第28話 羅針盤のない人間
「「「おめでとう!!」」」
黄ばんだシーツ、ホコリ臭い病棟、酸性雨が染みこむコンクリート壁、雨漏れのする安い廃材鉄骨の天井。
そんな病室に、場違いな祝福の賛辞が響き渡った。
あの惨劇から三日もの月日を昏睡状態で過ごし、それから病床で目が覚めた俺は、なぜか満面の笑みを浮かべるスーツ姿の中年男性と無表情の教官、そしてもうひとり事務員らしき男に拍手を送られていた。
教官は俺たちを指導していたあの女性だ。
スーツ姿の中年男性は、この施設に入るときに面接官として出会った腹の出た男だった。
もうひとりは知らない。おそらく施設のお偉いさんとかなのだろう。やけに若く見えるが、実年齢は外見からは判断できない。
「いや~、まさか君がこんな結果を出すとは……、思いもしなかったよ~!」
「キミは我が養成所の中でも、特待生制度を以て、華々しく見送らせていただこう!」
こいつらは何を言っているのだろうか。
まるで何かが大成功を収めたと言わんばかりの笑みを浮かべている。
俺はそんな彼らを呆然としたまま、中身のない左袖をわずかに揺らす。
すると、見知らぬメガネをかけた男が、唾を飛ばしながらまくし立てるようにして話をはじめた。
「いや、何が何だか分からないと思うけどね。キミはあの、レベル5と交戦したデータを持ち帰ってきたんだ! これはこの施設が設立されてから、他に類を見ないほどの功績なんだよ!!」
「…………は?」
俺は思わず、間の抜けたような声を漏らした。
何を言っているのか分からない。
あの化け物と交戦したことがなんだというのか。
「キミはね、次のスタンピードの中心核とも言えるレベル5の観測に成功したんだ。つまり、今までどの大企業が虚構領域に探索部隊を送っても見つからなかった個体を、キミがはじめてデータ状に記録したってことなんだよ! これで次の大皆蝕(だいかいしょく)のタイミングも分かるかもしれない。そうすれば、この都市にどれだけの実績が――」
「……局長」
「この三百年の中で、まだ全世界でも十数体しか確認できていないレベル5の存在を確認できたということは、もしかしたら我々人類が到達できなかった深淵領域のさらに下の領域を解明できることにつながるかもしれない! そうすれば、キミだけじゃなくこの都市全体が大きな功績を――」
「局長!!」
そのとき、局長と声を張り上げた教官に、メガネの男はまだ話の途中だと言わんばかりに胡乱気な視線を向ける。
「ふむ? なんだね、教官どの……」
「後は我々にお任せください。彼はその、まだ傷が癒えていないのです。そのような話は、我々から伝えますゆえ……」
「ふむ、つまりなんだ、この子は仲間の死でショックを受けていると?」
「…………、……ええ……」
メガネの男と教官が相対し、中年男性は素知らぬ顔で明後日の方向を見ている。
だが、メガネの男は何を思ったのか、俺に向かって目線を合わせるように腰をかがめると、そのまま鈍く光を反射させるレンズのままに口を開いた。
「三百人だ」
「え」
「これが何を意味するか分かるか?」
三百人。いったい何の数字だろうか。人ということは、当然、それは人間を指しているのだろう。
たしか、自分の通っていた高校の全校生徒もそのくらいだったな。そんなことを考えてしまうだけで、どうにも答えは出そうになかった。
だが、メガネの男はそんな俺に、間髪入れずに答えを放つ。
「一日で死ぬ傭兵の数のことだ。この都市の平均ではあるが、他もだいたいそんなところだろう。逆に、キミは一日で壊れる軍事用アンドロイドの平均数を知っているか?」
「…………」
「たった十三体だ。これが何を意味するか分かるか」
俺は再び、無言のまま答えを待つ。
「この都市ではな、人命は機械よりもはるかに軽いんだ。軍事用アンドロイドの製造費よりも、下層の人間ひとりの費用の方がはるかに安上がりなんだ。だから人が死ぬ。自らの価値を誰にも認められないまま、まるで使い捨てのプラスチックみたく死んでいくんだ」
メガネの男は病室の窓の外の街並みに目を向ける。
下卑たネオンの光が病室にまで差し込むそれを、メガネの男は心底不快だとばかりに眉を顰める。
「いいかい、キミは中層にいたから正常な倫理教育を受けられたおかげで分からないだろうが、……この下層には命に尊さや崇高さなんてものはない。ひとつ下の階層に落ちれば、そこにあるのは生ごみと遺体が一緒に焼却炉に入れられる、そんな世界だ。……葬式をやるにも、人としての営みをするにも、最低限の金は必要なんだよ」
「…………」
冗談じゃなかった。
俺は何も、こんな地獄で生き延びるために仲間を見殺しにしたんじゃない。
ただ、何も考えずに嫌なことから逃げ出しただけだ。
「わたしも元は中層の中間管理職だったからキミの気持ちは分かる。だからこそ言おう、こんな出来事はこれから何度でも起こり得る。傭兵としての生き方を選ぶ限り、仲間が死ぬことは珍しいことじゃない。キミが生き残れば生き残っただけ、生き残れなかった者たちの業を背負わされることになる。それを重いから途中で下ろそうなんてことは、できないんだよ」
「…………」
「仲間の死はキミの心が死ぬ瀬戸際まで受け止めろ。この世界にキミの頭をなでてあやしてくれるような大人はいない。ここは金で人の生き死にが取引され、他人の頭を踏みにじることを推奨するような世界だ。溢れ出る欲望と崩壊した倫理の行く先が、あの下卑たネオンの街並みなんだよ」
もう、ほとんど男の声は俺には届いていなかった。
なかば放心したような顔をしているのだろう。急激に目の前の景色が色褪せていくような感覚がする。まるで水中にいるかのような音に、俺は病床の上で体育座りのまま下をうつむく。
そのとき、教官がメガネの男に対して口を開く。
「局長、そろそろ、お時間が……」
「ああ、そうだったね。後はサド教官に任せるよ。……わたしはこれで失礼させてもらう。林くん、キミはわたしと定例会議の資料を作成してくれ。今回は忙しくなる」
「…………、……了解しました」
そう言って、局長と呼ばれたメガネ男は面接官を連れて、颯爽と病室を去っていった。
後に残されたのは、機械面の教官だけだった。
俺はひとり、ネオン輝く街並みを眺め続けた。
***
「すまなかったな」
「……いえ、別に。大丈夫ですよ」
教官が俺に労いの言葉をかけてくる。
「まあ、この都市では昔からトップが無能だからな。……あのメガネも例に漏れず、本部を追い出され、左遷されたただの天下り野郎だ。もう一度、上層に戻れそうなチャンスが巡ってきたことに興奮を隠しきれなかったんだろう。そう気にすることはない」
教官は再度、申し訳なさそうな表情を金属板の顔に貼り付ける。
「悪かったな」
「……いえ、本当に、気にしてないですよ」
俺がそう言うと、安心したのか教官は懐からタブレットを取り出した。
「教官である私から、いまの君の現状について説明させてもらおう」
話を要約すると、以下の通りだった。
本来の目的であるレベル2の二十体の討伐完了と、目標地点への到達、および期間内に帰投したことで訓練生:クロノ――つまりは俺のことだが――は近日中に正式な傭兵としての活動を認められるらしい。
また、次のスタンピードの中心となると予測されているレベル5の交戦データが都市に送られたことで、都市はこの功績をどこの傭兵が成し遂げたのだと躍起になって探したらしい。
結果、どこの民間軍事会社でもなく、ただの訓練生が認定試験で持ち帰ったデータだとして驚愕し、本来ランクFから始まる傭兵ランクを、特別報酬として二階級昇進のランクDから始めることになった、とのことだった。
「しばらくすれば、今回の情報提供に対する報酬が振り込まれるはずだ。都市もキミのような将来光るであろう原石を逃したくないのだろう。下層落ちだったか。どちらにせよ、ランクDからは中層に上がることができるからな。キミは試験を合格したんだ。……おめでとう」
ようやく賛辞の意味を理解した俺は、点滴の繋げられた上体をすこし起こした。
「……てっきり、失格扱いになるかと」
「いいや、今回は特例だ。上の連中はまさか、レベル5が表層領域に出現するとは思ってもいなかったらしい。現に、遭遇した訓練生のやつらは軒並み全滅している」
教官は腕を組み、なおも話を続ける。
「あの試験で生き残ったのはキミだけだ。キミは依頼を遂行するにあたって、最も重要なことを成し遂げた。“生きて帰る”ということ。そして、レベル5と交戦した際のデータを持ち帰った。だから飛び級で合格した。重ねて言う。“おめでとう”」
「…………」
俺は何も言わなかった。
むしろ、俺のことはどうでもよかった。聞きたいのは、彼らのことだった。
「あいつらは、どうなりました?」
「――ほぼ即死だったそうだ。ナノマシン治療剤や緊急蘇生液を使っても、脈は戻らなかった。……死んだよ、彼らは」
「そうですか。あいつらは、もう……」
メガネの男が言っていたことを信じるのであれば、もう焼却炉に入れられて骨にでもされているころだろうか。俺は必死にその光景を想像しまいと俯きながら、もしあのとき別の選択肢を取っていればどうなっていただろうかと、一ミリも意味のないことを考えてしまう。
「もし、もっと高い生命保険にでも入っていたら、あいつらは生きていたんでしょうか……」
ほんのすこしの疑問が口から漏れる。
というのも、どこかで聞いたことがあったからだ。頭部だけになっても、脳核さえ生きていれば蘇生が可能になる高額プランの生命保険の存在を。だが、教官の放つ声は存外に冷たいものだった。
「そういうのもあるにはある。――が、致命傷を負った場合、緊急用に体表から非致死性の泡を出させて仮死状態にさせるナノマシンは、遺体を回収する業者のサービス込みの金額になるからな。私ほどのクラスで、ようやく知り合いに利用者を見かける程度だ」
教官はしきりに自分の首筋にある給油プラグを触りながら、何かを思い出すように義眼を右上へと動かしている。
「私たちは試験の前に一定の金額をお前らに手渡した。といっても、出資したのは私ではなく企業なのだが……。どちらにせよ、保険会社と一つの契約を交わし、こうしてレベル5と交戦して生き残り、データを都市へと持ち帰った。たとえこれが運だとしても、私はキミのことを非常に優秀だと言わざるを得ない」
「俺じゃ、ないです……」
教官の言葉に、俺は思わずぼそりと呟いた。
保険会社と短期契約を交わしていたのは、他でもないリリーだ。
本当であれば、彼女が一番に生き延びるべき人だったのに。
「そんな、契約、知りませんよ。……俺は、単に逃げて、逃げて、逃げていただけだ。……だから、俺じゃない。そんな激励なんてのは、本当ならあいつらに贈られるべきで、それなのに……!!」
「……っ、まずい。脈拍が……鎮静剤だ、鎮静剤を持ってこい!!」
俺は必死に心に空いた穴を手で押さえるようにして、血痕が点々と残る黄ばんだシーツに顔をうずめた。教官の声で医療用ロボが駆け寄ってくるが、外界の声はしだいに遠ざかっていき、視界がぼやけて暗くなっていく。
過呼吸のせいか手足の先端から感覚がなくなっていく。利き手であるはずの右腕の肘裏にぷすりと針が刺される感覚を最後に、やがて臭いも感じなくなった。
思えば、俺は欠落した人間だった。
何かをしたい、何かを成し遂げたい、何かになりたい。
俺はそんな願望の一切がストンと滑り落ちた、羅針盤のない欠落人間だった。
どこかに目的地があるわけでもない。航海図なんて元からない。夢なんて抱いたこともない。ただ、漂うように生きて、死んでいく。そう、普通に生きたいだけだ。どんな形であっても、俺は生きてさえいればそれでいいと思っていた。
昔から何かを望んだことはない。何かを欲したこともない。何かになりたいと願ったこともない。
それでも、俺はあのとき望んでしまった。
こんな仲間たちと面白おかしく暮らせて行けたら、どれだけ人生は華やかなものになるのだろうかと。
そのささやかな願望に、世界は躊躇なく牙を剥いた。
訓練過程をすべてクリアした者は、俺を含めてたったの八人だったらしい。
他の者は死んだか、行方不明、良くて辞めていったとか。
羅針盤のない船はしだいに船底に穴が空き、音を上げるまでもなく沈んでいく。
今回のような嵐に直撃したとき、どこへ行くでもなく漂うだけの船は、やがて海底へと沈んでいく。
俺はそれでも船に乗りながら、浸水するさまを眺めているだけだった。
やがて沈みゆく船に、復讐の藍(あお)い火が灯った。
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