第42話「国定小豆の涙」

「もうあんたの事気にしないから、あんたも私のことを気にしないで。私の友達全員にも釘を刺すわ。これ以上関わることはもうなしでお願い」

 ある日イジメの首謀者から小豆に言い渡された言葉。小豆は驚いて固まった。だがその言葉は嘘偽りのない言葉だと分かった。彼女の目をしっかり見つめて言い放った言葉だったからだ。

 小豆が頷くと首謀者は踵を返して自分の教室へと戻る。小豆は立ち止まったまま暫くその場にいた。


 イジメから解放された小豆。それは咲花先生のおかげだと思っている彼女。返しても返しきれない恩を受けた小豆は咲花先生に頭を下げた。そして一緒に帰ってくれる賢也と美世にも頭を下げた。

 こんなにも優しくしてくれる先生と友達を持った事に感激して涙する小豆。一生モノの大切な宝物だと言った彼女は、もっと強くありたいと願う。逃げてばかりじゃなく立ち向かう勇気も少しずつでも付けていきたいと願う彼女だった。


 咲花先生は小豆が前に進んだことをとても喜んだ。そしてこっそり首謀者に礼を言う。彼女も真の悪者ではない。ただの一人の中学生だ。

 気持ちの整理がついたから首謀者も前に進める。それだけだから気にしなくていいと咲花先生に話す。

 一歩ずつ皆先へ進んでいる。後押しすることが出来ていることを実感した先生。

 グチグチと後ろ向きなことを考えてしまうのは仕方がないが、その空気を周りにまで伝染させてしまうのは危険だ。


 小豆の件で生徒たちの心の難しさを改めて考え直した咲花先生は、保健の先生から心理学について話を聞いていた。中学生の時期は特に、言葉には言い表せられないような心情になることが多い。

 誰かに優しくしようと思う者は逆に優しくされたいと思っていたりする。誰かを攻撃する者は誰かに攻撃されていると感じていたりする。

 分かりやすい性格の裏にも、また悩みがあるものだったりする。全てを説明するには難しいが、ある程度は対応出来るものだと保健の先生は言う。

 それはちゃんと聞いてあげること。すぐに答えを出せない場合もある、それでも答えを出してあげること。


 先生だって人間だから間違うことくらいある。寧ろ咲花先生はかなり自分の知識と意志と自信で接しているから、完全に正しいわけがない。

 迷いながらも自分の出来ることを全力でやっているだけなのだ。そして生徒たちに教えるのは、自身の出来る範囲で他人と接するということだ。

 それは勉強を家でしているだけでは備わらない力。閉じこもっていては他人の気持ちなんて分からない。

 小豆は実際、閉じこもってしまっていたから他の人の気持ちに戸惑っている。それは少しずつ箱を開けるように心を開いていかなければならない。

 だが嬉し涙を流してからというものの、積極的にはいけないが少しクラスメイトに声をかけたり出来てきていた。

 そんな様子の小豆を少しずつ理解していく生徒たちは、見守ることにした。


 無理に関わってしまうと小豆の負担にもなりかねないと思ったクラスメイトは、少しずつ溝を埋めようとする。例えばプリントを渡す時。例えば朝の挨拶、帰りの挨拶。

 小豆は、ちょっとずつ関わりあいを持とうとする二年A組のクラスメイトたちに戸惑いながらも、同じクラスの一員として認められ始めていることに嬉しさも感じていた。

 人を避けてしまうのはもう癖になっているが、なるべく逃げないように頑張る小豆。

 そんな小豆の頭を撫でさせてもらう咲花先生は、小豆の心の回復を願った。


 小豆はいつも神経質になっている。それをほぐすようにリラックスさせてくれる先生には感謝しかない。

 構いすぎも良くはない。適度に心配してくれる先生たちにありがとうと言いたい小豆。

 だが感謝の言葉も、謝罪の言葉も、口をついて出てくれない。喉まで出かかった言葉を飲み込んで、言えないことを悔やむ毎日。

 それは誰だってそうだ。当たり前にある幸せへの感謝などの言葉は言いたくなっても言えないもの。それでも何とか言葉にしないと心に引っかかる。

「……咲花先生」

「うん? どうしたの? 国定さん」


 放課後、咲花先生に声をかけたモジモジしている小豆。先生は小豆の手を握って次の言葉を待つ。

「……いつもありがとう」

「ふふっ、いいのよ。こちらこそ、あなたが頑張って学校に来てくれてありがとう」

 握る手を強くする先生に、照れて顔を赤くする小豆。だがこれだけでは終わらない。

「……他の先生にも言いたいの」

「どうしたの急に。なんか怖くなっちゃうわ」

 まるで最期の挨拶のような小豆の行動。だがそうではない事を彼女は告げる。

 実際いつも細心の注意を払って貰っているように感じていたから、気を遣わせている事に謝罪と感謝を述べたいというのだ。

 だがいつも他の先生も色んな生徒に囲まれて近づく事が出来ない。何より人の目のあるところでお礼を言ったりすることが小豆には出来ないのだ。


 考え込んだ咲花先生は小豆に職員室に付いて来るように言った。手を繋ぎ歩く姿は小豆お姉ちゃんと薫妹の姉妹のようにも見える。実際は小さい咲花先生の方が引率しているわけだが。

 職員室に着くと、扉を開き「失礼します」と言う先生。それに倣って小豆はお辞儀をした。

 小豆を職員室の真ん中まで引っ張って行った先生は言った。

「先生方、少しだけ手を止めて話を聞いてください」

 他の教師は咲花先生と小豆に注目する。

「国定さんが伝えたいことがあるそうです」

 教師たちは真剣な目で小豆を見つめる。


「……あの……その、えっと……」

「大丈夫。大丈夫だよ、ゆっくりでいいから」

 小豆の背中をトントンと叩いて落ち着かせる先生。教師たちは言葉を待つ。

「……いつも気にかけて下さり、支援してくださってありがとうございます。先生たちには感謝してもしきれません」

 なんだなんだ? どうしたどうした? と騒ぎ出す教師たち。まるで引越しでもしてしまうかのような言い方だ。

「国定さんは日頃の感謝を先生たちに伝えたくて、私に相談してくれました。彼女はいつもありがとうございますと言いたいんです」

 咲花先生が補足説明する。教師たちは、なんだそんなことかと安堵する。


「国定さん、あまり無理はしないでね。私の授業で辛くなったらいつでも言っていいから」

「国定は硬くなりすぎだ。もっと柔軟な思考でいかないともたないぞ」

「国定さんが頑張り屋さんなのはわかってる。でも出来ないことはしなくていいからね」

「国定ももっと気楽にいけたらいいんだけどなぁ。何かいい方法があればいいが……」

「いやいや国定さんはもうちょっと根性つけるべき。暗く考えても仕方ないんだからさ」

「そんなこと言いますけど、国定さんにも個性がありますから。国定さんのペースでいくしかないと思いますよ」


 教師たちは色んな言葉を小豆に聞かせる。それは皆が皆、小豆の事を考えての言葉だ。とげがある言葉を言う教師もいるが、それだって小豆のためを思って言っている。

 大人になってから分かる言葉というものもある。あの時あの先生はこの状況を見越して言ってくれていたのかもしれないと感じたことのある人はいるはずだ。

 勿論、逆にかせになってしまう場合もあるが、何度も言うが教師だって間違う。全てが正しいとは限らない。だが一人一人が生徒のために立ち上がってるのだ。

 犯罪を犯す教師のせいで風当たりの強い職業である教員。それでも生徒の為にと奮闘する教師たちを責めてばかりいてはいけない。

 教師も生きている人間だということは忘れてはならないのだ。

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