第10話「咲花先生の過去」

「咲花先生って背が小さいのにとても強いですよね」

 それは道場での優斗の発言。背が低いのに、は余計だと笑う先生。賢也は背が小さくても関係ないと言ったが、優斗はどうしてか気になる。

「それは昔の話じゃ」

 お爺さんが咲花先生の過去を話し始めた。


──────


 咲花薫は産まれた頃から難病を患っていた。詳しいことはわからないが、脳に異常があり体がうまく動かせないのである。麻痺というべきなのか、とにかく激しい運動が無理だった。しんどくなるとかではないのだ。

 本人に疲れはない。なのに激しく動けないのだ。まるで脳が、ダメだ動くな、そう言っているような感覚だったという。

 祖父は柔道家。空手も師範級。ボクサーも敵わないほどの正拳突きは『神の拳』と呼ばれるほどだったという。まぁ本人談だが。

 父は武の道を進まず会社の社長。母は薫を産んだ時亡くなった。

 お金はある。手術すれば治るかもしれない。だが妻を失った薫の父は、薫を可能性の低い賭けで死の危険に晒すのを嫌がった。


 その父も薫が中学の頃交通事故で亡くなる。残ったのは祖父とお金だけ。

「おじいちゃん」

 薫はいつももっと動きたいと言っていた。食事もあまりとれず背も小学生低学年くらいから伸びないまま。

「私、手術受けたい」

 それは当然の願いだった。祖父は悩んだ。妻は他界しており、息子と義理の娘を亡くした。ここで更に孫娘まで亡くなってしまっては嫌だ……と。だが薫は強く嘆願した。理由はこうだった。

「おじいちゃんみたいに強くなりたい」

 勉強だけをさせてきた。運動神経なんてなくてもいい、ただ生きてくれればと。

 しかし祖父は受け入れる。薫の人生は薫が決めるものだ。

 海外に行き手術を受けた。結果として手術は成功し、以前より格段に動けるようになった。それは薫がやっと得た『普通』だった。


 そこから薫は祖父の指導の元で鍛えた。背は伸びなかったが筋力はとても付いたと言える。技術も沢山学んでいった。まさに免許皆伝である。

手術をしたのは中学生を卒業し高校生になったばかりの頃だった。

 薫は文武両道の道を生き勉強も怠らなかった。そして高校生三年になった頃こんなことを言ったのだ。

「私、先生になりたい」

 どうやら高校の先生に感化されたらしい。学校の先生になりたいと言ったのだ。


 学問を修めることに異論はない。武の道を進みながら誰かに何かを教えることは、きっと薫のためになる。そう考えた祖父は高校卒業後も修行の手を抜かない事を条件に、学校の先生を目指してよいと言ったのだった。

 そして……小中までの教師の資格を取り、今の中学の教師になったのだった。


──────


「そんな過去があったんですね」

 巫女がしみじみと涙を拭っている。賢也は咲花先生の過去を聞いてニヤリと笑った。咲花先生が高校生くらいの時から鍛え始めたのを知ったからだ。それなら追いつくこともできるはずと考えたのだった。

「筋トレはね、いつから始めてもいいのよ」

 しっかりと食事を摂る事が条件だが、たとえ体が小さくても筋力があるに越したことはない。

 咲花先生は小柄の上に女性だから力が付きにくいように見えるが、筋力や体幹はとても強そうだ。


「咲花先生はなんで強くなりたかったんですか?」

 優斗が尋ねる。女の子であった当時ならもっと可愛いものに目を向けてもいいはずだ。

 先生は遠くを見つめるようにして話す。

「動けなかったからよ」

 それはわかる優斗。だが強くなる必要はないはずだ。動けなかったのが動けるようになったからと言って、別に他の競技などでも良いはずだ。

 お祖父さんのようになりたかったのは何故? と問うと、先生はこう言った。

「誰かを守ってあげたかったから」


 憧れたのはヒーロー。誰かを助けるその姿は女の子の頃の咲花先生にも響いた。誰かを守れる力が欲しかった先生だからこそ、お祖父さんのように強い人間になりたかった。

 ただ強い人間ではなくて、心もちゃんと強い人間になりたかったのだ。優しい心と強い力が合わさればきっと世界を上手く生きられる、そう感じていた先生は空道を極めたそうだ。

「力が強い人は沢山いても、心が強い人はなかなかいない。どこかで誘惑に負ける人はいる。負けても仕方ないかもしれないけど、負け続けると人は堕落するわ」


 そう話す先生は皆を見つめて笑った。堕落した人を救える人になりなさいと。それは正しい道に導ける強い意志を持つ事。より賢く知識をつける事。

 ずる賢い人に引っ張られる心の弱い人を助けられる強さを身に付けることがとても大切な事だと言う先生。

 そして同時にこの荒波のような世界を堂々と歩いていける強さこそが本当の意味で強い人間になるための必要な要素だと言う。

「そうなれるように私たち教師が一生懸命勉強と道徳を教えるから、しっかりついてきなさい!」


 頷いた賢也たちはトレーニングを続ける。正拳突きに心を込める、どういう心を込めるか、それが大切だと話す先生。

 ちゃんと自分の頭で考える事が大切だと先生は言って、すぐに答えを教えたりしない。それは咲花先生なりに正しく導くやり方だった。

 ただそれは実際のところ、上手く機能しなかった。優斗にもちゃんと過去があり、巫女にも過去があり、賢也にも……過去がある。

 そして現在の状況を全て把握出来る訳ではない。思春期の子供たちの心の内を全て理解する事は出来ない。


 子供は思っているよりも成長していたり、変な方向にねじ曲がっていたり、成長しない子もいる。

 そして意固地になりがちな子もいるのだ。それはどれだけ言っても何を言っても変わらない。どこかで自分の正義とはこうだと決めている子もいる。

「ほら、手が緩んでるわよ」

 少しだけ考え事をしていた賢也に咲花先生が言う。

「迷いを捨てろなんて言わない。でも立ち止まっていては進めないわ。何かあるならいつでも相談に乗るから言いなさい」


 賢也は咲花先生に話そうかと思ってやめた。話したって無駄な事だと思ったからだ。わかってもらえないと思った訳ではない。ただ単純に意味がないと思ってしまった。

 先生は何か勘づいたようだったが、賢也が自分から話しに来るまで待つことにした。無闇に突いてしまってはいけないと思ったからだ。

「大丈夫、乗り越えようと思えばいつか乗り越えられるわ」


 その先生の言葉は賢也の頭にとても響いた。いつか話すべき時が来たら話そうと思った賢也。

 今日のトレーニングを終えて汗を拭く優斗と賢也。巫女は水を二人に渡す。

 道着から着替えて勉強を見てもらう。優斗は自主的に勉強をしてるのもあり、なかなか優秀だ。賢也は相変わらず、どの教科も理解が追いつかない。

 先生は根気よく教えようとした。だが賢也はなかなか覚えられない。

「全く! 脳筋なんだから……」

「咲花先生がそれを言うか?」

「失礼ね! 私は文武両道です!」

 そんな賢也と咲花先生のやり取りがあった後、先生は彼に言う。鍛えるのも良いが勉強もちゃんと家でするようにと。

 授業中も寝ないことを約束させた先生はしっかり勉強することが学生の本分であることを忘れないようにと話す。


 三人を見送った後、先生は家に持ち込んだ教師の仕事をしながら生徒の事を想う。皆をちゃんと導いて卒業させられるか、彼女なりに悩むのだ。

 教師だって一人の人間だ。間違った教えを教えてしまう時もある。自分が伝えた事がどれだけ生徒に影響を及ぼすか、不安にもなるのだ。

 それでも一人の教師として言った言葉に責任を持ち、良い子たちを育てていこうと決心する咲花先生だった。

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