第6話 勧誘

 目を覚ますと、俺は病床の上に寝かされていた。


「ここは……」


 遠くに映る天井は、赤い鉄骨とUFO型の照明が点々と吊り下げられた特徴的なものだった。遠目からでも分かるホコリの溜まり具合に、小さな有圧換気扇ひとつがお情け程度に端で回っている。周囲を見渡すため、俺は起き上がろうとして――


「うっ――」


 瞬間、脳髄に響くほどの鈍痛が走り、思わず頭を抑えた。

 頭部に包帯の感触がある。どうやら応急処置はしてあるらしく、切って腫れた場所に軟膏が塗ってあるのを感じる。右腕を見ると点滴のようなものが付けられており、皮膚のなかに冷たい液体が入ってくる感覚がわかる。パックの減り方からしてあまり時間が経っていないようだ。


 激痛はやむことなく続いていたが、うずくまっていると痛みは徐々に引いていき、やがて消えていった。


「…………」


 再びゆっくりと顔を上げると、ようやく部屋の全貌が見えるのだった。

 ……廃工場。

 そう言うのが手っ取り早いだろう。それを簡易的ではあるが、背丈ほどの壁材でスタジオのセットのように囲い、いくつかの病室を作っているらしい。


 剥き出しの鉄骨に巻きつく黒いケーブル、そこから垂れ下がった白熱電球が周囲のトタン屋根や鉄筋の錆び具合を強調している。シミの付いた汚れた枕カバーに、黄ばんだシーツ、ふちにカビが生えているカーテン。あたりにある何もかもがホコリ臭く感じた。


 よく耳をすますと、コホッコホッと小さく苦しげに咳をする音が聞こえてくる。

 どうやら他にも病人がいるらしい。天井のトタンからも雨粒のあたる音がしている。そのとき、病室の外で少年と男の話をする声がした。


『おい、エディ……あの依頼の話って、本当なのか?』

『――ん? ああ、ありゃその場しのぎの嘘だな。そんな依頼は受けてないし、あれがどんなやつかも知らん。でないと、あんな場所で銃撃戦やるハメになってたからな』

『……まったく……』


 足音からして、こちらに近づいてきているらしい。

 俺は一瞬、見知らぬ人に連れ去られたのだと思い出して身構える。だが、彼らはこちらの心配に構うことなしに部屋へと入ってくるのだった。


「おっ、ようやく起きたか」


 木製の古ぼけたドアノブ式のレトロな扉が開き、そこから男と少年が入ってくる。

 声からして、俺を連れ去ったあの二人組だろう。


「まず、オマエに会わせなきゃならないやつがいてな。立てるか?」

「…………」


 俺は無言のままベットから降り、そのまま立ち上がろうとした。だが――


「おおっと、あぶねえ……」


 体が言うことを聞かず、そのまま倒れ込みそうになる寸前で、大柄な男に支えられるのだった。


「……すまない……」

「いいぜ、別に。……それより肩貸してやるよ」


 そう言われ俺は右腕を男の右肩に回すと、よたよたとふらつく足元のまま歩き出した。



        ***



 さきほどの廃工場の奥に、なにやら地下へと繋がる階段があるらしい。

 そこを降りていくと、やがて頑丈そうな装甲扉が現れるのだった。横に付けられた電子錠に目の前の少年はなにやら懐から出したカードキーをかざすと、その扉は銀行の金庫室のような重厚感のまま開いていった。


 まずその部屋に入ると、ツン――と鼻にまで突き抜ける薬品の匂いが目に染みた。

 大中小あらゆるサイズのモニターが壁に設置されており、画面にはバイタルサインや延々と流れるプログラムコード。どこかの監視カメラの映像や、ニュースサイトの現地映像などが垂れ流されていた。


 中央に設置された緑色の液体の入ったカプセル、そのなかには得体の知れない胎児のような肉塊が脈打っており、ガラスに生物兵器であるはずのバイオハザードマークが貼られていた。

 それをあたりの赤、青、緑の蛍光色の光源で照らしだしている。


 何より不気味なのが、あたりの柱や床に孤児らしき少年少女が座りこんでいることだった。どこか自我さえもないのではと疑いたくなるほど、彼らの瞳には光がなかった。



「ディィィィ――――――――ル!!!!!!」



 そのとき、右の俺を抱える男が鼓膜が裂けそうになるほどの馬鹿でかい声をいきなり出したせいで、俺は小動物のように鼓動を爆発させる。そのバイタルが一定数にまで落ち着いたころ、部屋の奥から何かが近づいてきていた。


『あいかわらず馬鹿でかい声でオレを呼ぶな。エディ』


 そうウンザリしたような言葉と共に現れたのは、明らかに人とは呼べない姿をした何かだった。アンドロイド、機械ロボット、そう呼ばれるだろう無機質な生物は顔面のパーツ部分の半分を破損させていた。

 なかから覗く眼球のガジェットが不気味にこちらへと向けられ、俺は未知の生物と対峙したときのような恐怖を覚える。


『ディールだ。ここの研究所の唯一の『医者』兼『研究員』をやっていル。ところで、キミにぴったりのインプラント手術があるんだけど興味あるかィ?』


 だが、その人格は極めて人間臭いものだった。

 アクチュエータを稼働させながら、全身の機械ガジェットをキシキシと鳴らしてゾンビのように歩くソレは、自らを『ディール』と名乗るのだった。



        ***



『ほう、下層落ちねぇ』

「ま、本人に聞いてみねえことには分からねえことだが、オレはそうだと踏んでる。さて、実際はどうやら……」


 そこでディールと名乗るアンドロイド、戦闘服姿の少年、やたらとガタイのいい大柄な男の視線が、俺に一点集中する。


「…………」


 いきなり視線が集中したことで、俺は喉に何かが詰まったように話せなくなる。

 ――が、ここで嘘をついても仕方がないため、俺は正直に経緯をぽつりぽつりと口に出し始めた。

 謎の施設にあるカプセルから目が覚めたこと、その施設には人はおらず謎の生物に襲われたこと、気がつけばこの街に流れ着いていたこと――。


「――ふむ、謎の生物ってのはオペラキャットだろうな。スカベンジャーが言ってたやつだろう、いわゆるチルドレンってやつだ」

「チ、チル……、すみません、自分でもよく分かってなくて……何がなんだか……」


 チルドレン……子どもたち。自分でも意味の分からない、突然の英単語に困惑する。そんな俺に対して、男と少年は共に、うへぇ、という顔を盛大に浮かべるのだった。


「マジかよ、こりゃなんだ。下手したら『記憶喪失』ってやつなんじゃないのか? まさか記憶の消去処置がされたB級犯罪者の出所したてとか……」

「だから言わんこっちゃない。……こいつにそこまでの価値はないんだって。見りゃ分かるだろ」

「でもよお~、明らかに俺の勘がこいつを入れたほうが良いって……」


 うなだれる男に、呆れ顔の少年。

 ディールは探求心を刺激されたのか考察に勤しんでいる。

 あたりにいる孤児たちは一切話すことなく、うなだれているだけだ。


『場所が分からないことには始まらン。一応、中層か上層の一部の研究所でそういう人体実験をやっているという話を聞いたことがあル。とはいえ、そんな極秘施設にチルドレンの侵入を許すわけはないはずなんだガ……』

「……それに、俺、難病があるらしくて……」


 その思い出したかのような俺の言葉に、ディールはおそらく訝しげな表情を浮かべているだろう雰囲気のまま、いっさい表情の動くことのない無機質な顔面パーツをこちらへと向けてくるのだった。


『カプセルから排出されて難病ねェ? それに、たった数時間でこの回復能力……ま、とりあえず見るだけ見てみるカ。……どれ、そこの台に座って腕を出してみロ……』


 そう指をさされたのは、いかにもオンボロな手術台のような台だった。天井から吊り下げられたアームに付いている照明が、ディールの合図と同期するようにして点灯する。


『型番こそ古いが、れっきとした大手企業の手術台だからな。よほど悪運の持ち主でない限りは……、……まぁ、いい。……すこし腕をまくって、その服も脱いでもらおうカ』


 だが、台や床にはなにやら茶色いシミができており、それが何なのかは想像したくもない。横に置かれている外科用の手術道具はよく掃除されているようだが、こんな場所ハッキリ言って恐怖でしかない。


『安心しろ。別に大規模な手術をするわけでもあるまいし、ただの採血だヨ。……さあ、分かったらさっさと座レ』


 そう言われ、俺は半ば強制的にその台へと座らせられるのだった。


『そういえばお前、テックとかデザイナーズベイビーとか、脳インプラントとか人工臓器とか、そういうのをやってないんだな。イマドキ、中層のませたガキなら怖いもの見たさで試したりするもんだガ……』


 男の問いかけに対し、俺は曖昧にうなずくことしか出来なかった。

 彼らは不躾にもジロジロと俺を見ながら、ディールの注射針による採血を観察している。

 左腕から抜かれる血液が、注射器のなかへと溜まっていく。


『ま、第十七世代あたりの旧式「ゲノム編集」や「GRISPRグリスパー」とかの違法バイオテックはやめとケ。……最近は、改造されたタンパク質が暴走して、宿主を喰い殺すなんて話もあるからナ』


 大男がまた何やら訳の分からない単語を並べるなか、ディールは淡々と採血を済ませてそれをどこかへと運んでいく。


 だが、俺の血液を検査機に入れて、その結果が壁にあるモニター群のひとつに表示された直後、ディールは神妙そうな雰囲気のままこちらへと向きなおすのだった。モニターには、『ERROR』の文字と「B.L.U.E.」というロゴだけが映されている。


『……これは……、……まいったナ……』


 そう言ったまま、ディールは俺をまさしく珍しい動物を前にしたような目で、全身を舐めるように見てくるのだった。


「で、どうなんだ、こいつは。……言っちゃなんだが、大丈夫なのか?」


 とはいえ、そんな目も一瞬のことで、すぐにディールはモニターの前に垂れ下がった有線接続ケーブルを自分の首に突き刺し、並行してキーボードをガチャガチャといじり始める。

 画面にはDNAの二重らせん構造らしき図形がくるくると回転しているだけで、そこに何が書いてあるのか俺には皆目見当もつかなかった。


『だいぶ、というよりほぼ大戦末期時代のナノマシンが血液中に入ってはいるが、それ以外は問題ないだろウ。治療もする必要がない。キミの言う難病は……今のところ抑えられている状態ダ。そっちの治療は必要ないだろウ』

「まさか、治ってるのか?」

『……今のところはナ』


 すでに治療は済んだ後らしい。

 俺は自分の体をまさぐりながら手術痕がないか確かめる。だが、それらしき痕はなく、コールドスリープされている間に治療は済んでいるらしかった。


 その事実にすこしだが自分の中に余裕ができるのを感じる。

 時限爆弾のタイマーが止まっていたような安堵がタメ息となって口から漏れる。


『さて、ここからはビジネスの話ダ。こちらとしても治療費は払ってもらわなきゃならン。とはいえ、こちらがやったのは単なる止血処置に在庫あまりの栄養剤投与だけダ。とはいえ、それも治療行為には違いなィ。払えないのならば、検体として実験台になってもらうしかないが……』


 ディールは喋りながらもケーブルを抜き、具体的な計算式を弾き出しているのか眼球のガジェットをチカチカと点滅させる。


『そうダナ、ざっと三ツ橋の代替貨幣トークンで八万くらいカナ。古貨幣じゃなく、キチンと電子通貨がいい』


 それを聞いて、俺は全身から冷や汗を噴き出す。

 なんせ、こんな時代の通貨など到底持っているハズがなかったからだ。


「ま、待ってくれ。日本円じゃないのか?」

『ン、ああ――。それでもいいが、それだと手数料が上乗せになるゾ。いくら下層落ちとはいえ、財産のひとつやふたつは持ってきているだロ』

「は、払えなかったら、腎臓でも取るつもりなのか……」

『……あァ、そうだ。最低でもひとつはぶっこ抜かせてもらうゾ』


 マズい。

 腎臓摘出なんて冗談じゃない。

 だが、電子通貨はおろか、それを払う媒体だって持っていない。逃げようにも、この地下の出入口はひとつだけで、そこまでたどり着ける気がしない。


 終わった。

 そんなことを考えながら、冷や汗をだらだらと流していると、思わぬところから助け舟が出されるのだった。


「おい、ディール。たしかにこの請求金額はやりすぎだぜ。八万ってのはよ、下手したらちょっとした中古の強化服を改造してもツリがくるレベルだ。もうちょい下げられんだろ」

『ほぅ、お前が他人の取引に口出しするのは珍しいナ』

「いや、ほら……下層落ちってのはアレだろ。自分の親が事業に失敗した場合だとその子供も下層に落とされるが、代わりにまた成り上がったとき、中層の住民権が下層出身者よりも取りやすいと聞く。一種の救済処置ってやつだ。いずれ上層に住む予定のオレからしてみれば、ここで仲間に加えてやるのもいいと思ってな」

『……フム。では、そうダナ。なら、お前が代わりに払うデモいいぞ。だが、本人の意思は聞いておく必要があるのでワ?』


 そうして、二人の視線がじろりとこちらに向く。

 どうやら、仲間に加入するかどうかを聞いているらしいが――。


「こちらに選択権はない。治療代を払ってもらえるなら、何でもいい……」

「よし、決まりだな!」


 がはは、と背中をバシバシと叩いてくる男に、俺はほっと安堵で胸をなでおろしそうになった。だが、事はそう簡単に運ぶはずもなく――



「――正気かエディ!?」



 突然、荒げたような声が地下室内に響き渡った。

 声の主は、ずっと黙って気配を消していた戦闘服を着た少年だった。その叫び声に、男はやっぱりなとこの事態を予想していたとでも言いたげな表情で、灰色の髪の少年の方へと向きなおす。


「僕は反対だ。なんで、こんな知らないやつ――」

「先行投資ってヤツだ。傭兵になるには、こいつも俺たちの仲間に入れるべきだ。たしかに今のこいつはヒョロヒョロのもやしみてえな体で、脳インプラントやナノマシンだって入れてねえ自然体ナチュラルだ。だが、それは今だけだ。中層に行けばオレたちの立場も多少は有利にな……」

「僕は面倒見きれないぞ!? それにエディだって余裕はないはずだ。役に立つ保証だって――」

「だが、すくなくとも何の学もなしに銃をぶっ放す脳しかないクソガキどもよりかは、役に立ちそうじゃないか?」


 クソガキ。

 そう言って大男は暗に、通路に汚れた服を纏いながら寝っ転がる孤児たちを指すようにして視線を向けた。彼らは痩せこけており、先ほどまでは陰で見えなかったが、あのホームレスの老人と同じ白いアザを全身に張り巡らす者たちばかりだった。


「ただの馬鹿で使えないヤツなら用はない。さっさと見殺しにするだけだ。こいつらみたいにな。あくまでもオレは、オレたちは……、生き伸びるために最善の手を選び続けるだけだ。――そうだろ、アト・フェムト」

「オレをその苗字で呼ぶんじゃねえ!」


 瞬間、少年アトは何かに対する不満が爆発したかのようにして激昂した。


「だがな、アト……こいつは少なくとも中層にいるヤツら程度の……高等教育くらいなら受けている頭脳を持っている。むろん、上層のやつらと比べるとゴミみたいなものだが、それでも俺たちよりかは遥かに学があるヤツだと俺は思うぜ」


 周囲の孤児たちが何事かと、その声の主である俺たちを虚ろな目で眺め始める。


「だが、オレは反対――」

「だってお前、知能ブースターがなければ500引く33みたいな、簡単な四則演算すらできないじゃんかよ」


 その言葉に、少年アトはかっと顔を赤面させる。

 彼の頭皮には脳神経インプラントらしきものが、いくつか埋められているようだった。


「足し算、引き算、掛け算、割り算。これから俺たちが生きていくうえで最低限、他人に騙されないように必要な算数の知識すらない。ネットダイバーに計算機を改竄されたらおしまいってわけよ。……ま、それにちょうど人手も足りなかったところだしな」

「……クソッ、オレはこんなヤツとは組まないって言ったからな!」


 男の正論にアトは歯を噛みしめ、捨て台詞を吐きながら地下室を去るのだった。

 後に残るのは、ディールと男、そして放心状態の孤児が俺たちを眺めている。そんななか、男はため息をこれでもかと大きくつきながら、眉間に指をつけるのだった。


「あいつは戦闘技術だけはピカイチなんだがなあ……、ま、いいや。そうと決まれば――」


 次いで男は腹を抑えながら、俺の方を向いて軽快な笑みのままこう言った。


「まずは飯だろ!」



        ***



 エディとアト、そしてあの降層処分となった青年が去ったあと、地下室にはディールとそれを取り囲む子どもたちが静かに存在していた。


『やはり、感応波か。勘は当たったナ……』


 ディールは先の青年から抜き取った血液データを調べていると、やはりというべきか、モニター画面の検査結果に青の単色カラーが浮かび上がる。同時に、それを紐づけされた施設がひとつ、関連情報としてヒットする。


『あれを難病扱いカ……、大昔の人間も、おっかねえことを考えやがル』


 それは、この時代を生きる「0」と「1」で支配された電子人格でも恐ろしいと思えるほどの、ひとつの実験記録が書かれたレポート。それを覗けたのは一瞬で、すぐにモニターは閲覧禁止の[ERROR]表示で埋め尽くされる。


『報告義務の契約はギリギリ生きていたか。……なら、仕方ナイ』


 そう言いながら、ディールはどこか見知らぬコードへと機密回線を開き、その相手へとメッセージを送る。周囲の子どもたちは虚ろな目で、何も話すことも、聞くこともない。

 地下にある「研究所」兼「診療所」には、いつまでもカプセルに入った胎児の姿をしたナニカが脈打っていた。

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