第32話 ゲーテ・ピグ(偽名)


 しばらくして、俺はまた傭兵の訓練場へと戻ってきていた。

 コンクリートが剥き出しの壁面に、五十メートル先まである殺風景な空間。その彼方に、一つの的が置かれていた。


『精密射撃訓練ヲ、始メマス。ナノマシン、強化服、トモニ、起動シテクダサイ』


 言われるまでもなく、既に両方のスイッチは入っている。

 全身の筋肉が強化される感覚が染みわたり、知覚領域がグンと広がっていく。


 もう何度も訓練生時代に行った訓練だ。

 安全装置ひとつ外すのに苦労していたあの頃の自分はもういない。


 何千発、何万発と撃った経験は、必ず行った者の糧となる。

 そう信じていたからこそ、今の俺には他に何をすればいいのか分からず、ただひたすらに銃を撃つ日々がはじまった。


『目標、静止状態デ――』


 脳内に直接流れる機械音声が言い終わる前に、気付けば俺はトリガーを引いていた。


 直後、強化服越しでも伝わってくる骨の軋むような反動。同時にハンドガンの銃口から放たれる大きな炎が、銃弾を覆いながら盛大に噴き出した。


『六十二点デス』

「次」


 だが、結果として中心の赤い的からは少しずれた場所にあたり、俺は眉ひとつ動かすことなく次のターゲット設定を申請する。


 この時代における拳銃の有効射程距離も五十メートルほどである。

 そこは昔から何一つ変わっていない。


 違うとすれば、強化服と知覚領域の拡張、眼球にナノマシンを集めることで視力ブーストを併用すれば、理論上は百、二百メートル先の障害物も狙えることが可能なことか。

 しかし、本来定められた有効射程距離を最大射程距離へとすり寄せる作業は、まるで遥か彼方にある針の穴に糸を通すような過酷なものだった。


 眼球に血が集まり、視界には涙がにじみ、脳は疲弊しているのか頭痛を併発させる。

 それでも、必要以上に神経を削る作業は必然的に現実から目を逸らさせてくれるおかげか、俺はこの訓練が存外に嫌いじゃなかった。


 気がつけば俺はこの訓練を、右手のグローブに火薬の煤がじんわりと滲むほどにやり続けていた。


 それこそ、血が出るほどに。



              ***



 どこか、自分は浮ついていたのかもしれない。


「次」


 ゲームか何かの世界に入り込んだような体験に、まるで本当にゲームか何かをプレイしているだけの気分になっていたのかもしれない。


「次」


 だからこそ、仲間が死んでようやくここが夢でも何でもなく、ただの現実に過ぎないことを知った。


「次」


 初めてできた大切な仲間と、自分の片腕をもがれてようやく、この世界が現実なのだと心の底に刻み込まれた。


「次」


 遠くのコンクリート壁に出現する安っぽい紙の的に狙いをつけると、そのまま対人には強力すぎる銃器のトリガーを引き絞る。何度も、何度も、壊れるほどに。


『次ハ、二時方向カラノ、強風ヲ受ケル設定ニ、ナリマス』


「次」


 血豆が潰れ、ナノマシンが強制的に再生しようとするカサブタを、訓練を続けることで何度も剥がしていく。銃のグリップ部分には血がべったりと何重にも上塗りされており、それは片腕ということもあってか、右手の損傷をより悪化させていった。


 それでも俺は射撃訓練をやり続ける。

 チルドレンをすべて駆逐する、なんてことは残念ながらどんな人間にも不可能なことだろう。


 チルドレンは災害だ。

 地震や津波、噴火で大切な人が殺されても、自然災害そのものを憎む者などいない。

 大抵は未然に防げなかったのかと、十分な対策をしなかった者たちを責めるものだ。災害には畏怖だけが吸収される。


 それでも、俺は射撃の的にリリーに深手を負わせたレベル5の姿を重ねながら、ひたすらにトリガーを引き続けた。



 あいつを殺せるなら、俺は命を賭しても構わない。



 見る者、聞く者によっては復讐など時間の無駄だと言うこともあるだろう。

 それでも、俺はあいつの存在が脳裏にちらつくたびに、あのときの惨劇を思い出して死にたくなるのだ。


 レベル5をこの世から葬り去らねば、死んでいった彼らを思い出しながら後ろ向きに生きていくことになる。一生、前を向いて歩くことができずに、過去に違えた選択を悔いて生きていくことになる。それは、それだけは、耐えられなかった。


 もはや唯一の生きていくための原動力は、あのレベル5討伐のための復讐心だけだった。



            ***



 平均してスコアが八十点を超えたあたりからだろうか。


 時間の流れる感覚を失いつつあった。


 現実世界では、既に何時間、何日、何週間経ったのか分からない。体に限界が来れば、操り人形のように強化された体力と精神力にものを言わせて、俺は訓練をひたすらに続けていた。


「次」


「次」


「次」


「次」


 ほとんどの銃弾が的の中央を貫通するようになったころ、対象が静止した状態のみに限っての射撃をするだけならば、相応の精密さを手にすることはできたと思う。――だが、残念ながらそれ以上やってもさして意味のある訓練だとも思えず、同様にそれ以上鍛錬しようともスコアが上がることはなかった。


「おい、あれ見ろよ」

「また身体の限界まで訓練していたのか。相変わらずイカれてんな」

「仲間のミンチを目の前で見せられれば誰だって病むだろうさ。見ろよ、あの目のクマ。あれじゃ廃人だよ」

「ま、そりゃショックだろうからな。でも、ああいう風にはなりなくないな」


 訓練は早朝から深夜まで、射撃訓練所に常駐している整備班に邪険にされるまで続いた。

 そのころには右手は骨が皮膚から飛び出るほど損傷しており、雑に巻いた包帯からは絶えず血が滴り落ちていた。ストック部分を付けていた右の胸部も、どうやら絶えず衝撃が走っていたことで肋骨の何本かが損傷しているらしい。


 とはいえ、どうせこんな傷はすぐに機械と同じで修理される。

 金さえ出せばそこに傷があったという痕跡さえ残らず、簡単に治せてしまうだろう。


 そんな自暴自棄な考えのまま、さらに訓練を続けようとした。



 ――そのときだった。



「もうよせ。このままだと右腕までもげるぞ」


 ふいに、俺の右腕を掴む者がいた。

 そちらに視線を向け、声の主を視認すると、俺は一瞬で戦闘体勢へと思考がシフトするのを感じた。


 そいつは人間サイズのドブネズミのような姿をしていた。


 いや、人間語を話す肥大化したドブネズミというのが正しい解釈か。

 どちらにせよ、あまりにもチルドレンの外見に似ていたそいつを敵だと誤認した俺は、持っていた銃をドブネズミへと向けて、トリガーを引こうと――


「よせ、片腕の青二才ごときにワシは殺せんよ」

「――――ッ!!」


 だが、直前でドブネズミに銃を握る右腕の肘が蹴り飛ばされ、右へと視線が流れた俺の顔面にガツンと強烈な張り手が刺さり、俺はなすすべもなく吹き飛ばされた。


 なんとか右手を地面に打ちつけて受け身をとり、転倒することだけは避けるも、俺は鼻の奥にキツイ清涼剤を入れたような感覚に涙がでそうになっていた。


 鼻がへし折れたわけではなさそうだが、奥からツウと液体が流れてくるような感覚に、鼻血が出ているのだと気がついた。それを裏付けるようにして、上体を起こした俺の鼻の穴からぼたぼたと血が垂れ、地面に赤い斑点がいくつかできあがる。


「なに、気にするな鼻血のひとつやふたつくらい。ナノマシンであっというまに止血できるわい、カカカ!」


 カラカラと笑い声を上げるドブネズミを前に、俺は鼻血を手の甲で拭い、口に逆流してきた血反吐を地面へと吐き捨てる。接近戦での戦闘はネズミ男に分があることを悟った俺は、なおも離さず握り締めていた拳銃をやつに向ける。


 しっかりとトリガーに指をかけ、そして――


「…………っ」


 カチン、と軽い撃鉄の音。

 俺は目を見開きながらも、持っていた拳銃に視線を向ける。

 俺が抜いた拳銃にマガジンはなかった。いや、盗まれたというのが正しい表現か。


「ほほう、お主が探しているのはこいつかのう?」


 ネズミ男がぷらぷらと装填されていたマガジンを見せびらかしてくる。


 返せ、と言いそうになるも、ネズミ男は慣れた手つきでマガジンから弾をすべて抜いてしまう。じゃらじゃらと銃弾を手のうちで鳴らすネズミ男を前に、俺はようやく思考が冷静になってきたのか、しぶしぶ銃をしまう判断をとった。


「あんた、ニンゲンだったのか。……俺に何の用だ」


「カカカ、やーっぱり間違えておったか。殺気の出し方からして、まるで復讐の対象を見つけたようなドロドロとしたものじゃったからのう。恐ろしくてかなわんわい」


 再びカラカラと笑うネズミ男を前に、俺は鼻血を拭いながらも立ち上がった。


「……ああ。てっきり、チルドレンなのかと思った。下層に侵入されたのか、ってな……」


「カカカ、そりゃ申しわけないわい。ワシは単に、あやつらほど獣堕ちしとらんだけじゃからのう。じゃが視界の端に入っただけで撃ち殺す判断ができるとは、お主もなかなかに洗練されておるな」


「…………」


 分かりやすいお世辞に踊らされまいと、しばしの沈黙でもって返答をする。


 だが、やはりというべきか、人間ではない見た目の生き物が人語を話しているのは、どうにもむず痒いものがあった。

 俺は仕方なく、ネズミ男の外見について聞いてみることにした。


「あんた、侵蝕症状が……」

「……ん? ああ、この姿か。よく言われるわい、ドブネズミみたいじゃと! 昔、月庵に連れていかれて無茶苦茶に体をいじられた結果じゃな。ワシ以外にも探せば、人外の見た目をしたやつなんざその辺で歩いておるぞ。カカカ!」

「…………」


 軽快な笑い声と共に、ネズミ男はいかにも笑い話だと言わんばかりの口調で話をはじめる。


「いやはや、体を担保に金を借りるのはいささかやりすぎたとは思っておったが、それにしても月庵は飛び抜けて容赦がないからのう。せめて、もうすこし美形になってもいいじゃろうに」

「…………」

「もっとも、あやつらにとってはレベル5の汚染度でも、人間が自我を保ったままなのかどうかを実験したかったようじゃがな。ワシは残念ながら、あやつらの望むにはなれなかったってことじゃな! カカカ」

「…………」

「ワシの他にも、顔がヘビみたくなったやつ、全身から異常な量の体毛が生えてきたやつ、そもそも肉体じゃなくて義体のやつ。色んなやつはいるが、よりにもよってドブネズミはないじゃろう。そうは思わんか?」

「……そうか、残念だったな」


 特に驚くような話でもなかったため、簡単な相槌を打つと近くのベンチに腰かけた。

 ナノマシンの止血処置を円滑に行うためにじっと静止していると、ネズミ男はなぜかまだ俺に用があるようだった。


「まあ、稀にQ粒子との相性がバツグンすぎて、こうして人間性を保ったままチルドレン化するやつもいるってことじゃ。気にするでない。これで全裸ならチルドレンとよく間違われるが、こうして強化服や銃で武装していれば、そうそう間違いは起きん。……ま、たまにお主のような者はおるがな、カカカ」

「――で、俺になんのようだ。右手の心配なら、別にすぐに医務室にでも行けば治る話だ。あんたが憂慮すべきことじゃない」

「ところがそうともいえんのじゃな、これが」


 ネズミ男は鼻水をすすりながら、こちらに弾の抜いたマガジンを投げてくる。それを受け取ると、ネズミ男はあっけらかんとした表情で意外なことを言いだした。


「ワシはお主の仲間として立候補しに来たんじゃよ。そう自暴自棄になって、ロクな死に方をされても困るからのう」

「…………分からないな。なんで俺なんだ?」


 どうやら鼻血はすでに止まったらしい。

 俺は立ち上がり、残弾のないマガジンと両手をカーゴパンツのポケットに突っ込むと、ネズミ男と再び相対した。


「それは、ほら、……レベル5と交戦して生き残ったのはお主だけだと言っておるし、将来有望株の金魚の糞みたく付きまわっておれば、金回りも良さそうじゃからのう……」


 しどろもどろに答えるネズミ男に、俺は内心、警戒度をすこし上げながら返答をする。


「だとしても、俺の仲間はあいつらだけだった。こんなクソみたいな施設で、俺たちは同じ釜の飯を食い、同じ苦汁を舐めて生きた。いまさら、アンタみたいのを仲間にいれるつもりはない」


「ヤブ医者ディールの紹介――。これならどうじゃ」

「…………」


 そう言われて、俺はなんでその名前を知っているとばかりに胡乱気な目を向ける。


「なに、単に古くからの知り合いってだけのことじゃよ。お主の言うところの旧友ってやつじゃな」

「…………」


 俺は目の前のネズミ男の真意を測りかねていた。


 簡単に仲間に加われとは言いたくはない。


 そんなことを言えば、まるで仲間を消耗品か何かと考えてるやつみたいで嫌だったからだ。

 それはネズミ男も分かっているようで、ちょんちょん、と自分の左腕を指さすとニヤリと笑った。


「左腕、ないと不便じゃろ。……なに、最下層に良い義肢装具士を知っておる。デタラメに射撃訓練をしていても力はついてこないからのう。強くなりたいのならついてこい」


 どうやら俺の切断された左腕のことを言っているらしい。


 俺の左腕には、乾いた血のにじむ包帯だけが切断面に巻かれている。いまは鎮痛剤で幻肢痛も抑え込んではいるが、体が薬に慣れればじきに悶絶するほどの痛みがやってくるだろう。


「最下層、裏ブロック地区……、俺は行ったことないぞ」


 だが、俺はまだ渋るようにして腕を組んだ。


 最下層、通称:裏ブロック地区はこの都市で最も治安の悪いエリアだ。

 毎日が、殺人、誘拐、薬物取引、人体解剖、のオンパレードだと聞いている。下層に住む一般人でも行かないレベルの場所だ。危なすぎる。


「この都市の上・中・下層を大樹の切り株だとするなら、裏ブロック地区は根っこの部分じゃのう。建築当時のごたごたでチルドレンも稀に迷い込むことがある。Q粒子濃度も完全には除去されておらん。下層でもさらに貧困層、家すら持たない者たちがゴミ漁りをしている場所じゃな」


「……そんな場所に義肢装具士なんているのか。第一、俺はあんたのことを信用しきれてない」


 俺がそう言うと、ネズミ男は何を当たり前のことをと呆け面をしたあと、口を開いた。


「そりゃそうじゃ。会ってすぐに他人を信用する輩なんて、ワシの方が信用できん」

「じゃあ、なんでほいほいとついていくと思った。言っておくが、俺は行かないぞ、そんな場所……」

「……フム……」


 ネズミ男はしばらく顎に手をあてて考える仕草をすると、ポン、と手を打った。


「なら、これを返そう。手を出せ。……なに、すこしでも不審な動きをすれば、それでワシを後ろから撃ち殺せばいい」


 そう言ってネズミ男は近づいてきて、俺の右手に、ざらざら、と飴でも渡すようにして抜いた銃弾を乗せてくるのだった。

 そういえば返してもらったのはマガジンだけだったなと思いながら、俺は硝煙の臭いが手にこびりつくのを無表情で見下ろす。


「どうしても来てほしいんだな。……本当に撃つかもしれないんだぞ」

「なに、それだけお主には信頼しておるってワケよのう、カカカ!」


 俺はそう言うのならばと、ネズミ男の目の前で、カチン、カチン、とマガジンに弾込めをする。

 弾込めが終わったマガジンを銃に装填すると、俺はネズミ男の目を見ながらそれを後ろ腰のズボンもといヒップホルスターに突っ込み、シャツで隠した。


「とりあえず、あんたの名前だけは聞いておく。もし俺を騙そうとか考えてるのが分かったら、その時点であんたを後ろから撃つ」


 俺がそう言うと、ネズミ男は嬉々とした表情でこちらを向くのだった。


「決まりじゃな! ワシの名はゲーテ。……ゲーテ・ピグじゃ。気軽にゲーテと呼びィ、カカカ!」

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