第21話 決戦難民


 そして、その日はやってきた。


 初めて仮想現実ではない本物の「漂白地帯」を、歯に詰まった白砂(はくさ)を味わいながら、貨物トラックの荷台に乗せられながらも抜けていく。道中、チルドレンをNMM都市政府の役員「エージェント」たちが皆殺しにしていき、やがて、丹沢山ふもと付近にトラックから降ろされると、トラックは颯爽と去るのだった。



『一週間後に、このポイントにて集合しろ。期日までに集まれなかった者は、残念だが戦死扱いとなる。期日までに目標を達成できなかった場合も、残念だが失格扱いとなる。これより、「傭兵資格認定試験」を開始する。――幸運を祈る』



 初めて経験する都市外部での実戦。初めて生死の狭間で生きる感覚。

 初めて本物の命が死の淵に晒されているという直感。

 だが、仮想訓練で死ぬほど教官にしごかれた成果か、実戦でも臆することなく実力を発揮することが出来ている。――とはいえ、やはり精神的な疲労は普段よりも溜まる速度が速い。


 それもこれも、『傭兵資格認定試験』を受ける上では仕方のないことだ。


 どうせ傭兵になれば死ぬまで依頼 三昧(ざんまい)なのだから、訓練生の内に実戦経験を積んでおけという都市政府および企業からのメッセージなのだろう。都市外部で決められた三つの課題を一週間以内に遂行することが、今回の『傭兵資格認定試験』で合格するための条件だった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【認定試験】

 ~以下の目標を達成せよ~


[目標]

 一.表層領域‐地点「Δ(デルタ)‐11」への到達および目標のチップ回収。

 二.レベル2「オペラキャット」二十体の討伐。

 三.七日間以内にこれらを達成して、指定されたポイントへと帰還すること。


[試験難易度]

 カテゴリー1・適正ランク「E~D」


[目的地]

 丹沢山ふもと付近(廃墟群含む)


[N.M.M.都市防衛省傭兵課より]

 ――幸運を祈る。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 チルドレンを討伐する際には、いずれもコアが壊れたことによるQ粒子の漏洩が起こる。それを計測することで、どこで誰が、どんなチルドレンと交戦したかの記録が残るのだ。


 チルドレンは種類によって微妙にQ粒子の濃度が違うため、エイドフェイカーを二体連続して倒したことをオペラキャット一体討伐したと嘯(うそぶ)いたとしても、都市政府が持つ膨大なビッグデータは騙せないらしい。


 計測器はすべて都市政府から無償で支給され、それを各都市のネットが繋がる場所で記録を提示するだけで、翌日には口座に相応の金が振り込まれている仕組みなんだとか。

 俺はその話をはじめて聞いたとき、本当に未来に来たんだなあ、と呆けた面をしながら思ったものだ。



          ***



 三日目の夜――。

 俺たちは、相模湾近くの廃墟群のとあるビルで野営をしていた。


 屋上の一部は爆撃されたかのようにして崩れており、そこから鉄筋が剥き出しになっている。俺が座っているベンチは既に塗装が削れており、空には夜明け前の暗闇だけが広がっていた。会議室らしき部屋から引っ張り出してきた机の上には、自前のメイン武器である光線銃「AU‐Mk.Ⅶ」が置かれていた。


 訓練で使用するときに貸し出される小銃とは違い――【三ツ橋重工】の五世代前の旧式かつ、中古ゆえにグリップや色んな箇所がボロボロの銃――は、エネルギーバッテリーの残量が低くなったときの藍の蛍光色を、銃身の中に埋められたケーブル内にて発色させていた。

 光線銃とは言うものの、三百年も昔に生きていた自分からすれば、見た目がPCに光物ガジェットを過剰に乗せた小銃のソレでしかない。炭酸飲料のような特徴的な液体缶マガジンも、正直あまり好きじゃなかった。


 そんな愚痴を呟きながら液体弾薬を弾詰めしていると、次の瞬間、バシュウッ――と、勢いよく蒸気が冷却用の排熱口から噴き出した。急速に温度が上がるのを、修理用具の温度管理メーターの針が異常な倒れ方をしたことから確認する。


「やたらと種類の多い弾薬を選べないから、わざわざ競合しない液体弾薬を選んだのに。……くそっ……、重いし壊れやすいし……、こんなことなら火薬を使った銃火器にしておけばよかった……」


 どうやら度重なる連日連夜の連戦で、高圧ケーブルがとうとう悲鳴を上げたらしい。昨日、オペラキャットに爪で反撃されたときだろうか。優柔不断な自分を呪いながらも、慌てて銃身を取り外して剥き出しになったケーブルを冷やそうと、ジャケットで扇いで奔走する。


 エネルギー供給ラインに穴を開いているらしく、そこから吸熱臨界点を超えた液体冷却材が、ごぽごぽ、と音を立てながら溢れだしていた。藍色の粘着質な液体が垂れる度に、コンクリート製の屋上の床に黒いシミができていく。


 それを見て更に焦った俺は、慌てて予備のケーブルと交換しようとして――


 ――そのときだった。


 屋上へと繋がる錆びついた金属扉が音を立てながら開き、中から一人の女性が現れた。


「やあ、新人(ルーキー)くん。元気にやってたかい? 見張り交代の時間だよ~~」


 その女性は純銀の吸い込まれるような瞳を浮かべ、金色の腰まで伸びた髪を砂塵でたなびかせながらも、お姉さん風を吹かせながらこちらへと歩みを進める。

 早朝前ということもあってか、少し眠たげな顔を見せながらも手を振りながら歩いてくる女性の名を、俺は驚いた表情を浮かべながらも呼ぶことにした。


「リリーさん……、まだ、交代まで三十分ありますよ」

「いいのいいの、もう三十分で交代時間なんだから、早めに来た方が得でしょ?」


 すぐさま俺の近くに寄ってきては、リリーは傍に置かれている椅子に腰を下ろした。


「だいぶ大変な状況みたいだったからね。……ちなみにそれ、一人で直せるの?」


 リリーが心配そうに、それでいて半ば呆れたような顔で話してくる。


「無理そうです。ちょっと助けて欲しいです」

「だろうねー」


 盛大にアクビをかましながらも、彼女の様子を見るにどうやら手伝ってくれるらしい。

 だが、それで迷惑をかけるのも気が引けたため、慌ててそのまま予備のケーブルを繋げようとして――


「あ、コラ! 熱を持ったままの高圧ケーブルをマガジンに繋げると爆発するって、あれほど教官に教えてもらったでしょう。ここは、こうして……ケーブルはこうしないと!!」


 その瞬間、リリーに思いきり澄んだ声で怒られてしまった。


 リリーは手際よくケーブルを俺の手からひったくると、液体冷却材を補充しながら感電しないように内臓バッテリーを切り、新しい高圧ケーブルを接続するのだった。だが、冷却材は一向に本来あるべき水色にはならず、ドス黒いままである。


「あー、こりゃ、しばらく待たないとダメっぽいね」


 半額のさらに半値で売ってもらった中古の光線銃だが、やはりというべきか冷却システムの一部が寿命だったらしい。安いモノにはそれ相応の欠陥があるということか。現在進行形で、その勉強料を払うはめになっている。


「本当にすみません、リリーさん……」

「かしこまらないでよ、こういうのも込みで仲間ってやつでしょ」


 とはいえ、そこまで込みで試験内容なのだろう。

 こればかりは、値段の安さに釣られてエネルギー弾を照射する系統の銃を選んでしまった自分が悪い。


 残った武器は、手榴弾二個と、ON・OFF式の溶解ナイフ、対人用のハンドガンが一丁だけ。俺は腰からハンドガンを抜くと、薬室(チャンバー)を確認しようと、銃口を下に向けてスライドを引いた。装填されている銃弾は、対人用の10mmのもので小さかった。


 悲しいかな。これでオペラキャットに致命傷は与えられない。

 どうやらガムテープやら釘やらで、この光線銃を応急処置するほかないらしい。


「まだ、夜明けまでは時間があるみたいだからね。……もしキミが大丈夫なら、前言ってた話の続き……」


 話の続き。

 そう言われて、俺は真っ先にリリーの部屋での出来事を思い出していた。たしか、シャワーユニットから出てきた、シルクのような肌の双丘が――


「ちょっと、いま変なこと考えてたでしょ。鼻の下、伸びてるけど……」

「えっ、い、いや別に、そんなことは……」


 思わず鼻の下を確認すると、リリーはそんな俺を見ながら噴き出すようにして「冗談だよ」と笑うのだった。


「続き、聞きたい?」


 俺が小さく頷くと、リリーもまた小さく微笑みながら、自らの過去を語り始めた。

 まだまだ夜は、長いらしい。




          ***




「わたしには元々、血の繋がった妹がいたんだ」


 パチッ、パチッ、と、ドラム缶の中の焚き火にくべられた廃材が、湿気(しけ)っていたせいか火の粉を吹き、それが風に乗って放浪して、やがては寿命を迎えるようにして消えてゆく。茶色に変蝕しながらも辛うじて原型を留めている室外機、爆撃されたような破壊痕から剥き出しになっている鉄筋、それらが揺れる炎の灯(ともしび)と共に照らし出される。


 辺りは都市から少し外れた、東京爆心地跡とは真反対の方向に位置する廃墟群の中の一棟、八階建ての雑居ビル。至る所に植物が絡みつき、同化している崩壊寸前の建物の外見は、まさに人類の終末を辿った世界を表しているようだった。


 白砂に呑まれた三百年前の街の廃墟ではない。

 痕跡からして、数十年前に建てられたであろう廃墟群だった。


「……喧嘩ばかりだったけど、いつも一緒だった。……今はどこにいるか分からない。もしかしたら、どこにもいないのかもしれない」


 廃墟ビルの屋上で、ぽつり、ぽつりと、リリー・キャンベルは言葉を紡いでいく。

 白砂と潮の混じる冷たい風が金色の腰まで伸びた髪をたなびかせ、透き通るような白色の特徴的な瞳は、眼下の景色へと向けられていた。だが、よく見れば彼女の髪の毛の先端は、かすかにだが金色から死んだ灰色へと変わっていた。それは、彼女がエクサと同じ、Q粒子侵蝕の患者であることを示していた。


 辺りは湾岸沿いということもあってか、深夜の相模湾が見せる墨汁でもこぼしたような漆黒の大海原と、人々の営みなき光なき大地との境界が溶け合っている。


 いまや第三次大戦の影響でほとんどが更地や荒野に変わった東京でも、巨大クレーターである東京爆心地跡から少し離れれば、「漂白地帯」ではない砂塵や森林に覆われた無数の廃墟たちが群れを成しているのを見ることができる。


 まるで、崩壊した人類の象徴のように――


「…………」

「…………」


 しばしの無言が、その空間を包み込む。

 俺とリリーは、転落防止柵すらない屋上の縁に、並んで座っていた。


 夜明け前の潮風が、この廃墟の至る所に潜むチルドレンの呻き声を乗せて、肌を不気味になでていく。実際には、廃墟群のどこかへと抜ける風が唸り声を上げているのかもしれないが、どちらにせよ精神を疲弊させていく要因には変わりなかった。


 エディとアトの二人は、まだ一階下の元会議室らしき部屋で仮眠をとっている。

 夜明けまでは後一時間ほどのはずだ。

 だが、太陽は水平線に身を隠したままで、いまだ出てくる気配すらない。出来れば夜明けまでは、チルドレンの襲撃がないようにと願うばかりだった。


 なおも、傍に置かれたドラム缶の中で燃える廃材が、深夜の重たい曇り空に、無数の赤い斑点を加えては揺蕩い、消えてゆく。二人の揺らめく影は、まだ少しだけ遠い気がした。


「――私はね。子供のころ、決戦難民だったんだ」


 その言葉は、こんな場所で呟くにはあまりにも重かった。

 エディと同じだ。俺はあのときエディに聞いた「決戦」という言葉を、都市の情報提供サービスを使って調べていた。それを記憶を手繰り寄せるようにして思い出す。


 【東京決戦】

 かつて、全世界の大都市要塞を襲った「大皆蝕」の発生、およびレート『アポカリプス』に初めて認定された史上最大規模のスタンピード。その被害で出した死傷者は、行方不明者を含め六百万人にも昇ると推定されている。


 『旧東京爆心地跡』――その最深部から無数に湧き出たチルドレンたちが、地を踏み荒らし、海を黒く染めた。それは、当時の要塞都市『ネオ・ミナト・ミライ』だけに収まらず、当然、この国の全域に点在していた集落へと直撃した。そのときの一ヶ月にもおよぶ攻防戦を、旧東京エリアに近い者たちは東京決戦と呼んだ。

 血みどろの景色。終わらない悪夢。燃える人影は肉の焦げる悪臭を放ち続け、やがては原型さえも失っていく。それを、彼女は経験してきたと言っているのだろう。

 彼女の言った『決戦』という言葉の裏には、それだけの意味が込められている。軽々と言えるものではなかったはずだ。それなのに――


「都市の偉い人たちは、第一次東京決戦なんて名前を付けているようだけど、わたしたちにはただの地獄としか思えなかった。いつまでも鳴り止まない悲鳴、人々の怒号と同時にやってくる化け物、赤く染まった大地、麻痺して感じなくなった恐怖。――死んでいった人たちの顔は、今でもわたしの夢の中に出てくる」


 第三次世界大戦という地獄の体現。それを再現するような二度目の地獄。終わらぬ人々の悲鳴と恐怖が、彼女の鼓膜にへばりついていた。 ――ほんの、十五年前の出来事である。


「逃げ出したんだ。化け物が迫ってきているのを知っていたから。……あの子を置いて、一人だけ助かろうとして……」


 死者たちの怨念のように、当時の光景が記憶の奥にこびりついているのだろう。震える唇を少し噛みながら、彼女は絞り出すように言葉を発した。


「戻ることすら、許されなかった。……そのあと、すぐに都市への難民受け入れがあって、そこで私は養子として中層の両親に迎えられた。……でも、彼らもすぐに反都市勢力の諜報員だってことが分かって。……円環の何とかとかいう組織に入れとか、訳の分からないことを言われて……」

「…………」


 そこから先の彼女の言葉は小さな嗚咽へと変わり、俺は何も言いだすことが出来なかった。

 単に話すことが出来なかった、などという安い理由ではない。

 彼女の過去に見合うだけの言葉が、今の俺には見つけられそうになかったから。


「……結局、あの人たちも企業に目を付けられて、処分された。その結果、私は下層に落とされて、こうして今ここにいる。……何もできなかった。……何も成しえなかった。……何も救えなかった。何も、何も――」


 言葉は最後になるにつれ、彼女は背負っている罪を自覚していくように、自らの手で首を絞めるように、声を小さく萎ませていった。乱れた髪で横顔は見えないが、きっと静かに泣いているのだろう。肩が少し、震えていた。


 女性の涙など縁のないものだと思っていたが、こんなにも慰め方の最適解がないと思ったのは初めてだった。何か言おうとして、そして再び口を紡ぐ。

 何を言えばいいのか、何が彼女の涙を止めることになるのか、まったく分からなかった。

 だから、俺は――


「妹さんは、生きてますよ」


 その瞬間、リリーさんはバッと顔を上げ、横にいる俺の顔を見た。

 涙が伝ったであろう頬の筋は、心が締め付けられるような表情と合わさって、痛々しく映った。


「なんでそんなこと、分かるの?」


 ――ありもしない希望に縋り、信じ続けるようにと言うことしかできなかった。


「ただの予感です。今は“きっと”なんて不明瞭な言葉でしか表せませんが、そんな気がする。俺は、その希望を信じてみたい」


 そんな慰めしかできない自分は、きっと糞野郎なのだろう。

 女性経験など皆無な俺には、こんな付け焼刃の言葉でしか出てこない。同担することさえ、ロクに出来やしない。彼女の後悔に対する罪悪感への慰めを、一緒に背負っていくだけの器量すらなかった。彼女を抱きしめることなど、もってのほかだった。


「きっとです。信じていれば、希望はありますよ」


 信じる力が残っていれば、などと心の中で蛇足にも程がある言葉を付け加えながら、俺はリリーの顔を直視できずにいた。


 なんて顔をしているだろうか。きっと、あまりに無責任な慰め方に、軽蔑の眼差しでも向けられているのだろう。いいや、きっと信じれば救われるだのと宣(のたま)う宣教師よりも、タチが悪い言葉を投げかけたせいで、顔を真っ赤にするほど怒っているに違いない。


 そんな思考が脳裏を錯綜するが、驚くことに実際はそのどれでもなかった。プッ――、と不意に吹きだす音が聞こえ、次いでそれが笑い声へと変わる。あまりに突飛な笑いに思わずそちらへ顔を向けると、ちょうど彼女が涙を指で拭いながら、笑いを堪えているところだった。


「ハハハ―――、そんな、根拠もない慰めをしてくるヒトなんて、初めて見たよ。本当に、君は――、ハハ、面白いなあ……」


 そのまま気が済むまで、落ち込んだ気分が晴れるまで、彼女は笑い続けた。

 彼女の笑い声以外には、パチパチと弾ける音を奏でる焚き火のみで、曇り空はいまだ晴れず、辺りは暗闇に覆われたままだった。


 やがて彼女は満足したのか、再び俺の方を向いて、今度は少しむっとした表情を浮かべる。そして、人指し指をピッとこちらへ向けてきた。


「――でも、他の子には、こんな慰め方ダメだからね! わたしは、君のあまりの不器用さに笑うことができたから良かったけど、本当ならビンタの一つや二つでもする場面なんだからね‼ 」

「――ハイ、スミマセン デシタ」


 片言で謝りながらも、俺は内心ほっとしていた。彼女が笑うだけで、どこか自分も救われた気分に浸れたからだろう。


 だが、同時に――、本当にこれで良かったのだろうか、という悔恨をいつか咲かせる花の芽が、心のどこかで根を下ろした気がしていた。俺の言ったことは、一歩間違えれば過去から目を背けさせる行為に繋がってしまうのではないか。彼女を、希望というある種の呪いに縛り付けることになってしまうのではないかと。


「本当は、抱きしめてもらえれば、それで……」

「……ぇ……」


 小さく何かを呟いた気がしたが、いま使っている安価なナノマシンに五感を強化する機能はないので、何を言ったのか聞き取ることができなかった。そう思うことにした。


「ううん、何でもないの。ただの独り言だよ、ごめんね……」


 だが、気が付けばリリーさんは何かを拭いきったような表情を浮かべており、その晴れやかな顔には既に涙の跡(あと)はなかった。


「でも、愚直だったけど……、わたしの過去にキチンと向き合って、慰めようと努力してくれたのはありがとう。――すこし嬉しかったよ」


 そう言いながら、リリーさんは大人の女性が持つ色気を浮かべながら、小さな笑みを浮かべた。

 若干、それに心臓の鼓動がおかしくなりつつも、俺は紛らわすために無理にでも真面目に周囲の警戒を続けているフリをする。


 幸いにも、彼女は俺の内心に気づいた様子はなかった。次いで、彼女は何かを思い出したような表情をしながら、手をポンと叩いた。


「そうそう、渡し忘れていたモノがあるんだった」


 彼女はジャケットに付いているポケットを弄り、何かを探し当てると――


「――はい。不器用で愚直で、それでも素直で正直で素敵なキミに、これをあげよう。――喜びたまえよ、新人(ルーキー)くん」


 ――銃弾にただの紐を括りつけたペンダントらしきものを渡してきた。


 プレゼントする用にラッピングされているわけでもなく、紐の部分もただの革で構成された革紐。もちろん衝撃耐性が付与されたナノカーボンが織り込まれているわけでもなく、本体の銃弾は少し傷付いてすらいる、ペンダントと呼べるかさえ怪しいものだった。


 最初こそプレゼントなどもらった経験などなかった俺は困惑したが、それを受け取り、銃弾の側面に刻まれた文字を見てさらに驚愕した。


「G型簡易徹甲弾……こんな高いもの、よく買えましたね……」


【G型簡易徹甲弾】

 そう名付けられたその弾丸は、【三ツ橋重工】が所有する戦略兵器で、実際に使われる『G型徹甲弾』を簡易縮小した兵器のことを指す。一発で大型ビルをも倒壊させる破壊力を秘めた戦略兵器、その簡略化された弾だった。よく使われる通常の徹甲弾とはすこし違う。

 簡易的とはいえ、携帯型電磁砲と同じクラスの破壊力を秘めた代物には変わりはないため、通常ならば超高額で取引されることが多いのだが……。


「うん、これは最新モデルのヤツじゃないからね。もし最新のヤツだったら、私が腎臓をいくつ売り払ったとしても手に入らないよ。だいぶ前の……、しかも中古品で使用期限がとっくに過ぎたものなら、だいぶ値段が落ち着いているから……」


 ジョークを交えながらも、これが決して高価なものではないことを彼女は説明した。


「それでも高かったけどね。ざっと、三ヶ月分が飛んでいったよ。――えヘヘ」

「なんで、そんなこと……」


 一秒の矛盾の後、彼女ははにかむような笑みをこちらに浮かべながらも、危なげに高所に腰掛けながら足をプラプラと軽く振り続ける。


「私にはね。いつだって忘れたことのない、後悔があるんだ」


 後悔。

 過去を後で悔いること。

 やはり、妹を置いて行ってしまったことが、心に深い傷を――


「妹や家族を見捨ててしまった、っていうのはもちろんなんだけど。いま私が言っているのは、それ以外のことで、かな……」


 だが、彼女の口から出た言葉は、予想外のものだった。


「彼らを忘れずにいるための“形見”みたいなものが、何もなかったってこと。――それが、一番の心残りなんだよ」


 『形見』――人を想い出すため、記憶を呼び起こす鍵となるもの。

 それが、彼女を傷をさらに広げている根底の原因なのだろうか。


「ヒトが死ぬときって、二つあるんでしょ? 肉体的に死ぬときと、誰の記憶からも忘れられて死んでしまう。二つの死が――」


 俺は無言で頷き、それに賛同の意を示した。


「誰かとの出会いがいつか別れる運命であったとしても、せめてその人がいたという証だけは残してあげたい。あげたかった……。それがもしあれば、償いをする余地が生まれたのかもしれないのに」


 目を伏せ、なおも彼女は自分を責めるように顔に陰りが映り込み、心を締め付けていくのが分かった。ふと疑問に思ったことがあった。そして、それは虚を突いて、気が付けば口から漏れていた。


「……でも、そこには、もしかしたら後悔と自責の念を生むだけの物になる。そんな可能性だってあったはずです。一歩間違えれば、自分の首を締め付けていく。そんなモノ、本当に必要なのでしょうか……」


 両親に対する記憶など、物心ついた時からいなかった自分にとっては皆無に等しい。遺影を含む『形見』と呼ばれるものが、もしなかったら……。いまごろ顔すら知らずに、いれたのかもしれないのだから。

 それでも自分に両親がいないことを悲しんだのは、本当は両親がいることを知っていたからだ。彼らが事故にあっていなければ、自分も他人と同じように生きていけると、失われた希望の存在を知っていたからだ。


「知っていたから悲しい想いをした。なら、悲しみを生むだけの記憶など、最初から知らなければ……」


 俯きながら、項垂れながら、俺はそう言った。

 決して、陰鬱な空気に浸りたかったわけでもない。なにも、自分の境遇に同情して欲しかったわけでもない。ただ、本当にただ……、その言葉が虚を突いて気持ちを代弁するかのように、気が付けば吐き出されていた。


「キミも、たらればの話が好きだねえ……」


 そんな過去を見破ったかのようにして、リリーさんは呟いた。

 優し気に、だけど少し非難するような声だった。


 ゆっくりとリリーの方へと顔を上げると、ずっとこちらを見ていたのだろう、銀色の視線とぶつかった。思わず鼓動の変化を感じ、体が硬直したように動けなくなる。


 木々の葉を鳴らしながら迫る突風が、やがてこちらまで到達して、彼女の髪を舞わせた。


「いまだけでいい。上を見あげてみなよ」


 彼女が人差し指を上に向けた瞬間、風が凪いた。先の突風が最後とでも言うように、緩やかに雲が散り、閉ざされていた世界が徐々に顔を覗かせ始める。


 するとそこには――、無数の星たちが〝星空〟などという、ちっぽけな言葉では到底表せないほどの幾万もの星々が、天上の視界のすべてを埋め尽くしていた。


 その中に、一際澄み渡った輝きを放つ星が一つ。――月だ。

 青白く空に漂う満月を、俺はしばらく放心しながら眺めていた。



『別れと出会い。さよならとはじめまして。笑顔と涙は、いつも一緒さ』



 ふいに隣で囁かれた言葉は、焚き火が先の風に煽られ、無数の火の粉が吐かれて空へと舞ったのと同時だった。


「「もし」とか、「だったら」なんて言葉に希望は生まれない。あるとするなら、垣根なしの悔恨だけ」


 涙の痕を拭ききり、同じように空を見上げた彼女は言った。


「どんな時だってそう……。別れもあれば、出会いもある。二度と再びの訪れない「さよなら」を言ったとしても、また他の誰かと「はじめまして」と言って、新しい出会いが始まる。あのときの涙があったから、今のわたしは笑えている。そう、信じているよ……」


 ずいぶんと楽天的な考え方だなと思った。――でも、不思議と悪い気分にはならなかった。

 誰だって、縁や運命なんて言葉に救いを求めるときはあるだろう。何かに縋りたいときだってあるのかもしれない。それをヒトの弱さだと決めつけて切り捨てることは、今の自分には出来そうになかった。


「ヒトは常に前を向いて、前へと進むべき生き物だ。いつまでも過去に縋ったり、現在(いま)を必死に続けることは、私たちには出来ない。すべきでもない。だから……」


 過去との決別を必死に図ろうとしているのだろう。リリーさんは再び、苦し気な表情を浮かべる。

 それでも前へと進もうとする意志は誰にも止めることはできないとでも言うように、彼女は再びどこまでも広がる夜空を仰(あお)ぎながら、その彼方へと想いを馳(は)せていた。


 そこにはきっと、彼女の妹の顔が思い浮かんでいるだろうことを、俺は想像した。


「そうはいっても、やっぱりキツイけどね……それでも家族だったから、わたしは……」


 顔を辛そうに歪めながらも、それでも、少しだけ踏ん切りがついたのだろう。頭を左右に振りながら、沈んだ顔を見せまいと俺とは反対の方向を向き続ける。


「リリー……」


 自分と同じ悲しみを、他人に共有させたくなかったのだろう。その笑みの裏に潜む複雑な感情は、目に見えて分かるほどのものだった。


「ごめんね、こんな話に付き合わせちゃって……」

「大丈夫ですよ。気にしないでください」

「そう? なら、いいけど……」


 そのとき、リリーは無理やりパッとした表情を作ると、こちらを向いた。


「……そうだ! そのペンダント、一人じゃ付けづらいかもだから。新人(ルーキー)くん、わたしが付けてあげるよ!!」


 無理にでも話題を変えようとしているのか、彼女は再び俺の手からペンダントを奪い取ると、後ろを向けと言わんばかりの目線を向けてくる。


 抵抗する必要もないので大人しくそれに従うと、彼女の気配がぐんと近づくのが感じられた。野外で行動しているのにもかかわらず、なおも良い匂いを放ち続けるのは、女性の七不思議の一つと言っても過言ではない。


 やがて、カチリ、という音が首の後ろで鳴り、それと同時に首に微かな重量がのしかかるのを感じた。強化服が筋力を増大させているにも関わらず重みを感じるのは、そこに人の想いが確かに乗せられているからだと、ガラにもなく考えてしまう。


 振り返り、リリーさんの顔を至近距離で見合ってしまい、その瞬間、何を言うべきかが脳内を錯綜した。だが、何かを思いついたとしても、愚直に何かを伝えるという行為で成功したことがない。

 ゆえに逡巡した挙句、弾き出したその答えは――


「ありがとう、大事にするよ」


 ――感謝することだった。

 その言葉の直後、彼女はボンッという擬音が出そうなほどの勢いで顔を赤らめ、暑さのせいでこうなったと弁明するようにして、手で顔を扇ぐのだった。


「あははは……。イヤだなあ、そんな……。いざとなったら使ってもいいからね。もっとも、少し前の型のヤツだから、ちゃんと性能が発揮できるかは分からないけど」


 目を泳がせながら、視点を彷徨わせながら発した言葉は、以前からの彼女を知っている者にとっては困惑するほどか弱いもので――


「――でも、その……、わたしこそ……、ありがとう……」


 ――それでも今度は聞き取れた。本心からのお返しの感謝の言葉は、不思議と気持ちが軽くなるような気がするものだった。


 気が付けば、なおも手で顔を扇いだり、手を顔にくっつけて熱を取ろうとしている彼女の姿を、俺は見続けていた。ぼんやりと、それでいて見守るように、たまに彼女の心の支えになること未来を想像したりしながら。


「そういえば、なんでリリーさんはこれを……」


 純粋な疑問だった。特に異性には期待したことのない人生だったし、アクセサリー類を買って身に付けたり、貰ったりすることもなかったから。


 あらゆる身体的事象がデータ化されるSFな世界であっても、女性の心のすべてを可視化させることなど到底不可能なことらしい。現に、視界に映るリリーさんの公開されている情報は、「リリー・キャンベル」という名前と健康状態が総合評価「A」という表示だけだ。


 だから聞いた。このプレゼントには、どんな意味が込められているのかと。

 どこまでも愚直に、まっすぐに、聞いてみた。

 彼女は一瞬だけ迷ったような顔をしたあと、何かの覚悟を決めたようなぎこちない微笑みをしながら、こう答えた。


「だって、そうすればキミが――」





【■■■■■■□□□□――】



 左目の奥が痛む。眼球と脳とが繋がる視神経あたりに、ズクン、と痛みが走った。

 そこから先の会話は覚えていない。突如、襲ってきたノイズが酷く、わずかに覚えているのは空の色が変わっていく景色だけ。


 いつの間にか、水平線からは太陽が少しだけ顔を覗かせ始めており、暗雲立ち込める夜の空は澄み渡る青へと変わりつつあった。朝特有の透き通るような冷たい空気にくしゃみしながら、俺は世界が明日へと進んでいく感覚が存在することを初めて知った。



 夜が明け、日が暮れ、また夜が来る。

 そんな当たり前のことを、生まれて初めて実感したような気分だった。

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