第3話 出会い

第17話 リリー・キャンベル

「これにて午前の訓練は終了! 午後の訓練は一時間後だ。遅れたらブチ殺すから、その覚悟で休憩しろ! ――以上だ!!」


「「「イエス、マム!!!」」」


 疲れた。死ぬほど疲れた。

 内心、そうぼやきながら仮想訓練室を出る。周りを見てみると、どこもかしこも俺と同じように疲れ果てた奴らばかりだった。そいつらと群を成すようにして、ふらふらとどこか覚束ない足取りで薄暗い通路を歩いていく。目指すは例の休憩スペースだ。


「……おい、クロノ。食堂には行かないのか?」


 声をかけられたので振り返ると、褐色肌の顔をやつれさせながらも、口角をなんとか上げようとしているエディの姿があった。


「いや、今はそんな気分じゃないんだ。悪いな……」

「……そうか、分かった」


 そう言うと、俺は右手をひらひらと振りながら踵を返す。

 その集団と途中で別れ、薄暗い廊下をしばらく進んでいくと外部へのドアがポツンとあり、手をかざしてスライドさせる。それと同時に下層特有の薄暗さと、もはや嗅ぎ慣れた異臭が立ち込めるが、疲労の蓄積によりもはや気にもならない。


 ちょっとしたバルコニーのような場所。自販機のぼんやりとした明かりが見えると同時に、体がどっと重くなる。そして、その横に設置された炭酸飲料水のメーカーのロゴが描かれたベンチに、思わずずるりと腰掛けた。


 ベンチのひんやりとした感覚で今の季節が冬であることを認知させ、天井の天窓を虚脱した動作で見上げる。無数のダクトや配管が張り巡らされた天井は、相も変わらず鬱屈とした空気を閉じ込めているだけだ。

 眼下には闇市の鮮やかなネオンが様々な色彩を放っているが、目がかすんでいるせいで抽象画にしか見えない。それは、地球の環境破壊と人類の文化発展。そんな皮肉なコントラストを成しているように感じられた。


「ここも、変わらないな……」


 ぼそりと口から弱音がこぼれ出る。

この景色が変わらないように、自分もまた半年前と何も変わっていない。訓練でズタズタの右手を眺め、自分の無力さを痛切する。



 生存、回避、抵抗、逃走。



 都市の外で活動する傭兵たちは、漂白地帯や特殊森林区域で依頼をこなすことが多く、この四つの要素を主軸に戦闘・戦術を叩き込まれる。要は生き残る術を訓練で学ばせられるのだ。チルドレンの種別による生態、各地域で出没するチルドレンの種類と数、レベル4以上のイレギュラー個体に遭遇したときの逃走方法とルート確保。


 もっとも、教官からはレベル4以上の怪物と会敵した場合、企業の特殊部隊もしくはランクB以上の重装備で固めたチームでなければ生存は絶望的だ、とのこと。


痛覚遮断装置が意図的に排除された、正真正銘、命がけの訓練。『今日は三回しか死ななかったなァ』と、異常な思考が頭の中にぐるぐると渦巻いている。



 一回目はレベル1の《オペラキャット》という愛嬌も何も全く湧かないキモイ猫もどき。その群れに生きたまま内臓を引きずり出されて、もがき苦しみ悲鳴を上げながら死亡。


 二回目は、レベル2の《アーベントマンティス》とかいう気味の悪い紫色のカマキリ。不意を突かれ、緑色の蛍光色に透けた体が光ったと思った瞬間、下半身を斬り飛ばされていた。その後、仲間に救急医療キッドを使用されるも凄まじい寒気と共に失血死で退場。


 三回目、レベル1の腹の部分が可燃性のガスボンベできた《火炎放射蟲(かえんほうしゃちゅう)》だ。その群れに全身火炙りにされて――



「新人(ルーキー)くんっ!」


 そのときだった。


 突如として目の前が暗転し、背中に柔らかい何かが押しつけられる。ちろりと髪先が首をくすぐり、一瞬だけその場がシャンプーの香りで満たされる。――が、それもすぐに下水処理場の酸味の効いた臭いでかき消された。

 こんな薄暗い穴場を知っているのは、俺とエディの他には一人しか思いつかない。


「リリーさん、何の用ですか?」


 そう言って、思ったように動かせない体を後ろに傾け、俺はゆっくりと振り返った。


 彼女の名は『リリー・キャンベル』――彼女は元々、エディやアトのような下層出身の身分ではない。どうやら元は中流階層かどこかの家庭で育ったようで、俺が中層出身だというデマを聞きつけてから、何かと絡んでくる人だった。


「ん~、べつに用はないかなー。話しかけたかったから話しかけただけっ。それとも、お姉さんに話しかけられたらマズいことでもあったのかな、新人(ルーキー)くん~?」

「……そういうのは、ないですけど……」


 リリーはにへらと笑いながら、こちらの顔を覗き込んでくる。

 彼女は純銀の透き通るような瞳を浮かべ、金色の腰まで伸びた髪は風でたなびいている。彼女の銀色の瞳には、サイレンを鳴らす民間軍事会社の装甲車が空を飛び、下卑たネオンの途絶えることのない街が映りこんでいた。



 傭兵になるための施設に入って、半年がたった。

 いまだネオン瞬く騒音の街には、慣れそうもない――。

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