第27話 AGI損保(株)



 ふと目が覚めると、そこは暗い密室のような空間だった。


 どうやら寝かされているらしい。俺は眼球を動かして辺りを見渡すと、低い天井に付けられた表示灯の赤いランプに気がついた。それだけが唯一の光源らしい。そのせいか、ほとんど何も見えない。いや、よく目を凝らしてみれば、俺とは反対側の壁にいくつか窓が配置されている。


 夜間ということもあってか、外が暗いせいで室内の赤いランプが窓ガラスにうっすらと反射していなければ、それすらも分からなかっただろう。


 耳元から響くゴウンゴウンという独特のこの音は、「Q粒子擬似崩壊炉」が発電時に響かせる時のものだ。床が揺れて、ときおり傾く。どうやら何かの機内らしい。しばらくその体勢のままでいたものの、先の戦闘でのことを思い出し、慌てて起き上がろうとして――


 そこで俺は、自身の体に違和感を覚えた。

 手足が動かせない。

 それどころか、指の一本さえ自分のものではないかのような感覚に襲われている。

 一瞬パニックになりかけるも、その正体はすぐに分かった。


 腕や脚、胸に至るまで、異物もとい様々な種類のチューブが、俺の体を括りつけるようにして取り付けられていたのだ。どうやら医療用ナノマシン入りの点滴らしい。蛍光色に光る液体を皮膚の下に入れられているせいか、ひんやりと繋げられた部分が冷たい。


 それと同時に部分麻酔でもされたのか、まだ意識がぼんやりと混濁している。そのとき、ふと、頭上の赤いランプ以外にも光源があったことに気がついた。


 不気味なほどぼんやりとした三つの光は三角形に配置されており、やがてそれがフルフェイス型ヘルメットの暗視カメラだということに気がついた。つまり、そこに誰かがいる。暗い場所に目が慣れてきたのか、やがてその正体がぼんやりと分かってくる。


 どうやら重武装した男らしい。


「ぅ、あ……」


 何かを話そうとして、声帯を含めた体が動かないことを思い出す。

 だが、そいつは俺が目を開いていることに気がついたのか、その四つの赤色の光点をこちらに向けて話しかけてくる。


『起きたか』

「…………」


 外付け視覚拡張デバイスをつけた隊員が足を組みかえたせいか、強化服とリグの繊維の擦れるような音がする。暗視スコープの役割もあるのだろう。


『無理に話そうとしなくていい。ついさっき、お前の左腕の止血処置が終わったところでな。しばらくは動けないだろう』


『……災難だったな、坊主』


 奥からもうひとつ別の声が聞こえてくる。

 どうやら、武装した男はこの空間に二人いるらしい。

 どちらもヘルメットのせいでぐぐもった声だった。


 ――月庵か。


 最初はそう思ったものの、彼らの所属する組織はどうやら違うらしい。


《AGI損保(株)》


 そう書かれたデカールには、災害保険として名高い企業の名前が入っていた。


 たしか、保険金を支払わないためなら、企業戦争に軍事介入するほど悪名高い保険会社だったはず。なぜ、そんな企業の救出部隊が来てくれたんだと思いながらも、俺は錆びついた歯車のようにしか回転しない思考に呆けた面のまま天井を見上げ続ける。


 そのとき、通信でも入ったのか男の一人が耳元に手をあてる。


『ええ、個人パッチを参照したところ訓練生のようです。「傭兵資格認定試験」だけの限定生命保険ですからね。当然と言えば当然ですが……、……え、生存者ですか? ……ええ……、一人だけ生き延びた者がいますが』


 そうだ、たしかチルドレンは水棲・陸棲生物タイプはいても、空を飛ぶことだけはできないんだったか。昆虫タイプや機械と一部同化したチルドレンは、多少であれば空を飛べるものの、一定の高度以上は飛べない。だから、この輸送機も撃墜されなかったんだ。


『……え、レベル5との遭遇記録が送信されてきている? そんな、まさか、ありえませんよ。大体、今回の認定試験において――』


 誰かが、死亡した際の「遺体回収班」が来るシステムの保険に加入していたのか、『AGI傭兵回収損保』緊急回収部隊がすぐに俺と他三人の遺体を搬送するため、遺体もろとも浮遊する運搬車両へと運び込まれたのだろう。


 その時、着陸シークエンスに入ったのか、車両が傾いた。

 すると、先ほどまで真っ暗な星ひとつない空を見せていたガラス窓から、深夜にも関わらず眩くネオンで照らし出される都市が現れる。眼下に広がっている街の光に、自ずと機内の中が照らし出される。


 黒いビニール袋にくるまれた死体袋が、二つあった。

 顔を覗かせているのはエディだった。

 あまりにも青白いエディの顔に、俺は自分も同じ死体のような気分になりながらも、茫然としたまま上を向いた。


(そうか、みんな、死んだのか――)


 実感はなかった。


 だが、アトの遺体回収袋に入った死体は、既に人の形を成していないのだろう。

 まるで生ごみを入れた本物のゴミ袋のような丸みを帯びたシルエットだけが、そこには鎮座していた。それを、誰が昨日まで一緒に酒を交わし合った仲間だと思うのだろうか。


「こいつらは、どうなるんですか――」


 すこしだが、感覚が戻ってくる。

 声も出せる。だから聞いた。聞くしかなかった。


『すぐに火葬場へと送られるだろうな。表層領域とはいえ、こいつらはH粒子を吸いすぎた。この死体がチルドレン化すれば、人型のチルドレン化するかもしれないからな。とはいえ、人がチルドレン化するなんて事件は今まででも数件しかないが、念には念を入れて燃やしておくに越したことはないだろう。――骨も残さず、跡形もなくな』


 それに対する答えは、あまりにも残酷なものだった。

 エディの顔にはもはや生気の欠片もなく、ただの顔を模したマネキン人形のようにしか見えなかった。俺はなかば操られるようにして、もうひとつの質問をする。その答えは知っているはずなのに、もしかしたらに縋ってしまう自分がいた。


「……もう、ひとりいたんです。……リリー、キャンベルって、女の人が……。……彼女は、いま、どこに……」


 男は俺の声を聞くや否や、低い声で返答をする。


『ああ、把握している。我々は彼女の入っている保険でキミを救出したのだから、キミが助かったのも彼女のおかげだ。感謝しておけ』

「っ、じゃあ、彼女は――」


 夢を見てしまった。

 その先には希望なんてないのに、どうあがいても地獄だけが広がっているのに、聞いてしまった。また、俺はあるはずもない希望に飛びついてしまった。


『残念だろうが、そいつはすでに肉の一片も残らずチルドレンの腹の中だろう。たったいま連絡がきた。血痕の跡から喰われたであろう現場は特定できたそうだが、そこに彼女の遺体はなかったそうだ』

「…………」


 そして、それは蜃気楼のように、目の前であっけなく消えた。

 希望の一切はなくなったことを否が応でも自覚させられる。体が寒くなる。神経が鈍く刺激され、そのたびに心に穴が空くのを認識する。


『今回の保険の内容は「重体者・遺体」救助だけの最低ランクだからな。そこに「探索」は含まれてない。もし俺たちに探してほしかったら、追加金三百万はもってきな。そうすれば彼女の遺体捜索も含めてやる』

「…………」

『ま、無理だろうな』


 そう言って渡されたのは、エディが持っていた銃だった。


『死亡者に親族がいないことは確認した。よって、そいつの持っていた資産や私物は、都市政府が手数料を差し引いたのちに班の仲間へと譲渡される。……まあ、持っておけ。これでも形見のひとつだ。……大事にしな』

「…………」


 男は俺の胸の上に、まるで棺に入れる花のように銃を乗せたあと、再び通信へと戻った。


 ぼったくられたらしい。

 そのことに気がついたものの、そんなことはもはやどうでもよかった。明確に思考のネジが外れる感覚が頭の中で響きわたり、ずっと錆びついていた歯車のような鈍い思考回路が、反動で異常なほど早くなっていくのを感じる。――もう、止められようもなかった。


 そうだ。だいたいおかしな話だ。


 ちょっと前まで普通の人生を送っていたヤツが、訳の分からん医者に訳の分からない病気だと言われて、コールドスリープなんて訳の分からない装置に入れられて、あまつさえ起きたら三百年時代が経っているなんて訳の分からないことが起きていて、気が付いたら俺も傭兵なんて訳の分からないヤツらを育てる施設に入れられて、訳の分からない訓練に訳の分からないまま参加して、訳の分からないヤツらと訳の分からないくらい痛い思いをして、認定試験分なんて訳の分からないものを訳の分からないまま受けさせられて、訳の分からない生物に訳の分からないまま片腕をもがれて、訳の分からないうちにみんな死んで、訳の分からないまま訳が分からなくて、訳の分からないまま訳が分かんなくて分からない分からないわからないわからないわからわからわから――――



「ぅ、おえッ――――」



『――――ッ!? 心拍数(バイタル)に異常値検出! はやく鎮静剤を投与しろ!!』

『くそ、薬が足りてなかったのか。車内で嘔吐されるのは勘弁なんだがな、クソッ』


 その後、吐瀉物は心に空いた穴から感情がごぼごぼと漏れるようにして、口から吐き出され続けた。

 喘ぐように息を吸ったことで過呼吸で手足が痺れ、すでに光が失われつつあった青年の目からは、意味もなく液体があふれ続けた。


 やがて輸送機は都市のセクター6近くの漂白地帯で着陸し、青年はタンカーに乗せられたまま下層の施設・医療病棟へと運ばれていった。



 次に目が覚めたのは、三日という月日を昏睡状態で過ごした後のことだった。

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