第38話 白髪の少女


「――はあっ、はあっ、はあっ」


 いつからだろう。この世界には偽物の光しかないことを知った。


 研究所。いや、その一言では表せないほどの広い空間、どこまでも同じような殺菌された通路が伸びる白い区画を、白髪の少女は涙を流しながら走っていた。

 少女に左腕はなく、右脚には爆発に巻き込まれたせいかガラス片が刺さっており、とめどなく血が出ている。その足を引きずるようにして走っている。もっとも、そこから漏れ出しているのは赤い色をした血ではなく、藍色をした液体なのだが。


 人工血液。


 それが、外気に含まれる酸素に触れたことで変色を始めたのだ。

 理屈では分かっている。それでも――


「――――はは。…………わたし、本当に人間じゃないんだ」


 自分の体を見て、呆れのような、諦念のような、そんな言葉に表せない気持ちが胸の中で、ぐるぐると暴れまわる。それが自分でも分からない内に溢れ、気が付けば口から漏れだしていた。


 研究所のほとんどが爆発の黒煙で燻されており、そのなかで通路を赤いランプがときおり点滅している。少女がぺたぺたと素足で走るたびに、傷の損傷はさらに増していき、藍色の足跡ができる。当然、服など着ていなかった。


 痛覚遮断パッチが破損しているのか、システムをときおり貫通する痛みに、少女は唇を噛んだ。


 みんな、上っ面の親切心を張りつけただけの怪物に過ぎないのだ。自分を犠牲にしてでも誰かを助けようとする人なんていないし、そんな人は仮想現実で学んだ道徳の授業とやらでしか示唆されない架空の人物像だった。結局は、自分のことしか考えられない人たちばかり。大嫌いだった。


 いつまでも鳴り響くサイレンが人工鼓膜の奥で反響し、疲労からか、壁に寄りかかろうとして転びかけてしまう。


「…………」


 歯を食いしばりながらも、少女はがくがくと震える脚を抑え、壁に半ば寄りかかりながらも先へと進む。少女の生まれたての小鹿のような脚は、義体を成熟させるためのバイオカプセルから、半ば成長途中で強制的に産出されたせいもあってなのだろう。


《バイオカプセル》


 ふと頭に浮かんだそのワードが、ほとんど消えかかっていた記憶の一部を呼び起こす。


 そうだ、たしかアンドロイドの自己認識から来る身体イメージと、実際の身体を動かす際の義体との齟齬を最大限無くすために開発されたものだと、先生は言っていた気がする。義体を培養液に漬けておくことで、人工知能の精神年齢と同じ速度で人工筋肉や骨格が育ち、できるだけ人格と義体との親和性を高くするのだとか何とか。


 少女は歩くのが辛くなったのか立ち止まった。

 ふと、鏡面のように磨かれた通路の壁に反射する自分の顔に気がついて、それが毎日鏡で見ていたものとまったく同じことに泣きだしたくなった。


 そのとき、再びこの研究所のどこかで爆発が起きたのか、足元から凄まじい振動がびりびりと伝わってくる。少女は耐えられず、思わずその場で転んでしまう。さきほど起きた爆発の原因は分からないが、何かイレギュラーな事態が起こったに違いない。


 そのおかげでカプセルから出られたのはいいものの、どこに行けばいいのかまるで分からない。



「どこに、いけば――」



 少女の呟きに答える者はいなかった。


 ペタペタとどこまでも冷たく無機質な床の上を、藍い血痕を残しながら歩いていく。


 すると、やがて研究所にある別の実験室にたどり着いた。【LAB.09】と書かれた扉の前に立つと、自動で左右へとスライドして開く。部屋には薬液の無機質な臭いが籠っており、少女は中に入るとあまりの薄暗さに、何度か瞬きをした。


 実験室。それもぼんやりとしたバイオカプセルの緑色の光が、実験室全体に広がっている。白髪の少女は痛む体を何とか動かして歩いていき、光源の正体に気がつくや否や苦悶の表情を浮かべた。


 そこには、少女と同じような少女たちが培養液で満たされたバイオカプセルに入り、それが何列にも並んでいる光景があった。見知った顔も何人かカプセルにいるそれを見て、白髪の少女は絶望した。それは紛れもなく、自分が生きてきた世界が嘘だと確定してしまった光景だったから。


 少女は現実を受け止めきれず、その場でぺたんと地面に座り込んでしまう。


 だが、次の瞬間、少女の人工鼓膜が複数の足音を聞き取った。


「――――ッ」


 入ってきた扉の向こうから、何人かの足音が近づいてくる。きっと、少女の血痕を辿って追ってきたのだろう。慌てて隠れようにもあたりにはバイオカプセルしかなく、走れないこの足では逃げ切ることもできないだろう。

 そもそも月庵の上階で常駐する警備員の装備は、部屋のなかで隠れている人間をひとりくらい見つけることなど造作もないはずだ。体温、気配、ソナー、第六感、見つける方法などいくらでもある。


(…………っ、どうすれば――)


 よろけながらも立ち上がり、少女は後ずさりして、近くにあった壁に背中を押し付けようとした。それが間違いだった。


「…………、あっ――――」


 迂闊だった。

 まさかこんな場所にダスト・シュートがあるなんて、思いもしなかった。


 そのせいか、体を支えようとした右腕からずぷんと体が入り込み、底の見えないダスト・シュートへと上半身から逆さまに飲み込まれていく。抵抗しようとするも、すでに義体に力は入らず、少女はあっけなく真っ暗闇の空間で落下をはじめた。



 ――誰か、たす――



 途中までは狭い管のようなそれも、ある程度落ちると広い空間へと出るのだった。


 耳元で冷たい風が音を立て、臓器が浮いている感覚がする。

 頭から逆さに落下しているせいか、平衡感覚がまるで分からない。


 長い落下の末に、少女は自動車にはねられたようにしてどこかへとぶつかってしまう。体の中で何かが折れる音とともに少女は意識を失うのだった。機械少女は乱雑に捨てられたごみのようにダスト・シュートを通っていき、やがて下層のさらに深部へと落ちていくのだった。



          ***



 ゴウンゴウン、と何かが振動する音が聞こえる。それに、水の流れる音と大勢の人が何かを作業する声だけが、ぼんやりとした意識のなかで響き合っていた。


「…………」


 痛みはない。

 体は動かない。


 なぜ、死んでいないのか。

 どうして、まだ息があるのか。


 それを考えることすらできず、少女は壊れた機械のようにしてゴミ山へと吐き捨てられた。上から降ってくる生ごみやプラごみを浴びながら、それをどけるだけの力も残ってはおらず、ただひたすらに仰向けに得体のしれない汁を浴び続けた。


 ふと、ゴミ山に登ってくる足音がふたつ聞こえた。


 まるで登山でもするようにして、そのふたつの足音はざくざくとゴミ山に足を突っ込んでは、こちらへと近づいてくる。ふいに、少女の存在に気がついたらしい二人組の男は、手に持っていたスコップで山の一部を崩し始める。


『おっ、久々のアンドロイドか。……って、うわっ、なんじゃこりゃ!? こんな損傷のヒデェ機体初めて見たぞ。いったい、どんな高さから落ちてきたんだよ……』


 二人の男のうちひとりは、なにやらネコのメットをかぶった男だった。もうひとりはウサギのメットをかぶっており、そちらは随分と古ぼけた銃火器を持っているらしい。


『うっわ、こいつ四肢もほとんどもげて、使い物にならねーじゃねえか。人工臓器もぐっちゃぐちゃだし……、しかも脳核が飛び出てるしよォ』

『ほんとだね。……こんな酷いのはボクも見たことがない。だいたい中層のロリコン野郎向けの玩具に見えるけど』


 近くには、少女と同じような男女の人形がいくつか転がっている。

 ネコのメットをかぶった男がスコップでゴミ山を掘り返し、少女を引きずり出してはその損傷度合いの深刻さにため息を漏らす。それに対して、ウサギのメットをかぶった男が頭を左右に振った。


『どうする。このまま埋めとくか?』


 ネコ男の提案に対して、ウサギ男はすこし考える素振りをした後、頭をぽりぽりとかいた。


『いいや、今日の飯台くらいにはなるかもしれないだろ。この前の爆発事故で、うちも相当に都市から睨まれてるんだ。一応、中古ショップに売りに行くだけいってみよう。もう腹が減ったよ』

『……そうだな。仕方ねえか』


 あたりには赤錆でまみれたゴミ集積場や、腐臭を漂わせる下水場が広がっている。少女は身動きすらできずに、ネコとウサギのメットをかぶった男たちに担がれると、そのままどこかへと連れていかれるのだった。

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