第14話 レバーを引く者、目を逸らす者

 ――このやろうッ!!


 暗闇の中で、突如、左の頬に鈍痛が走った。首が弾けるようにして右を向く。

 仮想現実用の設備の上で目覚めた俺は、まず、まっさきに何の衝撃かと上体を起こした。

 そしてそこには、こちらに対して殺気だったアト・フェムトを制圧用のロボットが三体がかりで抑え込んでいる光景があった。


「生半可な選択で全員を危険に晒しやがって、このっ、カスがッ――!」


 一瞬戸惑ってしまうも、俺はすぐにアトの怒りの原因を悟った。

 おそらく、アトもすぐに俺の行動から運搬トラックの中身と運転手の素性、そしてサンドワームの撤退条件を理解したのだろう。だからこそ、俺があの運転手を撃たなかったことに腹を立てているようだった。


 どちらかを救うわけでもなく、どちらかを見捨てるわけでもない。


 俺が取ったのは、自分の手を汚したくないというエゴを優先する選択だった。誰かを救うには、誰かを見捨てなければならない。その選択を俺は放棄した。目を逸らして、投げ出したのだ。

 トロッコ問題とはよく言ったものだ。

 

 だが、実際にそのレバーを引く側に立つことが、どれだけ実行する人間の精神を削るのか。俺はこのとき改めて、自分が選択を放棄したことの意味を噛みしめていた。


 まわりを見てみると、どうやら今回の訓練では死傷者が少なかったのか、廃人化する者は多くないようだった。ただ、あのミニガンを撃っていた者と数人は、よだれを垂らしながら顔を放心させている。


「訓練生「B‐4」番――ッ! 貴様っ、先日の訓練生暴行事件だけでなく、さらには傷害事件までを起こすつもりかっ!!」

「こ、このっ、ぶっころして……」

「貴様をぶちのめしてやるのは残念ながらこの私だッ! 制圧クソBoTども、今すぐそいつを私の教官室に連れてこい、今すぐにだッ――!!」


 どうやら思い切り頬を殴られたらしく、口の中に小石のようなものとドロリとした液体が唾液と混ざっている。気持ちわるい。医療用ロボットが察してくれたのか、ソラマメ型の銀のトレイを渡してきたため、俺はそこに口内の液体を思い切り吐き出した。

 膿盆(のうぼん)というらしい。口の中を切ったのか、膿盆には赤いべっとりとした血と何やら白色をした石のようなものが転がるのだった。


 それは奥歯だった。


 奥歯がものの見事に折れていた。当然だろう、すでに素手で壁に穴をあけられるほど改造された体であれば、人骨くらいなら容易に粉砕にできるだろう。


 不思議と怒りは湧いてこなかった。


 それよりも役に立てなかったのだという後悔と、廃人化した最後尾のミニガンを撃っていた者への罪悪感が、それを勝っていた。


 左目の違和感は多少ではあるが残っているものの、肝心の眼球それ自体は無事だ。視界もクリアな状態に戻っている。出血箇所も……アトに殴られた部分を除けば健康そのものだった。


 連れていかれるアトはいまだ暴れていたが、それも訓練室を抜けると後には疲労困憊した訓練生たちがいるだけの静かな空間が広がっていた。医療用ロボットたちが、彼らにサプリメントを配布しようと動き回っており、忙しくモーターを稼働させる音がよく聞こえてくる。


 空調ダクトの一定の低周波は、すでに環境音として耳には入ってこなかった。


『訓練生「B‐12」番さん、神経伝達系の鎮静化サプリメントです。噛まずに飲んでネ』


 仮想空間内部で負傷した者は、脳が擬似痛覚を刺激されたことを修正するために、こうして各々に適したサプリメントが配られる。青と白のカプセルだった。それを、俺は飴玉でも放り込むような感覚で口に入れると、味わうことなく飲み込んだ。




         ***




「なあ、エディ……、あの依頼元の企業、あれ詐欺だよな」


 その日の夜、俺は下層の見えるいつもの連絡橋でエディと話をしていた。

 缶詰の街とはいえ、高所ゆえのビル風が頬をかすめる。


「ん? ……ああ、あの運送会社じゃなくて「なんちゃら燃料株式会社」のことか。依頼文に書かれた貨物の中身と、実際に運んでいた貨物の中身が違うっていう良い例だったな。ま、実際にあの訓練の参考になった事件では、都市と大企業がその会社を訴えていたとか」

「都市が、傭兵を守って……」

「あー、違う違う。そういうのじゃないと思うぜ」


 エディは持っていた串焼きを頬張りながら手すりに寄りかかった。培養肉なのだろう、雑巾のような臭いがこちらにも漂ってくる。


「単に、サンドワームなんて災害級のやつを都市にけしかけようとした『準都市転覆罪』とかで、次の火には首都三大企業の『三ツ橋重工』にぶっ潰されてたよ。会社のありとあらゆる設備が三ツ橋に押収されたらしくてな、いまは跡形もなくなってる」


 なるほど、確かに今や企業同士で戦争を行う時代だ。この時代の企業というのは、利益至上主義を極限まで突き詰めて生き残った者たちの集まり。わずかな収益であっても、他社の収益やシステムを奪うチャンスを逃すはずがない。


「はあ……俺たちが一端の傭兵として活躍できるまで、どのくらいかかるんだか……」


 そのとき、おそらくランクCあたりの『傭兵』の男が連絡橋を渡ってくる。

 大企業の高性能なインナータイプの「純正強化服」に、「耐衝撃緩和ナノスーツ」でも着込んでいるのか、ネオンサインのような極彩色の液体入りチューブ。その上から羽織っている青色の「タクティカルジャケット」には、背中の部分にはでかでかと【苦獄】というスポンサーだろう企業名がデカールとして入っている。


 あらゆるカスタムが施された自動小銃を背負い歩くその姿は、教官ほどではないがまさしく猛者としての雰囲気を持っていた。その装備を見た俺は、あの男と同じレベルに行けるまでどれだけかかるのかと、思わずぼやいた。


「さあな……でも、意外と遠くはないのかもな」


 エディはそう軽口を叩くが、俺はどうにも自分がみすぼらしい人間に思えてならなかった。

 その男を見送ると、俺は自分の着ている服を見下ろした。


 なんの特殊な機能もない、ただの変哲もない黒いカーゴパンツと黒いTシャツ。街全体が締め切られた下層とはいえ、軽装なせいかすこし肌寒い。


「そういえば、エディたちはこの施設に入る前から『強化服』を持ってたよな……」


 俺はあの日、強盗に襲われたときのことを思い出していた。

 あの瞬発力と跳躍力、あれはまさしく強化服の恩恵に他ならない。

 俺はあのとき朦朧とした意識の中で、地面が遠ざかる光景を夢だと誤認したものだ。


「ん、ああ……あの中古業者から買った、何十世代も前のオンボロに魔改造した「バケモン強化服」のことか。あれはいわゆる燃料喰らいのクソ装備なんだよ。……燃費悪すぎて、とっくに捨てたぞ」


 仮想訓練で毎回、データとしての装備と銃を貸し出されはするものの、やはり自分の装備というのは欲しいものだ。『傭兵』としての思考に染まってきたのか、俺は純正で大企業の最新装備というものに憧れを持ち始めていた。


「やっぱりそうか。買うなら、高くても純正の買うべきだよなあ……」


 俺はため息をつきながら、うなだれるようにして下層の街並みを眺めた。


 あいかわらずネオンで乱れた下層の街並みでは、あらゆるビルや建物の側面でホログラムの屋外看板が自分たちの商品を主張していた。ああして屋外用の看板をホログラムにしているのは、ひとえにNMM都市交通整備局とやらに余計な金を払わずに済むかららしい。


「なんせ、一回起動するごとに数万円のエネルギーパックを持ってかれるからな。あんなの持ってるだけで、あっという間に破産まっしぐらだわな」


 金もない、力もない。運もなけりゃ、寿命ももうない。

 そう言って連行されたホームレスの爺さんを思い浮かべながら、俺はしきりに自分の右手を眺める。

 そこには連日、銃の反動制御の訓練のせいでできた血豆とカサブタが、ナノマシンの自然治癒でも治しきれずに残っていた。


「ま、なんだ。まずは地道な一歩からってやつじゃねえの。アトに聞いたぜ、お前は玉のないヘタレやろうだって。あいつめっちゃキレてたな、ハハッ」

「笑いごとじゃねェよ、はあ……」


 エディはたこ焼きもどきを食べ終わり、容器に付いているタレまで舐めると、そのままカエルのようなゲロゲロという盛大なゲップをぶちかますのだった。


「うわー、きったねぇ……」

「ハハッ――、ちなみにディールに検査してもらって判明したんだが、俺の腸内には一定の基準値をはるかに超えた汚染物質が検出されたらしいぞ。ま、俺も先は長くないってことなのかね。ハハハ!」


 そんなことを冗談半分に言いながら自慢のドレッドヘアを触るエディに、俺はまさかと笑い飛ばそうとした。そして、その浮かべかけた笑みはすぐに引きつることになる。

 それは裏返せば、侵蝕ステージが「5」へと高まっていることの何よりの証拠なのではないか。そんな考えが脳裏をよぎったから。


「ちなみに、俺よりもアトの方がわけあって戦闘センスは高い。……ま、アイツと話すときは、妹にだけ気をつけていれば最悪死にはしないさ。下手に煽るようなことを言えば、一発で地雷を踏み抜くからな」


 手をひらひらとしたまま「気をつけろよなー」と、どこかへと去っていくエディの後ろ姿を、俺は眺めていることしかできなかった。


 金もない、力もない。運もなけりゃ、寿命ももうない。


 あの悲痛で諦念に満ちたその言葉が、呪詛のようにして頭の中で渦巻いている。

 この街では、誰しもが自らの命を燃やすことで生き永らえている。そのことにやるせなさを覚えた俺は、しきりに拳を握りこみながら眼下の街並みに目を向ける。


 下層もとい缶詰めと呼ばれるほど閉鎖された街では、鳴りやむことのないクラクションとサイレンの音がいつまでも響き渡っていた。

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