第18話 食事②
「
「ハハハ、ハハハハハ!! ……これでいいか?」
指導官にしばき倒されたときの顔の傷を冷やしながら、俺はふてぶてしい笑みを浮かべるエディに向かって、不服げな表情を浮かべる。午後の訓練でとあるヘマをやらかした俺は、あの鬼教官に猛烈な右フックを喰らい、頬を腫らせていたのだった。
「まさか強化服の調節を間違えて、銃のグリップを粘土みたく握りつぶすとはなー。見たかよ、あの教官の殺気。たまんないね。久々に人を殺めるという意志を感じたな。ハハハ!」
夕食の時間になると、いつも訓練生たちは今日の訓練を振り返り、今日もまた地獄が終わったと疲労困憊した体を行使して飯にありつくのだ。エディこそ笑っているが、その目には誤魔化せないほどの疲労が浮かび上がっていた。
腹いせではないが、眼下のトレイに乗せられたブロック型のレーションに、プラスチック製の折りたたみ式フォークを勢いよく突き立てると、崩れた部分をそのまま口に放り込む。
――瞬間、口の中に広がる腐葉土の味に、俺は思わず吐き気を催す。
「オエッ――にしても、この食事はどうにならないのか。相変わらずヒドイ味だ」
「マジかよ。こんなウマい飯をただで食えるなんて、ここは天国以外の何物でもねえと思うんだがなあ。……ま、もちろん訓練がなければ――、の話だがな」
なんとか咀嚼して、これ以上堆肥(たいひ)の臭いが口の中に広がらないように急いで飲み込む。
テーブルに乗せられた銀色のプレートには、土色さらには土の味しかしないレーション、青色に光る謎のスープ、緑色のスナック菓子風のナニカ、毎度おなじみナノマシン補給錠剤――。
「慣れたといえば、慣れたけれども……」
ぜんぶで『完全栄養補給レーション』、『培養ウミホタルのプロテイン』、『凝固還元水耕野菜』、『ナノマシン補給錠剤』が鎮座しており、またもや、お世辞にも“食事”と呼べる見た目ではなかった。
「はあ、相変わらず人間扱いのさせてくれない食事だな……」
「人間なんてやめてなんぼだろ。死んだら元も子もねえ。マズい飯より、自分の命だ」
カチカチと頭上のLEDらしき光源が瞬き、俺たちの顔を何度か点滅させた後、やがて安定する。
噂によると、この施設では近くの発電所から盗電することによって、館内の電力を補っているとか何とか……。そんな心底どうでもいいゴシップを思い出していると、ふいに後ろから誰かが俺の隣の席に座ってきた。
「となり座るよー」
リリーも食堂に陳列されたテイクアウト形式の“材料”をいくつか見繕ったようで、いつも通りトレイに乗せたまま俺の横の席に座り、必要以上にこちらへと詰めてくる。
アトは妹の食事を作るために、いつも昼食時には姿を見せない。
「ありゃ、エディはもう食べ終わってるみたいね。相変わらずの早食いで、早死にしても知らないわよ?」
「ああ、あいにく死にかけるのは得意なんだ。死神の鎌をぺろぺろして、その痰(たん)を吐きかけてやるくらいにはな」
「いつかその舌を切られなきゃいいけど……」
エディのジョークに、リリーは呆れた顔をしながら言葉を返す。
たしか、リリーは他の下層のブロック地区の施設から、この養成所へと異動してきた経歴の持ち主だ。昔風の言い方をすれば、転校生とでも言えばいいのだろうか。俺たちのグループに入ったのは、ちょうど一ヶ月ほど前のこと。
『キミ、中層出身の人なの?』
『え、あー。実は、ちが……』
『そうなんだね、やっぱり。わたしと同じ、決戦難民で……』
どうやら両親が中層の出身だったようで、俺が中層出身だというデマを聞きつけてから、何かと絡んでくるのだ。それからは、まるでストーカーか何かのように付きまとっては、時間ができるたびに猛プッシュしてくる。そんなひとだった。
俺はそんなことを思い出しながら、隣に座る真っ青に輝くスープを飲むリリーを横目で見る。培養ウミホタルのプロテインを、しょっぱくてマズいと舌を出しながら飲む彼女から、俺は無言で視線を外す。
「――ん、どうしたの?」
リリーが、俺の目線に気がついたようにしてこちらを向いては、微笑んでくる。
なんら変哲のない、いつも通りの風景だった。
「うん、ごちそうさまでした。……午前の戦闘訓練で汗かいちゃったから、わたし先に戻ってるね」
「……おいおい。もう食べ終わったのか、リリーも大概じゃねえか」
リリーが食べ終わったのを、エディは苦笑しながら見ていた。
俺の隣に座って一分も経っていないはずなのだが、すでにリリーのトレイの上には空になった食器だけが乗っていた。
「じゃあね! また午後の訓練で会えるといいね!」
そんなことを言いながら、一瞬でリリーは食堂から嵐のように去っていく。
いつも通りならば、俺が食べ終わってから次の訓練まで、三十分ほどの空き時間が生まれる。
それまでに、この食事を平らげなければならないのだが、今日だけはいつも通り――とはいかなかった。リリーと入れ替わるようにして、ひときわカツカツと靴音を響かせながら食堂へと歩いてくる人物がいたからだ。その人物が食堂に入ると、多くの者がその正体に気がつきギョッとした。
「――っ、おい、あれ……」
「ああ、教官だ。でも、なんでここに……」
そんな会話が行き交い食堂がざわつくなか、今朝、俺の顔をぶん殴った鬼教官は食堂の中心へと歩いていき、みなの視線を集めたまま声高に叫ぶのだった。
「この施設の都合により、今日の午後と明日の訓練は休止になった。緊急の休暇とはいえ、外出届けもだせば門限まで外出も認めよう! 傭兵として貴様らが認められる日も近い。『傭兵資格認定試験』前の最後の休暇に感謝するといい! 教官である私から伝えられることはこれだけだ!! 以上、解散――!!」
これだけ言うや否や、教官は踵(きびす)を返してどこかへと去ってしまう。
後に残るは、彼女の言葉を理解するまでに異常なラグを生む群衆の微動だにしない沈黙と、点滅する照明のカチカチという音だけが響き渡っていた。
「そういえば、ここ数日って都市の《建設祭》だった気が……」
そして、誰かがポツリと漏らしたその言葉が、火の付いた導火線のように民衆の歓喜を爆発させた。
――次の瞬間、すさまじい歓声と喝采が部屋中に爆発した。
ある者は休暇という甘美な響きに涙し、ある者はこれでバレずに違法ギャンブルに勤しめるとヨダレを垂らす。また、ある者は娼館で溜まった欲望を吐き出す喜びを想像して目を充血させ、ある者は軍事企業の最新カタログとその金額を見ながら歯を食いしばり散財を我慢する。
誰しもが、突発的にやってきた休暇を心の底から喜んでいた。
四季こそ世界から消えたが、こうして伝統的な文化は形こそ変われど今も続いているのだと、たしかに感じ取ることができた。食堂に取り付けられたモニターからは、下層で行われる《建設祭》の巨大な神輿や街中のホログラムの花火が盛大に映されていた。
『傭兵資格認定試験』
端的に言えば、傭兵になるための最後の実践試験だ。これをクリアさえできれば、晴れて一人前の傭兵の誕生というわけだ。そういえばと、耳をすませば街のどこかから太鼓や爆竹の鳴り響くような音も聞こえてくる。誰もが訓練があるからと気にも留めなかった色褪せたイベントが、急に着色されて見え始めたのだった。
「そうだ、アトとリリーも入れた俺ら四人で、明日、飲みに行こうぜ。リリーはさっき帰ったけど、今から呼びに行けば問題ないだろ」
俺が緑色のスナック菓子『凝固還元水耕野菜』を噛んで青臭さを味わっているとき、ふと、エディがそんなことを言い始めた。
嫌な予感がした。
まるで白羽の矢を俺の顔面に突き刺すように、エディの双眸(そうぼう)がこちらを向くのだった。
「――で、だ。最近、リリーと良い雰囲気のお前にその言伝を頼みたいんだが」
「…………」
ボリボリと野菜スナックを頬張りながら、俺はエディの顔を呆れたような表情を浮かべて眺める。
「そんなの、リリーのアドレスにメッセージでも送ればいいじゃないか。別に、直接言いに行く必要もない気がするんだが……」
「あー、えーっとな。今、リリーの端末が故障してるらしくて、メッセージとかだとやりとりできない感じなんだヨ」
「ふーん、故障……ねえー」
――ウソだな。
俺は挙動不審なエディを見て、すぐにそう思った。
どう考えても、エディが俺とリリーを会わせて距離を縮まるのをニヤニヤと楽しみたいだけの愉快犯、もとい厄介カップリング中毒者だろう。とはいえ、リリーと回線アドレスを共有していなかった俺にも責任はある。
「な、頼むよ。変なことするわけじゃないんだからさ」
懇願するエディに、俺は仕方なく同意するのだった。
「はあ、分かったよ。行けばいいんだろ、行けば……」
俺はナノマシン補給錠剤をいっきに飲み込むと、手を合わしてから立ち上がる。
同時に、とっくに食事を終えていたエディもトレイを戻すため席を外すのだった。
「よっしゃ! じゃ、俺は先に酒場(バー)に行ってるから、ついでにアトを呼んでくるぜ」
エディはそう言いながら、そそくさと去っていく。
「お祭り、か……」
懐かしい響きだった。
もう何年も、……いや、三百年は聞いていない言葉だ。
モニターには、『建設祭』の前夜祭だろう街の様子がせかせかと映されていた。
遠い遠い過去に、一度だけ行った記憶がある。立ち並ぶ屋台の食べ物の匂いに、ごった返した人ごみ、神輿(みこし)を担ぐ者たちの熱気が周囲を覆っていた。どうやら時代が変われど文化はあまりわらず、モニターに映る者たちも同じく何かをするらしい。
普段から企業や政府に溜め込んだ鬱憤を晴らすが如く、あちこちで爆竹やホログラム製の安価な花火が飛び交っている。見る者が見れば、大規模なデモ隊のようにも捉えられるような光景だが、どちらにせよ、準備に勤しむ熱気にあてられて前夜祭はかなり盛り上がっている。
俺は返却台にトレイを戻して食堂を出ると、後ろではいまだ、休日を喜ぶ者たちの歓声が響き渡っていた。
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