第9話 ようこそ


 次の日、呼び出された合格者たちは講堂のような場所に集められた。

 いま、巨大な講堂のような空間の教壇にひとりの教官らしき女性が歩いてくる。


 教官はいわゆるサイボーグらしく、特殊合金で出来た四肢や胸部は金属質に艶めかしく光を反射させ、全身を警告色のオレンジでカラーリングしていた。全身を金属板で覆った戦闘義体は、まるで大理石でできた彫刻のようにしてスリーサイズの黄金比を削りだしている。


 タンパク質の肉体など邪魔だとばかりに、すべての体を剥き出しの金属フレームで覆った義体は、素人目から見ても高級品そのものだった。きっと、富豪の家にインテリアとして置くだけでも、場が相当に映(は)えるだろう。


「すげぇ……米企業『ノット.ホット.ノイズ』社の義体装備だ。全部で一億は下らない」


 誰かが漏らした言葉に、誰しもが息を呑んだ。

 そして、教官の持つ強者としての圧倒的な空気感に、言葉なくして講堂はシンと静まり返る。


「基本的に、我々の養成所は“結果さえ出せば、基本的には自由”をモットーにやっている。……とはいえ、貴様らに自由などという褒美は一度も来ることはないだろう。貴様らは結果さえ出すことが困難な、正真正銘のクソ共なのだからな」


 あたりを見回してみると、講堂の座席で好きなようにふんぞり返っていた百名ほどの傭兵志願者たちも、いまや前傾姿勢で教官へと視線を集中させていた。


「我々は『傭兵』と呼ばれる……言わば“力で依頼を遂行する職業”に就いている。それは言い換えれば、火力・暴力・知力・忍耐力・精神力――ありとあらゆる“力”をもって敵対者を屠り、ときには対象者を護衛する職業ということだ」


 教官の言う“力”のなかには、公言こそしていないが権力や影響力の類も入っているのだろう。それを身に着けるには、まずは直接的な力から、というわけらしい。


「さて、この傭兵を育成するためのこの施設は、都市政府からの全面支援によって成立している。そのなかには、お前らの糞を作る飯代にそれを流す水道代、寝床を維持するための部屋代、訓練に使う銃や兵器に至っては各企業の方々による支援があってのことだ」


 日々の生活に精一杯だったのだろう貧困層の者たちから、思わずと言わんばかりの感嘆のため息が聞こえてくる。それはそうだろう。今日を生き抜くための食事もままならなかった者たちにとっては、ここはまるで楽園のように見えたに違いない。


「それは紛れもなく、この施設で訓練するためにお前らが金を払う必要がないということだ。生活や訓練に必要なありとあらゆるものは、こちらで揃えさせてもらう」


 だが、それは逆に言えば、何かを対価としてこちらも差し出さなければならないということ。財産、地位、名声、それがない俺たちが等価交換として出せるものは、ただひとつしかない。単なる自動迎撃BoTにすら劣る俺たちが差し出せるもの、それは――


「先に言っておく、我々は慈悲でこのような施設を運営しているのではない。ただでさえ死亡率の極端に高い傭兵稼業で、へたに企業のエリート部隊を壊滅させるよりも、民間の傭兵見習いの育成に金をかけて前線に立たせた方が安く済むからだ。もっとも、いまの貴様らはそこらのBoTにすら劣るがな」


 ――それは“命”だ。

 今の俺たちの命は、施設が都市政府から貰う金額と同等もしくはそれ以下だと、教官は暗に言っているのだ。


「ちなみに『傭兵』と呼ばれる者たちにも序列がある。主に訓練生の貴様らに該当するFランクから、傭兵のなかの上位1%未満であるAランクまで幅広くだ。噂によるとSランクなるものも存在するらしいが、私はそいつらを見たことがない」


 最低ランクがFランク。果たしてAランクまで登り詰めるのに、どれだけの時間と労力を費やすのだろうか。


「ちなみにだが、Cランクあたりから頭角を現すヤツは例外なく企業からの支援者のオファーを受ける。その頃から、傭兵が個々人が広告塔として機能し始めるからだ。装備を提供する者たち、それを貰い活躍すればさらにパトロン希望社は増えるだろう」


 にやりと、女性教官は合金で覆われたその口元を歪ませる。


「ランクBからが基本的に多いそうだが、Cからでもたまにいるらしいな。見返りとしては、新作武器・装備の試作品の提供、バックに企業が付いているという社会的地位・信用。そして、それ故の高収入。さらには、それについてくる栄光という名の尾ヒレたち」


 誰かが生唾を飲み込む音が、講堂内に異様なほど響く。


「ちなみに、私のランクはBだ。この都市の上位3パーセントに位置する傭兵だ。十年前、私もここの訓練生だった」


 それを聞いた瞬間、明らかに周囲の空気感が変わった。誰もが羨望と野心に満ちた目で教官を直視した。そして、十年という短いスパンで成り上ったという話を聞いて、教官の立ち位置に自分が立っている光景を想像したのだろう。


「……ま、一度でもしくじれば、二度と泣き言すら言えない死体に成り下がるがな」


 そして、誰もが覚悟する。……いや、しなければならなかった。その栄光の陰に潜む数えきれないほどの困難と試練たちは、常にこちらを覗き込んでいる。今日からそこへ、あろうことか飛び込まなければならないらしい。


 簡単ではないはずだ。それこそ、一つのミスで死に至るほどの試練の数々を越えなければ、あの場所に立つというのは不可能なはずだ。それを理解しているからこそ、誰もが唇を噛んで覚悟を決めようとしていた。


「さて、ここいらで少し場所を移動する必要があるだろう。なに、お前らにこの街だけが世界のすべてではないことを、教えてやるためだ」


 スポットライトがないにもかかわらず、教官はすべての視線を集めたまま俺たちが座っている座席の中央の通路を突っきり、防音仕様の入口扉を開けるのだった。


「ついてこい、面白いものを見せてやる。缶詰めの街でしか生きてこられなかったお前らに、とっておきの光景を見せてやる」



        ***



 ここの施設は、どうやらこの街の外壁と一部が接続しているように設計されているようで、俺たちは複雑に入り組む連絡橋のひとつを通ってどこかへと歩いていた。

 缶詰の街というのは、この下層全体を指しているのだろう。一筋の日光さえも差さない、ネオンだけが蔓延する密閉された地下街。

 緊迫した周囲の空気に耐え切れず、俺は思わず近くにいたエディに小声で話しかける。


「エディ……いったい何を見せられるんだと思う」

「んー、なんだろうな。分かんねェな」

「……そうか……」

「けど、きっと……」


 最後のエディの言葉は聞き取れなかった。

 エディは返事こそマヌケな調子を保っていたが、その目にはいつの間にか底知れぬ野心が灯っていた。

 列を作るわけでもなく、群れているだけの人ゴミが、気だるげに連絡橋の上を移動している。そして、その群れはやがてネオンの光さえ届かない外壁の内部へと入っていく。やがて現れたのは、計五十名あまりを乗せることができるであろう、巨大な貨物用エレベーターだった。


「これに乗りたまえ。本来は上層から下層へ戦略兵器を運搬したりする貨物用エレベーターだが、いまは緊急時というわけでもないからな。……ま、こういう使い方もあるってことだ」


【横17.5M×奥行17.5M×高さ25.0M 積載荷重10,000㎏】


 オレンジ色で塗装された開閉扉には、白色のデカールでそう書かれていた。さらにその横には、ひときわ大きく【24】という数字があるのだった。開閉扉は上下に稼働するタイプらしく、それは重厚な音を立てながら上へと口を開いた。

 教官がそこに乗ると、それにつられてぞろぞろと俺たちも後に続く。何やら教官がキーカードを壁の液晶パネルにかざすと、後ろで再び扉が下へと口を閉ざす。直後、ワイヤーが軋むような音と共にエレベーターは上昇を開始するのだった。


「2050年、突如、全世界の大都市に落下してきた未知の落下物によって、地上の四割が荒野へと化す大災害が起こった。だが、それは人類同士の殺し合いで起こったものではない。――地球外から突如として飛来した、七つの飛翔体が原因だった」


 いきなりの教官の言葉に、ある者は困惑した表情のまま固まり、ある者はその正体を知っているとでも言いたげな表情のまま腕を組む。――俺は前者だった。


「馬鹿らしく聞こえるかもしれないが、飛翔体は現に、当時の東京23区と呼ばれていた地区を未知の爆発で巨大クレーターへと変え、さらには周辺地域を含む四十キロもの範囲を更地させるほどの凄まじい災害を与えた」


 その瞬間、ガラス張りの貨物用エレベーターの外に都市周囲を見渡せる眺望が現れる。


「その結果、生まれたのがこの『漂白地帯』というわけだ」


「――――っ!」


 そして、その光景に俺は思わず息を呑まずにはいられなかった。

 地平線の彼方まで続く、圧倒的なまでの白い大地――。


 雪が降り積もっているのではない。

 ただただ白いだけの大地が地平線の彼方まで伸び、それとは対照的な底抜けに青い空がどこまでも広がっている。クレバスのように裂けた地面や、建物の基礎らしき剥きだしの鉄骨とコンクリート片が所々に生え、遠くには何かの冗談かと疑いたくなるような巨大クレーターが、群を成して点在している。

 それが、太陽の光を浴びて神々しく輝いていた。


「あの砂の上には、何もない。植物はおろか、動物の死骸、微生物、テメエの溜めた糞すら漂白する死の大地だ。多少であれば触れたり吸ったりしても平気だが、一ヶ月もやり続ければ確実に蝕まれるだろう」


 動くものは何一つない。

 それどころか、本来ならばあるはずの都心の街並みすら、真っ白な砂塵へと帰していた。代わりにあるのは真っ白な大地と、大小重なり合うクレーター群だけ。かつてあった東京はもう、そこにはなかった。


「だから、我々はこの都市を築き上げた。いまある理不尽を跳ねのけるための象徴として、この要塞都市はここに建っているのだ。漂白地帯の砂塵さえも、外壁にシールドが展開されているおかげで問題にもならない」


 その光景に、俺は形容しがたいほどの畏怖を覚えた。

 なぜなら、かつて自分が暮らしていた街がすべて灰燼に帰すなど、到底受け止められるものではなかったから。

 三百年。

 あまりにも長い年月の重みを、いまようやく理解し始めた気がした。


「……であれば、改めて『傭兵』としての道を歩み始めたキミらに、言わなければいけないことがひとつある。なに、わたしからの心からの歓迎というやつだ」


 その言葉の直後、ガラス窓から見える景色は再びコンクリートの外壁で閉ざされ、代わりに背後のエレベーター開閉扉が開き始める。そこにあったのは、おそらく中層の底であり下層の天井部分に位置する点検用のロッジ。


 その奥に現れたのは、他でもないネオン瞬く下層の全景だった。


 教官は意気揚々と手を掲げ、今度は都市の全容を背にする。教官は肩から折りたたまれていたもう一対の腕を生やしながら、義眼の奥で光るLEDインジケータを赤く点滅させて、恍惚とした表情を金属板の顔に貼り付ける。


 もはやニンゲンとは呼べないような見た目へと変貌した教官は、不気味なほど口角を吊り上げた笑みを浮かべながら、こう言い放つのだった。



ようこそ。欲望とネオン渦巻く要塞都市、ネオみなとみらいへ――」

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