第23話 怪物、それは人を喰らう者――

 地下鉄だったのだろう駅のホームに出ると、そのまま俺たちは線路へと降りるのだった。


 当たり前の話だが、雨の降る環境下での地下での活動は危険極まりないものである。水没の危険性、断線した電気配線による感電のリスク、そして足場の悪い状態でのチルドレンとの接敵。それらのリスクと集合ポイントへの短縮ルートを天秤にかけた上で、俺たちは後者をとる選択をした。


「なにも、こんな暴風雨の中で試験なんてしなくてもいいのに……」

「正式に傭兵になったら、これよりもさらにヒデー環境での活動だって、もっと理不尽な依頼をふっかけられることだってある。それを今のうちから慣れておけと、教官たちから暗に言ってるんだろ」


 俺が頭をかきながらそう言うと、同じく線路にバックを投げてから降りたエディが軽口で返してくる。


「……ああ、はい。……どうぞ」

「……あ、ありがとう」


 俺は疲弊したリリーに気づき、彼女の荷物を支えるようにして線路へと降ろすのを手伝うと、すこし浸水しているのか盛大な水音が立てられる。地下鉄の線路に浸水した水は、どうやらとある方向へと静かに流れていた。


 どこかから浸水していている。

 同じくして、どこかの排水システムが生きているのかもしれない。まだ、降りてきたホームの階段から雨水が流れてくることはない。


「防水・排水システムがまだ生きていてよかった。すぐに水位が上昇するということはなさそうだな」

「ああ、こんな台風ひとつ耐えられないようなヤワな構造はしてないからな。経年劣化しているとはいえ、まだまだもつはずだ」



 酷いモノだった――。



 配線・配管の剥き出しのコンクリート壁や天井には黒く煤けた跡があり、どこかから絶えず続く雨漏りの音が暗闇の世界のなかで響き渡っている。おそらく、大規模な火災でもあったのではないだろうか。


 反対側の駅のホームには、脱線して横たわっている車両が三つ鎮座しており、線路間の支柱を一部破壊しているモノもあった。車両の塗装はすべて剥げており、ひしゃげた四角い金属たちは赤い錆で覆われている。


「……こっちか……」


 明かり一つない完全な影のなかを光源で照らして見渡してみると、どうやら集合地点とは逆側のトンネルが崩落しているようだった。巨大な岩が天井高くまで積まれており、それを除去して通ることは不可能だろう。


「ここも、すこし前までは準要塞都市のなかでは、かなり発展していた街だったんだがな。たった十数年で、この有り様か……」


 エディは、心のうちを漏らすようにして呟いた。


「とりあえず、歩くしかない。ここも崩落する可能性だってあるんだ、早く行こう」


 そうして、俺たちは光ひとつさえない暗いトンネルの中を、歩き出した。



           ***



 「……明かり?」


 トンネルを歩き始めてから、一時間ほどが経った頃だろうか。

 何やらトンネルの奥で、点滅する緑色の光源が見えた気がした。近づいていくと、それはやがて非常灯特有の緑色の光源だということに気がつく。特徴的な人型のピクトグラムがパチパチと音を発しながら、一定の間隔であたりを照らし出している。


「電気がまだ通ってるところがあるなんてな。まさか、誰か住んでる……ってことはないだろうが。……試しに、入ってみてもいいんじゃないか。すこし休憩も挟みたいところだしな」


 そう言うエディの後ろを振り返ると、すこし息切れをしているリリーと目が合った。


「そうだな、すこし座れるところとか探してみるか」

「そんな、まだわたしは歩けるよ!」


 リリーはおそらく自分が足を引っ張っているせいで、こうして休息を取らざる負えないのだと思っているのだろう。真っ暗なトンネルの中にリリーの声が反響し、やがて消える。だが、リリーはしきりに下腹部をさすりながら苦悶の表情を浮かべていた。


「いや、俺がすこし疲れただけだよ。地上に出るとき、体力のない状態でチルドレンと交戦になったら危ないからな」

「――っ、……そう、だね……」


 俺がそう言うと、リリーは気を遣わせてしまったと思ったのか、うつむいてしまう。

 やはりと言うべきか、リリーは相当に憔悴しているようだった。

 このまま進行すれば、きっと些細なことから死に繋がるミスを引き起こしかねない。


「それに――」


 俺はそう言いながら、フラッシュライトを線路の方へと向けた。そこには、トンネルの至る所から響き渡る雨漏りが激しさを増し始めており、先ほどよりも水位の上がりつつある線路があった。


「――もう限界だ。いずれここも水没する。ここらで地上に出るのが無難だと思う」


 どこかの駅の防水扉が破壊されたわけではないようだが、それでも地下鉄を進むなどというのはここで終わりにした方がいい。

 ライトを再び目線の位置で持ちながら、俺はその入口の金属扉の取っ手を掴んだ。そして軋んだ音を立てながらソレを開くと、なかからホコリ臭い真っ暗な空間が現れたのだった。雰囲気は、俺が目覚めたときの施設の地下通路に似ている。


 だが、似ているだけだった。そこにあの陰気な通路はなく、代わりにどこかへと繋がっているコンクリート製のU字階段だけが鎮座している。


「行こう」


 その一言で、俺たちはその階段を上がり始めた。



           ***



「――倉庫? いや、駐車場か……」


 色んな資材を積んで放置されたホコリを層状にかぶったトラック、床の『←G5』と書かれた黄色の路面標示が、最初の考えを否定する。

 どうやら階段を昇って出た先は、コンクリート剥き出しの地下駐車場のようだった。そして驚くべきことに発電系統がまだ生きているらしく、天井に取り付けられたほとんどの光源が駐車場のなかを明るく灯していた。


「でも、非常口の先が地下駐車場だなんて。どんな設計図だったんだ……」

「こりゃ、慌ててチルドレンから身を守るために集落を増設してたころの違法建築の賜物だろうな。じゃねえと、こんなキテレツな構造にはなってないはずだ。建築法なんてものは、そもそも存在しなかっただろうからな」


 エディは、当時の情景を思い浮かべるようにして話している。ここいらの光景にも、すこしばかりの見覚えがあるようだった。


「そうは言っても、ネオ・ミナト・ミライよりかは小さかったんじゃ……」

「いや、そうでもないぜ。やっぱり、他に住む場所がないぶん中央の正式な街のまわりに張りつくようにしてスラム街が立ち並んでいたもんだ。ここの近くにあるスラムだったんだが……」


 そこで、俺たちは地下駐車場がすこしばかり浸水していることに気がつく。


「それに、そこがチルドレンの襲撃があったときに真っ先に被害にあってくれるおかげで、こういう施設は比較的に被害が少なくて済む……って構造だったんだけどな。スタンピードは、そんなに甘くはなかったってことだ」


 ちょっとした水たまり程度だったが、どうやらこの辺りもじきに危ないのかもしれない。


「アト、チルドレンの反応は?」

「ないよ、周囲には一匹もいない。……おかしいな」


 俺は自分のソナー索敵装置をも見ながらも、ここまで巨大な廃墟に一匹もいないのは流石に変だと考えていた。それはアトも同じだったようで、しきりにソナーを何度もかけ直しては索敵装置の故障かと首をかしげていた。


 ――だが、いないぶんには問題のないことだ。


 すでに疲弊していた俺たちは、それでも充分な警戒をしたまま歩きだす。

 都市の電源システムが一部まだ生きているのか、地下駐車場にはすこしだが天井に蛍光灯が灯っている。いくつかは漏電しているのか、バチバチと点滅を繰り返している。とはいえ、チルドレンいないのは本当によかった。



【Rate Level.5】

【Name [Unknown]】



「きっと、この嵐でどこかの廃墟にでも籠っているんだろ。あいつらは」


 誰かが吐いたそんな冗談を皮切りに――



 ――惨劇は唐突に、廃墟の奥から姿を現した。




 全員があっけにとられていた。


 知らない巨大な生物、いまだレーダーに反応すらないヤツを目の前に、俺たちは幻覚でも見ているのかと小さな現実逃避をする。ソイツは紅の鬣(たてがみ)に、横並びの四つの紅蓮の眼光、鎧のように覆われた漆黒の外皮、そして熊のようなシルエットのまま――佇んでいた。



【Rate Level.5】

【Name [Unknown]】



 次の瞬間、視界に映るすべての文字が異常表示されはじめ、情報端末からはノイズが走っている。正確に相手の情報を読み取ることを諦めたかのようにして、そのシルエットの頭上にタグ付けがされていた。



「…………は?」



 ――レベル5。

 固有名称さえ、いまだタグ付けられていない未知の新生物。視界に映るソイツは、間違いなくその生物の異質さを表現していた。人間の乳歯をも思わせる口が、ヤツの体の至る所でぱくぱくと開閉を繰り返す。俺たちを認知する過程で、ヤツの四つの目が盛んにギョロギョロと別々の方向へと動き回る。

 そして、その目はやがて一人の男へと集中する。――最初の犠牲者は、エディだった。


「――ぇ、あ――」


 エディのガタイのいい体を、一瞬で胸から背中にかけて貫通するようにして何かが生えていた。それがヤツの致死のカギ爪の一つだと気づくまでに、俺たちはかなりの硬直を必要とした。

 そして、そのスキを逃すほど、ヤツは甘くはなかった。


「――――ッ!!」


 直後、リリーが何かを叫び、俺を巻き込みながら突き飛ば――



 ――衝撃。



 なぜか宙を舞う感覚に、凄まじいGを浴びながら駐車場の反対側まで吹き飛ばされる光景を見せられ続ける。やがて轟音と共にコンクリートの壁にクレーターを穿ち、自分の体が跳ね、肺から圧搾された空気が強制的に口から吐き出される。


 そして、しばらく壁に磔にされた後、地面へとボロ雑巾のようにして落ちるのだった。


 左腕が熱い。いや、冷たい。

 ――違う、痛い。


【左上腕切断】

【肋骨多数損傷・内臓破裂箇所複数】

【致死量の出血を確認・ナノマシンによる緊急止血を行います】


 バナーが視界の端で連続して表示され、そのたびに脳内で軽快な通知音が鳴り響く。

 瞬間、左腕が耐えがたいほどの激痛に襲われた。俺は意識を失いそうになりながら左腕を見ると、本来そこにあるべきはずの部位がなかった。左腕が斬り飛ばされていたのだと気付くまでに、俺は幾ばくかの時間が必要だった。


 口から吐き出され続ける血反吐に、さらには視界までもが暗くなっていく。

 だが、そこでアスファルトの床にへばりつく俺の頬に、温かな液体が触れるのが分かった。眼球をなんとか動かすと、リリーが近くで倒れているのが見えた。そして、その温かな赤い液体はそこから来ているらしかった。


 ――紛れもない、致命傷を受けたリリーの血だった。


 べっとりと床に血だまりを作りながらも、胸部から絶え間なく血だまりを大きくしていく。どうやら失血死も、時間の問題らしい。

 反対側にはエディの体が横たわっていたが、遠くからでは息をしているかさえ怪しいところだった。今のところはアトが、唯一、孤軍奮闘しているらしい。俺は動かない体で、必死にその様子を見ていることしかできなかった。


 アトの突撃銃から一斉に放たれる鉛玉が、レベル5の動きを封じさせる。

 当然だ、一発一発がコンクリート壁を貫通するほどの威力を持っているのだから。


 ――だが、次の瞬間、ヤツの爪が突然収縮を始め、ドス黒い赤色を帯びた光が徐々に勢いを増していくのに、その場にいたアトと俺は気がついた。


 何かの予備動作なのかもしれない。

 その嫌な予感に、アトは持っていた突撃銃を、しきりにヤツめがけて射撃する。

 しかし、コンクリート壁さえもを穿つ対新生物用の銃弾を弾き続けたヤツの外核は、アトの射撃でなんら損傷を受けることはなかった。


 直後、地下駐車場に青い閃光が眩(まばゆ)く、瞬いた。



 ――轟音。



 地面が尋常ではないレベルで揺れ、次いで駐車場のあらゆる箇所が崩落し、陥没する。

 そして砂煙が薄れた後、地面が爆心地を中心にめくれあがった無惨な光景が姿を現すのだった。それに反して、アトの姿はどこを探してもいなかった。その結果がもたらす事実はただひとつ、ヤツはアトもろとも地面を殴りつけたのだろう。


 ただの単純明快な暴力。それゆえに、絶対的に抗うことのできない力だと思い知らされる。成すすべもなく惨殺された仲間を前に、俺は一歩も動けずにいた。

 崩落した天井からは、大量の雨水がこの地下駐車場内に流れ込み、スプリンクラーのようにしてヤツの体を濡らしていく。


 ヤツは自らの力を誇示するようにして、耳元までバックリと裂けた口を開き、息を吸い込む。そして、やがて吐き出される咆哮は大気を震わせた。この地下駐車場の天井に開いた巨大な大穴から、周囲の廃墟群へと反響するほどの威力で勝鬨(かちどき)の咆哮をあげる。

 やつの肩甲骨のあたりから、大量の蒸気があたりへとまき散らされる。まるで呼吸でもするようにして、生物製の排熱ダクトのようなそれは脈打っている。


「――がはッ……」


 俺は視界がさらに赤く染まっていくのを感じ、伏せたまま内臓と脳髄に響く咆哮を耐え続ける。すでに体の至る箇所から出血が止まらず、この咆哮で意識がついに限界を迎えたようにして消え始めた。


 そのときだった。


 突如として、自分がへばりついていた地面にヒビが入り、陥没を始めたのだ。

 ヤツの咆哮が決め手となったのか、徐々にソレは亀裂を増していき、大地から上がる悲鳴が呼応するように大きくなっていく。


「…………っ」


 変化はとどまることを知らず、直後、俺のすぐ横のホコリをかぶっていた車が、陥没によって生み出された断崖絶壁へと吞み込まれる。俺はリリーのところへと何とか這ってたどり着くと、瞬間、俺とリリーの両者さえもを引きずり込もうと地面が傾いていく。


 何か、音が聞こえた。


 どうやら絶えず耳に届く連続した濁音は、その断崖絶壁の底で流れている濁流から聞こえてきているようだった。そして、すべてを呑み込むように泡立つ茶黒の激流が見えたころには、すでに駐車場には這いあがれないほどに地面が傾いていた。


 頭上から月明かりが差し込み、満点の星空が姿を現す。

 ヤツは動かない。

 直後、なぜかヤツは崩落した箇所を憎らしげな表情で一瞥した後、踵(きびす)を返して駐車場の奥へと消えていく。その後ろ姿を、俺は崩壊する床にへばりつきながら見ることしかできなかった。


 ――バケモノ。


 それだけが、この状況下で唯一、脳裏をよぎった思考だった。

 やがて、地面は捕食する化け物の咥内(こうない)のようにガバリと開き、耐え切れなくなったようにして崩壊した足場と共に、俺たちはそこへと落ちていくのだった。


「――――ッ!」


 落下する過程で何とかリリーの体をたぐり寄せながら、直後、全身が濁流へと呑み込まれていく。

 気づいたときには意識が遠のき、あっというまに光の見えぬ川底へと引きずり込まれていった。

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