事は嬉しい事だ。教師たちは皆拍手した。咲花先生の想いが通じた成果なのだ。


 次の日、終わりのショートホームルームで先生自身もドキドキしながら報告した。

「戸惑う人もいるかもしれませんが報告します。来週月曜日、国定小豆さんが学校に登校する予定です。長らく来てなかった彼女ですが、精一杯の勇気を出して来てくれます。出来れば優しく接してあげてください」

 ザワつくクラス。皆が皆、信じられないといった感じだ。

 もしかしたら来れないかもしれないと言う先生。先生にもまだ分からないのだが、これをサプライズにしてしまうといけないと思って言っているのだ。


 来る側の小豆にも勇気がいるが、受け入れる側のクラスメイトにも心の準備がいる。土日と休みを入れてゆっくり考えて欲しいのだ。

「変に考えたり構えたりしなくていいのです。彼女を受け入れられないなら無視してもいい。彼女から関わり合いに来るのは難しいと思います。ですが少しずつでも、皆とも改善していけることを私は望みます」

 咲花先生の言うことは綺麗事かもしれない。それでも届けば心に花が咲く。そう先生は信じている。


 何でもかんでも教えれば良いという訳ではない。知らぬが仏という事もある。咲花先生が小豆の家に行っていたことは一部の者しか知らないことだ。

 小豆と仲の良い人がもういないと思っている生徒もいるはず。だがそれは間違いであり、今すぐにそれを正す気もない。

 少しずつ打ち解けていければいい、そう思っている先生。まずは来てくれることが第一だ。


「毎日来れるかはわからないそうです。国定さんには辛くなったら保健室に行ってもいいと伝えています。皆のご理解をお願いするわね」

 そうして咲花先生は終わりのショートホームルームを終えた。教室を出て職員室に向かう先生を賢也と美世が呼び止める。

「本当に小豆は来れるのか? 大丈夫なのか?」

「小豆ちゃん、勇気出してくれたんですね?」

 先生は二人に頷いた。そしてにっこり笑った。

「二人には国定さんのサポートを期待してるわよ」

 賢也は当然だと頷いて胸を叩いて任せておけと言った。美世も何度も頷いて頑張るポーズを取る。


 今日は空手部の副顧問としての仕事をなしにして、顧問の名田先生に任せた咲花先生。準備をして小豆の家に行く。

 電話だけでは不十分だ。ちゃんと会って話を聞きたい。咲花先生の足は早く動く。いつの間にか彼女は走っていた。

 軽く汗を拭いて小豆の家のインターホンを押す。事前に家に行くことは伝えてある。家の中から小豆の母が出てきた。

「咲花先生、ありがとうございます。ようやく小豆が一歩を踏み出したようで……」

「本当に嬉しい事です。小豆さんと話がしたいのですが」

「お上がりください」


 咲花先生が家に上がり、いつも通り二階へ案内される。小豆の部屋のドアをノックして部屋の中の小豆に声をかける。

「国定さん、咲花です。入っていいかしら?」

「……はい」

 中に入ると既に勉強机の椅子に座ってドアのある方を向いていた小豆。彼女は先生の雰囲気に気付いた。

「……ベッドに座っていいですよ、咲花先生」

「そう? ありがとう」

 息を切らしてはいないが、走ってきた影響か少し暑いと感じる先生。少し休みたかったので丁度いい。

 小豆のベッドに座り、小豆を見つめる咲花先生は不意に笑った。

「よく見てるわね。それはあなたの才能よ。きっと素敵な小説家になれるわ」


 下を向く小豆は明らかに照れていた。少ししてから本題に入る先生。

「よく決断したわね」

 咲花先生は優しく微笑んで小豆を見ている。小豆は俯いたまま言った。

「……本当は今でも怖いよ。でも咲花先生に迷惑をかけ続けてると思うとやるせなくて。私ももっと頑張りたいと思ったの」

「そっか。私の事を考えてくれたのね、ありがとう。あなたは優しい女の子だよ、それは誇っていい。でもあなたの心は壊れやすくなってるままだから無理はしないでね」


 咲花先生はあくまで小豆の心の心配をする。先生だってどうなるかわからないから不安なのだ。小豆の心がまた壊れてしまうような事があってはいけないと思っていたのだ。

 正直言えば未来は見えないモノ。だから一寸先は闇であり怖いのだ。だが恐れず一歩を踏み出しそうとしている小豆に手を差し伸べ、一緒に歩みたいと思っている咲花先生。

 どうあっても変えられぬ過去を嘆くより、光の先を目指して進もうとすればきっとなんとかなるのだ。

 勿論周りの目はある。何度も転ばされるかもしれない。咲花先生がいつでも見ていられる訳ではないから不安もある。

 だがそこは咲花先生は心配していなかった。もう小豆は一人ではない。ちゃんと見てくれる人がいる。


「大丈夫。前を向いて、周りを見て。あなたの事をちゃんと見てくれる人は必ずいるわ」

 咲花先生の言葉に頷く小豆。深呼吸して一言。

「……月曜日からよろしくお願いします」

「勿論よ。待ってるわ。もしも、やっぱり来れないってなったら遅くなってもいいから私に連絡を頂戴」

 わかりましたと小豆が言ったので安心した先生。教科書、ノート、タブレットを忘れないように言って今日は帰る先生。

「待っていますよ!」

 小豆の手を強く握った先生は笑顔だ。少しだけ涙ぐんでいた。小豆は微笑した。


 土日は咲花先生の道場で特訓する賢也と優斗。巫女はいつも通りお弁当を作ってきている。

 勿論体を鍛えるのも大事だが、賢也だけでなく優斗にとっても勉強する事は大事な項目だ。

 鍛えるの半分、勉強するの半分にさせてもらった最近では、道場だけでなくて咲花先生の家に上がらせてもらって勉強させてもらったりもする。

「小豆さん来るんだよね?」

 巫女がテーブルにノートを広げながら楽しそうに言う。

「僕はイジメた人がまた何かしないか不安だなぁ」

 どうしても不安を払拭できない優斗は咲花先生を見た。

「大丈夫よ、きっと大丈夫。私はずっとは見れないけど、あなたたちがいるから」

「俺に任せろ。小豆を守ってやる」

 それを聞いて苦笑した先生は、暴力は駄目よ? と釘をさした。

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