第25話 さよなら
「……ごほっ、ごほッ……」
なんとか意識が戻ると、俺は自分の体とリリーを川岸へと強化服にものを言わせて引っ張り上げる。
そして、汚水と血を吸った左袖をぶら下げながら、意識のないリリーを背負って何とか廃ビルの一階に潜り込むことに成功する。だが、白砂の影響で傷口がさらに広がり、いまや両者の体には全身に細かい傷が刻み込まれていた。
このとき、既にリリーの息は絶え絶えで、胸部から腹部にかけて走る切創が彼女の容体の重さを表していた。血が止まっていない。それどころか、出血量は増え続けているようにも思える。
「くそっ――、リリー、リリー起きろ、リリーッ!!」
彼女を死に際から引きずり戻そうと、何度も何度も必死に叫んだ。
「クソッ――、止まれ、止まれよ!!」
先の落下の衝撃で、緊急用の回復剤などはすべて流されてしまったらしい。
かろうじて持っていた自分用の強心剤だけをリリーに打ち込むと、俺は彼女の深々と切りこまれた傷口に布を当て、止血処置をやり続けた。
だが、どれだけ必死に傷口を抑えても、深すぎる傷からはとめどなく血があふれており、それは布を赤色にどこまでも染めていった。胸を両断するように斜めに走る切創は、リリーの顔をこれ以上ないほどまでに青くしていく。
「――ご、め……、ごほっ……」
「…………ッ!!」
そこでようやくリリーは目を覚ましたのか、瀉血と咳を同時に吐き出しながらえづくのだった。やつれた目尻と朦朧とした眼光からは、リリーが限界以上に衰弱・消耗していることが分かる。そのとき、廃墟の奥から複数の足音のようなものがした。人間ではない。この足音はここ一週間で何度も聞いたオペラキャットのものだ。
まだこちらには気がついていないようだが、それも時間の問題だろう。
「チルドレンが、きてるから……、はやく……にげ……」
リリーが俺の手を払いのけようとする。逃げろと言っている。
だが、そんなことはどうでもよかった。それよりも、ドク、ドクと、リリーの胸部からあふれ出る血を止めなければいけない。そんな考えで手いっぱいだった。
口から血を滴らせながら、かすれた声で喘ぎながら、それでもリリーは瞳孔のうちにある光を何とか灯し続けている。だが、消えかけのロウソクの火のようなソレが消えるのも時間の問題だった。
「いつか、わたしの代わりに……困っている子がいたら……ゴホっ……」
「いくな。頼むから、いかないでくれ……」
半ば片言になった彼女の言葉に、俺は最期にしてたまるかと叫んだ。
どんなに手が血にまみれようとも、片腕になり医療処置が上手くできなくとも、傷口にガーゼを巻くのをやめることはできなかった。半狂乱のまま彼女の腕に強心剤を投与したり、止血処置の限りを尽くした。
これが最後に抱いた微かな希望。
逝かないでくれ、俺を一人にしないでくれと、最後に叫んだ唯一の願い。
だが、返ってきた言葉は――
「助けて、あげてね……」
直後、頬に触れていたその柔らかな右手は、ぷつりと糸が切れたかのようにして、死の地面へと転がった。
不意に口から、息が漏れた。
堪えようとした。……けれど、胸の内から溢れ出るやり場のない感情をせき止めることなど、到底できるはずがなかった。
「う、うう……あ……ああ、あああ――――」
直後、子どものようにむせび泣く声が、あたりに響き渡った。
チルドレンの足音が複数迫ってきている。気配からして、相当な数らしい。
武器もなければ、強化服も破損している。こんな状態で、彼女を抱きかかえながら逃げるのは不可能だ。
皮肉にも、鍛錬され常に冷静な思考を走らせる理性は、そう結論付けたようだった。むせび泣き、いまだ仲間の死を受け止めきれない本能を無視するように、体はいつのまにか走り出していた。
彼女の亡骸が遠のいていく。俺は首がねじ切れるほど最後まで彼女を目で追っていたが、ついには物陰に入り、代わりにチルドレンの影だけがその場所で蠢き始めていた。やつらが肉を喰らう音から必死に耳を逸らす。
「――――ッ!」
声にならない無音の叫び。
それを息が切れるまで叫んで、その度に息を吸って、また叫んだ。
景色が霞む。頬を伝う熱い液体は、壊れ果てた心は慟哭をいつまでも生んでいる。
何もできず、何も守れない。そんな子どものように無力な自分が、どうしようもなく情けなかった。
そして、何度も、何度も、何度も叫んで、
やがて――
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