第29話 懺悔
あれから俺は、ほどなくして一週間ほどで退院することになった。
むろん、NMM都市の役人らしき人物から事細やかにレベル5遭遇時の状況を調べられてからだが――。
レベル5遭遇時の調書と、身の上に関する調書を作成するための取り調べがあったのだが、後半はよく覚えていないと誤魔化すのにかなり苦労した。まさか誰も三百年前の人間がここにいるとは思うまい。役人にタッチパッドに自分の発言をすべて記録されるのは、かなりプレッシャーでもあった。
体の損傷具合だが、全身の骨や内臓は強化服の生命維持システムのおかげで粉砕・破裂まではいっていなかったかららしい。
左腕のもげた俺に、淡々と『重傷じゃなくてよかったね』と話す医師からは、しばらくは医療用ナノマシンの常飲と身体の回復に努めるようにとだけ念を押された。それだけだった。
***
俺は強化服もない体でよろよろと施設の宿舎に入り、誰もいないのか、シンと静まり返った宿舎の廊下をおぼつかない足取りで歩いていく。当然ながら、いつものように話しかけてくる者はおらず、そのまま自分の部屋の前に着いてしまう。
持っていたアナログの鍵で開錠し、自室の玄関扉を開けて中へと入る。玄関には郵便受けに投げ入れられた封筒と、白い箱が二つだけ置かれていた。
「ンだよ、これ……」
それを拾い、俺は自分でも自覚しないままふらふらとした足取りでリビングへと向かい、テーブルの上に置いてそれを開けた。二つある白い箱のうちひとつを手に取ると、無心で中を開けていく。すると、中からはやけに汚れた瓶が現れたのだった。
(白い、粉……?)
どこから拾ってきたものなのだろうか。
ずいぶんと汚れた瓶には、これでもかと大量の白い粉が詰められており、俺はそれを手にとってはまじまじと照明に当てて眺めてしまう。まさか覚醒剤か。そんなことを思っていると、ふいに瓶に付けられていた剝がれかけのシールが目についた。
【NAME‐「EDDIE TAYLOR」 RANK‐「F」 №「B‐11」】
「……ぇ……」
即座に思い至った考えを、俺は拒絶した。
俺はしだいに瓶を持っていた手が震えるのを感じた。息が吸えない。呼吸が浅くなる。割れないように、ゆっくりと瓶をテーブルに置いてもなお、手の震えが止まることはなかった。できるだけ慎重に、それでいてじっと確かめるようにして再びシールに触れる。すると――
『エディ・テイラー、アト・フェムト、二名の商品の到着を確認しました!』
『指定の口座まで送金をお願い致します! 株式会社「花丸火葬」』
そんなホログラムの文字が嬌声のような女性の声で再生され、やがて音もなく消えた。
手狭な1LDKの自室には、ジャンクショップから譲り受けたガラクタの数々が、ところ狭しと積み重ねられている。ダクトのようなエアコンから流れる冷風はホコリ臭く、ツンとした下水の臭いが混じっている。エアコンの音が大きくなっていく。
俺はなんとか現実から逃避しながら、もうひとつの封筒を開けた。
もう、もはやこれ以上の仕打ちなんてないだろう。そう思っていたのに。
『アルバム写真×5枚 記憶の写真家より 納品封筒』
写真が届いていた。
そして、その中身を俺は見てしまった。
そこには俺たち四人がにこやかに笑って、ジョッキを乾杯させている光景があった。
それを見た瞬間、ぐにゃりと視界が歪んだ。もう、限界だった。
「――――――ッッッ!!!!」
その瞬間、体の底から込み上げてきたものが爆発し、その衝動のままに机の上に載っていたすべてのモノを薙ぎ倒す。バサバサ、と床に落ちていく紙くず、空の酒瓶が割れ、彼らとの想い出がまた一つ消える。
罪悪感、劣等感、無力感。
それゆえの自己嫌悪に、自分が溺れていくような感覚。やり場のない怒りをぶつけるようにして振るった右手は、冷蔵庫に直撃し、原型をかろうじてとどめるほどに扉をひしゃげさせるのだった。
「何が傭兵だ、何がSFの世界だ、何が……、何が――」
その嘆きは悲鳴のように、やがては鳴り止まない嗚咽へと変わった。
「ちくしょう、ちくしょう……、ちくしょう――――」
壁に右の拳を振り続け、やがて力が尽きるようにしてうなだれる。
――瞬間、あるはずのない左腕から凄まじい激痛が脳髄まで走り、あのときの景色が鮮明に網膜にフラッシュバックする。
「――ぅ、おえっ……」
思わず口を抑えながらトイレへと駆け込み、胃のなかの入っていたものをすべて便器にぶちまける。出せども出せども、止まることのない嗚咽と胃液を出し切ると、俺はその場でぐったりと脱力するようにして壁によりかかった。
窓の外ではいまだに喧騒の鳴り止まないネオン街が、下卑た光と欲望に満ちた声とを発し続けている。
「……行かなきゃ……」
俺はなかば操られるようにして、すでに死にかけの体にさらに鞭を振るい、ある場所へと走り出した。あそこに行きさえすれば、俺は救われるかもしれない。そう思ってのことだった。
心臓に氷でも当てられているのか、体がガタガタと震えるほど寒い。
嫌な予感がする。
俺は玄関扉を施錠すらすることなく開け放つと、洗ってもいない戦闘服を着たまま、穴の空いたブーツで走り続ける。アスファルトの陥没した箇所に溜まった汚水が足にかかるのも気にせず、俺はひたすらにあの場所を目指した。
***
走る。
ひらすらに走る。
エクサのところまで、肺に穴が空くほどに。
懺悔するため。誰かに責められることで、救いを得るため。
彼女はきっと事情を理解できないだろうし、怒りのままに罵倒することはないかもしれない。
それでも、それに似たを非難の言葉をぼそりと呟いてくれたなら、どれだけ俺は救われる気持ちになれるだろうか。
謝ろう。
それだけだった。
僕が君の兄を見殺しにしましたと。
「あ」
何なら、そのまま俺を殺してくれたっていい。
俺の護身用のハンドガンを奪って、俺の頭に鉛玉をぶっ放して、その死体に罵詈雑言をかけてくれたっていい。もしそうだったなら、どれほど俺は報われただろう。
「ああ」
だから、普段はかかっているであろうディールの廃工場のような医院の扉を開け、その惨状を見たとき、俺は感情すら追いつかずに膝からドサリと崩れ落ちた。
ディール医院の廃工場のような天井が崩落している。
爆発ではない。
なにか、上から無理やり着陸したような崩落の仕方だ。
凄まじい風圧に押されたように、病室はすべて瓦礫へと変わっている。天井の鉄骨が地面に突き刺さり、ガラス片があちこちに散乱している。
そのなかに、ちまちまと義肢で瓦礫の撤去に勤しむディールが、ようやく俺の存在に気がついたようだった。ディールは口を開き、ノイズの走る機械音声で事情を説明する。
『今朝ダ。月庵(ゲツアン)の侵蝕体捕獲車両が、ここに着陸した。どうやらステージ5に到達しつつあるエクサを捕獲しに来たラシイ。月庵のことダ。きっと、ステージ5の患者は人体実験にでも使うのだろウ』
(……捕獲? ……実験?)
到底、人間相手に使うような言葉ではないそれに、俺は呆然とその場で立ち尽くした。
月庵。
侵蝕体捕獲車両。
その単語に、俺はこの都市に来たときのことを思い出す。
たしか、あれは路上生活者の老人を連行していったときの連中も、そんな組織名を名乗っていた気がする。
ディールはなおも淡々と、そのときの様子を説明する。
『どうやら侵蝕ステージが臨界点に到達する寸前の人体データが、どこかからか月庵に漏れていたラシイ。レベル5になるとチルドレン化するから、都市への侵入を何としてでも防ぎたい企業どもからすれば当たり前のことなんだろうガ。……どちらにせよ、今朝、エクサはそいつらに連行されていっタ。だからもう、ここにはいない』
ディールの無機質で冷たい機械音声が、心の奥底にまで突き刺さる。
「あああ」
俺は発狂しかけたまま四つん這いになり、茶色い汁が付着したコンクリート床を至近距離から眺める。腐った空気を必死に肺からかき出すように、止まらない嗚咽のまま俺は両手をギリギリと握りこむ。
「あああああ――」
寒い。体の中心が冷えていく感覚がする。
それはまるで、悪魔か死神に魅入られてしまったような悪寒だった。
罪に対する罰を求めるなど言語道断だと責めるように、報われようとするなど到底許されざる行為だと揶揄するかのように。下水管が破損し汚泥にまみれた空間こそが、本来のお前の居場所なのだと言われている気がして、俺は涙で歪んだ視界に嫌気がさして何度も床にひたいを打ちつけた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
風通しの良くなった天井から、空路を通過する車のヘッドライトがときおり瓦礫の中を照らし、嘲笑うようにして光をちらつかせる。それはあたかも希望を手の平に乗せた悪魔が、これが欲しくはないかと人間を嘲笑っているようだった。
思えばこの時からだった。
俺はこのネオンまみれのこの街が、心の底から嫌いになった。
***
陸に棲息するチルドレンは雨を嫌う。
それは人と同じように、視界の悪さと酸性雨の肉体侵蝕を懸念してのことなのか、それは分からない。
ただ、彼らは空を飛ばないし、陸や海から離れられない。この星からは逃げられない。
気づけば俺は自室のトイレに籠り、便器に顔を埋めて吐いていた。
「ヴっ」
胃からせり上がるものを吐き出していく。
痙攣するがままに促される嘔吐は、胃の中のものが空になろうと、消化器官そのものを吐き出すようにしてしばらく続いた。
みっともなく便器に顔を埋め、もはや固形物のなくなった吐瀉物を間近で凝視しながら、俺はトイレのレバーを引いた。下水道へと繋がるパイプへと吐いたものが流れていく。疲弊しきった体を自室のトイレの壁に預けながら、俺はぼんやりとにじむ天井の明かりを眺めていた。
このまま自己嫌悪や罪悪感も流せたならば、どんなに楽になれただろうか。
そんなことを考えているうちに、いつのまにか意識が遠のくのを感じた。無視できないほどに疲弊していたのか、体はやがて泥酔するようにして動かなくなる。同時に抗いようのない睡魔に襲われ、まぶたが閉じていく。
動かなくなったせいで照明のセンサーが人の気配を認識できなくなったせいか、やがて意識が遠のき始めるのと同じくらいに明かりがふっと消える。やがて俺はトイレの壁に寄りかかったまま、深い眠りへとつくのだった。
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