第20話 偽物の花火
翌日。
『休みだああああああああああああああっっっ!!!!!!!』
「ううん、うっせえな。誰だよ、こんな昼間に……」
そんな叫び声とダンダダンと殴るつけるようにして玄関のドアを叩く誰かに、俺は小さく悪態をついた。
「――で、エディ。こんな朝早くから何の用だよ……」
玄関を開けると、そこにいたのはやはりと言うべきかエディだった。
二日酔いで酷い顔をしているであろう俺を見て、エディは嬉々として「遊びに行くぞ」とドレッドヘアを振り回しながら喚き続けていた。シャブでもやっているのだろうか。
「一分待て、ちなみに四十秒で支度はムリだぞ」
「おうよ、何十分でも待ってやるよ」
どこかテンションの高いエディは、今日だけは人一倍、香水の臭いがキツイ気がした。
きっと、シャワーヘッドと香水のビンを間違えたのだろう。
俺は宣言通り、一分以内で青いジャケットを羽織り、歯を磨くと玄関を出た。
「さて、俺たちはこれからアトを連行して遊びに行くんだ。どこへ行きたい?」
「――ってことは、もう待ち合わせ場所は決まっているのか?」
俺がジャケットのポケットに手を突っ込みながらそう言うと、エディはにやりと口元を歪ませるのだった。
「いいや、まだだね」
「まだなのかよ……」
腕時計に目線を落とすと、そこには「12:10」という数字がホログラム状に展開する。
ネオミナトミライの建設祭は夕方からのはずだ。
こんな早くから祭りがやっているワケでもあるまいし、エディは何をしに来たんだろうか。
すると――
「お待たせー、遊びに行くんでしょ? 何ぼさっとしてるの」
――薄暗い廊下の奥から、走るようにして現れたのは他でもないリリーだった。
簡素な日常服に身を包み、昨日とは打って変わって、けろりとした表情でこちらへと向かってくる。
「リリーさん、もう、大丈夫なんですか?」
「うん、ぜんぜん大丈夫。ヘッチャラだよ~」
「やけにタイミングいいですね、テレパシーですか?」
「あはは、いや、叫び声が宿舎全体に響いてたからね。エディ、あなたちょっと声がでかすぎるわよ……」
どうやらエディの騒音が原因だったらしい。
「ほらな、何となくここならリリーも来ると思ったんだ」
「ほらなって……」
俺は思わずため息をついた。
「最後にアトだが。これはもう目星が付いてる」
「……ま、あそこだろうな」
おそらく、というよりは確実に、アトは妹の病室にいるのだろう。
そのとき、エディは何かに思い当たったようにこちらを見て、次いでニヤリと口元を歪めるのだった。
「じゃ、俺はアトを連れてこなきゃいけねえからな。お二人さんは、どうぞごゆっくりと街でショッピングなり観光なりを楽しんでいただければ」
完全に含みのある目と口元を浮かべたまま去っていくエディを見て、俺はもはやウンザリするよりも呆れかえっていた。
「…………」
「…………」
しばらくの間、気まずい沈黙が廊下を支配する。
「――で、どうしましょうか……」
その静寂を破ったのは、靴の汚れでも気にするように左右に揺れながら下を向くリリーだった。
顔が赤いのは、きっと気のせいなのだろう。
「もしよければ……すこし寄りたいところがあって、ついてきてくれませんか?」
俺が頬をかきながらそう言うと、リリーは顔を上げて目を輝かせる。
リリーは俺よりも、一、二歳ほど年上のはずなのだが、このときばかりは少女のような衝動を露わにするのだった。
「もちろん、わたしも行くよ!」
***
銃製造の権利はほとんどが上層・中層の企業によってガチガチに固められているため、下層に降りてくるのは使いまわされた中古の銃か、本物に似せて作られた海賊版の粗悪な銃、もしくはどんな企業も見向きもしないほど尖った性能の銃だけだ。
エディといつも駄弁(だべ)っている連絡橋を渡ると、でかでかと地区分けをするための巨大な壁に白いペンキで書かれた文字が見えてくる。【下層・セクター5】。俺たちはその下にある通路へと入っていく。直後、目に燻(いぶ)した煙のようなものが入り、俺は思わず顔を背けた。
【やきとり(合成)】
再び目を開けたとき、そう書かれた赤色の提灯(ちょうちん)が、まず真っ先に出迎えてくれたのだった。煙は肉を焼く良い匂いと音を絡ませながら、通路を行き交う人たちの食欲をかきたてていた。排気ダクトや配線が露出したままの天井は低く、薄暗い下町の地下街のような通路を蛍光灯のような光源が照らしている。
【センタービル街、60階フロアへようこそ!】
点滅するホログラフィーの看板に迎えられながらも、俺たちはその下を歩いていく。
下層のセクター5は、その下層の地区全体がひとつの商業用ビルで埋まっているような構造をしている。そのせいか、まるで無限に増殖を繰り返す「ビル」という無機質な生物の体内に入ったような錯覚をしてしまう。
「へえー、セクター5ってこんな風になっているんだね。わたし初めて来たよ!」
「結構、遊べるんで面白いですよ。ま、いつものセクター6と同じように、こっちも40階以上のこのあたりは治安がそこそこですが、下の方はかなり悪いので行かないでくださいね」
無数のジャンクショップや違法ドラッグストア、偽ブランド服が並ぶ質屋に盗難防止フェンスで覆われた銃の販売店。銃で武装した警備員のいる違法カジノの入口に、版権ガン無視の違法映画館、さらには盗品が飾られたゲームセンターらしきものまである。それらが乱立する通路を歩いていくと、すぐに目的地が見えてくるのだった。
排水スプリンクラーという「雨」が降ってこないビルの中とはいえ、すべてが整備されているわけじゃない。下層では当然、毎日のように反都市組織による抗争が勃発しており、スカベンジャーどもによる強盗事件が多発している。
その店は、先月あたりにスカベンジャーの末端構成員が誤ってビル内部で持っていた爆弾を起爆して、壁と床が崩落した事件現場のすぐ横にあった。
『JUNK SHOP』
そう形どったネオンサインの看板を掲げる店の前で、俺たちは立ち止まった。崩落した箇所からは、猛スピードで走り去る反重力乗用車(オートモービル)たちがビルの中にまで突風を吹かせている。
薄汚れた冷蔵庫や洗濯機たちが乱雑に置かれ、本来ならば店内が見えるはずのガラス窓には古い型のボックス型テレビが、この都市のニュース番組を垂れ流していた。
『丹沢山ふもと付近で、レベル5に相当する濃度のQ粒子が計測されており、残滓報告が――』
『計器の故障でしょう。もし本当ならば、前回の東京決戦から二度目の出現に――』
すべて同じチャンネルを映しているせいか、ハウリングしたままの音声の共鳴にすこし気分が悪くなる。違法受信している映像なのは間違いないだろう。
『ですが、史上最大を更新し続ける台風の接近に伴い、都市の役員や企業の戦闘員は――』
俺はその店のドアを開けると、小さくではあるがチリンと来客したことを伝える鈴が鳴る。
だが、店の者が出てくる気配はなかった。
「店長。例のやつ、取りに来たよ」
店内のさらに奥へと入っていくと、やがて何やら音が聞こえてくることに気がついた。
【龍】と漢字で描かれたアナログな旗の下で、一人の老婆が何かを腰を曲げていじっていた。バチバチと連続する光と音が、定期的に店内に響き渡っている。俺はその老婆に対して、話しかけた。
「店長、久しぶり」
「おお、随分と久しぶりアルね」
かなり近づいてから、その老婆はようやくこちらを認知したようだった。
この目の前の老婆は、いわばエディとアトが俺を強盗から救ったときに着用していた強化服、それを売っていた店の店主だった。エディに紹介してもらった店ということもあり、他よりもある程度は信用ができるところだ。
「また、変な装備の溶接を『遮光溶接面』付けずにやってたの? アーク光を裸眼で見ると失明するから、あれほど付けなって……」
「カカカ、とっくのとうに義眼に変えておるから、この通り平気アルよ。それより、前に来たときよりも逞しくなって、色気づいちゃって! …………ンン!?」
そのとき、レンズのピントを合わせるように瞳孔の収縮を繰り返していた目が、これでもかと言わんばかりにリリーへと合わせて見開かれる。
「クロノちゃん、あんた、随分とべっぴんさん捕まえたんだね! ケケケ、こりゃ、明日にでも百連発くらい爆竹を投げ込まないとだねえ!」
老婆は誰が見ても分かるほどのにやけ面を浮かべながら、俺とリリーの顔を交互に見比べる。
だが、俺は呆れたような表情を浮かべるだけだった。きっと、リリーの顔もそうなのだろう。すこし
「――で、店長、例のやつなんだけど。もうある?」
「――ああ、はいよ、三十万の死ぬほど安い強化服ね! ……にしても、こんな装備で都市の外へ行かなきゃならんアルとは、ほんと不憫(ふびん)アルねえ……」
そう言いながら、店長は店の奥からガサガサと音を立てながら、あるものを持ってくる。
「はいよ。ほんと純正なら数百万くらいだけど、こっちで色々とパーツを安いもんに取り替えてるからね。しかも、たいぶ古いものだから……言い方を変えれば、多くの訓練生の試験に立ち会ってきた「歴戦の強化服」ってことになのかもしれないアルね」
店長は黒い全身タイツに回路基盤がそのまま貼り付けたようなものを持ってくると、雑に手渡してくる。
「インナータイプだから、上からジャケットとか羽織らないと寒いアルからね。試しにここで着ていくアルか?」
「……そうしようかな、軽く動作確認もしたいし。……うん、確かに。――ありがとう。助かったよ」
そう礼を言うと、店のオーナーは満足げに頷くのだった。
「着替えなら、あのブースの中でするアルよ」
忘れずに入金を済ませている間、ふと、リリーが傍にいないことに気づく。
あたりを見渡してみると、どうやらあるショーケースに入った商品をまじまじと見ているらしい。しきりに熱心に値段を確認しようとしている。――が、俺はとくに気にすることなく、着替え用のブースのカーテンを開けた。
「お嬢ちゃん、そんなのが気になってるアルか」
「え、ええ……ちょっと、見せてもらえませんか?」
どうやら、店の奥でなにやら話し合っているらしい。
俺は着ていたジャケットを含む服を脱いでいくと、全身タイツのような強化服を素肌の上に装備し、そのうえから再び服を着こみ始めた。かなり使われてきた型だからか、すこしサイズが合わず全身が締め付けられる感覚がある。
(上に着込むのはジャケットだけでいいな。防塵シャツは、すこしきついか……)
だが、うなじ部分のスイッチを押すと、強化服と裸体のあいだにあった空気が腰のあたりの排熱口から排出されていき、やがてぴったりと体に吸い付いた。
「貯金は、まだ余裕があるので、たぶん大丈夫です……。両親だった人から、もらっていたので……」
「でも、動くかすら分からないアルよ?」
「いいんです、それで。ペンダントみたいにして頂ければ、使うことは滅多にないと思うので……」
「ははーん……なるほど、アルねえ……」
ぼそぼそとかすかに会話が聞こえてくる。変な商品を押しつけられた挙句、ぼったくりの被害にでも合っているのだろうか。リリーが変なものを買わされないようにと、俺は足早にブースを出ると、その店の奥に入る。
だが、それを察知してなのか、リリーはすぐに手に持っていた何かをポケットに入れて隠すのだった。
「あの……一体、何を話して……」
「こら! 乙女同士の話に、男が首を突っ込むんじゃないよ!!」
直後、なぜか俺は怒られてしまった。
そんなに他人に知られたくないほど大事なものがこのジャンクショップにあったのかと、俺はすこし放心状態になってしまう。
「お……金はきち……と。ええ、もち……です」
「当た……だ……、あ……たも頑……な」
こちらが聞こえない声量で何かをコソコソと話し合っている。
そんな彼らに俺は頭をかきながらも、追加で買うものがあったと口を挟む。
「あの、……できればエネルギーパック三個くらいと、閃光手榴弾かスモーク缶三個に、簡単な溶解ナイフとかもあったら欲しいんだけど……」
「ケケケ、はいよ。……すぐに取ってくるアルから、あんた、リリーちゃんに間違っても問い詰めるようなバカやるんじゃないアルよ!」
そう詰められながらも念を押され、俺は圧に体をのけぞらせながら、冷や汗にまみれた顔を縦にふった。やがて、俺たちはその他にも何個か必要になりそうなものを買っていくと、その店を後にするのだった。
***
――大変だった。
あのあと、リリーの買い物欲求が爆発したのかは知らないが、彼女に振り回されるがままあらゆるショップに突撃していき、しまいにはセンター街で散在するハメになった。『こんなに遊んだの、わたし初めて!』という言葉に踊らされ、リリーの笑顔と俺の持つ荷物は比例して増えていき、それがセクター5の天井を突き抜けそうになったころだった。
ふいにリリーは立ち止まった。
「ね、いっそのこと、このまま逃げちゃわない――?」
それは――缶詰の街では分からないが――おそらく夕方ごろ、建設祭がもうすこしで始まるというときに聞こえてきた言葉だった。後ろを振り向くと、リリーが拙い笑みを浮かべている。
驚きはなかった。
あたりには人ごみがごった返しており、立ち止まる俺とリリーの二人を避けるようにして流れていく。
「だけど、どこに……」
「そんなのどこだっていいよ。こんな暗くて、狭くて、鬱屈した街から出られれば、どこだって……」
リリーの声はか細く、一度目を離せば消えてしまいそうなほどに儚げだった。
頭上の蛍光灯が点滅する。どこか別の通路でロボットのアナウンスがうっすらと聞こえてくる。雑踏が二人の会話にノイズを入れる。だが、俺は仕方なく近くにあった錆び付きのコインロッカーにすべての荷物を叩き込むと、後頭部をかきながらセクター5の通路でリリーの手をとった。
「じゃあ、行きましょうか。この街から一番遠い場所に……」
「……ぇ……」
そう言うと、リリーはふっと顔を上げてこちらを見た。
それに構うことなく、俺は彼女の手を引っ張りながら歩き出す。
「いい場所を知ってるんですよ。ここからなら、たぶんすぐに着きます」
手元の腕時計を見ると、「16:45」というちょうど良い時間なことに気がつく。今からすこし小走りに急げば、充分間に合うだろう。
「すこし走ります。はぐれないで下さい!」
「……え、……う、うんっ……!」
俺たちは手をつなぎながら走り出す。
セクター5を抜け、連絡橋から別の通路へと走っていく。そのうちに人通りは少なくなり、やがて完全になくなったころに目的地へと到着した。
【横17.5M×奥行17.5M×高さ25.0M 積載荷重10,000㎏】
オレンジ色で塗装された開閉扉には、白色のデカールでそう書かれていた。さらにその横には、ひときわ大きく【24】という数字があるのだった。開閉扉は上下に稼働するタイプらしく、それは重厚な音を立てながら上へと口を開いた。
そう、施設に入るときに利用した外周用のエレベーターだ。
俺たちは一度あたりを見渡してから人の気配がしないことを確認すると、それに乗り込んで操作盤を押した。
やがて、エレベーターはガコンと上昇をはじめた。
***
「こっちです。ついてきてください」
「あっ、あぶない……」
エレベーターから降りると、俺たちは下層の天井裏に立っていた。
正しくは、下層の天井に張り巡らされた配管やダクトを、点検・整備するための非常用フロアなのだがこの際あまり気にしない方がいいだろう。フロアは金属板をところどころ天井からぶら下げたようなお粗末なもので、運が悪ければ床を踏み抜いて、数百メートル下の地面まで叩きつけられるだろう。
すぐ下を、ディスコを爆音で垂れ流すオートモービルが横切っていき、その風がリリーの頬を舐める。
一応、ペグで固定されたワイヤーだけの手すりは設置されてはいるが、それもところどころに経年劣化で落下したのだろう箇所が点在しており、修理された形跡もない。あまり奥に行くのは得策ではないだろう。
すぐ横には、ただただ等間隔に配置された天井の電灯が配置されており、ぶつぶつ、とフィラメント接触不良の音が聞こえてくる。そして、それはあまりにも無機質に管理されたものだった。
残念ながら、このまま中層に行くことはできない。
中層に入るには、いずれかの方法でも中層に入るだけの資格やパスポートの類が必要だからだ。だからこそ、俺たちは下層の天井を点検・整備するための高度で止まった。ここが、あの街から一番遠い場所だったから。
安全装置のない俺たちは一番手前の壁際のエリアで、施設のあるセクター6の街並みを見下ろした。転落防止柵すらない場所から、なるべく身を乗り出さないようにしてネオン瞬く街を眺める。
「…………」
「…………」
すこしばかり気まずい空気が流れる。
たしかに、ここはいまの俺たちが行ける下層の街から一番遠い場所だが、それでも密閉されて鬱屈とした空気は、ここまで立ち昇ってきているようにも感じる。ただひたすらに人々の欲望と汚臭が蔓延し、臭いモノとばかりに蓋をされた下層から俺たちは抜け出すことができない。その事実を突きつけられているように感じたからだ。
この街に朝はない。昼もない。あるのは夜だけだった。
だが――
「もうすぐですよ、はじまります」
「……え……」
その瞬間、セクター6の中心部から、ドドン! と一際大きな花火が上がった。
ちょうど都市の建設祭が始まったのだ。下層の天井近くまで上がるホログラム状の花火は、撃ちあがるたびに、パラパラと小さな破裂音を繰り返しながら模様を変える。
「うわぁ~~!!」
リリーが歓声を上げて、そのすぐ近くで咲く花火を上から眺めた。
上から見下ろす花火など、めったにないことなのだろう。リリーの顔をちらりと覗き込むと、歓喜で見開かれた目には、パッと花が開くようにして色彩鮮やかな花火が反射している。やがてそれは、勢いを増して連続して咲く花火と同じくして、輝きを取り戻していく。
言葉を交わすことはなかった。
ただ、俺とリリーはしばらくのあいだ、打ち上がる花火を無言のまま眺めていた。
ホログラムの花火。それは紛れもなく偽物の花火だった。
だが、どうやら人は造花でも感動できるらしい。
底なしの沼に咲く蓮の花のように、泥に偽物の花火でも誰かの心に刺さることはある。
そのことに、俺は気づかされた気分だった。
そのとき、ポン、とタブレット端末にメッセージが届く。
どうやらエディが早くリリーも連れて来いと興奮ぎみに催促するメッセージに、俺は苦笑しながら隣にいるリリーに話しかけた。すぐにリリーの了承も得た俺たちは、再びエレベーターに乗り込んでエディたちとの合流を急いだ。
***
「……で、最終的には昨日と同じ店に来て、同じように飲むだけ、と……」
「ガハハハッ、まあいいじゃねえか! それだけ、この街にはロクな飲み屋がないってことなんだからな!」
そして、俺たちは再び、昨日とまったく同じ店で飲んだくれていた。
それも、昨日とまったく同じ席だ。違いと言えば、リリーがいることくらいだろうか。
「前夜祭のときよりも、人が多いな……」
無理やり増設したのだろうバルコニーには、パラソルに覆われたテーブルと四つの椅子がいくつか鎮座していた。だが、例外なく席たちは祭りの観光客やら傭兵崩れの連中やらで埋め尽くされており、俺たちもそのなかのひとつだった。
「なんで僕だけジュースなんだよ」
「しゃーねえだろ、若いうちから酒なんか飲むと脳が萎縮するからな。アトにはまだ早いってことだよ」
一人だけアルコールではないアトが、ジョッキに注がれた甘味料マシマシ炭酸飲料をちびちびと舐めるようにして飲んでいた。そもそも俺たちが飲んでいる酒だって、遺伝子改良で爆発的に生産性を伸ばした発がん性物質マシマシのビールもどきだろうに。
「なあ、エディ。その銃どうしたんだよ。……まさか、買ったのか? そんな古いもの……」
俺はふとエディの汗のかいたジョッキの横に置かれた“黒光りする四角い物体”に目が止まり、銃身らしき箇所に刻まれた製造年月を見て、あまりにも古い型に驚いた。
「おうよ、マルチエクスキャリバーってやつらしい。なンていうか……、一目惚れってやつだな。……ま、なんというか今日は特別な日だし、格安で売られてたからつい買っちまったよ」
興味半分で四角い箱状のそれを手に取り、その構造を軽く調べようと銃をダブルバレルショットガンのように折ると、俺は薬室の異様な構造にエディに呆れた表情を向けた。
「一発しか入らない欠陥品じゃないか。それも、なんだよこの薬室、どんな弾なら入るんだよ……」
その銃の薬室は、まるで和菓子の羊羹(ようかん)でも入れるのかと思うほど四角いもので、俺は見たこともない構造の銃に思わず口元をへの字に曲げる。そして、ためしに指を入れてみると、それはギュッ! と俺の人差し指を噛みちぎらんばかりに締めつけるのだった。――激痛である。
「――ツォア!? おい、こいつ俺の指を噛みやがったぞ!?」
俺が慌てて銃を放り投げると、エディがそれを空中でキャッチする。
そして、まだまだ子供だなと言わんばかりのニヤケ面で、こっちを見てくるのだった。
「へへ、こいつはな、どんな弾でも
よほどピーキーな性能の銃が気に入ったのか、エディはしきりにゲテモノ銃に頬ずりをしている。
この時代では、ほとんどの銃にある程度のマルチキャリバー(他の規格の銃弾が使用可能な仕様)が備わっており、正直、エディが何に惹かれてこんなおもちゃを買ったのか理解できなかった。
武骨で一切の装飾がない、拳銃ともショットガンともカテゴライズできない銃の名は、【JM=S 419】というものらしい。銃身に刻まれた文字を読んだだけでは、あまり意味は分からなかった。
「エディは昔からこういうところがあるやつなんだ。あんま気にすんなよ」
「いいんだよ、ロマンってやつは時に何よりも優先しなきゃならねえ! オレはオレのセンスを信じて生きるぜ!!」
「あはははは……」
アトの軽口にエディが豪笑し、リリーがドリンク片手にせせら笑う。
そのたびに、ジョッキに入っている泡の水面が揺れる。
「死神、ねえ……」
俺はどうせすぐ壊れる銃なんだろうなと思いながらも、そのフレーズにふと、あのときの幻影に出てきたあいつを思い出しそうになった。
あいつはいったい、何者だったのだろうか。そんなことを思いながら、ジョッキを傾けていると――
『死神は、自分の足元にだけは鎌を振れないからな』
――直後、俺たちの背後で誰かが話しかけてくる。
そして、その特徴的な声質に、俺たちは聞き覚えがあった。
「きょっ、教官!? お仕事、お疲れ様です!!」
俺たち四人、一同が立って挨拶するなか、教官は手を軽く挙げただけで近くの席へと座るのだった。
別に軍隊ではないのでこんな立って挨拶をする必要もないのだが、どうにも骨の髄まで恐怖が刻まれてしまっているせいか、こうして相対しているだけで足が震えてきてしまうのだ。
あんな末恐ろしい相手に、どうやって酒を飲みながら片手間に挨拶などできようか。
いいや、できるはずもあるまい。
「私も彼らと同じジョッキを……ああ、ひとつでいいぞ」
ウェイトレスのガタつくロボットに、教官は何やらアルコール類を頼んだようだった。
その配線剥き出しのロボットは、全身の人工関節を軋ませながら再びキッチンの方へと戻っていく。
そのときだった。
「すみません、写真、撮ってもいいですか――」
俺たちの後ろから何やら古い一眼レフカメラを持った少女がひとり、こちらへと話しかけてきた。少女は全体的に茶色いコーデの服を着こみ、ひとりだけこの時代とは似つかわしくないような恰好をしていた。
ぶちメガネが特徴的な図書委員然とした少女は、赤いベレー帽をかぶりながら、首からぶらさげる一眼レフカメラをこちらに向けている。普段であれば違和感を感じるであろう者たちも、このときばかりは酒で酔っていて気づかないらしい。
「写真……いいじゃねえか、どうせなら初陣(ういじん)前の記念写真ってのも悪くはねえ」
エディがそう言うと、少女は心の底から嬉しそうな顔をしながらも、首からかけていた古い一眼レフのカメラをこちらへ向ける。だが、すこし困ったような顔を浮かべた。
「できれば、四人で何かをやっている瞬間を撮りたいのですが……」
懐古趣味の少女を前に、俺たちは何をすればいいのやらと少し困惑する。――が、それを破ったのは、意外にも近くに座っていた教官だった。
「ジョッキでも打ちつけていれば、なんか良い写真が撮れるんじゃないのか? なに、ただの写真撮影なんだ。気負う必要なんてないんだよ」
その言葉に、俺はふと、なぜこんな場所に写真家などという希少な職種の者がいるのかと疑問に思う。
恰好からして中層にいるような人種だろう。教官は喉元の給油口のような栓を抜き、アルコールはのどごしがすべてと言わんばかりに、そこから胃へ流していく。
半年前の自分なら化け物だなんだと騒いでいたところだろうが、下層でまともな人間を見ることの方が珍しかった俺は、もはや眉ひとつ動かすことはなかった。
「――おい、クロノ! 待たせるなよ、そろそろ疲れてきたぞ」
そのとき、俺はエディに名を呼ばれていることに気がつく。いつの間にか、エディ、アト、リリーの三人はジョッキを片手に待機している。どうやら、俺を待っているようだった。
同時に、俺のことを待ってくれているという仲間がいるということに、心の底から温かい何かが溢れてくることに気がついた。
「ああ、わるいな。おいていくなよ」
「ハハ――、それじゃ、明日の傭兵認定試験、合格に向けて――」
そうだ。こんな世界も、慣れてしまえば悪くないのかもしれない。
そんなことを思いながら、俺は冷えたジョッキを掲げて笑みを浮かべた。
「「「「乾杯――――っ!!」」」」
俺たち四人の姿を、懐古趣味の写真家は見逃すまいとシャッターを切る。
背後で花火がひときわ大きく咲くのと同時に、俺たちの浮かべる自然な笑みも膨らむ。
そして、彼らの汗をかいたジョッキたちをぶつけ合う音は、どこまでも天高く響き渡っていき、やがて街の喧騒に呑み込まれて消えていった。
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