第39話「喧嘩はしない宣言」

 賢也はもう喧嘩はしないと咲花先生に誓う。護身のために技を使うことはあっても、それは相手を傷つけないようにしながらの技。時には守りながら逃げる事も選択のうちと教わる賢也は、正しい道を進もうとしていた。

 やられたらやり返すではなく、やられても耐えられる体作りを始めた彼は、より強くなっていく。身長も少しずつ伸びていき体が大きくなる。だからこそ、正しい力の使い方が求められるのだ。


 喧嘩をしないという事はどういう事か。自分から殴らない、一発殴られただけでは返さない。緊急だと思った場合に身の安全を確保するためになら拳を使う。

 そんな感じで教わった賢也は、より強くなるために沢山食べて、沢山運動した。

 そしてとうとう、初めて咲花先生から一本を取った。それも一本背負いでだ。

「やられたわ」

「よっしゃあああ!」

 手を天に高く挙げて喜ぶ賢也。優斗は羨ましがる。

「よく頑張ったわね。偉いわ、天谷君」

 手を引っ張り上げてもらい立ち上がる先生は手でパンパンと叩きながら笑った。

「何年ぶりかしらねぇ。一本背負いなんて受けたのは」

「ワシが薫に教えてた時以来かのう」


 咲花先生が手術をして少しずつ体を鍛え始めた頃から正拳突きを始め、体が出来上がった時に技を鍛え始めた咲花先生。大学入学頃からだから六年くらいになるか。

「若いっていいわね。すぐに私を追い抜いていっちゃいそうだわ」

「賢也君は特別ですよ。ずっと前から鍛えていたんだもの」

 優斗は苦笑して自分の手を見る。優斗も強くなっている。

「自惚れないだけいいわよ? 大鷹君はね」

「俺も自惚れてなんかいないんだが」


 咲花先生が言った言葉に反論する賢也。だが咲花先生は口を窄めて言う。

「どの口が言うのかしらねぇ? あなたが自惚れてなかったら、今まで起きてきた事件は起きなかったわ」

「む、昔の話はしてないんだよ!」

 慌てる賢也に笑う咲花先生は、彼のお尻を叩いた。

「あなたも大きくなったわね。身も心も強くなったわ」

 にっこりしている咲花先生は、賢也と優斗を集めて言った。

「あなたたち二人はもう大人顔負けの実力を持ってます。勿論、本当に鍛えている大人たちには敵わないかもしれないわ。おごらずにそのまま鍛えていってほしい。そして悪いことにその力を使わないで欲しい」


 頷いた二人は拳を前に出した。咲花先生もそれに拳を合わせる。

「約束しなさい。立派な大人になるのよ! 私から習った事は力だけじゃないはず。私はあなたたちに心構えも教えたのだから」

 根性で切り抜けないといけない時がある。それは根性論と言われるが、多くの場合間違って使われている。

 適切な時に根性を発揮して乗り越えるのが根性論だ。何でもかんでも根性でいけばいいわけではない。

 その見極めのために学ぶべきことがある。それはどこで、どのように力を発揮するかということ。

 無理をして体を壊すのは根性ではない。あと少しで手が届く、その時根性を発揮したらいいのだ。


 学びの機会は多くある。人生こそ学びの道。時代は変わる。移りゆく時代に合わせて適切な学びを得ていく必要がある。

 そして教師などの教える人間も、時代に合わせてアップデートしていかないといけない。そうでなければ教わる側が遅れていくのだ。

 例えばタブレットによる教育。これは昔はなかった。これにより大きな点は勉強が捗るだけではなくて、若い頃からタブレット端末に慣れることも出来る。

 新しいものを取り入れる事はとても手間と金がかかるが、出来てしまえば便利な物だ。


 教育も変わってきている。暴力だと判断されたら弾圧されるし、男性教師は常にセクハラと言われないかを気にして生きている。

 当然犯罪を犯す教師もいるが、本当に一部なのだ。テレビを観て、教師は悪だと言う親御さんも少なくない。

 だが教師のほとんどは必死に生徒のために働いている。一部の犯罪を犯す者と同じ扱いをしないで欲しいところだ。


 平日のある日、咲花先生は学校に着いた後、空を見上げた。雲が浮かぶ少し薄暗い空。平和な空気が漂う朝。

「喧嘩をしない、か」

 咲花先生は賢也の言葉を反芻はんすうし呟く。そんなこと彼には不可能だ。誓いを立てるのはいいが、出来ないことを言うものではない。

 それでも彼は『喧嘩をしない』と言った。これは縛りだろう。自分を縛り付ける言葉。

 歯を食いしばり守らなければならない約束。もし破ったら、その時は容赦はしない。勿論よっぽどの事がない限り、破門になんかはしないと思うが。


 賢也の意志は尊重したい。それを守れるくらいには強くしてあげたい。だが中学三年間は短い。出来ることは限られている。勉強もしなくてはいけない。

 体を鍛えるやり方は教えれる。賢也や優斗ならば、それを継続することは不可能ではないだろう。強さがあれば咄嗟のことに対応出来る。

 これから彼らには動体視力なども鍛えさせていく予定の咲花先生。一瞬の判断力も鍛えさせていく。

 巫女も大分護身術が身についてきた。痴漢などにあった時もきっと対応できるだろう。

 巫女のように可愛らしく美しい女性は変質者から狙われやすい。


 美世も護身術を習いに来るようになった。巫女と美世で技の練習をする。何度も反復練習する事で、一瞬の判断で立ち回れるようにする。

 慌てず冷静に即座に護身術を行使する。そうする事で身を守れる。


 そして咲花先生は賢也をテストする。それには優斗を使った。

 帰り道、優斗はふと立ち止まる。巫女はいない。賢也は訝しげに優斗を見た。


「どうした?」

「前から思ってたんだけどさ。賢也君ってずるいよね」


「何がだ?」

「顔が良くてカッコよくて、喧嘩も強い。恵まれてるよ」


「そんな事はない。お前だって……」

「オマケに元不良だから咲花先生にも沢山見てもらえて。かまって貰えてるじゃん」


「そんな事ないだろ」

「しかも巫女さんや波江さんとか女子にもかまって貰えてる」


「なんなんだ? どうした?」

「恵まれすぎてるんだよ! 君は!」


 賢也に殴りかかる優斗。それを受け止める賢也。賢也は手を出さない。


「止めろ! 俺は喧嘩をしたくない!」

「今までしてきた癖にいい子ぶってるんじゃないよ! 僕じゃ相手にならないって言うのか?」


「違う。殴り合いの喧嘩をお前としたくないんだ。口喧嘩ならいくらでもしてやれる。だから拳を収めてくれ。頼む」

「……それじゃあお願いがある。一発だけ僕を殴ってくれ」


 頭を下げる賢也にお願いする優斗。


「俺はお前を殴る気は……」

「喧嘩じゃないんだ。これはお願いだ。一発殴ってくれたら気が済むから。腹でいい。思いっきり殴って!」


 賢也は言われた通り、力の限り優斗の腹を殴った。腹を押える優斗はうずくまる。


「すまん……」

「いいんだ。ありがとう。これで十分ですよね? 先生」


 予定通りの場所で言い争いを始めて収拾をつける。咲花先生の指示通りにやった優斗。

 こっそり隠れていた咲花先生に気付かなかった賢也は驚いた。


「ごめんね、大鷹君。そこまでしなくても良かったのに」

「いえ、僕の気が済まなかったんです。いい薬でした」


 実際に本当に思っていた事を言い放った優斗。腹に痛みはあるものの、スッキリした気分だった。


「俺を騙したのか?」

「騙してないよ。僕は思っていたことを言った。内緒にはして欲しいけど」

「私は大鷹君の気持ちを利用して、天谷君が本当に喧嘩をしないか試したの。ごめんなさいね」


 賢也は呆れた。こんな狡いことをしなくても喧嘩なんてしないと。だが咲花先生は首を横に振る。

「本当に危なくなったら、ちゃんと手を出しなさい。それは喧嘩ではないから。でも合格よ、天谷君。あなたはちゃんと本質を理解してくれたようね」

 咲花先生は賢也に屈ませて、抱きしめて頭を撫でる。ようやく太鼓判を押して貰えた気がした賢也だった。

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