第22話 オペラキャット

 試験開始から六日後――。


 台風の接近に伴い、外ではすでに暴風雨が廃墟群へと殴りかかっていた。

 むろん季節外れもいいところだが、それもこれもすべて三百年前に起きた大災害が原因で、絶賛継続中の異常気象の結果だろう。


 かつて日本と呼ばれていたこのエリアからは四季が消え、春と秋の代わりに梅雨と秋雨だけがある。

 まるで雨季と乾季のサイクルのようだが、それは、ひとたび雨が降れば漂白地帯全域を水没させるほど過酷な時期だ。ここはまだ大丈夫だが、時間の問題であることは誰の目にも明らかだった。


 元は駅のロビーか何かだったのだろう風化した廃墟内に、いくつかのマズルフラッシュが咲く。その度に轟音があたりへと響き渡り、荒れ狂う雨模様に小さな雷鳴を加える。


「クロノ、そっちに行ったぞ!!」


 エディの声掛けにより、俺は目の前の対処していたオペラキャットにエネルギー弾を数発叩き込むと、即座に右へと首を曲げた。こめかみの横に取り付けられた、外部取り付け型の現実拡張ガジェットによって、視界の端には敵の大まかな位置が映るレーダーが表示されている。案の定というべきか、そこには別のオペラキャットが俺めがけて跳躍してきていた。


「――――ッ!!」


 俺は横や後ろへ回避するのではなく、あえてオペラキャットの下へと無音の気勢とともに飛び込んでいく。案の定、空中で軌道修正のできないオペラキャットが俺の上を飛び越えていき、粘液質なよだれが頬にかかるのを代償に命を拾う。


 強化服によって向上した身体能力で、即座に白砂の砂塵を巻き上げながら反転。片膝立ちのまま照準を覗く間もなくオペラキャットの方に銃口を向けると、間髪入れずにトリガーを引き絞り――


「――ぐっ、ぼやける。……クソッ――!!」


 ――瞬間、激しい運動に耐え切れず、眼球の毛細血管にナノマシンが行き渡らず、一時的に視界に白内障のようなぼやけた箇所が現れる。だが、不幸はそれだけでは終わらなかった。

 高圧ケーブルからパシュウと何度目かの悲鳴を上がり、銃口からは蒸気のようなものだけが吐き出された。ケーブルから沸騰した液体弾薬が垂れ、ジルジルジル――、と泡を吹く。応急処置だけで無理やり動かしていたツケが、今になってやってきたのだ。


 相手の武器が使えないことを見抜いたオペラキャット二体が、すぐさま好機と見てか、こちらへと猛進してくる。待ちきれないとばかりにまき散らされるよだれと、暴食に突き動かされる紫紺の眼光はさらに光を増していく。慌てて後ろ腰のハンドガンを抜こうとするが、何かに突っかかってうまく取りだせない。


 ――死ぬ。


 そんな予感が、脳裏をよぎる。

 仮想現実における訓練ならば、死亡判定が下された瞬間に装置から排出されるだけで済む。だが、現実世界で死亡したとなれば、いったい自分の意識はどこへいくのだろうか。どこか暗い場所で自らの意識さえも自覚することなく、消えていくのだろうか。


 加速する思考に、遅延する世界、いつのまにか視界は藍く染まり始め――



「伏せろッ!!」



 ――寸前、エディの軽機関銃による盛大な援護射撃が、凶悪な牙を俺の喉元めがけてふるっていた異形の怪物たちに無数の風穴を開けた。背後から鳴りやまぬ閃光が、射撃の苛烈さを物語っている。そして、化け物のうちの一体が空中で風通しの良くなった自らの死骸を、コントロールを失った状態のまま俺へと降らせてくるのだった。


「――――っ!」


 二百キロ近い肉塊を、真横へと転がり込むようにして回避すると、それは俺が元いた場所へと落ち、廃墟全体に響き渡るほどの振動を立てる。そして、沈黙した。後に残るは、とても生物が出すとは思えない蛍光の緑色をした血だまりを作る“仮死状態”の肉塊二つに、情けなく座りこんだままの俺だけだった。


「大丈夫か、クロノ。……ほら、さっさと立て」


 そのまま、俺はエディの差し出してきた手を掴むと、上体を起こして立ち上がる。


「わるい、助かったよ。ベルトに引っかかって……」

「いいぜ、別に。このくらい大したことじゃねえよ」


 エディはタクティカルグローブを着けた拳で俺の胸の叩いて、やたらと大きいドラムマガジンを交換すると、体の再生のため一時的に活動不可となったオペラキャットたちのコアを潰しに走っていった。


 俺は、手に持っていた光線銃「AU‐Mk.Ⅶ」を見下ろす。


 何度も訓練生たちの傭兵認定試験で共に戦ってきたのだろう。擦り切れたグリップに、塗装のはげた銃身。それを見て、俺は内心ひっそりと別れの言葉を呟いた。もう、予備のバッテリーも高圧ケーブルも残ってない。


 あるのは、お守り程度に買った閃光手榴弾と、腰に付けてあるコアを潰す用の溶解ナイフ、それだけだった。せめて持ち帰ろうと、俺は光線銃「AU‐Mk.Ⅶ」に付いているベルトを肩に背負い、銃を後ろへ回すのだった。


「銃声につられてきた他のチルドレンは?」

「もう、索敵済みだよ。おそらくは、いなさそう……外の暴風雨のおかげで、聞こえてなかったのかも。だけど、油断は、しないでね」


 すぐ傍で、別のオペラキャットの対処に苦戦していたアトとリリーも、どうやら無事に戦闘を終えたらしい。だが、六日目ということもあり、索敵に勤しむリリーの顔には既に疲労が色濃くなっていた。


「リリー、すこし休んだ方が……」

「そんな、わけにはいかないよ。あと一日、乗り越えればようやく傭兵になれるから。ここで、いまさら弱音なんて、吐けないよ……」


 だが、リリーはやはりというべきか相当に疲弊していた。

 目の下のくまは日をまたぐうちに濃くなり、会話を交わす度に喘ぐように呼吸を繰り返す姿は、とてもじゃないが万全の状態とは言えなかった。それでも、リリーはふらりと立ち上がり、完全栄養液パックを咥えながら討伐したチルドレンのデータを集め続けていた。


「これで三匹の討伐、だから……今までのと合わせて、ぜんぶで……」


 リリーだけではない。

 外部での緊迫した空間での試験は、存外に精神を削っているようだった。エディとアトも、普段よりも息の切れるペースが早い。俺もすこしアドレナリンが抜けてきたのか、こんな状況にも関わらず眠気が襲ってくる。だが――


「これで、最後のチルドレンか……」


 オペラキャットのコアを溶解ナイフで破壊しながら、俺はそう言った。

 コアは基本的に強固な性質を持ってはいるものの、こうして胸の中心部から剥いで直接解体用の刃が赤く発光している溶解ナイフで叩きつけると、かなり簡単に破壊することができる。


 案の定というべきか、バカン、と核の部分が割れると、その箇所から光の粒子のようなものがふわりと宙へと舞う。次いで小さな火花を散らすと、それはそのまま虚空へと消えていった。


「やっと帰れる……」


 これでようやく、都市外部での遠征における目標のすべてを達成することができた。

 そんな安堵感からか、つい口から気の抜けたような声が漏れ出てしまう。疲労の蓄積もあってか、誰もが脱力感のようなものを体からにじませていた。


 だが、あの仮想訓練で培った『これで終わるはずがない』という意識は、本番である現実世界になっても遺憾なく発揮されるのだった。突如、視界の端に映るレーダー上に無数の敵を知らせる赤い斑点が、こちらへと物凄いスピードで迫ってくる。


「――――っ、チルドレンだ! 三時の方向、すぐ近くにいる……いや、来るッ――!!」


 切羽詰まったようなアトの声に、俺たちはすぐさま持っていた各々の武器を構え、銃口を索敵レーダーに反応があった方向へと向ける。俺は光線銃「AU‐Mk.Ⅶ」を構えようとして、寸でのところでソレが故障していることを思い出し、苦虫を嚙み潰したような表情のまま腰のハンドガンを取り出す。


【Rate Level.1】

【Name [Opera CAT]】


 直後、十数体ものオペラキャットたちの群れが、廃墟のなかを土煙をあげるほどの勢いでこちらへとやってくる。凄まじい足音を立てながら、まるで雪崩かなにかのようにして俺たちと相対した。



 オペラキャット。

 元来、猫科の肉食獣が変異して新生物化した姿だと言われている。遠目であれば、非常に愛らしい姿に胸を打たれる者も多いだろうが、至近距離で目視した場合は最悪と言わざるを得ない外見をしていた。

 なぜなら、オペラキャットの名前の由来はその獰猛で残忍な性格から来ているものだからだ。内臓を生で食すことを好むのだ、この生き物は。獲物にまだ息があり、痛覚がある状態で新鮮な内臓を食べる特性がある。

 ならば当然、返り血の量も凄まじいことになる。獲物が捕食されている間、それらはすべて痛覚の過剰刺激によって暴れまわるからだ。そしてその獲物が人間の場合、捕食されている間そいつは凄まじい悲鳴を上げることとなる。

 その声がまるでオペラ歌手みたいだ、という人間の心を失った連中によって命名されたのが、オペラキャットの名前の由来らしい。

 血糊がべったりと外毛や口回りにへばりつき、なおかつ視界が暗い場所を好む性質のため暗視スコープのような四つの眼球が「かわいい」などという感情を間違っても想起させないようになっている。



 ――最悪だ。


 俺は思わず呟いた。

 今、自分が持っているのは対新生物用でも何でもない、ただのハンドガンだ。このままでは、オペラキャット一匹の足止めさえも怪しいところだろう。それほどまでに、あの数を食い止めるには火力が圧倒的に足りない。


「くそっ――」


 そして、最悪な状況下から始まる戦闘が火蓋を切ろうとしたとき、それは起こった。


 ――地下深くで、巨大な何かが蠢いた。


 そう表現するしかあるまい。

 同時に、廃墟群の地下深くから微かに聞こえてくる咆哮のような音に、俺たちは無意識の戦慄を抱いた。産毛が逆立ち、どうしようもないほどの悪寒に襲われる。

 無意識に銃を持つ手が震えていることに気がついたのは、俺だけではなかったはずだ。


「……地震か?」


 そうは言ってみるものの、これは明らかに地震ではない揺れ方であり、強いて言えば『何かが地下深くで咆哮をした』というのが正しいか。


「自身じゃない。爆発でもない。音の反響による地響きみたいな感じだ」


 いつの間にか隣にいたアトが、銃口を隙なく構えながら同じく否定をする。カチカチと片目を赤く点滅させていることから、どうやら揺れの種類を判別しようとしているらしい。

 十数秒ほどの振動は、通路の天井から砂をパラパラと落下させるだけで、とくに人体に害もなく終わった。だが、目の前のオペラキャットたちの様子に明らかな異変が生じているのを、俺たちは見逃さなかった。


「怯えてる……」


 リリーがぽつりと言った言葉の通り、目の前にいるオペラキャットたちの体は震えていた。

 死さえもを克服したチルドレンが怯えている姿など、この三百年記録にすら残っていないはず。獲物に対して貪食の本能に赴くままに、死の恐怖など覚えることのないまま飛びかかる。それがチルドレンという生物のはずだ。

 しかし、目の前にいるオペラキャットたちの群れは、明らかにその振動に対して恐怖を抱いており、その態度も明らかに縮こまったものへとなっていた。


「「「――――ッ!」」」


 やがて一匹が逃げ出すと、他のオペラキャットたちも感化されたらしく、一斉に俺たちが来た方向、つまりはオペラキャットが来た方向とは逆の方向へと去っていった。

 砂ぼこりが上がり、足音がしだいに遠くなる。


「逃げた……のか?」


 そう呟くものの、すでに周囲には屍と成り果てた獣の死骸しかなく、戦闘前とは打って変わって静寂のみがあたりを覆っていた。天井から滴り落ちる雫の音で、俺たちはようやく脅威が去ったことを認識した。


「あれって、オペラキャット、だよな……レベル1の、比較的弱いって呼ばれるやつら、だったんだよな?」


 エディが生唾を飲み込みながら発した言葉に、アトも冷や汗をかきながら無言で頷く。


「何が言いたいんだ、エディ……」


 俺の問いかけに、エディは冗談にしてもセンスのなさすぎる返答を返してくる。


「いや、それがよ。……あいつら、外皮の色がここらにいる個体よりもだいぶドス黒かった気がするんだ。それに、やけに個体同士の連携が取れてた。……ありゃ、ここら辺の表層領域に生息してる個体じゃねえ。……もっと深い場所だ。……もし、あのまま戦っていたら」

「そんなバカな……オペラキャットだぞ? あれのレベルが本格的に上がったら、俺たちは何にも討伐できなくなるじゃないか。それこそ、雑草もどきのエイドフェイカーくらいしか……」


 そんなエディの杞憂に対して、俺は茶化すようにして否定する。

 先の緊張からの脱却で、ついに脳や体の疲労がピークに差しかかったせいか、甘い希望と理想に思考が寄りかかり始める。だが、そんな思考に対して脚と手がどうしようもなく震えていることを、俺は寒さのせいだと勝手に結論付けた。




           ***




【■■再■都市[第■地区]へよ■こそ!】


 掠れて読めなくなった看板の下で、俺たちは帰投準備を進める。

 チルドレンとの接敵に伴い、その辺に放り投げていたバックパックも発見できたので、中身が破損していないかだけ確認すると再び背負いなおす。戦闘中は邪魔になるとはいえ、すでにほとんどの中身は消費して減っていたため、バックパックはかなり軽かった。


「よし、こっちも準備完了だ。あとは、帰投用の運搬トラックが用意された集合地点へと向かうだけだ。目標のチップとかいうやつも手に入れた。だけど、最後の集合場所までかなり急がないと間に合わないかもしれないな……」


 小さなメモリのようなチップを片手に話すエディと、下を向き端末から討伐数の確認をするアト。双方とも帰投準備が完了したらしく、彼らはお互いに来たときよりもだいぶ軽くなったミリタリーリュックを背負いながら立ち上がる。


「とはいっても、この嵐だと迂回路を探さないとな……」


 俺はボソリとそう言った。外では、鬱々とした厚い雲から放たれる暴力的な雨粒と、大気を裂く稲光が走っている。そこで、エディが何かを思いついたようにして喋りだす。


「当時、といっても、ここは数十年前までは立派な準要塞都市だったんだ。地下には、すくなくとも小さな地下鉄道が各集落まで繋がってたはずだ。今は使われてないが、それでもこの暴風雨の嵐を避けながら、指定されたポイントの近くまで行ける路線はあるはずだ」


 史上最大を更新し続ける台風は、すでに人を宙へと持ち上げて吹き飛ばすことができるほどの風力を吐き出し続けていた。廃墟全体に殴りかかる雨風に、人間が対抗するのは不可能。あっという間に吹き飛ばされて、地面に叩きつけられて死ぬのが関の山だろう。


「雨も降っているせいで水没の危険もある道だが、急がないと集合ポイントまで間に合わない。かなり危ない行為だが、ここまで来て失格になるのだけは避けたいね。どうだ、賭けてみないか」


 誤射防止用の発光バンドも、強化服の消耗と同期してしきりに消えかかっている。

 ぼんやりとした緑色の光を帯びながらも、エディの声掛けによって、俺たちは重い腰を上げながら立ち上がる。


 廃墟なのだから、周囲は電灯の一つすらない真っ暗闇の世界だ。

 そのなかを、俺たちは自前の光源を頼りに歩き出す。


「よく知ってるな……この廃墟を探索するときも迷いがなかったし、来たことがあるのか?」

「……俺の故郷だった場所だからな。すこしだけだが、土地勘は働くんだ」

「……そうか、そうだったな」


 エディのその言葉で、俺たちは元来た道とは反対側の方向へと歩みを進める。


「よし、じゃあ行こうか」


 そして、すぐに一部が崩落した地下鉄の入口のようなものが現れ、俺たちはその中へと続く階段を降りていくのだった。

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