第13話 サンドワーム迎撃戦

 訓練施設に入って、一ヶ月が経った――。


 精神崩壊者が続出する訓練。一ヶ月が過ぎるころには、俺たちと同期と呼べるだろう者たちの半分ほどがこの施設から脱走して去っていた。最終的に残ったのは、俺とエディ、アトと呼ばれる少年を含む、計二十名ほどだけだった。


 どうして自分が訓練についていけたのか、それは今でもまったく分からない。


 ただ、訓練中にときどき走る脳内をかきまわすようなノイズに身を任せていると、気がつけば任務が成功していたことがよくあった。原因は分からない。だが、そのおかげか他の者たちよりも戦死回数が少なく、そして精神的な苦痛を覚えることも珍しかった。


 そして、『死ぬことはないが役に立つこともない』というレッテルを教官に貼られるくらいにはなったころ、事件は起きた。



               ***



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【民間依頼(仮想訓練)】

 ~運搬トラックの護衛~


[目標]

 一.関西から都市へと向かう運搬武装トラック群を護衛せよ。

 二.運送ルート上に、レベル1「オペラキャット」「エイドフェイカ―」などの目撃情報がある廃墟群が存在するため、そこから湧き出るチルドレンを迎撃せよ。

 三.運輸トラックに一定の損傷を与えずに、『ネオ・ミナト・ミライ』へと帰還すること。損害はトラック五台のうち一台までに抑えよ。


[依頼難易度]

  カテゴリー1・適正ランク「E~D」


[目的地]

 「ネオ・ミナト・ミライ」

 *なお、依頼は関西の『大阪城砦武装都市』からではなく、中継地点の『箱根新生物第伍研究所』からとする。


[依頼主 シロネコムサシ(株)]

 『狭山燃料株式会社』より依頼された一般貨物を「ネオ・ミナト・ミライ」へ陸路で輸送するように依頼されました。道中、危険なチルドレンが出現する可能性があるため、その撃退とトラックの護衛を依頼します。――グッドラック。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 任務内容も至ってシンプル。

 都市と都市を行き来する運送会社からの依頼で、そのルート上にある廃墟群に生息するチルドレンから守ってくれ――というものだった。


 実際にあった依頼が元になっているのだろう。依頼文をモニターで確認しながら、俺たちは仮想空間へとダイブした。トラック一台につき、左右を二台の装甲車で挟むようにして護衛するそうだ。

 俺はこのとき、先頭から四台目にあるトラックの左側の装甲車にいた。

 以降が、そのときの状況である――。



          ***



 車窓に白砂がこびりついている。

 外では、漂白地帯が広がっていた。


「オペラキャットかー、あいつには良い思い出がないからなあ……」


 コールドスリープから目覚めて、追いかけられたときの記憶を脳裏に思い浮かべながら、俺は後頭部に両手を回し、装甲車の助手席から外の景色を眺めていた。

 装甲車といっても、ただの車に最低限の鉄板を搭載しただけの装甲なので、遠くから見ると、ただの乗用車のような見た目をしていた。平たく言えば、オンボロである。


 四人乗りの車内には、運転席の「エディ」と助手席に座る自分、座席を取り外した後部座席部分に乗る少年「アト・フェムト」だけでスシ詰め状態だった。必要最低限の食料品と衣類、また医療品と弾薬の入った箱が積まれているせいか、乗り心地は悪く、車内は狭かった。


 また、誰かが車内で食べた設定なのか、足元には栄養バーの包装紙と食べカスが散乱しており、俺はさらに気分を悪くしていた。

 どこから紛れ込んだのか、枯れた黄色のユリの花が足元に落ちている。足跡のついたそれを拾い上げると、俺は窓をすこしだけ開けては他のゴミと一緒に外へと放り捨てていく。


「人間の内臓を生きたまま捕食して、そのときの被害者の悲鳴がオペラ歌手の声みたいに聞こえるからオペラキャット。……性格悪くないか、これ考えたやつ」

「チルドレンに良い思い出があるやつはちょっと頭おかしいからな。『終末時計・崇拝派』とかいう、カルト集団ならありえる話だが……」


 俺たちはみな、黒々としたライダースーツにケーブルと基盤が剥き出しで貼られたような中古の強化服に、防弾チョッキのような装甲を上から着込んでいる。


 そして全員の手には、無線LANのランプが点滅するデジタルモニター付きの自動小銃『27式‐対新生物仕様‐自動歩槍』が握られており、その画面には【Ammo.28 (Full) / Limit.85】という文字だけが表示されていた。


 海賊版の中華製の銃という設定らしい。

 金具が壊れかけているのか、車体が揺れるたびにスコープのレンズ保護キャップの部分が、ペかぺかと情けない音で鳴いている。


「にしても、『強化服』って初めて聞いたときは……もっとパワードスーツみたいなゴツイ見た目をしてるのかと思ってたな」


 俺は着ている強化服を眺めていると、ふと基盤とスーツ部分との間にできた接着部分がほつれているのを見つけ、思わずほじくってしまう。


「そういうのもあるぞ、俺たちの腎臓二千個ぶんくらいの値段で」

「うわー……」


 ともすれば、総額一億の教官の身体パーツはいったい俺たちの腎臓何万個ぶんなのだろうかと考えてしまう。ちなみにカプセルで培養された人工内臓は、半義体者の機械内臓と競合して壊死する危険性があるため、いまでもオリジナルの腎臓やら肝臓にはそれなりの価値があるのだ。


 この依頼の報酬は二十万ほどという設定らしい。もっとも、円ではなく他の電子通貨なのだろうが、価値はさほど変わらないのでここでは省略する。


 エディは運転席で窓枠に右肘をつきながら拳を頬にあて、ハンドルを左手だけで操作している。そのさらに奥では、ゴウンゴウン、と十二輪にも連なる大型トラックのタイヤが、白い大地の上を踏みしめるようにして走行していた。

 あまりにも巨大なタイヤの中心部:センターハブが、装甲車に乗る俺たちと同じ目線で回り続けている。それはときにクレバスのように裂けた大地を避け、ときに漂白された道なき道を踏破する。


「そういえば、『箱根新生物第伍研究所』の周辺は、普通の森林や動植物がいたような気がするんだが、あれってどういう仕組みなんだ?」


 この訓練の出発地点には、なぜか山岳地帯に森林が生えている部分があり、見間違いでなければふつうの動植物もいたような気がした。すべてが漂白されたわけではないのだと知って、そのときはすこしばかり嬉しくなってしまったものだ。


「ああ、あそこの研究所付近にもたしか、直径三キロ圏内に特殊なノイズを走らせているからな。そのおかげで、ふつうならレベルの低いチルドレンが近寄ることはないんだ。たしか『有害電磁波発生装置』みたいな名前だったっけか。都市外部に乱立するボロい防護壁しかない『臨界(りんかい)集落』とかがやる手段だ。……もちろん、都市内部よりかは断然危険だけどな」

「へえ、よく知ってるな」

「ああ、昔ちょっとな。……そのふつうじゃない事態に遭遇したことがあるだけだ」

「……そっか」


 軽油とホコリ臭い車内にも白砂が至る所にこびりついており、俺はディーゼルエンジン特有の振動と騒音にすこしノイローゼ気味になりつつあった。窓の外では、依然として白砂(はくさ)の砂塵が舞っていた。


 仮想空間内部ではすでにこの状態で三時間が経過しているが、現実では三十分とそこらが過ぎた頃だろうか。そろそろチルドレンと会敵するはずだ。そう思った直後、ちょうど地平線の向こうにビルの突起のようなものが現れ始め、俺は後部座席へと顔を向けるのだった。


 そこにいたのは、自分よりも五歳は年下の少年「アト・フェムト」だった。アトはあぐらをかきながら、不貞腐れたような表情で窓の外を眺めていた。


「アト、そろそろ出番だ。頼んだぞ……」


 俺がそう言うと、アトはさらに不機嫌そうな雰囲気になりながらも、周囲の索敵を続ける。

 装甲車の後ろについているアンテナが、周囲の地上と上空、そして地中に放つソナーから得たデータを、逐一「アト」に送っているのだろう。

 装甲車から長いケーブルを脊髄ユニットに繋げるアトは、視覚情報を遮断する代わりにアンテナから得たソナー情報を見ていた。少年の左目は義眼なのか、定期的にカチカチと赤い光が点滅している。


 『アト・フェムト』

 その少年は、その若い見た目に反してエディや俺と比べても頭一つ抜けた戦闘力を持っていた。「死」という恐怖に怯えることはなく、痛みもある程度ならば遮断できる技術を有している。


 そして何より、精密射撃・遠方狙撃・近接戦闘・サイバー技術、すべてのスコアが訓練生の中で群を抜いていた。それは、俺たちの中で誰よりも『傭兵』になる資格を有しているということでもあった。

 一部、そのことに納得の出来なかったらしい訓練生たちがアトに絡んでいたが、ものの見事にアバラの骨三本とアゴが真っ二つに割られて医療棟へと運ばれていた。

 アトがバックミラーの中で目を開け、次いで車両の左前方を睨み始める。


「一匹、たぶんオペラキャット。こっちに近づいてくる、N方向だ……」


 アトがそう言うと、北方向である俺の左側の地平線あたりに向けて双眼鏡を向ける。


 たしかにそこには、運搬トラックに並走するようにして近づいてくる黒い粒が一つあった。同時に、フロントガラスに映る地平線の廃墟群は、いつのまにかすぐ近くへと迫ってきていた。運搬トラック群はそのなかを突っ切らなければならない。その前に、できれば仕留めておきたい。


「銃声で周囲のチルドレンを刺激したくない。消音器サプレッサーを……」

「…………」


 ――言われなくともすでにやってる。


 そう言わんばかりに無言のまま、アトは持っていた自動小銃にガムテープで割れた部分を無理やり固定したサプレッサーを取りつける。

 そして、レーザーカッターで無理やり作ったのだろう後部座席の天井ハッチをアトが開けると、同時に車内に砂塵と風が吹き荒れるのだった。そこからアトが乗り出すと、およそ数百メートルほどまでに近づいてきていたオペラキャットに照準を合わせ、アンテナの情報から風向きと風速を加味した偏差を計算する。


 サプレッサーの状態はすでに中破している状態だ。となれば、撃てるのはせいぜい一発か二発が限界だろう。障害物のない漂白地帯なので段差が少ないとはいえ、車体の振動は絶えずエンジンの稼働と共に生じている。

 それでもアトは、ソナーにより把握した次に来る地形とエンジンの回転数、そして風向きと風速を予見しながら、躊躇なくトリガーを引くのだった。


 直後、「カシュッ」という缶ビールを開けたような音が響き、次いで吐き出される金色の空薬莢が細い煙を引きながら車内に入ってくる。対象のオペラキャットは双眼鏡の中で何かに弾かれたような挙動をしたあと、砂煙を上げながら静止するのだった。


「対象に命中。目標、沈黙――」


 俺は双眼鏡を使いながら、音に引き寄せられた他のチルドレンがいないか索敵を続ける。アトは砂ぼこりを嫌ってかすぐさまハッチを閉めると、髪に絡みついた白砂を手ではらい続けるのだった。


「わるい、エディ。サプレッサーが大破した。もうガムテープでも補強不可能だ」

「いや、いいぜ別に。ペットボトルで作る簡易サプレッサーよりかはマシだからな。最後まで持ってくれただけ、そいつは優秀さ」


 見ると、どうやら先の銃口部分に付けていたサプレッサーが完全にバナナの皮のようにして裂けている。マズルフラッシュのせいか、巻かれていたガムテープ部分が溶解しているようで、そこからダイオキシン特有の焦げ臭さがした。


 ――次の瞬間、巨大な建造物の陰に入ったのか日の光が視界から消える。


 いつのまにか真上にあった太陽は傾いており、今にも崩壊しそうなビルとビルの間からは、定期的に白い大地を赤く燃やすような夕焼けが顔をのぞかせている。


 地平線の彼方にあったはずの廃墟群に、たったいま突入したのだ。


 かつて文明を築いた象徴の高層のビル群は、そのすべてが骨組み部分であるコンクリートの柱や梁だけを残しているのみ。高層部分は骨組みでさえも砂塵に長い年月晒されたせいで崩壊しており、なかには隣のビルに寄りかかるように倒壊するものさえあった。

 トラック群が走るルートでは依然として、アスファルトで舗装されたような道路が存在しない、ただただ白砂に呑まれた大地だけが広がっている。



 いまだに廃墟群の中を進んでいる運搬トラックたちだったが、近くのビルには動物・植物はおろか、動くものさえ見当たらない。生きているものが存在しない死の街というのは、こういう文明が崩壊した終末世界のことを指すのだろう。

 俺は自分がかつて生きていた世界の残滓ざんしを横目に流しながらも、存外に感傷的な気分になるのを抑えきれずに下唇を噛むのだった。


 現実であれば、このまま都市へ帰還できるというラッキーな展開もあるのかもしれない。


 だが、これは仮想世界における訓練だ。

 このままで終わるはずがない。


 メタ的にそう思った、その直後だった――。



【Rate Level.4】

【Name [Sand Worm]】



 直後、すさまじい地響きによる車体を揺るがすほどの振動と、何かの鳴き声のような音がどこかから響き渡った。次第に近づいてくるような振動と鳴き声はさらに激しさを増し、周囲の廃墟ビル群が悲鳴を上げ始める。


 そのとき、装甲車の簡易アンテナの情報を収集していたアトが、レーダーに映った何かを見て顔をしかめて悲鳴を上げた。


「この音……地中からだ、こっちに向かってきてる。しかも、よりにもよって深層領域から直接来た個体だ!」



『『『――――なッ!?』』』



 数秒してようやくその意味を理解したのか、隊列を組んでいた装甲車両の乗員とトラックのNPC運転手たちは、一時的な半狂乱状態へと陥った。


『アクセルを踏め、踏め、踏めええええ!!』

『ぜったいに隊列を崩すなよ! もしここでブレーキでも踏んだら、命がいくつあっても足りねえぞ‼ 』


 それは、これまでに幾度となくチルドレンに殺された経験の多い者ほど、混乱は大きいようだった。「死」への恐怖に抗う術を得られていない者たちは、やがて冷静な思考さえも奪われていく。


 チルドレンにも稀に廃墟群や漂白地帯に出現し、『傭兵』を大量に殺していく危険な個体が存在する。基本的に地中の深部に生息しているそいつは、かなりの低確率で外部からの刺激を受けて地表へと出没することがあるらしい。

 そして、地下の深層領域に溜まったQ粒子をたっぷりと吸収したそいつは、ベテランの傭兵でさえ手こずる絶対的な脅威を以て、一時的にではあるがレベル2からレベル3に難化した『特殊個体』へと変質する。


『れ、レベル4……』


 そのまたの名を――



「サンドワーム……」



 俺の口からその名が出た直後、何かが爆発させるような轟音がすぐ後方で響き渡った。

 ビル一棟分は丸呑みできそうなほどの巨大なミミズのようなシルエットが、舞い上がる砂塵と共に下から姿を現したのだ。天変地異そのものとしか思えないほどの地響きと轟音に、俺たちは本能的に、今の自分たちの力では到底太刀打ちできないことを感じ取っていた。


 だが、なぜこいつがよりにもよって地上に現れたのか。


 通常、サンドワームは滅多に地上に姿を現すことがない。というのも、こいつは地上から数キロ地下に潜った地下水脈あたりを根城にしているため、地中でダイナマイトを大量に爆破するなど……よほどの刺激を与えなければ出張ってくることはないはずなのに。


 そんな考えを巡らせる間もなく、サンドワーム迎撃戦は唐突に始まった。


『撃て撃て撃てええええ!』


 直後、最後尾の装甲車に乗っていた訓練生の一人が備え付けてあったミニガンを後ろに回し、そのまま巨大な砂ぼこりの中で佇むぼんやりとしたシルエットに対して銃撃を始める。しきりに銃声が響き渡り、大量の薬莢が地面へと落ちていく。


「バカが……ッ」


 アトが後続車の銃声を聞いたのか、吐くようにして舌打ちと悪態をつく。その銃声は、当たり前のように廃墟群全域へと響き渡っていった。

 次の瞬間、砂ぼこりが晴れ、ヤツの全容が夕日に照らされて露わになる。


 それは、たしかにミミズのような姿をしていた。だが、細部が違う。全身がまるで大地と同じく漂白されたような真っ白な姿をしており、その口にはすべてを嚙み砕く剣山のような牙が生えていた。

 そして何より異常なのがその大きさだ。近くのビル群を束にしたような太さに、どの崩壊したビルよりも大きなそいつは、近くのビルを丸呑みできるほどの身長を持っていた。化け物というのは、まさしくこんな生物のことを言うのだろう。


 ミニガンの銃口で瞬くマズルフラッシュと連続する鉛玉は、人間相手ならば蹂躙できるほどの威力を持っていただろう。……が、このときばかりは光の粒を吐き出すだけの単なる豆鉄砲にしか見えなかった。


『そ、そんな……』


 案の定、サンドワームの外皮に弾かれるだけの銃弾を見たミニガンの操縦者は、その顔を絶望に染める。

 ――完全に火力不足だ。


 そして、その爆音とも言える連続した銃声は、サンドワームの退化した視力の代わりに進化した聴覚をさらに刺激させてしまったようだった。サンドワームは近くの廃墟ビルをなぎ倒しながら、こちらにばっくりと開いた口を向けて、やがて大気を吸って――



「口を開けて目と耳を閉じろ! 破裂するぞ‼ 」



 アトの叫び声の直後、サンドワームは口から音響兵器か何かと錯覚するほどの咆哮を放った。それは聴覚保護用のイヤホンさえもを貫通して、ガラスをひっかきまわすような音を脳内で爆発させた。


「ぐっ、がぁッ――!!」



 ――衝撃。



 一つ一つの細胞が強制的に分裂させられ、全神経を裂かれるような激痛が全身を襲った。焦点が合っていないのか、景色が何重にも拡散していく。とくに左側の視界が歪んでいたが、俺は耳を抑えて耐えるしかなかった。ぷちぷちと何かが千切れていく。そんな音が脳内で鳴っている。


 サンドワームは、溜めていた鬱憤を吐き出すようにして長い長い咆哮を出し続ける。


 やがてそれが終わったと同時に、ヤツは傍にあった廃墟ビルをなぎ倒しながら、こちらへとその体躯をくねらせて侵攻を始めるのだった。


「はあっ、はあっ、はあっ――!!」


 車内にいる二人を見ると、どうやらアトは耳鳴りが収まらない程度で済んだらしいが、エディはハンドルを握る手とは別の手で鼻を抑えていた。そこから溢れ出る鼻血をどうやら抑えているらしい。眼球も、信じられないレベルで充血している。

 だが、当のエディは俺の顔を見て驚いたような表情をしたのだった。


「お前、それ大丈夫なのか。クロノ……」


 それを聞いたとき、俺はなぜか左目からぬるい水のようなものが頬を伝う感覚がした。不思議に思ってそれを手で触れてみると、一瞬で指がべっとりとした赤い液体で濡れる。そして、左目の違和感をようやく認知した。


【眼球(左) 結膜下部分に損傷アリ】

【ナノマシンによる止血を実行します】


 あまりにも感覚が麻痺していたせいで気がつかなかったのだろう。サイドミラー越しに自分の顔を見てみると、どうやらエディよりも症状は酷いのか、目・鼻・口、至る箇所から出血していた。

 一番、傷を負ったのは左目だろう。左半分の視界の歪みが直らない。

 おそらく、眼球の水晶体が破裂でもしたのかもしれない。左目の内部でずるずると、ゼリー状のなにかが動くのを感じる。


「チッ、まずいな。……廃墟群のさらに奥から、数えきれないくらいのチルドレンが湧き出てきてる。速度からしてオペラキャットが大半らしいが、なかにはレベル2相当の大型チルドレンも混ざってる」


 アトがアンテナから得た情報を、俺たち全員のAR端末と共有したらしい。

 まだ生きている視界の右側に廃墟群の立体マップが表示され、その奥から無数の赤い点がこちらに向かってきているのを確認する。


「まず……ごぼっ、まッ、まずい、な……」


 鼻血が逆流し、それがノドに張りついてどもるが、意思疎通ができることを俺は表明し続けた。

 このまま訓練をお荷物として終えることだけは、何としてでも防ぎたかったから。

 俺は股に挟んでいたミリタリーバックからビニール袋を取り出すと、口の中で舌に絡みついていた血反吐を出し、ビニール特有の臭いに溺れながら、垂れる唾液と血の糸を眺めていた。


「……おぇ……っ」


 何度か水を飲み、数度吐くと気分は良くなったが、それでも状況は最悪なシナリオを辿りつつある。

 俺はバックミラー越しに後方を見ると、どうやらミニガンを撃っていた装甲車がサンドワームの餌食になって丸呑みされたのか、一台姿が見えなくなっている。ヤツは地面を陥没させながら砂塵を盛大に舞い上げ、さらには最後尾のトラックに肉薄するほどの勢いで迫ってきていた。


 まるで、世界が地中へと崩落していくような光景だった。


 直後、サンドワームの空気を吸うような音が再び聞こえた気がした。

 またか、と俺はサンドワームの咆哮だろうノイズを、目を閉じて口を開けた状態で身をかがめながら耐えようとする。だが、今度のノイズは毛色が違うようdえ……。




【■■■■■■□□□□――】




「エディ、あとは頼んだぞ!」

「…………っ⁉  ばっか、おまえその体でどこ行――」


 直後、俺は助手席のドアを走行中にも関わらず開け放つと、そのまま装甲車の上に乗り移った。


「――――ッ!」


 そして、強化服の出力を限界まで上げて四台目の装甲トラックの上に飛び移ると、そのまま背負っていた小銃を手に持ち、地割れと共に進行してくるサンドワームに向けて銃口を向けた。

 だが、当たり前だが揺れる車体の上では照準は定まらず、もし当たったとしてもサンドワームにはなんら損傷は与えられないだろう。だが、狙いはヤツではない。


 俺は一つの仮説にたどり着いていた。


「運搬してた貨物って、まさか――」


 俺は乗っていた四台目の天井ハッチを開け、轟音と砂塵の嵐が迫りくるなか、トラックの貨物室を覗く。案の定、そこには大量の青い光を放つ液体カプセルが、トラックの振動でカタカタと小刻みに震えながら積み込まれていた。


「よりにもよって、『Q粒子・原液燃料』かよ……」


『Q粒子・原液燃料』

 それは、原子力にとって代わったこの世界の新たなエネルギー燃料だっだ。

 未知のエネルギー物質である「Q粒子」がたっぷりと詰まったチルドレンのコア部分。大戦終結後、そこに目を付けた当時の技術者たちがどうにかして人工的に抽出してそれを利用できないかと開発したのが、この液体物質だった。


 つまりは、この世界の新たなガソリンのような存在なのだが、それが内包するエネルギー密度はその比ではない。原液なのだ、数滴で地形が変わる。

 なので、強化服や戦略兵器などで利用する際には他の液体と中和して「G型ABA (代用人工血液)」のように製品化する必要があるのだが、いまそれを語る必要はないだろう。


 そして『Q粒子・原液燃料』には一つ、その利点を潰すほどの欠点が存在した。


 それは、「チルドレンをおびき寄せる」という性質だった。

 しかも『Q粒子・原液燃料』の密度と量が多ければ多いほど、比例して引き寄せるチルドレンの数とレベルが上がっていく。それの消火器サイズが、トラック群の貨物室にたんまりと積み込まれているのだ。チルドレンが喰いつかない方がおかしい。


 依頼内容を見ておかしいとは思っていた。


 なぜ運搬貨物の説明があいまいな表現だったのか。

 なぜ五台のうち一台までの大破が許可されているのか。

 なぜ運転手がニンゲンという設定なのか。


 砂塵と風圧に晒されながらも、俺はあるはずのソレを確かめようと、照準を最後尾のNPC運転手に向けた。


「ば、ばかやろうが……」


 そしてソレを見つけた瞬間、俺は倫理をあまりにも外れた依頼元の企業に対して、思わず悪態をついた。

 ソレはあった。たしかにあった。

 運転手の首に埋め込まれているのだろう赤い光が点滅する金属の塊に、俺は見覚えがあった。



 ――あれは、爆弾だ。



 死刑囚や極刑に処される人間が、逃走するのを阻止するために装着させられるもの。

 あの最後尾の運搬トラックの運転手を含め、彼らはおそらく死刑囚かそれに類する誰かという設定なのだろう。そして、おそらく依頼した企業はこのサンドワームが出現するのを予想していた。いや、最初から襲われるのを前提として依頼をしてきたのだ。


 いまや、チルドレンが跋扈(ばっこ)する陸路で運搬トラックの運転手を人間がやることはほぼない。あるとするのならば、自動運転装置よりも安上がりだと判断された特定のニンゲンを使うときだけ。

 今ここで運転手を撃てば、最後尾のトラックに積まれている『Q粒子・原液燃料』にサンドワームは確実に喰いつくだろう。運転手ひとりが犠牲になるが、俺たちや残りの四台のトラックは都市にたどり着ける可能性が高くなる。


 依頼文に五台のうち一台までの損害が許容されているのは、そういった理由があったから。そして、それこそが訓練を成功させる唯一の方法なのだろう。


 さまざまな思考が交錯するなか、俺は運転手に向けて銃口を向けた。直後、俺は引き金のあまりの硬さに驚いた。安全装置は外れている。トリガーを引けば、銃口からはマズルフラッシュと硝煙に彩られた鉛玉が確実に放たれるはず。

 それなのに――



 ――撃て、撃てよ! 相手はただのNPCなんだぞ!?



 だが、俺はどうあがいても震える指でトリガーを引くことができなかった。

 一人の人間を殺すということが、ある種の一線を超えるということが、俺にはどうしてもできなかった。


 運転手はたしかに死刑に値する何かをしたのかもしれない。それこそ残虐性の極まりない快楽殺人をしたり、街中で生物兵器でも散布したのかもしれない。もしくは都市や企業に対してテロ行為を行ったのかもしれない。


 それでも、どんなに相手が非道で残忍な人間であったとしても、俺は――


 俺が何をしようとしているのか見えたのか、運転手は照準の中で泣きそうな表情で首を横にふった。おそらく、トラックがルートを外れたりハンドルを手放したりすれば、一発で首の爆弾が起爆するのだろう。


 殿(しんがり)にいた最後の装甲車が、自分の命を優先しようと半狂乱状態のままトラックを見捨てて廃墟群から去っていく。それはまさしく、絶望に顔が染まった運転手がいよいよ死刑台の前に立たされたような光景だった。


 だが、そこまでのお膳立てがされたにも関わらず……、俺の指はただ震えているだけだった。

 サンドワームの侵攻は止まらない。

 泣きそうな表情の運転手は、システムの仕様なのか疑うほど人間らしい表情で、俺に情を訴えかけてくる。それを、俺は裏切ることができなかった。



 ――ヘタレ野郎がッ!!



 そのとき、絶叫が聞こえた気がした。


 直後、その運転手の眉間に一瞬で巨大な風穴が開き、飛び散るようにしてフロントガラスが真っ赤に染まる。爆弾も起動してしまったらしい。制御を失ったトラックは挙動がおかしくなり、やがてサンドワームに呑み込まれて消えていった。


 『Q粒子・原液燃料』にようやくありつけるとサンドワームは侵攻を止め、無数のチルドレンが砂糖に群がるアリのようにしてトラックに殺到した。だが、やはりと言うべきか、レベル3と有象無象のチルドレンたちでは単純な強さが違うらしい。


 すぐにサンドワームはその巨体を薙ぐようにして、周囲のチルドレンを一掃する。そしてトラックの荷台を捕食するようにして、周囲のチルドレンごと丸呑みにする。


 そんなサンドワームとチルドレンの抗争がやがて遠くなると、俺たちはいつの間にか廃墟群を抜けて、ネオミナトミライの周囲に広がる「漂白地帯」へと出ているのだった。


 チルドレンの十数匹ほどは、まだこちらに目を付けて追ってきていたが、装甲車が総出で迎撃するとすぐにその姿は見えなくなる。気づけば廃墟群も後方の地平線へと潜ってしまい、あとには星が瞬く藍色に染まり始めた空だけが広がっているだけだった。



 急激に温度の低下した寒冷地のような顔を見せ始める「漂白地帯」では、冷たい白砂の砂塵がいつまでも舞っている。

 やがて近づいてくる『ネオみなとみらい』のネオンとサーチライトの数々を、俺はトラックの荷台の上でひたすらに見ていることしかできなかった。



 【任務内容――輸送トラックを都市まで護衛する】

 【訓練結果――成功】

 【これより仮想訓練を終了します】

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