第5話 はじめまして

第35話 抗争②


 夜が訪れる前の夕暮れどきに、その爆発は起こった。


 各セクターごとの天井で発生した八つもの爆発は、下層全域に雷鳴のような音と衝撃波を轟かせ、歩いていた者たちの目線を上へと向けさせた。電気系統の一部が死んだのか、下層からネオンの光が消えていく。


 ――大停電ブラックアウト


 ガス管に引火したことによる爆発が黒煙を孕みながらダマになり、やがてガラスの割れるような音とともに、そのなかから何百、何千トンという金属の塊が下層の街へと降り注ぎはじめる。

 それが下層の天井に張り巡らされた配管や設備の一部が落ちてきたのだと気づくまでに、スラムの住人たちは幾ばくかの時間を要した。それもそのはず、ここ建設二百年で起こった落下事故などせいぜいが鉄パイプ数本や足場のいくつかで、天井が崩落するなど経験したこともなかったからだ。


 爆発はさらに何かを誘爆させ、その規模はしだいに大きくなっていく。


 その炎をまとった金属の塊が落ちてくるのを見て、ようやく通行人たちは事態を察したようだった。悲鳴をあげる者、逃げ惑う者、爆発をカメラに記録する者、察したうえでその場から動けない者。そしてその阿鼻叫喚の様子は、すぐにクロノたちのいるセクター4の倉庫区画にも伝わっていくのだった。



            ***



「な、なんだァ――!?」


 地面の振動に耐え切れず、転倒したスカベンジャーの間の抜けた声が倉庫に響き渡る。

 どこかからか人々の悲鳴が聞こえきては、爆発音が街の至る所から連続して聞こえてくる。


 巨大な重量の何かが地面に激突するような地響きに、思わず座っていたケツにビリビリと電気が走るような感覚が走る。どう考えても、隣にいるフードをかぶった男が押したスイッチが原因なのだが、いまはここから脱出することを先に考えなければならない。


 爆発のおかげか弾幕はなくなっている。


 スカベンジャーどもは足をとられたせいか、しきりに騒々しく喚いている。だが、支配下におかれたオペラキャットたちはそんな彼らに構うことなく、こちらをじっと見据えてはよだれを垂らしていた。手綱を離されれば、一目散に俺たちを捕食しようとするのは目に見えている。


 手元にはたった一丁の拳銃が握られており、撃鉄の下に埋め込まれた小さなデジタルモニターが、「3」という数字をチカチカと淡く点滅させていることに気がついた。これは残弾数だ。ということは、あと撃てるのは三回のみ。予備のマガジンはない。



 そのときだった。



 暴食に耐えかねたのか、オペラキャットの一匹が『ヴァヴン!』とよだれをまき散らして手綱を持つスカベンジャーを押し倒し、反転してこちらに突進してくる。


「あっ、コラ、待て――」


 スカベンジャーも反応できなかったのか驚いて手綱を離してしまったらしい。他のオペラキャット二体もこちらへと飛びかかってくる。俺は弾幕が張られていないことを確認すると立ち上がり、こちらに来るうちの一体へと照準を合わせる。


 どちらにせよ、オペラキャットを拳銃で仕留めることはできない。

 この程度の火力では、到底チルドレンの持つ天然の装甲には太刀打ちできないからだ。


 となれば、狙うはコアのある心臓部ではなく、やつの四つあるうちの内側二つの眼球を正確に狙う必要がある。二つの眼球は頑丈な頭蓋骨が守る脳と繋がる唯一の弱点だ。だが、その弱点はVRゴーグルのような洗脳装置で隠れている。


 そもそも膝の震えるほどのパニック状態で、支えのない片腕だけで、俊敏に動く小さな的に当たるかどうか――


 俺は深く、深く息を吸うと、賽を振るようにして歯を喰いしばった。



 ――ガァン、ガァン!!



 閉鎖された空間のせいか、倉庫全体にいつもとはすこし違う響き方をする銃声が二発鳴り、そのうちの一発がこちらに飛びかかってくるオペラキャット一匹のゴーグルへと直撃する。すると、金属製だと思っていたゴーグルがプラスチックのように粉々に破損し、その破片がオペラキャットの眼球へと突き刺さった。


 目を潰されたオペラキャットは『グァウ!?』と虎のような呻き声をしながら、悶絶するようにして地面へと転がり込んだ。しばらくはこちらに襲いかかってくることはないだろう。

 残り、二体――


「ぐッ――――」


 だが、さすがチルドレンといったところか、いっきに他の二体のうち一体が距離を詰めてきては、俺の頸動脈を噛みちぎろうと飛びかかってくる。反応が遅れた俺は数百キロある体重になすすべもなく飛びつかれ、地面へと勢いよく押し倒された。馬乗りにされながらも、オペラキャットの臭く生温い息が首筋にかかる。

 俺は噛みつかれる前に、すぐさまオペラキャットのVRゴーグルの中へと銃口を押し込むと、最後の銃弾を穿つべくトリガーを引き絞った。



 ――ゴォン!



 どうやら今度は銃弾がきれいに脳へと到達したらしく、先ほどよりもすこし籠った銃声と同時に、オペラキャットは力が抜けるようにして俺にのしかかりながら脱力した。

 脳に損傷を与えることは単に眼球を破損するよりも、かなり回復に時間がかけることができる。


 とはいえ、もう弾はない。


 悶絶する最初の一体目もかなり回復してきているようで、獲物はどこかと視力の戻らない体を動かしている。そして何より、フードの男へと襲いかかったと思っていた最後の一体が、なぜかフード男の臭いを鼻をひくつかせながら嗅ぐと、興味をなくしたようにしてこちらに狙いを移したのだ。


 俺は三体目のオペラキャットと相対しながらも、微かに勝率の残る格闘戦に移行しようと何とか立ち上がろうとする。


 だが、抜け出せない。


 数百キロの躯体がまんべんなく俺の体の上に乗っているせいか、強化服で持ち上げようとしてもビクともしない。両腕ならばまだしも、いまの俺には片腕しか残っていない。フード男は俺を見殺しにでもする気なのか、体育座りでうずくまったまま動かない。


 精神が限界まで削られているせいか、どこかからかノイズが聞こえはじめる。

 同時に、頭痛がさらに酷くなっていく。鼻腔には倉庫の埃臭さがこびりつき、鼓膜に針でもぶっ刺してひっかいているのかと疑うほどのノイズは、しだいに頭に金槌で殴りつけてくるような痛みへと変わる。



 ――死ぬ。



 ああ、ここまでなのか。

 俺はゆっくりと飛びかかってくる最後のオペラキャットを見ながら、そう思った。


 不思議と怖い、などと思うことはなかった。

 むしろ、あいつらを同じ場所へ行けるのならそれでもいいやと、そんな考えばかりが頭の中を支配していた。だが、そんな想いに反するようにして、頭の中のノイズはどこまでも大きくなっていき――




【■■■■■■、□□□□――】




『失せろ、畜生風情が――』



 自分の声のはずなのに、誰かの声とハウリングしている。

 もはや自分のものではない何人もの声でそう吐き捨てながら、俺は藍く染まった視界のなかでオペラキャットに向かって眼光を向けた。


 変化はすぐに訪れた。


 あれだけよだれをまき散らしながら襲いかかってきたオペラキャットが、いきなり怯えた様子で俺から飛び退いたのだ。ゴーグルで三匹目の目こそ見えないものの、そいつが警戒していることは誰が見ても明らかだった。


 俺はノイズの走る頭で、てっきりフード男が援護してくれたものだとばかり思っていた。

 だが、そのときフード男がこちらに顔を向け、相当に動揺したのか体をびくりと震わせた。

 その拍子にフードがぱさりと外れ、男の顔が露わになる。

 いや、この場合は機械がと言った方が正しいのか。


 フード男は人間ではなかった。


 配線をドレッドヘアのように結わいながら、ブラウン管テレビのような頭部をこちらに向け、モニター部分には驚いた表情の絵文字の顔が映っている。男はしきりに何かを見つけてしまったような動揺した様子で、絵文字の目を見開きながらぼそりと呟くのだった。



『オマエ……、アオか……」



 息を呑むような機械音声の後、フード男は何やら意味の分からないことを呟いた。


『いや、まだ浅い。……そうか、ナノマシンだけだから、色が淡いのか』


 フード男はぶつぶつと独り言を漏らし続けている。

 そうこうしているうちに、オペラキャットは渋々といった具合にさらに後ろへと退くと、やがて倉庫から逃げるようにして去っていくのだった。俺は訳も分からず、ひたすらに頭痛が収まるのを待っていた。だが――


『お前に託すのも、悪くないカ』


 ボソリとフード野郎が呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。


「何を託すって?」


 このとき俺は、よくも何の援護もしてくれなかったなとキレる一歩手前の怒りが、ふつふつと湧きあがるのを感じていた。なんとか自分の上に乗っかる気絶したオペラキャットから這い出ると、一発ぶん殴ってやるとばかりにフード男へと駆け寄っていく。


「このやろう――ッ!!」


 自分がアトにやられたのと同じように右手をフルスイングしてしまうも、殴られたフードの男は弾かれた頭を戻しながら、けろりとした様子で再びこちらを向くのだった。逆に、俺の右手には生身のせいもあってか、ジィンと金属を殴ったような痛みが走る。


『何するんダ! この義体が壊れたらどうするんだ!』

「やかましい! なんで援護のひとつもせずにボサッと座り込んでるだけなんだよ! 何かできただろ!」


 だが、フード男はスカベンジャーの方を指さすと、抗議の声を上げた。


『別にサボっていたわけじゃねーゾ! よく見てみろ!!』


 そのとき、スカベンジャーのひとりが頭を抱え込み、喉元を抑えるようにして倒れ込んだ。


「……ぁ……、ぐ、がァ……」

「……グぉ……、え……」


 まるで何かに感染でもするようにして苦しむ症状は、すぐに他のスカベンジャーたちにも訪れたようだった。


『あいつらの五感をこの義体の性能だけでクラッキングしてたんだ! べつに寝てたわけでも、サボってたわけでもねーよ!!』


 なら、あいつらが全員倒れた隙にここから脱出できるのでは。

 そんなことを考えていると――



「イマのは、さすがにキマッタアアアァァ!!」

「うっひょォォ!! これだよこれェ、たまんねェなァァ!!」



 そんな希望も虚しく、スカベンジャーたちは泡を口から滴らせながらも再び立ち上がり、こちらへと銃撃を再開させるのだった。薬物投与による一時的な興奮状態が、彼らを行動不能状態から復帰させているのだろう。俺は閉鎖空間で鳴り響く発砲の轟音に、せめてもの仕返しだとばかりに叫び声をあげた。


「なにも状況、変わってねーじゃんかァ!!」


 弾丸が飛んでくる方向を睨みながら、ひたすらに姿勢を低くして弾幕の嵐が去るのを待つ。

 弾がすでに切れているのだ。撃ち返したくとも撃ち返せない。


 その時、少し様子を窺っていたせいか顔のすぐ横の空間を、銃弾がピュウッと裂いていき、背後の施錠された重厚な開閉扉にクレーターを穿った。そのあまりの威力に体が震え上がる。


『いい加減にしろテメエ! 早く撃ち返さねえとオイラまで死んじまうよ!!』

「いい加減にしろはこっちのセリフだ、ボケッ! たかが視界をハックしただけじゃねーか!! そもそも、なんでオメーはあんな連中に喧嘩売ってんだよ! しかも何で俺を巻き添えにするんだよ! 勝手に俺を巻き込むんじゃねえ!!」


 屋内のせいか耳が壊れるほどの爆音が辺りで響き渡る中、必死にフード野郎に聞こえるように叫び返す。スカベンジャーたちは薬中で泡をふいているにも関わらず、


『仕方ねえだろ! オイラだって何が何でも、この義体を五体満足のまま帰らないといけないンだからさァ!!』

「るっせえッ! そんなん誰でもそうだろ!!」


 俺は弾切れになったハンドガンをしまうと、気絶してぴくぴくと痙攣するオペラキャットの首根っこを掴んでは、なんとか障害物の方へと引っ張っていく。そして、オペラキャットの頭をなんとか持ち上げると、障害物から様子を伺う人間をイメージするようにして動かした。


 パアン、と銃弾の何発かが当たり、オペラキャットの脳漿がまき散らされる。


 これで一人殺ったと勘違いしてくれないかと画策するも、そもそも今の彼らに視力はないんだったと、俺はオペラキャットの頭を投げ捨てながらがくりと肩を落とした。

 しかし、オペラキャット一匹が復活するまでの時間稼ぎには成功した。

 後は、ここから脱出する方法だけなのだが――


『マズイ! 奴ら、新生物模倣シリーズの『蜘蛛(クモ)型強襲機』をこっちに出動させたらしイ! 今すぐここから離脱しないと、戦略兵器なんかと戦うハメになるゾ!!』


 唐突にフード男は耳を抑えながら、そんなことを喚いた。

 他にも仲間でもいるのだろうか。どちらにせよ、それが本当ならば間違いなく俺たちは一瞬でミンチにされてしまう。その光景が容易に想像できてしまい、俺は口元を限界まで引きつらせた。


 生物模倣シリーズとは、あの【三ツ橋重工】が新生物の生態から構造を擬似的に模倣した、兵器の中では最高級ブランドに位置する戦略兵器だ。そして《蜘蛛(クモ)型強襲機》と揶揄されたナンバーズは、たった一機でレベル3と渡り合えると噂になったあれしかない――。


「『タランチュラ』なんて、なんでそんなもん、たかがスカベンジャーが持ってるんだ!!」


 その瞬間、ドラム缶の上を飛翔する銃弾が、ゆっくりと流れていくのが見えた。

 空気を裂いているせいか、時間が停止寸前の状態のようにゆっくりと白い筋のようなものを引きながら、銃弾はやがて反対側へと去っていく。まだ、視界の藍さは抜けきっていない。



 ふいに、どこかからかちょろちょろと水の流れる音が聞こえた気がした。



 流れる、というよりかは漏れる、という表現の方が正しいのか。

 それと同時に、何やら鼻の奥にツンと詰まるような臭いが蔓延してきていることに気がついた。嗅覚を頼りに眼球を動かしていくと、やがてそれは倉庫の脇に放置されていた貯蔵タンクへと行きついた。

 スカベンジャーの銃弾のいくつかがタンクに穴を開け、そこから中の液体が漏れだしている。液体は倉庫の地面へと水たまりを作り――やがて手をこちらに伸ばすようにして――俺たちのいる方へと広がってくる。



 嫌な予感がした。



 放置された貯蔵タンクの中身が、ただの水ということはあるまい。

 となればガソリンか、それに類似する廃棄された液体燃料だろう。このツンと目に染みるようなキツイ臭いは、燃焼系の液体が揮発したときに出るもののはず。


(まさか、気化してるのか……)


 俺は冷や汗を垂れ流しながら、こちらへと近寄ってくる水たまりを見下ろした。


 どれだけ放置されてあったのかは知らないが、俺は左右に三つずつ置かれた貯蔵タンクの中身を想像しては、右手にじんわりと脂汗がにじんでいく。貯水塔のようなタンクの一部には、掠れかけの大きな文字で『G型□□□(燃)』や『中和剤』といったものが書かれている。


 そして不幸なことに倉庫の開閉扉は電動式らしく、操作パネルが――先の銃撃で破損せいか――遠目からでもショートして漏電しているのが分かった。

 パネルは火花を散らしており、液体は手を伸ばすようにして徐々にその方向へと向かっている。


「――――っ」


 まるで大量の爆薬の導火線が燃えているような光景に、俺は口をあんぐりと開けながら、再度慌てて倉庫内にぐるりと視線を向けた。倉庫には窓ひとつなく、脱出口はあいかわらずスカベンジャーの陣取る開閉扉しかない。


 ……いや、待て。もうひとつあったな。


 俺は正面の施錠された開閉扉へと目を向ける。

 バカみたいにスカベンジャーどもが撃った高威力の弾幕は、俺たちに当たる代わりにすべて反対側の施錠扉へと吸い込まれていった。そのせいか、施錠された開閉扉はすっかりクレーターまみれでべっこべこになっており、俺は生唾を飲み込みながら強化服の残りの出力を上げはじめる。



 これは、賭けだ。



 もし賭けに負ければ、そのときは銃弾で体を穴だらけにされたあと、肉片ひとつ残らずに爆発で吹き飛ぶだろう。だからこそ、俺は強化服の残りのエネルギーを右足に一点集中させると、腰をかがめながら右手を床に張り付けながら滑空の体勢をとった。


『何をする気だ――』

「いいから、俺が走り出したら死ぬ気でついてこい」


 フード男もまた事態を察したのか、腰をかがめた状態のまま火花の散る操作パネルの方と、施錠された開閉扉を交互に視線を向ける。

 そして、まるで陸上選手がクラウチングスタートをするような体勢のまま、俺はしきりにスカベンジャーどもの銃声を注意深く聞きはじめる。


 銃声はぜんぶで七つ。


 閉鎖空間での反響で聞こえづらいが、明らかにハンドガンを発砲している下っ端が一人に、SMGのような軽い銃声が二、三人、あとは軽機関銃をぶっ放すバカでかい銃声のやつが一人と、他はARの類だろう。


 マガジン交換の息継ぎも、彼らが訓練しているとは到底思えないし、五感を封じられているこの状態で仲間との連携がとれるはずもない。とはいえ、さすがに半狂乱状態だとしても流れ弾に当たる可能性はできるだけ避けたい。


(狙うは、なるべく多くのスカベンジャーが一斉にマガジン交換をしているとき――)


 俺は息を深く吸って、吐いた。

 脳が酸素を欲しているとばかりに、何度も深呼吸を繰り返す。


 スカベンジャーどもの銃撃によって、ベコベコになった開閉扉は扉こそ分厚く頑丈そうだが、金具部分はお世辞にも丈夫そうだとは思えない。なぜなら銃弾が扉に当たるたびに、かなり激しく前後に揺れていたからだ。

 だが、たったそれだけの判断材料で、弾幕の前に体を晒すのはリスクが見合わな――


「――――ッ!」


 そのとき、銃声の音量が下がり、弾幕が確実に薄くなったのを感じた。


(どのみち死ぬのなら、すこしでも希望のある方を選べ――!)


 俺はこの時を逃してたまるかと、スターターピストルが鳴らされたようにして上体を起こし、地面を蹴り飛ばして走りだした。いまだに脳内ではぐちゃぐちゃと理性が文句を垂れていたが、俺はそれを叱咤激励すると同時に施錠された開閉扉へと全力で走っていく。


 すぐ隣を、いくつもの銃弾がかすめていく。


 次の瞬間には、後頭部に銃弾が突き刺さるのではないか。脳漿をぶちまけて死んでしまうのではないか。そうでなくとも、また四肢のどれかが飛んでしまうのでは。

 そんな吐きそうなほどの恐怖が襲ってきながらも、俺はただひたすらに走り続けた。

 そして、よろけそうになりながらも何とか扉へとたどり着くと――


「――――ッッ!!」


 無音の気勢とともに、俺は全身全霊全体重を乗せて、強化服で限界まで筋肉をブーストした右足を勢いのままに突き出した。



 ――――ゴォン!!



 ライダーキックよろしく飛び蹴りを喰らった金属扉が、その衝撃を受け止めきれないとばかりに前後に激しく揺れる。


 だが、それだけだった。


 蹴った箇所をひしゃげさせ、ひときわ大きな衝突音を放っただけ。

 すぐ隣には操作パネルが壁についている。そこから、バチ、バチ、と断線した箇所から散る火花に、液体は這い寄るようにして近づいていく。この様子ではあと数十秒で確実に着火してしまうだろう。


(クソッ、もう時間がない――)


 俺が絶望した顔で諦めかけた、そのときだった。


『――――オラァッ!』


 俺の後ろをぴったりと追随してきていたらしいフードの男が、扉に向かって飛び蹴りをぶちかましたのだ。直後、ゴシャアッ――!! と、俺が蹴ったときとは比べ物にならないほどの威力でフード男は扉に片足を突き刺し、衝撃音を放った。


 フード男は宙で反転しながら地面へと着地すると――さすがに今度ばかりは耐え切れなかったのか――スロー再生のように開閉扉がゆっくりと傾いていき、やがて砂ぼこりをバフリと巻き上げながら倒れるのだった。


「まずッ――」


 ズズン、という重い音とともに倉庫街が姿を現すと、俺たちは急いで倉庫から出ようとがむしゃらに走り出した。俺たちの視界の端で、今にも燃料だまりに火花が落ちそうなのを捉えていたからだ。

 俺たちはすこしでも予測爆心地からの、銃弾の嵐にもまれながらも何とか足を動かしていく。


 スカベンジャーはまだ俺たちが倉庫内にいると思っているのか、視界が見えない代わりに弾幕をまんべんなく行き渡るようにして張っていた。そのせいで、両脇にある貯蔵タンクから大量の液体が銃痕からとめどなく漏れていき――



「走れ、走れ、走れ――――――ッッ!!!!」



 倉庫から飛び出し、そのまま路地に向かって走りだした。


 ――次の瞬間だった。


「――――ッ!!」


 耳をつんざくような爆音と共に、凄まじい衝撃波が俺たちの体を襲った。周囲の建物すべてのガラス窓が木端微塵に粉砕され、基盤が弱いものは衝撃でなすすべもなくなぎ倒される。俺たちもまた爆風に吹き飛ばされ、路地を塵か埃のようにして滑空していく。

 やがて地面へと激突し、勢いのままに転がっていき、ようやく屍のようにして静止した。仰向けになった状態のまま、爆発のあった倉庫をぼやけた視界で眺める。


 セクター4天井付近まで手が届きそうなほどの爆炎は、すぐに黒煙のキノコ雲へと変わっていき、その衝撃音は周囲の倉庫区画へと広がっていく。俺は脳震盪でも起こしたのか、ちろちろと顔を舐めるような赤い炎の明かりを、混濁した思考のままに眺めていた。


「……ぁ、っ……、……イテェ……」


 やがて、頭の中にガラスを爪でひっかいているようなキィンとした耳鳴りが響きはじめるのを合図に、俺は平衡感覚の分からない状態で上体を起こした。その場で座り込みながら、骨折やヤケドした箇所はないか、自分の体に爆風で刺さった破片がないかなどを確認する。


 どうやら、ナノマシンが瞬時に衝撃波を受け流すために全身の筋肉を弛緩させたのか、そこまで重傷ではないことが分かった。爆発ではなく爆風に巻き込まれただけなので、そこまで目立った外傷はないらしい。それでも数えきれないほどの切り傷やかすり傷、アスファルトに転がり込んだ摩擦で皮膚の一部が焼けただれているが、こんなものはナノマシン含有量がもっとも多い唾でもつけておけば勝手に治るだろう。


「…………」


 いまだ爆発の熱を顔で感じながらも、俺は黒煙がもうもうと上がる倉庫跡を呆然と眺める。爆発で原型はなく、倉庫は天井を含め全壊してしまったらしい。ふいに、ぽつ、ぽつ、と自分の顔に水滴があたるのが分かった。

 ふと上を見ると、二度にわたる爆発で天井の排水スプリンクラーが破損したのか、中層・上層の貯水庫の水をすべて放出しているのではないかと思うほどに雨が降っていた。下層の電気系統も一部やられたのか、セクター4には深海のような薄暗さが街に幕を下ろしている。


『……ン、ぐゥ…………』


 俺は燃料の爆発による耳鳴りを涙目のまま我慢すると、立ち上がった。そばにはうつ伏せで倒れているフードの男、もとい義体者が気絶している。



 最初は置いていこうと思った。



 当事者でもない部外者の自分を巻き込んだこいつを、最後まで介抱する義理はない。そう自分を納得させようとして、何度もそいつの隣を通り過ぎようとした。だが、それでもまぶたの裏にちらつくのはリリーを見捨てて走り出した、あのときの光景だった。


 あのときの自らの弱さ、愚かさ、醜さを許容してしまった自分を思い出すようで、俺は思わず唇を嚙みしめた。


 俺はしぶしぶ、そのまま倒れていたフードの男の体を足で蹴ると、再起動して起きたらしいそいつの義体を無理やり立たせた。戦略兵器「タランチュラ」の移動速度ならば、この爆発が見えた瞬間に飛んでくることが可能なはず。俺は早々とこの場から離脱しようと、フード男の手を自分の肩にまわし、よろよろとした状態で足を動かしていく。


 ただ漂うだけの人間に自由意志などない。

 あるのはプログラムされた行動と、過去に縛られた選択だけだった。


 俺たちはセクター4の繁華街をめざして歩きだした――。

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