第36話 抗争③
下層、セクター4、中心部。
薄暗いネオンの歓楽街にて――。
爆発の影響か、破損した天井の排水スプリンクラーから雨が降ってきている。濡れたアスファルトの路地で、俺は傘すらささずに遠くでクラクションの鳴る下層を歩きながら、フードだけをかぶった男の後をついていく。
街には非常用電源が使われているのか、最低限の照明のみが灯っており、雨のせいもあってかほんのりと藍色のような薄暗さで満ちている。
遠くでは民間の消防団が、天井の爆発箇所を修理するために空路でサイレンを鳴らしながら、消防車のような反重力緊急車両(オートモービル)を飛行させている。爆発の起こった現場に急行しているらしく、時折、ちらりとビル群の間に顔を出しては見えなくなる。
下層の天井が完全に崩落することはなかった。
街中の小さなジャンクショップの店前で山積みにされたボックス型テレビが、さっきの爆発についての緊急報道を一斉に放送している。それによると、せいぜいが下層の天井の一部に穴を開けた程度で、中層の基盤にまでは到達していない中規模のものだったらしい。
「なあ、知ってるか」
そのとき、店前でたむろしていた傭兵崩れの男が、向かいの故障したテレビに腰かける男へと話しかけた。二人ともタバコか何かを吸っているらしい。
「さっきの爆発事故、上層でも同じものがあったらしいぞ」
「へェ」
「上層に住むやつらのリークによると、あの、月庵の本社ビルから爆発が起こったんだと。まさか、本格的に下層解放ゲリラが動きだしたんじゃねーかって、もっぱらの噂になってる。なあ、これ、よく見てみろよ!」
「へェ……」
「だめだこりゃ、トリップしてら……」
街に行き交うやつらの噂によると、上層のどこかの区画でも爆発があったようだが、露骨な報道管制が敷かれているようで真偽は定かではない。どちらにせよ、都市や企業への危害を加えることは大罪だ。いまごろNMM都市政府は、どこのバカな地下組織がやったことなんだと血眼に探し出しているころだろう。
もっとも、その犯人は都市転覆を目論む下層解放ゲリラでも、どこぞの麻薬カルテルでもなく、目の前を颯爽と歩いていくフードの男なのだが。
通行人たちは無色透明なビニール傘をさして行き交っている。
それは酸性の濃度が上がったこの時代の雨が、あらゆる機械や装置にダメージを与えるからなのだろう。義体者やアンドロイドは例外なく、無色透明な傘をさして歩いていた。
すぐ横の車道を赤いテールランプが尾を引きながら、アスファルトに染みた雨をタイヤで轢いて去っていく。その音を聞きながらしばらく歩いていると、フードの男はようやく路地へと入り、しゃがんで何かの操作をやりはじめるのだった。
「何やってんだ?」
フード男がかぶったままのフードの中から何かの配線を取り出すと、おもむろに近くのパネルへと端子を繋げた。男のドレッドヘアの一部はクラッキング用の配線となっているらしい。不思議そうに眺めていると、男は顔を上げてこちらを向いた。
『ああ、これか? 電子世界に意識をダイブさせてるのサ。オレッちの腕さえあれば、そこいらの政治屋が電脳世界で不倫してる現場を激写するどころか、大企業でインサイダー取引をやりまくってる金の動きなんかもぜ~んぶ追えル。要はクラッキングしているのサ』
俺は驚愕した。
だが、こんな街中にあるパネルひとつに接続するだけで、どうやって大企業のサーバーにアクセスするというのか。この際、気になった俺は聞いてみることにした。
「だけど、よくそんな道端のパネルから……」
『ただのパネルじゃねえヨ、よく見てみな』
【三時間八千円、今なら三十%OFF!】
そんな謳い文句に、煽情的なポーズをする女性が電子パネルには映っていた。
その脇に書いてあるテキストをゆっくりと読み上げる。
「ヴァーチャル、風俗店……?」
『ああ、それも一部の政治屋御用達、VIP席だってある高級風俗店だ。当然、ネット回線も政治家たちの息がかかったものでな。ここと、もうひとつセクター1の「春庭(シュンテイ)」って高級料亭がいつも回線が安定してる。他にもあるんだろうけどな』
快楽のあり方にも時代の流れというものがあるらしい。
「危なくないのか。腐っても相手は企業(コーポ)なのに、そんな……」
『オレッちでなきゃ速攻で「異物排除システム」に見つかって、最悪そのまま意識を異物として虚空に捨てられるだろうな』
だが、ここは中心部とはいえ下層のスラム街だ。
あたりには生ごみや汚水の詰まった排水溝、腐臭の漂う場所に、上層からわざわざ来る物好きなどいるはずもない。そう思っていたのだが。
「上層の都市政府の人間が、こんな場所に来るのか……」
『……けっこう人気らしいぞ。よほど不倫がバレたくないんだろ。上層の連中は、いつも下層に来ては欲望やらゴミやらを吐き捨てていく。都合のいいゴミの掃き溜めなんだよ、このゲロ臭いスラムの街はさ。最後には臭い物には蓋をと、何もなかったようにして上層へと帰っていく』
そのとき、近くの店の裏口扉が、バァン! 乱雑に開き、一人の女性が目の下にクマのある状態で出てきた。店内のクラブ特有のBGMが漏れ、扉が閉まるのと同時にふっと聞こえなくなる。
やけに肌が光沢を帯びている女性は、ライブ会場にでもいたのか髪の毛を蛍光色に光らせており、体の至る所に埋め込まれたデジタルタトゥーは煌々と光を放っている。
裏手には洗面台が雨にさらされた状態で置かれており、女性はひび割れた鏡に向かってなにか作業を始めるのだった。
「…………」
すると、その女性はおもむろに懐からスプレーを一缶取り出して、薬でキマるようにして自分の口の中にぶっかけた。いや、歯に塗っているのか。どちらにせよ、清涼剤のミントのような強烈な臭いが蔓延し、彼女の髪の色が緑から紫へと変化する。
女性はまぶたの裏や舌に苔がついていないかを鏡で確認し、何度か痰を吐き捨てると、ようやくそれを観察していた俺たちに気がついたようだった。
まさか、通報でもされるんじゃないだろうか。
そんなことを考えてしまうも、女性はちらりとこちらを一瞥しただけで颯爽と店内へと戻っていった。
『ありゃ、脳内麻薬の分泌量を増減させることで、性格を客ごとの好みに変えるスプレーだな。あんなアダルトグッズでも、どっかの企業のちゃんとした製品だったはずだ』
「だけど、ただのセッ……性行為に勤しむために、こんな……」
俺は言いかけた単語をやんわりとしたものへと変換しながら、フードの男へと話しかけた。それに対して、フードの男は鼻で笑うようにして電脳世界にダイブしたまま返答をするのだった。
『ハッ……、ただの、じゃねえヨ。脳に直接注入する暴走ナノマシンや、電子ドラッグ「レモネイド」を遥かに凌ぐほどの快楽がこの下層にはあるからな。『魂の共接続』ってやつだ。噂だと、意識の同化とやらが飛ぶほど気持ちいんだとか』
「タマシイ……」
『ま、ただの揶揄ダ。オレッチにもあいつらの考えることは理解できねーよ。そもそも、この世界に魂なんてものは存在しないシ、あったとしても冒涜や商品化の対象にしかならねェダローナ。そもそも、今の女はアンドロイドだ』
俺がカタコトになりながらも発した単語を、フード男は半笑いで否定した。
そのあいだも電子世界にダイブしているらしい男は、夢遊病患者が夢の中で何かをいじるようにして両手を何もない空間で動かしている。
「だが、仮に客の相手をするのがアンドロイドだったとしても、その、さすがに嫌だろう」
『あのな、例えばお前が動物園に行ったとする。水族館でもいい。檻の中にいるライオンやカバ、水槽の中にいるペンギンがお前に話しかけてきたとする。――どうする?』
「どうするったって……」
『義体者とアンドロイドの最大の違いはその出自ダ。要は生物学的な種が絶対的に違ウ。お前はカバやペンギンのオスに求愛されたとして、奴らのルックスや性格の違いを判別デキルカ? いーや、デキナイ。たとえ、僕らとアンドロイド嬢がチンパンジーと人間くらいの違いだとしてモ、彼女たちには僕らの求愛行動を理解することはない。その逆もまた然(しか)りだ。臭いとかも嗅覚を絞れば問題ないしな』
排水溝が詰まっているのか、路上にたまった雨水が渦を巻いている。
フード男の言っていることがまるで理解できなかった俺は、そのまま口元をひん曲げながらも、渋々といった風にうなずいた。
頭上ではいまだ人工の雨が降ってきており、俺たちは路地の壁へと寄りかかりながら話している。俺は雨の勢いが強くなったのを感じると、機械仕掛けの男と同じくジャケットのフードをかぶるのだった。
『ま、どっちにせよ、弱小な脳内インプラントだけの今のオマエには無理な話ダ。電脳世界にダイブしたいならタンパク質の脳みそじゃなくて、最低でもN(ノット).H(ホット).N(ノイズ)社の電脳くらいは用意しないとな。そうじゃないと、最悪――、……おっと、目標の存在を確認した。バイオカプセルのパージを申請っと』
馬鹿にするような口調で軽く罵りながらも、フード男の何かの操作とやらは終わったらしい。
フードの男はクラッキング用の端子をしまうと、接続したことを表すかのようにして、エロい広告パネルにすこしだけノイズが走った。
男は立ち上がり、薄暗い路地でこちらを向く。
『記憶は移植できるし、人格は乗っ取れる。ま、そうだな……、オマエにはまだまだ――』
フード男が下から覗き込むようにしてこちらの顔を見上げ、そして、男は固まった。
『いや、そうか。
「……え……」
何かぶつくさと独り言を漏らすフード男を前に、俺は思わず眉をひそめる。
『……ああ、こっちの話だ。なんでもないよ』
そのとき――大通りで酒の飲みすぎか、電子ドラッグのやりすぎか――ひとりの大男が排水溝近くでうずくまって、思いっきり嘔吐し始めた。どこか酸っぱいような臭いがこちらまで漂ってきて、俺は思わず鼻をつまんで顔を背けた。
火傷とまでは言わないが、雨が肌に染みる感覚がする。
そろそろ宿舎でシャワーでも浴びたくなってきた。
『ああ、そうそう……』
「…………」
フード男はそう言うと、何が面白いのか、笑い声を漏らしながらこっちを見てくる。
『ちなみにな、さっきの倉庫でオレッちがお前を援護しなかったのは、ちと視界に邪魔な広告が蔓延っていたからでな。……分かるだろ? ネットに接続していると無駄な広告が出るやつ。あのちっせぇバツボタンを押すのに手間取ってな。ま、正直言えば、お前を援護することもできた。やらなかったのは、ちっとばかし面白そうだったからだ』
「この野郎――!」
それを聞いた俺は思わずフード野郎に殴りかかるが、そいつは軽々と背後にあった電柱の上にまで跳躍してしまう。そして、そのままケタケタと嗤いながら不安定な足場でしゃがみ、俺を見下ろしてこう言った。
『もしオレッちが死んでいたら、この都市はヤバいことになっていたからな。そこはお互い様ってことだ。……ま、よろしく頼むよ』
そのとき、どこかからか真っ白なフクロウが飛んできては、フード男の肩へととまった。
フード男は持っていた記録媒体のようなものをフクロウの嘴に差し込むと、コピーでもしたのか取り出してはまじまじとそれを眺めている。
『そうだな、パージしたやつのうち最後のやつくらいは影響もないか。……報酬として、この情報をオマエにやる。間違っても売ったり、安易にヒトに喋ったりするんじゃねえぞ』
最初こそぼそぼそと何かを呟いていたフード野郎は、俺に向けて何かを投げつけてくる。それを難なくキャッチすると、それの正体を見て疑問に陥った。
「USBメモリー? おい、何でこんな古い情報媒体なんか――」
そこまで言いかけて上を見るも、既にそこにはフード野郎の姿はなかった。
あたりにはしんしんと酸性雨だけが降っており、人通りもほとんどない街には藍色のフィルムがかかったようにして薄暗い。
「なんだったんだ、あいつ……」
俺はそう呟きながら、投げ渡されたメモリー媒体を見下ろすのだった。
***
「何だろうな……、これ」
俺は宿舎のベットで仰向けになったまま、やけに古い型の記録媒体を裏表とひっくり返しては、天井の照明にかざして観察していた。古いとはいっても俺が生まれた時代よりかは、相当、先の技術で作られたものなのだろうが。
すでにシャワーを浴びたおかげか、体から硝煙や焦げた臭いはしない。濡れたタオルを肩にかけながら、俺はラフな格好のままベットで横になっていた。左腕の切断部には新しい包帯が巻かれており、すでに医療用ナノマシンでほとんど血は出ていない。
部屋は片づけるのがめんどくさいとばかりに、この施設に入ったときとは比べ物にならないほど散らかっている。飲みかけのペットボトル、洗ってない衣服に、ビニール袋、工具にガタクタ同然のガジェットが散乱していた。
「…………」
考えても仕方がないとばかりにため息をつくと、俺はダクト型のエアコンの稼働するノイズを聞きながら寝返りをうった。それにしても、ずいぶんと静かだ。まるで俺の他には誰も、この宿舎を使っていないのか気配のひとつも感じない。
時刻はすでに零時を回って消灯の時間だが、それでも、いつもなら夜行性のやつらは廊下を駆けまわっているはずだ。試験も終わり、あとはこの施設を卒業するだけだというのに、なぜ――
「――そっか。あいつらはもう、いないんだったな」
俺は思い出したように、ぽつりと呟いた。
別に悲しくないわけじゃない。
ただ、疲れすぎているせいで、涙が枯れているだけだ。
彼らを忘れてしまったわけじゃない。自分は薄情なやつなんかでもない。
「……よっと」
ベットの弾力性を利用して立ち上がると、俺はテーブルの上に乱雑に放置したジャケットを掴み、逆さにして上下に軽く振った。ポケットからはみ出ていた義手がテーブルに落下し、雑な扱い方をしたせいか金属フレームの一部が欠ける。
俺はジャケットに入れた義手があったことに安堵すると、それを右手で持ち上げながら、その重さに驚いた。金属製ということもあってか、ぷらんと手首に力の入っていない義手は結構な重さだった。
もとの前腕も、このくらいの重さだったのかな。
そんなことを考えていると、じんわりと左腕が熱くなるのを感じた。……いや、左腕はない。それなのに、その熱は左腕の切断部から、際限なく皮膚と神経を焼いていき――
「――――っ」
直後、俺は腕を切断されたときと同じレベルの痛みに、水面に顔を押し付けられたようにして息ができなくなった。まぶたの裏であのときの光景がフラッシュし、呼吸ができないとばかりにスキマ風のような音が喉元で鳴っている。
俺は慌ててシンク台へと駆け込むと、PTPシートに入った鎮痛剤を押し出して、錠剤の形のそれを飲み込んだ。下層の水道管は腐っているため、飲み水としては使えない。そのため、シンク台の近くに山積みにされたペットボトルを開けると、中身の水を俺は喘ぐようにして飲み干した。
鎮痛剤がすぐに効くことはないはずなのだが、それでもプラシーボ効果のおかげか痛みは驚くほどいっきに消えていく。俺はよろよろとした足取りでベットへと向かうと、再び、鉛のように重たくなった体をボスンと投げ捨てるのだった。
「なんか……、もう、疲れたな……」
うつ伏せで寝そべりながら、俺は枕に顔をうずめるようにして体を脱力させる。
今日はとにかく色々なことがあったせいで、心の整理が追いついていない。
そのせいか、体が信じられないほど重い。心もどんよりと沈みはじめた気がする。
俺は近くにあったリモコンで照明を消すと、仰向けになるように寝返りをうち、目に右腕をかぶせながら襲ってきた睡魔に身をゆだねていく。
「…………、……寝るか……」
そう呟くと、意外にも意識はあっさりと沈んでいく。この痛みは、明日になればキレイさっぱり消えているはずだ。そう考えているころには、俺は久しぶりにカーテン越しにネオンが差し込まない薄暗い部屋で、眠りへとついているのだった。
夢は見なかった。
見る余力さえなかったのだろう。
次の日の早朝、俺は不眠症の体に鞭打ってディールのいる医院へと向かった。
むろん、このボロい義手をつけてもらうためである。
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