第37話 中層


『本当に、いいんダナ……』


 電気系統が復旧していないのか、非常用の電灯ひとつだけが薄暗く照らす地下の手術室で、俺はディールの言葉にうなずいた。ディールはため息をつくと、半壊した仮面越しにぎょろりと赤く光る眼球を動かした。


「ああ、構わない。……やるよ、義手用の脳内インプラントってやつ」

『……ソウカ』


 俺は手術台で横たわったまま、ディールへ向かって話しかけた。

 義手は脳波を検知するためのインプラントなしでは動かない。入れなければ義手を満足に動かすことはできなくなるし、なにより神経が文字通り摩耗しやすくなる。だから俺は、てっきり頭蓋骨を手術で開けるぐらいのことは覚悟していた。だが――


『なに、お前が手術で着けるのは左腕のアダプターだけだ。それさえつけてしまえば、義手は破損してもすぐ買い換えられる。違和感があるようなら、また来てもらう必要があるだろうがな』


 ディールが差し出したのは、なにやら小分けする用の小さなポリ袋に入った色とりどりのカプセル錠剤だった。


『なら、これを飲んデもらうゾ』

「――錠剤?」


 俺が困惑しているとばかりにそう言うと、ディールは俺の左腕につけるためのガジェットやメスなどを用意し始める。


『仕組みは簡単ダ、要は寄生虫と同じ理論ダカラナ。この錠剤の中には、いわゆる五感強化ユニット、機械同期ユニット、聴覚保護ユニット、眼球の水晶体内部に現実拡張UIレンズを作り出すナノマシンが入っている。そいつらが勝手に、寄生虫みたく眼球や脳の中枢に毛細血管を通って材料を運び、体の至る所で材料を組み立てるってワケよ』


「…………」


『昔はUIレンズを眼球に穴開けて入れるやり方もあったみたいだが、イマドキ、そんな危なっかしいのは流行らねえからナ。これで脳みそを電脳化しなくとも、拡張現実機能で自由気ままにネットサーフィンができるってわけヨ。特殊機能が必要な義眼じゃないなら、これで十分だしな』


 ざらざらと、数十粒の錠剤を俺の手に乗せていくディールを、俺は感情の一切の起伏がないまま眺めていた。手に乗せられた錠剤はすべて色や形が違い、どれが何の機能を有しているのかまるで分からない。単にコインほどの大きさの白い錠剤もあれば、中には毒々しい赤色のカプセル錠剤まであった。


 ディールは最後に薄緑色の麻酔用マスクを用意すると、コップに注いだ水を渡してきて、早くぜんぶ飲めとばかりにこちらを見下ろした。


『ま、本格的なネットダイバーにでもなりたいんだったら、うなじに脊髄拡張プラグを埋め込んだり、神経機能チューナーやら、シナプス強化用の光ファイバーなんかは必須なんだろうガナ。……そこまでやる気はないんダロ?』

「いくらだ?」

『……ざっと古貨幣換算で言うト、全部で数千万円ってとこダナ。……ま、いまのお前にゃ払えん額ダワナ』

「…………」


 払える額ならば、俺はやると即答していただろう。それほどまでに力に飢えていた。それは後悔や遺恨によるものだ。化け物を倒すには、それ相応の強さが必要になる。俺には、あいつを屠らなければならない理由もあった。

 手に山のように乗せられた錠剤をすべていっきに飲むと、ディールは満足したようにして頷いた。


『まずはこの錠剤で我慢しておけ。これだって安くはないンだ。すでにお前の体には、施設で飲まされた錠剤が全身に行き渡ってるからナ。そのぶん金も浮くはずダ。……あと、これを飲むと一種のオーバードーズ状態になるからな。しばらくは俺のところで過ごしてもらうゾ』


「……どのくらいかかるんだ?」


『O(オーバー).D(ドーズ)の症状がだいたい三日ってところダ。インプラントが体内で完成するのは、ざっと一週間弱ってところダナ。……ナノマシンは寝ている間にしか動かナイ。だから徹夜は控えてモラウ。でないと、失明するリスクだってあるカラナ』


 早いな。そう言う前に、ディールは俺の顔に麻酔用マスクをかけてくる。

 髪の毛が邪魔にならないようにヘアキャップをかぶせられながら、俺は手術台の照明をぼんやりと眺める。


『とりあえず、先に義手とお前の肉体神経網とを無線で繋げるゾ。ちっとばかし電気が走るような痛みがあるが、そう気にすることはナイ。すぐに慣れるサ』


 そのとき、脳と背中の奥の方でビリビリと電流のようなものが走った直後、機械義手の稼働状態を示すLEDインジケータが瞬きをするようにして緑色に点滅した。


『一応、接続方法は上腕部の肉体神経にぶっ刺した配線端子による有線接続と、脳内インプラントへの無線接続の両方を使っテル。義手を接続したからとはいエ、しばらくは脳の操作網が混乱して幻肢痛を引き起こすからナ。間違ってモ、痛みで舌を噛み切ったりするんじゃねーゾ?』


 俺はそんなことあるわけないとばかりに口を開こうとするも、麻酔が回ってきたのか、急速に意識が落ちる感覚に襲われるのだった。アダプター手術自体は、一時間という短いもので終わったらしい。一週間後、俺は宿舎の自室にあった私物をすべてバックに詰めて、ある場所へと向かっていた。



               ***



 連日連夜、都市のあらゆるメディアは下層の天井爆破事件を、ガス管の経年劣化による爆発事故として報道した。裏で何かの力が働いたのかもしれないが、それを俺が知る方法などあるはずもなかった。

 そして、そののあった一週間後に、俺は傭兵施設を卒業した。


 元々、各カリキュラムを標準よりも多少は超えた成績で通過していたことや、特に傭兵認定試験でのレベル5の情報を持ち帰ったことが都市政府傭兵課から高く評価されたことが早期卒業を後押しした。結果、ハンターランクFから始まるものをランクDへと飛び級となり、中層への入居が認められることとなった。


 本来ならば、他の傭兵志願者たちからは羨望と嫉妬の入り混じる感情で送り出されるものなのだろうが、今回の試験はレベル5との遭遇および虐殺という類を見ない形で終わったため、誰ひとりとして罵倒する者はおらず、また、称賛する者もいなかった。


 俺は背負っていたドラムバックを足の間に挟むと、タブレット端末を取り出し、フード男から投げ渡された記録媒体を接続した。USBメモリーのような媒体の中身は、どうやら何かの文書とどこかの地図データのようだった。


 地図を表示してみると、3D状に表示される何かの建造物が現れる。缶詰を三つ積み重ねたようなそれは、すぐにネオミナトミライだということに気がついた。


「これは、この都市の全景図か……」


 ためしに指で拡大してみると、この都市の内部が透けて見え、何やら赤く点滅する点があることに気がついた。赤い点はセクター4とセクター5との間にある黒い柱を通して、ゆっくりと上層から中層、下層まで落ちていき、やがて最下層のどこかで静止した。


【12月17日 0時14分】


 この都市を貫く三本の支柱といえば、誰しもが首都三大企業を思い浮かべるだろう。そして、セクター4と5の間にある支柱は月庵のものだったはず。しかも上層から最下層まで落ちてきたとなれば、ただ事ではないだろう。


「裏ブロック地区、か……」


 それは、俺が初めてこの都市に流れ着いた場所だった。

 上下水道が入り乱れ、アリの巣状に無数の通路や空間が広がっている。故に、ここを根城とする反都市勢力も数多くいる。つい先日、あのフード男は俺を爆発事件に巻き込んでおきながら、またあそこへ行けと言っているらしい。


 そうしてタブレットを懐にしまうと、モノレールが駅のターミナルに停車したのを見て、俺は私物を詰め込んだドラムバッグを背負い直した。

 気づけば俺は、中層行きの駅ターミナルで立っていた。


 下層から目を背け、逃げるようにして――



                ***



『中層行きへの列車が発車致します。揺れますので、お近くの手すりなどにお掴まり下さい――』


 軽快なチャイムと機械音声のアナウンスが響き、背後で閉まる自動ドアが、下層との決別を確固たるものにする。やがてモノレールは動き出し、稼働音を奏でながらもレールに沿って移動し始めた。


 二両編成の車両なこともあってか、車内も三百年前の内装とは全く違う。


 天井や壁面全体が大きな超強化ガラスで出来ており、至る所に清潔感を漂わせる青・白の光源が設置されている。吊革はなく、横に一列に並べられた水色の長椅子は特殊素材――あらゆる汚れや臭いを分解する性質があるらしい――で覆われていた。当然、弾力性などはなく、冷えていて硬そうだ。


 気力を失ったような緩慢な動作で、俺はボスンとその座席に腰をかけ、そのまま深くもたれかかっていく。気がつけば、俺は誰もいないガランと空いた車両のなかで、窓の外を六ヶ月という月日を思い出しながら眺めていた。


 そう、この都市に来てから六ヶ月が経ったのだ。

 あっという間とも言えるし、仮想訓練のせいもあってかもう少し長かったようにも感じる。


 それでも、俺はあの騒がしくも楽しかった日々を思い出しては、辛く苦しい訓練があったとしても戻りたいなどと思ってしまう。同時に、俺はまだあいつらと出会って半年しか経っていなかったのかと、その無常さに幾ばくかのやるせなさを覚える。


 車内に暖房設備はないのか、すこし、寒い。

 誰一人としていない車両の中で、俺は身を縮めこませるようにしてジャケットの裾を引っ張った。



「……また、ひとりか」



 枯れた声でボソリと呟かれたその言葉は、列車の生み出す稼働音によって掻き消された。


 慣れている。

 こんなことは、慣れていたはずだ。

 何も珍しい話でもない。最初から誰もいないところから始まっているのだ。いまさら、誰もいなくなったところで――


 やがてモノレールの移動によって、窓の外では常に眠ることのない街並みが現れる。全体的に寒冷色のネオンを浮かべるセクター7の街並みが、モノレールの上昇とともに遠ざかっていく。とはいえ、しばらくはこの景色を眺めることになるのだが。


 反対側のガラス窓に反射する自分が、俺をぼんやりと光のない目で眺めている。


 後ろへと流されていくホログラム広告がときおりこの車両の内部にまで光を浴びせてきては、そのたびに光の消えた目がそれをぼんやりと反射する。『義手、義足なら、D.テック社にお任せ!』『脳内インプラントは月庵子会社のアステルクリニックへ!』と、まるで誰かを嘲笑するようにして自己主張を繰り返している。


「ぅ、ぐっ……」


 そのとき、肘から先に取り付けた偽物の左腕が、脳髄に響くほどの激痛を生んだ。

 俺は思わず膝に顔を埋めて、左腕を抱え込んだ。

 腕を切断されたときの光景がフラッシュバックする。呼吸が浅くなり、喘ぐようにして息を荒くする。泣きたくなるほど痛いのに、涙は枯れているとばかりに乾いており、嗚咽ばかりを漏らしてしまう。


 しばらくうずくまっていると、痛みは波打つようにして引いていき、やがて消えていった。

 また戻ってくると言わんばかりに。


 疲労が溜まっていたのだろう。やがては車外のネオンも、モザイクをかけられたようにしてぼんやりとした抽象画のようにしか認識できなくなる。


「…………」


 俺は上体をゆっくりと起こすと、再び背もたれに腰を深く埋めた。

 ポケットに手を突っ込み、そんな世界から身を縮こませるようにして、ズルズルと座っていた車両の座席にもたれかかっていく。

 深く、深く、姿勢が崩れていく度に、世界から逸脱していく感覚に溺れていく。

 やがて、首の後ろに付いていたフードがパサリと音を立てて、俺の視界を奪い去った。



 中層で住む場所を探し、信用できるショップを見つけるまで、さらに一週間ほどを必要とした。フードの男に渡されたものを探しに行ったのは、ちょうどクリスマス当日の早朝だった。

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