第31話「天谷賢也の咲花先生への想い」
波江を追いかけた賢也は、空手部の部室で朝練をしながら彼女に尋ねる。
「朝電話してきた用事は何だったんだ?」
賢也の自宅に電話を入れた波江。慌てて出た賢也に学校で話したいことがあると言った彼女は、こうやって朝早くから居る。
「連絡先交換してなかったなと思ってね」
スマホで連絡先を交換する。小学生低学年の頃はスマホを持たせて貰えなかった二人だが、今は違う。交換するタイミングがなかったからしてなかったのだが、何故かその後も暗い波江。
「ねぇ、賢也……」
「なんだ?」
「……やっぱりなんでもない」
「頼む、言ってくれ」
「私たち、どこに行っても友達だよね?」
「当たり前だ!」
賢也の言葉を聞いて哀しそうに笑った波江。空手部の朝練を終えて教室に行く。波江は何故か職員室に向かった。
空手部では優斗や巫女に昨日の事を聞かれたが、後で説明すると言っていた賢也。
やがてショートホームルームの時間が来る。咲花先生と波江がやってきた。
「皆席に着いてるわね。今日は大切なお話があります。伊豆波江さんが再度転校することになりました」
ザワつく教室。皆が波江の方を見ていた。
「親御さんの都合です。仕方ありません」
「ほとんど皆さんとは喋れなかったですけど……。迷惑しかかけてないくらいですけど、とても勉強になりました。皆さん短い間でしたが、ありがとうございました」
そう言ってお辞儀をする波江に賢也は駆け寄った。首を横に振る波江は涙を流していた。
「今日もう出発する予定なのに、皆に挨拶だけでもしたくて伊豆さんはここに来てくれました。転校手続きはもう済んでるそうです。ここでお別れです。皆お別れの挨拶を……」
先生が最後まで言い切る前に皆が集まって、お別れの挨拶をする。連絡先を交換できないかと言う生徒もいたが、もう出ないと行けないからと、ありがとうと教室を後にする波江。賢也が教室から飛び出して叫んだ。
「いつかお前の心を完全に救ってみせるから!」
波江は振り返って笑う。
「もう救われてるよ」
咲花先生は校門まで波江を見送る。教室ではもう授業が始まっているはずだ。
波江の手を握り歩く咲花先生は波江の妹みたいに見える。校門で手を離し、手を振り別れを告げた。
とんでもないものを失ってしまった気がした。だが最後に先生が波江のポケットに何か入れていたのを思い出してポケットを漁る。
それは咲花先生からの手紙だった。
『どこにいても、どれだけ離れていても、たとえちょっとしか話してなくても、短い期間だったとしても。あなたは私の生徒です。私はあなたの先生です。弱さに負けないで、強く生きてね。
一体いつのタイミングで書いたのか、転校することを告げたのは朝だし、先生は校門で挨拶をしていた。おまけにこの手紙は手書きだ。
考えられるとしたら職員室で待ってる時か。便箋などはいつも用意してるのかもしれない。
手紙を鞄に大切に入れて、母親の言っていることを聞く。その顔にはもう涙はなかった。先生の言うように強く生きようと思ったのだ。
波江が行ってしまってから、校舎に入る咲花先生。国語の授業は今日はどのクラスもまだだ。
昼休みに賢也は咲花先生の所に話を聞きに行く。優斗と巫女も付いてくる。
先生はまず優斗と巫女に昨日の事を話した。『下克上』リーダー含むメンバーたちとの抗争。
巫女は悪い予感が当たったと思った。そして優斗が念の為咲花先生に話を通していて良かったと思った。
賢也はどうして咲花先生が賢也と波江にこっそりついてきていたのか、その謎が解けて納得する。
次に賢也が波江の事を聞く。咲花先生は寂しそうに言った。
「個人情報だからあまり言えないけど、伊豆さんはお母さんの所から、彼女のお父さんのところに来ていたの」
彼女の母親はシングルマザーとしては稼ぎが少なく生活も苦しくなったそう。仕方なしに昔不倫したことをきっかけに、別れて無理矢理波江と離した父親の元で生活してくれ、となったらしい。
母親はこの地を離れており、父親は昔の家を売りこの辺りの一人暮らし出来るアパートで生活していたそうだ。これはこの正道中学校に転校時の情報。
そして何があったか分からないが父親の元には置いておけないとなって再度母親の元へと行くことになった波江。
──────
これは咲花先生も知らない事だが、波江はほぼ家に帰っていなかった。着替えをするのも父親と一緒では出来ない。
別に実父なのだから気にするなと言われるが、たとえ血が繋がっていたとしても、一度離れていたら一人の男でしかない。
何より思春期の女子の心は複雑でもある。デリカシーがない父親の顔も見たくないのだ。
だから母親の元にいた時知り合った『下克上』のリーダー、下吊上也を頼った。賢也を頼れなかったのだ。
波江の過去を聞いていた上也は、メンバーから『下克上』の領地を最近荒らしていた男の名前と同じ事を考え、波江に伝えたのだ。
そうして事の顛末が起こったのだった。
──────
「分かった、ありがとうございます」
賢也は頭を下げた。咲花先生は賢也の頭をポンポンと軽く叩く。
「もっと泣いていいんだよ」
「俺は……強くありたいから」
賢也の言葉に先生は笑った。
「泣くのだって強さよ」
その言葉を聞いた時、賢也は一粒の涙を零した。
「俺のせいかなって……思うんです……!」
賢也の目からは次から次から涙が溢れてくる。感極まって先生も涙を流していた。
「あなたはよく頑張ったわ。でももし自分のせいだと思うなら……次はもっともっと正しくありなさい。失敗なんて誰でもする。後悔することなんて私でも沢山あるわ。それでもその次はもっと上手く事を運べるように反省して、前に進むのが本当の強さよ」
過去なんて
正しい道へ真っ直ぐ進める人間なんてほとんどいない。
必ずどこかで
前を向いて、上を向いて、一歩ずつ歩いていく。立ち止まってもいい、それでもいつか前に進めることが大切なのだ。
人には人のペースがある。だがそれを大きく躍進させるのが教育だろう。勿論勉強は大切だ。学校には勉強しに来るのだから。
だが友と歩む道、教師に教わる道、親に決めることを言われる道。自分の道は自分で決めて、社会に出るのだ。
折角学校に来て何も学べないのは悲しい。当然環境というものは必ずついてまわる。良い学校、良い教師、それらが必ず自分の所に回ってくる訳ではない。
賢也たちはラッキーだったのかも知れない。賢也はこんなにも見てくれる先生には今まで出会った事がなかった。
だからこそ咲花先生の事を強く想った。師匠である咲花先生への賢也の想いは日に日に強くなっていく。
強く可愛らしい咲花先生に惚れたと言っていい。助けられ続けて、教えられ続けて、咲花先生を恩師としてだけでなく女性として見てしまう賢也。
前まではあんなにも堂々として頭を撫でられていたのに、気付けば恥ずかしいと思ってしまう彼は、初めて恋をしていた。
好きな人というのは、波江や巫女のような女子もだし、優斗も好きな人間だと思っていた賢也。
だが好きな女性を想うことがこんなにも苦しいことだなんて初めて知ったのだった。
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