第45話「(エピローグ)より良い学校生活のために」

 学校の楽しさ、それは社会人になると味わえない。学校が苦痛に感じる生徒もいる。それは社会と同じ。集団生活に身を置く中で、如何にしてコミュニティを築けるか。

 ただ勉強する、ただ部活動に身を捧げる、それもまた一つの道。でも仲間を持つことでそれを何倍も膨らませることができる。

 咲花先生は孤独な生徒に声をかけていく。せめて生徒同士の橋渡しになれればと優しく声をかけていく。

 独りは辛い。誰かと共にいる幸せを共有出来たらと奮闘する先生。

 咲花先生は背がちっちゃいけど器が大きい。先生の言葉が透き通るように届いたら、立ち上がって周りを見てみると良いかもしれない。


 学校で学べるのは勉強や運動だけじゃない。教師一人一人の生き方を伝えているはず。教師も人間だ、逃げて生きてきた人もいるはず。そんな人から何も学べないというかと言えば、そうでもない。

 上手な逃げ方というものもある。何もかもに立ち向かう必要はない。逃げてはいけない時と、逃げてもいい時と、逃げないといけない時があるはず。

 それを集団生活の中で、学び得ることができるはずだ。


 咲花先生は中学生を見守る。六年間の小学校生活を終えて中学生になるとヤンチャな子も多い。賢也のような生徒は稀だが、喧嘩をよくする子もいる。

 不良のような子らも更生させたいと思っている先生は、対話でしっかり教育を施す。寄り添い、話を聞き、適切な答えを出してあげる。

 それを選択するかどうかは生徒次第だ。結局いくら言っても受け取る側が拒否してしまったら無理なのだ。

 どんな子らにも教育を受ける権利がある。親には中学校卒業までは子供に教育を受けさせる義務がある。


 小豆のように不登校になる生徒もいる。それは様々な事情があり、学校に通わすことが出来なかったりする。

 教室で授業を受けられない人は保健室で勉強したり、今ではオンライン授業を受ける子らもいるだろう。

 それでも学校に来たいと思えるようにしたい咲花先生。できる限り多くの子供たちが学校で教育を受けられるようになればいいと願う。


 そのためにはイジメを減らす必要もある。無くすことはできなくても、向き合わせることは可能かもしれない。

 SNSでのイジメはとても拡がっている。簡単に拡散され、愚痴で終わればいいが、グループチャットなどで闇を深めてしまう場合も多々ある。

 そしてイジメられてる側が苦しむことになるのだ。


 そういうイジメは大人が気付きにくい。より陰湿でイジメられた側の告発か周りの発言でしか表に出ないだろう。

 そういう時止められるのは子供と思うかもしれない。だがこの手のイジメで子供がメスを入れようとしてしまうと、今度はその子にターゲットが行くだけ。

 だから大人にこっそり相談するのがいいだろう。そして根幹から大人たちに解決してもらうしかない。


 とはいえ全てが上手くいくことなんて滅多にない。それでも上手く歯車をめるように、学校生活を回していかなければならないのだ。

 トライアンドエラーという言葉がある。挑戦と失敗という意味だ。何度だって繰り返し挑戦し、失敗を繰り返して一人前となる。

 より良い学校生活もまた、トライアンドエラーの上に成り立っている。教師たちが先人たちの想いを汲み、生徒たちが快適な学校生活を送れるようにしているのだ。

 学校によって様々だが、教師たちは自分たちに出来ることを生徒たちに与え、勉強に変換している。


 咲花先生は思う。正道中学校の先生たちは皆、良い先生ばかりだと。それぞれの熱い想いが職員室に熱気のようにこもっている。

 それぞれが生徒のことを思い、勉強に向かわせるために四苦八苦しているのだ。

 それは一方通行かもしれない。無理強いや、強要はできないから、空振りに終わるかもしれない。スルーされても仕方ない事だ。

 だがそれでも先生たちは教壇に立つ。指導するため、勉強を教えるため、生徒たちに生徒自身がした行いの事を理解してもらうため。


 なるべく話を聞いてもらうために、生徒一人一人の意見を聞きながら、先生たちも考えるのだ。

 咲花先生は賢也の件で、この街の治安について考える。ふと街を歩けば『下克上』らしきメンバーが目に映る。

 自分からそういう者を捕まえることはできない。たとえ『証のネックレス』が目に映っても、コチラから私人逮捕をしてはいけないのだ。

 だがもどかしい思いをする咲花先生。彼らもまた教育の敗北者と言えるだろう。出来ることなら、きちんと教育したい。


 だがそれは不可能だ。聞き入れるはずもないと言うよりは、彼らを引き止める理由がない。

 会話すら出来ないのに教育を施すなんてことは不可能だ。

 だから『下克上』のことに関しては諦めている。せめて正道中学校の生徒たちが巻き込まれないことに留意しながら街を歩く。

 今、咲花先生はただ街を歩いている訳ではない。職場体験学習のための受け入れ先を調べて回っているのだ。


 商店街などの店もそうだし、少し離れた工場などでもいいだろう。職場を体験する事で人と接するのに大切なコミュニケーション能力や、仕事をする上で必要な能力と適性がわかってきたりもする。

 大切なものを学ぶ時期なのが中学生だ。これからの未来を担う若者が、色んな体験を通して成長していく。


 中学生に限らず小学生も高校生も大学生も、何より大人も、人生とはいつも勉強である。学校で習った事、本を読んで学んだ事、人から聞いて知った事、その全てが勉強だ。

 時には間違った情報も手にしてしまうだろう。だが善悪をきっちり見分けていれば、間違いから抜け出すことも可能なはず。

 そうやって正しい事を得ていき立派な大人になっていくのだ。


 誰も彼もが器の大きな人間になれる訳ではない。だが今、咲花先生の授業を受けている人は皆が皆、それぞれの意見を持ちながら正しく生きようとしている。

 咲花先生はそんな生徒を愛おしく思いながら、彼らの行先が光り輝くように、教鞭を執っている。

 咲花先生は一人の闇も見逃さないようにしながら、生徒一人一人を見て回る。黒板係に板書を任せながら黒板係のノートを取りつつ、生徒たちの様子を見て回る。


 学校がしんどい人もいるかもしれない。だから少しでも楽しめるように、工夫している咲花先生。にっこり笑う彼女のように、優しい先生というモノは生徒たちの薬になる。

 生徒たちもより良い学校生活を送るために、気楽に肩の力を抜いて、勉強を頭に入れていけばいいのだ。

 日頃の勉強がしっかり出来ていれば、テスト前に必死に勉強するという事も減ってくる。

 人生なんて長いもの。中学三年間だけで全てを勉強できるわけではないし、高校や大学を卒業して大人になっても、学びの場というものはある。


 だから学校は楽しんで欲しい。友と共に日々研鑽けんさんして、部活動や学問に挑んで欲しい。

 学生時代に体験した事は一生の宝になるかもしれない。そんな事はないという人も考えてみて欲しい、それが咲花先生の願い。

 キラキラ光るものだけが学生生活でもないが、闇を抱えて過ごすのは勿体ない。

 皆と共に過ごす時間はかけがえのないものであるはずだ。共有した時間が大きければ大きいほど、学校生活は楽しくなってくるはず。


 賢也、優斗、巫女、美世、千代、小豆たちもまた、大きく成長した。この先の未来がどうなるかなんてわからないが、今は中学二年生を謳歌おうかしていく。

 ショートホームルームを終えた咲花先生に、手を振り部活動へ行く生徒たち。


 咲花先生の授業はどうだっただろうか? 咲花先生は、手を振りながら皆の未来を見つめていた。

「きっと大丈夫。いい未来が待っているわ。だから思いっきり前に進んでね」

 窓を見て校庭を眺めた先生は、そう呟いた後、空手部の副顧問として部活動へ向かうのだった。

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咲花先生はちっちゃいけど大きい みちづきシモン @simon1987

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