第15話 盲目の少女
翌日、俺は折られた奥歯を治すため、闇医者ディールの元に訪れていた。
『――にしても、お前がアトの癇癪を買うとはな。なんだ、あいつにクソでもぶっかけたのか』
「そんなんじゃねえよ。ただ、何というか……しょうがなかった。それだけだよ」
『ほう……しょうがない、ねエ?』
俺はディールに義歯を入れてもらったあと、手術台に座りながらディールが手術器具をしまうのを待っていた。やはり科学技術の進歩はダテではないようで、義歯もすでに本物と区別がつかない見た目をしていた。さらには神経まで通っているらしく、試しに奥歯を爪で叩くとキチンと中に響く感覚がした。
『ほら、三万よこせ』
「わかってるよ、この守銭奴め」
そう言いながら、俺は懐から何百世代も前のタブレットを出すと、ディールの口座にそのまま電子マネーを振り込んだ。脳内インプラントがある者ならば脳波で支払いもできるそうだが、俺はさすがに怖いのでこうしてタブレットを持っている。
施設では毎月十万円の支給がされるらしく、あの激痛が伴う訓練を除けば、かなり待遇の良い施設と言っても過言ではない。とはいえ、その大半が一ヶ月も経たないまま訓練に耐え切れず去っていくのだが……。
『ちなみにあと七万ぶんのケガをすれば、一回だけ使える「10%引きのクーポン」が貰えるから、楽しみに事故ってきてネ』
「ふざけんな、自分からケガしに行くバカがどこにいるんだ」
俺はタブレットを懐にしまい、口座に入金されたのを確認したディールはカチカチと眼球を点滅させた。そして、俺は聞くべきことをディールに尋ねなければならない。
「エディから聞いたよ。アトが、ここにいるんだって?」
『病室のスタジオ3にいるぞ。妹もいっしょだ。……だが、いまはやめておいた方が良いと思うが』
「別にいいさ。次は」
ディールはモニターの前へと戻ると、そのまま自身の機体の調節へと戻った。ドライバーやらスパナレンチなどを使って、アクチュエータをいじり続けている。
虚ろな目の孤児たちは、前来た時とまったく変わることのない配置で座りこんでいた。
俺はその病室へと向かうため、怪しげな研究所のような内装の診察室から出ようと、階段を上がっていくのだった。
***
【スタジオ‐03】
かすれた文字でそう書かれた扉を三度ノックすると、中からアトが顔を覗かせるのだった。まるで昭和のドラマにでも出てきそうなほど、古ぼけた扉だった。
「何の用だ」
「謝っておこうと思ってな」
工場跡に設置されたスタジオ型の病室には、ひとつの病床がポツリと置かれていた。そして、その上には誰かが寝ているようだった。瞬間、どこか鼻に染みるような潮の香りがした。
(なんだ、海のニオイ?)
「今はダメだ、帰ってく――」
「お兄……ちゃん……誰かお客さんでも、いるの?」
帰ってくれと、アトはそう言おうとしたのだろう。
その直前に、ベットに横になっている誰かが上体を起こしていることに気がついた。
「エクサ、ダメじゃないか。ちゃんと寝てないと!」
アトが慌てて少女の声と思われる人物へと駆け寄る。
俺はすこしばかり立ち尽くした後、部屋の中へと音もなく入るのだった。
全身を包帯で覆われた少女がベットで横になっていた。少女の目元を隠すようにして包帯が巻かれ、それは首の下まで同じなのか、両腕全体までもを包帯が覆っていた。アトと同じく灰色の髪をしていた。
少女の名前は『エクサ・フェムト』――アトの唯一の家族だった。
「でも、少しでもお兄ちゃんの、役に立ちたくて……」
俺は気配を消しながら、その病床へと近寄ると、侵蝕ステージの。
「この子、全身のアザが酷いじゃないか……侵蝕ステージが、もう、5に近い――」
「黙れっ――」
それは、あの目の前で連行されていったホームレスの老人を彷彿とさせるほど、全身に侵蝕症状が出ている少女だった。そのアザは、他でもない白色をしていた。
「もう皮膚移植や細胞再生手術だって、数えきれないほどやったんだ……それでも、妹の侵蝕ステージは……」
ホコリ臭い病室の中に、アトの悲痛な声だけが響く。
下層の天井に取り付けられたパネルからわずかに放出される擬似的な日光が、茶色く黄ばみ濁った窓から暖かな光として入ってくる。それに当てられた部屋の中を舞うほこりは、光の粒のようだった。
「お兄ちゃん……こほっ、さっきから何の話、してるの……?」
アトは妹の包帯を巻きなおしている最中のようで、古くなった包帯を捨てているところだった。
「ああ、エクサは気にしなくていいよ……」
アトはそう言いながらも、包帯を取るのに苦労しているようだった。皮膚が真っ白なアザで覆われており、一部、包帯を外すとペりぺりと音を立てて白い粒子が皮膚からこぼれた。
紛れもない、人体の「漂白化現象」だった。
「そうだよね、お父さんも夕方ごろに帰ってくるもんね! ケーキ、楽しみだな!!」
無邪気な笑顔を浮かべたまま、エクサは意味の分からないことを喋り出した。おそらくは侵蝕ステージによって歪められたであろう認知機能の低下が、あるはずのない理想にいるような錯覚を生み出しているのだろう。
分かりやすく言えば、アトの妹――彼女のなかでは、ここには母と兄がいて、仕事から帰ってくる父親がケーキを片手に帰ってくるのをベットで待っているという、理想の世界にいると錯覚しているのだろう。
すべては脳が蝕まれているゆえのことだろう。
かたくなに自分の内側にある理想の世界にふさぎこんでから相当な年月が経っているのか、彼女には、俺たちの不都合な声は届いていないようだった。
「ディールに頼まないのか、これも医者の仕事の一つだろうに」
「あいつはこんなことにも金を要求してくるから、頼みたくないね。いつもならエディも手伝ってくれるが、俺だけでもできるさ……」
だが、その手つきにはすこし覚束ないものがあった。
「手伝うよ」
だから、俺は手を貸すくらいはできると思った。
「施設の応急処置の授業で、自分の腕や足を『火炎放射蟲』に炙られて、それを自力で治せって教官に言われたこともあるんだ。仮想空間での訓練だったが、Ⅲ度熱傷はさすがに痛かったぞ」
「…………」
「ワセリンと、ラップと、包帯……ないよりはマシか……」
俺は近くに置いてあったワセリンを取ると、少女の侵蝕部分が酷い場所に塗っていく。皮膚がなくなってしまった部分に丁寧に塗りこんでいくと、その上からさらに穴を開けたラップを巻き、新たな包帯を巻いていく。
血液と体液の染みた使い捨てガーゼは、そのままゴミ箱へと直行させた。
「ふんふふ~ん、ふんふんふん~」
鼻歌を気持ちよさそうに歌う彼女を、まさか侵蝕ステージ末期患者などと誰が思うのだろうか。偽りの理想の中で生きるエクサは、本当に幸せそうな顔をしていた。
すべての包帯の交換が終わると、アトは忙しない表情のまま時計を見て、持っていたカバンの中身を何度も確認していた。そして、その中身の正体を俺は訝しげな表情のまま聞くのだった。
「それは?」
「ん? ああ、これか……」
そう言ってアトが出したのは、メロンほどのサイズの三つの果実だった。それぞれ色がキツイ赤や青、緑に脈打っており、観賞用としても気味が悪い。水晶体のような見た目の果実を、アトは丁寧に扱いながら何度も傷がないかを確認する。
「エイドフェイカーの果実だよ。これを食べると頭がトリップするんだ。いま流行ってるやつだよ」
「よくないぞ、そんなの……」
俺は思わず、それに対して拒否反応を示した。
敢えて断言はしないが、それはきっと、体にはよくないものなのだろう。
だが、アトはどこ吹く風とばかりにそっぽを向くと、そのままカバンを背負って立ち上がる。
「僕は今からこれを売りに行く。その間だけだ。エクサをお前に託す」
――そう言って、アトはなかば走るようにして部屋を去っていった。
俺は、アトを呼び止めることができなかった。
喉元までせり上がった『そんなものを売るな』という言葉を、俺は言うことができなかった。
目の前のエクサを生かすためには、アトはきっとどんなことだってするのだろう。
それを、レバーを引くことのできなかった自分に止める権利など、到底あるはずもなかった。
それでも、喉に引っかかった魚骨のようなシコリは、消えることはなかった。
***
「お兄さん、名前なんて言うんですか?」
「俺は、……クロノって呼べばいいよ。そういう名前なんだ」
「ふふっ、クロノさん……なにか、お話を聞かせて欲しいなーって。わたし昔から病弱で、おうちのベットでずっと寝たきりで……だから、たまに来るお客さんには、いつもお話をしてもらっているんです!」
まるで、この世界を煌びやかなものだと信じて疑わない声色に、俺はどんな目で彼女を見ればいいのか分からなかった。
だけど、それでも俺はエクサに色々な話をすることにした。
うろ覚えの童話や、子どもが好きそうな娯楽作品のストーリー。最後は、不思議な施設で目覚めた青年のお話。そのあと煌びやかなネオンに彩られた街へとたどり着いたお話。そして青年は傭兵を目指して頑張っているお話。
「それで、その男の人はどうなったのですか?」
「それで、その人は……」
それ以上は答えられなかった。
その青年は、いまだ道の途中にいるのだから。
「すまない。これ以上は、俺にも分からないんだ。中途半端な物語でごめんね」
そう言うと、エクサはすこしだが残念そうな顔をした。
「で、でも……都市の周りには、真っ白な大地が広がっているんだ。雲一つない空の青色と、真っ白な大地だけが広がる二色だけの景色は、一度見れば忘れられないよ」
それを誤魔化そうとしてか、俺はこの街の外に広がる景色をできるだけ詳しく話そうとした。
もっとも、実際に見たことはまだなく、すべて仮想空間における訓練での景色だけなのだが。
「夕焼けのときもきれいだったな、空と大地が燃えるみたいな真っ赤に染まって……」
すると、エクサは微笑みながら疑問符の浮かびそうな表情をした。
「ふふ、面白い話をありがとうございます。こほっ、でもひとつだけ……、聞きたいことがあって……」
「いいよ、なんでも聞いて――」
俺は聞いた。
何か分からないことがあれば、質問していいと。だが――
「ソラって、なんですか?」
目元を包帯で覆った少女の質問に、俺は答えることができなかった。
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