第25話「天谷賢也の過去」
賢也の過去、それは守れなかった過去。不良グループ『下克上』の
それは『下克上』の一員に絡まれた時の事。賢也は怖くて逃げ出してしまったのだ。波江を置いて逃げ出した彼は、後になって悔いる。
仲の良かった彼女を連れて逃げられなかった、立ち向かえなかった弱さに。その後転校して行った彼女に謝ることも出来ずにいた彼は強くなることを決心する。
「俺は弱かった。怖くて逃げてしまった。謝ることすら出来なかった。色んなことから逃げたんだ。今もそうだ、あの時逃げてごめんと言えずにいる。情けない話だ」
一緒に逃げられたらどんなに良かったか。手を繋いで逃げずにひたすら自分だけ逃げてしまった事を後悔した賢也。
小学二年生のその事件まで、ずっと仲良く波江と遊んでいたという賢也。絶対守ると彼女に誓ったあの頃は彼にとってとても楽しかった。
同じクラスの奴らなんて相手にならない。自分は強いと断言していた頃だ。
街を歩いていて『下克上』のメンバーの足にアイスクリームが当たった波江。彼女を庇おうとして裏路地に連れていかれた二人は恐怖した。
ボクシングの真似で遊んでいた彼らに、ボコボコにされると思ったからだ。そこである人物に会った。『下克上』のルールを教えられ、賢也らに引き継いでいけと教えるその男。
賢也は恐ろしくなって逃げ出した。波江の手を掴んだつもりだった。だが必死になって逃げる中その手はもうなかった。
女の子を置いて行ってしまった。それは生まれて初めての最悪の恥だった。
その後賢也は親に説明して波江の親に連絡してもらう。警察の手も借りようとするが、その前に彼女は帰ってきた。
「何事もなく無事でした、心配かけてすいません」
彼女の両親はそう言った。だが次の週には彼女の親は何も言わずに彼女と共に引っ越して行った。
賢也の両親は彼のせいではないと安心させようとした。だが彼は納得しなかった。自分のせいだ、自分が弱かったから波江を傷つけた、そう感じていた。
実際目の前で逃げて行った賢也を見た彼女はどう思っただろうか? きっと失望したに違いない。
賢也の事を本当に慕っていたらしい彼女の心の傷はきっと大きい。あの時どうして逃げたの? と言って責めて来てもおかしくないのだ。
それなのに彼女はケロッとしていた。親しげに話しかけてきた。恨んでいておかしくないのに。
だがそれは甘えだ。自分から『あの時』の事を謝らなければいけない。そうしないと前に進めないのだ。
これはチャンスでもある。賢也が謝罪の場を作れる最大のチャンスだ。
「明日謝ろうと思う」
賢也は優斗と巫女に話を聞いてもらって少し肩の荷が降りたようだ。優斗と巫女は頷く。
帰るのが遅くなる訳にもいかないのでそれぞれ帰るが、その前に優斗は確認した。
「咲花先生には言わないの?」
「明日説明するよ」
それならいいと頷いて優斗は帰っていく。
「何でも協力するからね」
巫女は賢也にそう言って手を握った後、走って帰っていく。
賢也も帰宅した。いつものトレーニングをしながら考える。いつ謝るのが適切だろうか? と。それを考えた瞬間、賢也は頭を振った。
「何を……周りの目を気にしてるのか? 俺は……」
朝一番に言おうと思い直した彼は、早めにトレーニングを切りあげて明日の準備をする。
次の日、朝早くに登校した賢也は校門で待っていた波江に会う。
「早いな、波江」
「空手部マネージャーだからねぇ」
それにしても早すぎる。おまけに賢也を待っていたかのような様子だ。
「波江……話が」
「うん? 私も話があったの。お先にどうぞ」
「……? あ、ああ。その……昔の話なんだが……」
少し歯切れが悪くなる賢也だったが、勇気を振り絞って話す。
「あの時逃げ出してしまって、すまなかった! 本当に悪いと思ってるんだ! あの時助けられなくてごめん! 何発叩いても構わないから許してくれ」
これには面食らった波江。そして急に笑い出した。笑っている波江がまるで賢也を馬鹿にしているかのように笑うので賢也は少しだけ不安になる。
「なぁんだ、そんなことかぁ。気にしなくてもいいのに。でもそうだね、許して欲しいなら許してあげる。条件付きでね」
「条件?」
「そう、条件。私がお願いって言ったことを一つ叶えて欲しいの」
「……俺が叶えられる範囲でいいか?」
「勿論だよ」
「そのお願いってなんだ?」
「まだ言えない。ちゃんと私が直接言うから大丈夫だよ」
「……わかった。待ってる」
「これで仲直りでいいよね? 本当は私から言おうと思ってたんだけどなぁ」
「仲直りで構わないが、そうなのか?」
ふふふ、と笑った波江。賢也は少し訝しげに見つめるが首を振る。
「仲直り出来て良かったわね」
「咲花先生!?」
気が付けばすぐそこに咲花先生が立っていた。
「いつからいたんですかぁ?」
波江の言葉ににっこり笑った先生は、ちょっと前よ、と言った。
「咲花先生、後で俺の昔話を聞いてくれるか?」
「え? 先生に話すの!? 賢也、本気?」
賢也の言葉に驚いた波江。賢也は咲花先生にも聞いて貰おうと思っていたから頷いた。
「私がダメって言ったらどうする?」
波江はジト目で賢也を見ている。
「それはお願いか?」
「え? いや……違うけど……」
お願い発動か聞く賢也に、波江は慌てて否定する。
「ふふふ。放課後、生活指導室にきなさい。あそこなら誰にも聞かれないでしょう」
咲花先生は笑って続けた。
「さぁ、早く校内に入りなさい。先生はまだ生徒への挨拶があるから。空手部の朝練の準備をしてランニングするように」
波江は上手くいっているようで中々上手くいってない事態にヤキモキしていた。彼女の考えが読めるわけではなかったし、水面下で動いている今の状況を理解しているわけではなかったが、咲花先生は賢也の表情から何かを察していたようだった。
三学期の授業が始まる。波江は勉強が出来る方だったようで、問題文にも積極的に手を挙げている。
優秀で明るい彼女を見ていて、立ち直れたのだろうなと思えた賢也。
そもそも引っ越ししたのも両親が喧嘩して別居状態になったからだと言う波江。どうしてもこちらへ戻りたくなって少し遠い母親の所から、こちらの父親の所へと来たのだという。
放課後、空手部の部室に行く前に賢也は生活指導室に寄った。中では咲花先生が待っていた。
「そこに座りなさい」
『下克上』と喧嘩した時にもここに来させられた。
話を聞く姿勢になった咲花先生は、賢也が話し出すのを待つ。賢也は波江との過去の話を語る。
咲花先生は頷きながら話を聞いてくれる。全部の話を終えて、今朝謝った事を話すと先生は笑った。
「ちゃんと成長してるのね」
先生は賢也を屈ませて頭を撫でた。
「私は身長が足りないからね。こうやって屈んで頭を撫でさせてくれるだけでも、あなたは優しいのよ」
素直な良い子だと褒める先生。それに対して照れる賢也は少しだけ笑った。
「それは咲花先生だからだ」
賢也は言う。咲花先生が良い人だから従うのだと。咲花先生が本当に心が大きい人でなければ、賢也は腐っていたかもしれない。
たとえば喧嘩した時ただ責め立てられたら、たとえば破門されてたら、たとえば賢也をタダの悪ガキだと決めつけていたら。
賢也が良い子なのは、『咲花先生が良い子にしてくれた』からだ。咲花先生のおかげなのだ。
子供は指導者次第で良くも悪くもなる。どういう指導が良くて、どういう指導が悪いかなんて、正解はない。
それでも指導する側がそれぞれに合った指導者であるべきだ。難しい問題だが、咲花先生は必死に生徒に寄り添おうと思っていたのだった。
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