第41話 直せない傷跡

 俺はあの後、ジャンクショップの店主にクズ鉄同然の値段で機械少女を譲ってもらった。店主が言うには、炉心溶融しかけた義体なんて早々に処分したくてしょうがなかったということらしい。Q粒子とかいう未知の物質を使ったエネルギー供給源は廃棄するにも金がかかり、修理しようにも炉心の情報は企業が独占しているため、迂闊に手を出すこともできないのだとか。

 もし、勝手に修理でもしようと手を出して炉心を溶解(メルトダウン)させれば、間違いなく作業していた者は侵蝕されて死に至る。そのため、おそらくは機械少女を拾ったであろうスカベンジャー共も、生体内蔵パーツまで毟(むし)ることはできず、四肢の一部だけをもいだのだろう。


 店主になかば感謝されながらも、俺は爆弾でも抱えるような気持ちで足早に走っていく。もし、炉心が爆発しても平気だろう人物と、この機械少女を修理できるかもしれない人物に心当たりがあったからだ。


【ディール医院】


 やがて見えてきた小さな病院は、廃病院のような空気を放っていた。院長の名前が緑色の蛍光灯で表された看板の隣には、バツ印のネオンが真っ赤に彩られており、そこが病院として成立していることをかろうじて示している。


 廃墟と化した、かつて倉庫として利用されていたのだろう建物。剥き出しのコンクリート壁にはヒビ割れて銃痕すらあり、襲撃された後なのか、割れた窓ガラスはベニヤ板を張り付けて応急処置をしているだけ。一言でいえば、倒壊寸前の廃墟だ。


 俺は廃墟同然の建物へと走っていくと、錆びついた扉を開けて中へと入った。


 やたらと頑丈な扉は、下層にチルドレンが侵入してきたことを想定してのものなのか。それとも、下層の地下組織による襲撃を想定してのものなのか。

 どちらにせよ、俺はなんとか扉を押していくとホコリ臭いボイラー室を抜けて、倉庫のようなすでに月庵のせいで崩壊した病室を抜けると、階段を降りていき地下の診察室へと直行した。


 俺は壊れたアンドロイドを両腕で抱きかかえながら、滴り落ちる藍い血をできるだけこぼさないようにして、虚ろな目をする孤児たちに囲まれたまま作業をするディールへと駆け寄った。


してほしい。急ぎなんだ、頼む……」


 藍色の血が滴る少女を抱きかかえた俺を見て、ディールは驚いたようにして硬直した。

 なぜ、このとき俺が「修理」ではなく、「治療」という単語を使ったのかは分からない。

 リリーのようなことにはなって欲しくないと深層心理で思っていたからなのかもしれない。どちらにせよ、電波ジャックして受信した音楽がうっすらと流れる手術室で、俺とディールはしばらくの間互いを牽制するようにして立ちつくしていた。



             ***



『まさかオマエが、アンドロイドなんて拾ってくるとはナ。これを修理するとなると、お前の持っている貯金のほぼ全額を使うことになるぞ。それでも、本当にいいんだな?』

「ああ、構わない。やってくれ」


 抱えていた少女の体を手術台に横たわらせると、どうやら少女はすでに気を失ってしまっているようだった。死体のようにピクリとも動かない少女に、俺は思わず死んでしまったのかと焦りだす。


「まさか、死んで……」

『いいヤ、ただのスリープだよ。シャットダウンはしちゃイナイ』


 そんな疑問をディールはやんわりと否定しながら、少女の義体の損傷個所をカクついた動きで確認し始める。元からディールは壊れかけの義体者らしいノイズが走る人工声帯を使っていたが、会うたびに仕草や動きが機械じみていき、最近はさらに人間味を失いつつあるような気がする。


 現に、今もまるで昆虫のようにクリクリと首を動かしながら、ディールは少女の体をまさぐっている。

 ディールはバケツに入った水を用意すると、少女の体についた汚れを濡れた雑巾で拭いていく。そのたびにびしゃびしゃと手術台の下に水たまりができていくが、ディールはまるで気にしていないようだった。


『それニシテも、ずいぶんと酷い扱いをされたみたいだな。……何かに跳ねられたか、高所から落ちたか。これは……、汚水でだいぶ汚れてはいるが、だいぶ高価なシリコンの人工皮膚だ。表面に火薬を使ったような焦げ跡はない。となれば、金持ちの道楽でダスト・シュートにでも蹴り落とされたか。ハタマタ……』


「……つまり、この子は意図的に下層に落とされたと言いたいのか?」


 ディールは少女の口に水色のマスクをかぶせると、スイッチを押して傍にあった装置を起動させた。

 直後、重低音とともにチューブからマスクにかけて霧状のガスが送り込まれていき、少女は赤かった頬をすこしだけ落ち着かせた。


 どうやらマスクはアンドロイドの用のものらしく、俺が左腕の義手を取り付けたときの麻酔用マスクとは違うものらしい。


『……さァな。ショージキ、これだけじゃ分からン。冷却材は、まだ在庫がアル。……とりあえず、こいつの脳核を開けてみない限りはどうにも判断できないナ』


 ディールはどこから持ってきたのか、レンチやドライバー、溶接棒にメスなどの道具を用意すると、こちらをチラリと見てくるのだった。


『――本当にいいのか? 最悪、修理がうまくいかずに、壊れて再起不能になることだって……』

「……どちらにせよ、いま治療しないとこの子は生きられないだろ。可能性がある方に、俺は賭けるよ」


 なんとなく、自分が少女を人間として見ているのに対して、ディールが少女を機械として見ていることに複雑な感情を覚えながらも、俺は脳核を開けてもいいと指示を出した。


 ディールが了解したとばかりに、少女の後頭部に電動ドライバーを当てると、人工の白い髪の毛ごと後頭部を取っ払う。ひたいからうなじにかけて、髪の毛の生える部分を境目にして、カパッ、と意外と簡単に外れるものらしい。


 頭部にはちょうど人間の脳と同じサイズをした、明るい土色の金属の塊が乗っていた。つるつるとした塊の表面には火気厳禁や赤い「Warning」の警告文など、数えきれないほどのデカールが貼られており、それがどうやら脳核というものらしかった。


『どうやら脳核は無事ラシイ。だいぶ損傷もないように思えるが、サテ、中身は――…………ッ』


 その脳核の固定ボルトをさらに慎重に外していくと、どうやら脳核は上下半分に断面図のようにして外れた。グリスでも塗られていたのか、何かの粘液質な液体が糸を引くのだった。これが脳核:ニューロコンピュータというものらしい。


 人間の脳みそと変わらないような配列で、目に見えないほど小さな動力回路やら制御回路やらの制御盤が混ざった構造に、毛細血管のようなコードが無数に入り乱れている。あまりにも人間の脳みそと酷似した見た目のそれに、俺は思わず一歩身を引いてしまう。


「なんというか、その、……グロいな」


 そんな感想を漏らしてしまう俺に対して、ディールはなぜか硬直したまま脳核の中身を眺めている。


『ナンダ、この、メンタルモデルは……』

「…………、……何か問題でもあるのか?」


 そう言うと、ディールは迷ったようにして金属の手で頭をかいた。


『……初めて見るタイプだ。……いや、脳核の構造自体は同じなんダガ、これを見てホシイ』


 そう言いながら、頭部から見たことのないチップをピンセットのような指先で取り出す。虹色に輝くサイケデリックな塗装がされた正四角形のそれは、くしゃみでもしたら、どこかへと飛んでいきそうなほど小さなものだった。


 ディールが興味深くそれを摘出し、デジタル拡大鏡で近くのモニターに、チップの表面にレーザーで書かれた文字を映しだす。



【Stella ver.3rd ES】



『……ステラ……』


 おそらくは少女のメンタルモデルの名前なのだろうそれを、ディールは神妙な面持ちで呟くのだった。


『聞いたことがある。たしか、月庵が人間と同じレベルの思考と人格をもった、VIP専用の人工知能の商品化を進めているとか。……分子レベルでコピーした赤ん坊の脳みそをサーバーにアップデートし、電子空間で人間と同じく成長するアバターを元に人格を育てていき、ありとあらゆる戦闘訓練を課したのちに出荷される。――最後には、摘出した人格を義体にインストールさせ、アンドロイドとして働かせる。既存のアンドロイドと違って、相当に自然な振る舞いをするんだとか』

「……そんなの、奴隷と変わらないじゃないか」


 俺はその話を聞いて、絶句した。


『――噂によると、その人格を育成するための仮想空間は月面都市「ラウンドゼロ」とやらのサーバーで運営されているラシイ。……だが、それでも陰謀論の域をでない妄想の類ダ。そもそも月面都市建設のムーンバレー構想は二百年も前に白紙化されて、月に都市があると本気で考えているやつはほとんどいない。……それに、俺たちが考えているよりも月と地球の距離は遥かに遠い』


「じゃあ、噂話に過ぎないってことか?」


 薄暗い手術室の中、パチパチと電球が点滅する。

 ディールは地下の手術室の端に設置されたカプセルをちらりと見ると、少女のメンタルモデルをじっと見つめるのだった。


『ソウとも言えないな。……現に、このメンタルモデルは既存のどの企業のカタログにも載っていないものダ。ESってことはテストタイプの義体なんダロウ。もしかすると、ラウンドゼロでの人間と同程度の思考・人格・感情を持つメンタルモデルの製造も、本当なのかもしれないナ』

「…………」

『……ま、あくまでも都市伝説とかゴシップの域をでない噂話ダ。そうカリカリと気にすることでもナイサ。……でも、良かったじゃないカ。スカベンジャーのやつらも、これには価値がないと誤って判断したんだろう。屑鉄と同じ値段で買ったのなら、この人工のメンタルモデルだけで相当な利益になるゾ。……売らないのカ?』


 俺は間髪入れずに首を横にふった。


「売らないよ。治療してもらうだけだ」


 ディールはその言葉を聞いて理解したとばかりに頷くと、再び、メンタルモデルのチップを脳核へと戻すのだった。


『酔狂なヤツだな。ツクヅク、お前という人間が分からナイ』

「別に道楽でやってるんじゃない。約束を守るためにやってるだけだ。俺は別に、こんなの求めちゃいない」

『ソウカ、……そういうことにしておいてヤル』


 ステラという名のアンドロイドの脳核は、幸いにも構造が頑丈だったおかげでほとんど破損していなかったらしい。視神経(コード)や眼球(カメラ)、鼓膜(マイク)、中継ターミナルとしての脊髄も無事らしく、俺はほっと胸をなで下ろした。


『脳核はこのままでも問題ナイ。後は、義体側の人工臓器と欠損した四肢、Q粒子崩壊炉の修理ダガ、こっちは特殊な技能を持ったヤツでないと危ないカラナ。……悪いが、助っ人を呼ばせてモラウ』

「……助っ人?」


 疑問符を浮かべそうなほど間の抜けた声を漏らす俺に対して、ディールは脳核を元に戻してボルトを固定すると、少女の頭部をカパリと乗せてネジを締め、どこかへと連絡を入れるのだった。


『やたらと腕の立つ、カエルの義肢装具士ダヨ』



             ***



 二時間ほどが経ったころ――。


 上層の放送局から発信される著作権法にガチガチに守られているはずのジャズが、海賊版の違法放送によって一回り小さな音で流れている。先ほどまではクラシックだったのだが、どちらも大災害前に聞いたことがあるような曲だった。コード進行でさえ、似たものはレコード会社によって告訴の対象になると聞いたことがある。


「おお、ディールや。久しいのう! また人工の腕を増やしたのか。これじゃまるで、四本腕のカマキリみたいじゃな」

「ディール、注文は確認したが、もうすこし前に言ってくれないか。オレだって焦るときもあるンだ」


『――悪いナ。急ぎだったもンデナ』


 ネズミ男もといゲーテと、義肢装具士のカエル男が、ディール医院に工具箱を握りながら乗り込んでくる。そして、手術台に乗せられた少女を見るや否や、仰々しく驚くのだった。


「な、なんじゃあこりゃア~~」


 ゲーテが左右の頬を両手で押さえて口を尖らせながら、ネズミ顔で「ビョエェ~」といった奇声を上げている。そんなわざとらしい反応をするゲーテをよそに、カエル男は工具箱と何やらパンパンに膨らんだビニール袋を台のそばに置いて、少女の切断された箇所を観察しはじめる。


 透明なビニール袋の中には、ディールが取り寄せた替えの右腕と左足および人工臓器が入っているらしく、藍色の人工血液で濡れたそれは物騒極まりないものだった。とはいえ、サイズもきちんと少女のものと合うものを見繕っているらしい。


「ほう、これが拾ったアンドロイドか。オレも少女型のやつは、中層のロリコン野郎が持ってた玩具用しかいじったことはねェが、……さて、こいつはどんな炉心を積んでるのかね」

『どうやら人工臓器がいくつか潰れていて、合金の肋骨が何本か折れてるラシイ。人工筋肉も張り直す必要があるダロウな』

「へェ、……となれば、すべて総改修とまではいかずとも、かなりの改造が必要になるだろうな」


 ディールが少女の腹部や胸部を触診しながら、シリコンの皮膚に中から折れて突っ張っている人工骨の位置を確かめている。どうやら少女の胸部には、いわゆる動力源であるQ粒子を使った炉心が搭載されているらしい。


 手術室の無影灯が眩しいせいで見えづらいが、少女の胸の中央からは暗めな青色の光が漏れている。

 シリコンの皮膚から透けて見えているそれは、どこか不安な気持ちにさせる光だった。


「ふむ、……ああ、なるほど。合金の肋骨が何本か折れて、炉心を冷却するための肺に刺さって、熱暴走しかけているのか。……冬で良かったな、夏だったら暴発していたかもしれねェ。どちらにせよ、冷却用のマスクで保ってはいるが、すぐにでも直さないとマズい状態だ。……ゲーテ、掃除機を準備してくれ」

「――ほほい、もう用意ならしておるぞ」


 カエル男が近くにあったメスを手に取ると、少女の胸部から腹部にかけてなぞってシリコン製の皮膚を切開していく。すると、毛細血管の役割をしていただろうチューブから、藍色の血があふれだす。それを、近くに掃除機を片手に待機していたゲーテが、嬉々とした表情で吸い取り始める。


 だが、カエル男の腕が良かったらしく――幸いにも、太いチューブ血管が切断されていないことから――出血は微量のもので済んだらしい。もっとも、人間ではないので血が足りずに死ぬということはないだろうが。


 メスでシリコン製の皮膚を切開する際に、先の脳核のこともあってかグロテスクな中身を思い浮かべてしまい、思わず一歩身を引いてしまう。しかし、少女の体内は想像よりもロボットのイメージが強い見た目で、拒否反応はそこまで起こらないのであった。


「やっぱり、ところどころ損傷が激しいものがあるな。――っと、オレが持ってきた替えの臓器だけで足りるかどうか……」


 まず最初に見えたのは、いかにも金属らしい光沢を放つ胸骨と肋骨、その下にぼんやりと暗い青色の光を放つ炉心だった。灰色をした機械の肺は、人間のものとは性能が違い、義体の各所を冷却するための装置らしい。

 レーザーで刻印されたのか、[No Fires.]という文字が端にあるのが見えた。

 少女に意識はないため、機械の肺は小さく伸縮を繰り返しており、冷却ガスを入れているおかげで熱は帯びていない。だが、肺には合金の肋骨が何本か横から刺さっており、そこから冷却ガスが漏れ出ていた。


「ほほう、これがお主らの言っていた、炉心というやつか! ずいぶんと暗い光を放っておるんじゃのう!」


 ゲーテがはしゃいでいるのを無視しながら、俺たちはまず、義体の全体構造を把握しようと目を細める。


 どうやら少女は燃料となるエネルギー源を口(クチ)もしくはうなじの栓から食道へ直接補給するタイプらしく、それを貯蔵するための胃袋に、吸収するためのナノカーボンチューブの腸が確認できる。G型ABAを濾過するための肝臓に、廃水処理をするための腎臓が二つと、炉心とは別の人工血液を全身に送るためのポンプが各所に三つほど点在している。


 エネルギー源を吸収しやすくするためなのかは知らないが、他にも人間にはない人工臓器がいくつかあり、その性能が何なのか俺には皆目見当もつかなかった。かろうじて分かったのは、バッテリーらしき塊がデッドスペースのような場所に二つほど入れられているくらいか。


「こりゃすごい。ぜんぶ、月庵の傘下企業『バイオ・ネオテック』のメカデバイスで統一されてやがる。ここまで統一されている義体なんて初めて見たぞ。よくスカベンジャーに見逃してもらったな。大方、中層かどこかのロリコン御用達の玩具用アンドロイドだと勘違いしたんだろうが、それを屑鉄同然の値段で買った兄ちゃんも相当にラッキーなやつだ!」


 カエル男にバシバシと背中を叩かれながらも、俺は少女の体内をアゴに手をやりながら観察するのだった。

 たしかに少女の体内では、人工臓器が正常に動いているかどうかを判断するためのLEDインジケータが、ところどころ黄色や赤色に変化している。通常であれば緑色のものが灯るハズなので、これは相当に損耗が激しいということになる。


「酷いな。……これ、ちゃんと治療できるのか」


 思わずディールの方を向きながら、俺は治療の有無を尋ねた。


 おそらくは一番衝撃のあったであろう左わき腹あたりの肋骨が折れたせいで、その金属の破片が体内の至るところで悪さをしているのだろう。よく見ると、肝臓らしき場所にある破損した人工臓器から、ぶくぶくと人工血液の泡をふいている箇所さえあった。


『……アンドロイドは臓器もユニットも含めて、ユニバーサルデザインかつ互換性のあるものが採用されてるカラナ。義体者だと個々人の体格や癖に合わせる手間のせいでそうもいかないガ、最初から義体のみで構成されたアンドロイドなら話は別ダ。もっとも損耗の酷い臓器やパーツ、メカデバイスはすべて必要な最低限の中古パーツに変えさせてモラウガナ。元のバイオ・ネオテック社の義体よりかは出力もダイブ落ちるが、それでも動かないよりかはマシだろうカラナ』


 どうやら、アンドロイドの義体というのはパーツを交換するのを前提に設計されているものらしい。

 ディールとカエル男は手っ取り早く、少女の体から黄色と赤色のLEDが点滅する損耗の高い人工臓器を外していくと、ビニール袋に入った替えの臓器をガサゴソと見繕っては交換していく。


「なんだが、合成生物(キメラ)でも作ってる気分だ。こうも簡単に臓器とか入れ替えられてるのを見ると……、なんというか……」



 俺は憤りを隠せないとばかりに、体を小さく左右に振り、居心地の悪さを露わにした。



「テセウスの船か。人体の肉体を人造臓器に変えていって、しまいには自我を脳核にデータ化させて、それでも鏡の向こうに映るやつが自分だと言えるかどうか。そういうことに悩むやつは意外と珍しくない。……だけど、すぐに慣れるさ」


 カエル男が肺に刺さった少女の合金肋骨をボリボリと毟り取ると、ブシュウ、と盛大に冷却ガスが外へと噴出した。穴の開いた人工肺を取り外しながら、新しい人工の冷却肺へと付け替えていく。もう片方の肺は損傷が少ないため交換はしないらしい。微妙にサイズとカラーの違う新しい臓器を見比べながら、俺はカエル男の話へと耳を傾ける。


「……それが環境に適応したのか、それとも人の枠から外れたからなのかは知らないけどな。大抵のやつらは一度でも臓器を変えれば、歯止めが効かなくなったようにして自ら義体化を受け入れはじめる。そいつらが言うには、所詮、自我なんてものは曖昧で境界のない幻想に過ぎないんだと。それに気づけて良かったと、口を揃えて言いやがるんだ」


 カエル男は藍い人工血液に濡れた手でひたいの汗を拭うと、そのまま、キョロリと眼球をこちらに向けた。


「大昔の暇な哲学者の中には『動物機械論』だなんて謳ってたやつがいたらしいが、実際は人間も動物であり、機械に過ぎなかったってことだよ。…………、……そこのタオルとってくれ」

「…………、……俺たちは、ロボットなのか?」


 俺がタオルを渡しながら、その視線に対して疑問で返す。

 カエル男は眼球を少女に再び向けると、タオルで手を拭きながらあくびを噛み殺し、そして肩をすくめた。


「……さァな。だが、魂とやらを0と1の二進法で表せてしまった以上、ロボットと人間との間にそう差なんてなかったってことだろう。構成する物質がタンパク質か、金属かの違いなだけでな。……もっとも、それだと困る連中は多くいるようだが」


 カエル男は呆れた口調で皮肉を言うと、破棄する予定の人工肺に刻まれた企業(コーポ)名を眺めながら、「ふぅ」とため息をついた。


「既得権益バンザイ、商標や著作権は最初に登録したもん勝ち、ってな。……さ、とりあえずの応急処置はできた。四肢の接続や諸々(もろもろ)の調整はまだ残ってるが、先にQ粒子崩壊炉の修理をしよう。熱暴走で侵蝕されるのも冗談じゃないからな」


 カエル男のその言葉で、全員の視線は藍色の暗い光を放つ炉心へと向く。


 ラジオからは依然として――まるで隣人にバレないようひっそりと聞くような音量で――三百年前の音楽が流れていた。司会進行役の機械音声が簡単な感想と次の曲の題名を言うと、やがて別ジャンルの曲へと変わっていく。今度は邦楽らしい。ガビガビな音質のせいで、何を言っているのかまでは聞き取れないが。


 そのとき、俺はふいにゲーテがもぞもぞと何かを、少女の下腹部に入れていることに気づいた。


「おい、ゲーテ、お前なに入れてんだ?」


 ゲーテの間抜けな顔がこちらを向く。


「自爆装置じゃが」

「やめろ。今すぐ取り外せ」


 さも当たり前のように返事をするゲーテに対して、俺は眉の角度を上げながら腕を組む。


「……そうは言ってものう。……ネオミナトミライ都市政府は、アンドロイドを運用するときは必ず自爆装置を組み込むように、と言っていた気がするんじゃが……」

「今更、NMM都市政府に従うつもりなんかねェよ。やめろってんだよ」


 ちェ、かっこいいのにのう――、とほざくゲーテを追いやりながら、俺は再び少女のQ粒子崩壊炉へと目を向ける。


 アンドロイドには「Q粒子崩壊炉」と呼ばれる炉心が動力源としての役割を担っており、そこから莫大な電力を全身に供給する仕組みになっている。外部電源でも動くらしいが、やはり自立した二足歩行型のアンドロイド、しかも戦闘用ともなればバッテリーだけでは足らず、炉心は欠かせない存在になるのだろう。


 今でこそ、多くの大型航空機や装甲戦闘機などにも搭載されているQ粒子崩壊炉だが、最初のころは多くの暴走・暴発事故や炉心溶融(メルトダウン)が起こったらしい。燃料こそウランではないものの、危険度で言えばそう変わりはない。――もっとも、扱いやすさは段違いらしいが。


 防炎用の透明なビニールカーテンのシートを雑に閉じながら、カエル男は手術台の傍に配置された三台のモニターをじっと見つめた。

 傍には人工心臓としてのポンプが静止しているため、まったく動きのない心電図に、簡単な炉心の温度と内部圧力を測るデジタルモニターがあるだけだ。「130」と表示された画面では、ときおり数字が上下している。


 俺は少女の胸あたりにある炉心へと手をかざしながら、じんわりと手の平に染みわたるような温もりに、放射される光をじっと見つめてしまう。

 カエル男がじっと、非難するような目をこちらに向ける。


「暗い感じの色だな。……何というか、ぬるい」

「触るなよ。皮膚が一瞬で炭化するぞ。……つっても、今はほぼ仮死状態の温度だから、火傷程度で済むんだろうけどな」

「本当なら、どのくらいの温度になるんだ?」

「……そうだな。だいたい、500から800度くらいだな。肺の冷却機能のおかげで実際はもっと冷えているが、1000度を超え始めると、ちと、まずい」


 カエル男の言う『まずい』は、十中八九、メルトダウンのことを指すのだろうなと思いながらも、俺はビニール袋に残った義肢と謎のケーブルの束を観察する。


「よく、そんな温度で保ってられるな。金属とか溶けそうな気がするが……」

「……そうか? イマドキ、炉心の中の温度なんてそんなもんだろ。そもそも、500度を下回った温度は燃料不足だから義体は起動すらできないぞ。予備の内臓バッテリーがあれば別だが、ハッキリ言って、それでも数分もつかどうか。なんせ、義体は莫大な電気を消費するからなァ……」


 カエル男は炉心の状態を確認しながら、点検を済ませたらしい。

 炉心に問題がないことが分かってか、しきりにカエル男の顔がほころぶ。


「燃料が足りているかどうかは、胸の中央で透けた光と目の虹彩、体のどっかのパーツの「色」を見れば一発で分かる。黒や紫が完全なガス欠で、藍色から水色が燃料不足、緑から黄緑が正常な色だな。黄から赤になるとオーバーヒート状態だから、気をつけたほうが良いぞ。……こいつは、が目の色と同じように、炉心の温度によって変化するタイプらしいな」


 たしかに、そう言われて少女の髪の毛の先端を見てみると、白髪の先端がすこし藍色ぎみに黒っぽくなっている気がした。


「一応、オレが知ってる限りの色で悪いが、メモ書きを送っておく。まあ、確認せずともすぐに分かるようになるはずさ」


 カエル男が空中で何かをいじるように手を動かした直後、懐で何かが振動した。

 まだ、現実拡張のための眼球UIユニットが完成していないため、俺は懐からタブレットを取り出すと簡易通信で送られてきたメモを確認した。



【電力不足「→紫→藍→水→緑→黄緑→黄→赤」排熱不良】



 わざわざ、こんな文面にしなくてもいいのにと思いながらも、俺はタブレットをそっと内ポケットへと戻した。


「これで終わりか?」

『いいや、まだまだダナ。他にも人工肺のフィルター調整と、断線したケーブルリンパ腺の交換、第二心臓ポンプの点検に炉心の起動経過観察、何より右腕と左足の義肢を新しく接続させる必要がアル』

「…………」


 内心、ディールの言葉に口の端をへの字に曲げそうになるが、何とか堪えて、俺は次の修理箇所はどこかと聞きながら雑用として奔走する。

 そうして俺たちは、その地下の研究所然とした見た目の手術室で――休憩を少しずつ挟みながらも――十時間以上にも渡る修理は終了したのだった。




            ***




「やっと、終わったか……」


 そう言いながら首を曲げると、あちこちからパキポキと心地の良い音が鳴り響く。


 すでに少女の体には胸部から腹部にかけて、手術痕とも言うべきシリコン製の皮膚を縫った跡があり、一見すると痛々しいようにも見える。だが、手術台の傍に置かれた心電図からは甲高い電子音が一定の周期で鳴っており、少女は穏やかに呼吸をしながら胸をゆっくりと上下させ始めていた。


「縫合には、二週間もすれば溶けて見えなくなるアンドロイド用の吸収糸を使った。だが、違う企業の臓器やら義肢やらをかなり強引に繋げたから、経過観察は一ヶ月は必要になるだろうな。もしメルトダウンでもしそうな気配があれば、すぐにここにまた持ってこい。……でないと、オレもNMM都市政府に呼びつけられて極刑にされちまう」

「……ああ、わかったよ」


 カエル男に諭されるまま、俺はゆっくりと頷いた。


 聞かずとも、カエル男とディールは資格のないモグリと呼ばれる者たちだ。

 ことディールにおいては、元は月庵で末端の研究員をしていたらしいが、あまりの非人道的行為の数々に耐え切れず、何かをやらかして下層に落ちてきたらしい。資格や設備こそなくとも、知識だけはある者たちなのだ。そこだけは信頼している。


 白髪の少女は、炉心が安定してきたのか髪先を水色に発光させ始めていた。

 淡い青色のそれは、どうやら炉心に燃料が追加されたことで、やがて鮮やかな緑色へと変化していく。義体の体温上昇のおかげか、頬にも赤みが増してきた気がする。


「……悪いな。せっかく、クリスマスだってのに」


 俺がそう言うと、ゲーテとカエル男は何を言っているのかと呆けた面で互いの顔を見合わせたあと、ゲラゲラと笑い始めた。


「クリスマス、のう。……あんなのは今や、ただの娼館や企業が客に金を使わせようとするためのイベントに過ぎんよ。ワシらには関係のない話じゃからな」

「ゲーテの言う通りだな。オレも暇を持て余していたんだ。いい暇つぶしになった。助かったぜ、兄ちゃん」


「…………、……そうか、それならよかった。本当に助かった」


 アンドロイドが裸を見られて恥ずかしいと感じるのかは知らないが、何となく寒そうにも見えたので、俺は少女に未使用のタオルをかけることで彼女の体を隠した。

 そして、一語一句噛みしめるようにして、俺は感謝の気持ちを込めて言葉を発した。だが、カエル男の顔はまだ、強(こわ)ばったままだった。


「まだ終わってないぞ」

「…………え」


 まだ、何か残っているらしい。


「後は、こいつが発狂しないかどうかのパッチテストが残ってる」

「……発狂?」


 何やら不穏な言葉に、俺はカエル男の方へと顔を向ける。

 だが、その説明をし始めたのは他でもないディールだった。カマキリのように機械の顔面を左右に傾けながら、クリクリと首関節のアクチュエーターを鳴らしている。


『ゆっくりと馴染ませずに、いきなり自分の魂の形とは全く違う義体に意識をぶち込まれれば、人によっては拒否反応を示すことだってアル。肉体と精神は密着に絡み合っているからナ。義体化人格乖離症のように、器が変化すれば自ずと精神もそれに引っ張られル。義体化するということは、それ相応のリスクが伴うってことダ。……心の傷は、治せないカラナ。…………、……ところで、ダ』


 ふいにディールが、鼻をつまむような仕草をしながら俺の方をじろりと見てくる。


 ディールは義体化手術をした、義体者(サイボーグ)だ。

 義体者は嗅覚を別のセンサーで置き換えることで補っているため、鼻をつまむ仕草には意味がない。義体にとって意味がない行為にも関わらず、義体者がときおり人間らしい仕草をするのは、彼らが元ニンゲンだったことによる習性を引きずっているからなのだろう。


 どちらにせよ、俺は何を言いたいのかとディールに視線を向けることで、話の続きを促した。


『そいつの義体の洗浄は、お前の家でヤレヨ。……ヒデー臭いダ。ここじゃ臭いが移るかもしれないカラナ。それに、シャワー室も月庵のやつらにぶっ壊されて、いまは水道管が一部破裂してる。間違っても使うんじゃネーゾ』


 そういえばと、俺は少女の体から漂う酸味の効いた臭いに気がついた。


 寒さで鼻が詰まっていたせいか、今まで分からなかったものの、確かに少女の義体からは何やらすえた臭いが漂ってくる。かけられたタオルで抑えられてはいるものの、どうやら少女の髪の毛などにこびりつく濡れた埃混じりの汚れが原因らしい。思わずじっと少女の体を眺めていると――


『流石にアンドロイドとはいえ、女児の体をジロジロ眺めるのは、褒められた趣味ではないと思うガ……』

「……傍から見ればそうなるのか、すまない」


 ――ディールがじろじろと少女の裸体を眺める自分に苦言を呈したため、俺は踵を返そうと振り向いた。

 そのときだった。

 そんな俺に待ったをかけたのが、他でもないネズミ顔のゲーテだった。


「いや、見るべきじゃ! お主は立場上、こやつの所有者という人間じゃ。こやつの足の小指から、髪の毛の繊維に至るまで、すべてを確認しておかんと詐欺集団にカモにされるやもしれんぞ! きちんと確認しておくんじゃ!!」

「……えぇ……」


 そう言いながら、目の前の薄汚いドブネズミは何を思ってか、少女のタオルをぺろんとめくるとまじまじと少女の局部を視姦し始めたのだ。


 俺は思わず、顔を引きつらせた。


「いや、もういい。そもそも俺はこんな年の離れた子に興味はない。別に戦闘で役に立てばいいだけで、他には何もいらないし、そういうのは求めてない。……だからやめろって、そんな油まみれの手で触るなよ。汚れるだろ……」


 だが、そんな俺の言葉を聞いても悪びれるそぶりもなく、ゲーテはネズミ顔の鼻を伸ばしながら、さも買ったフィギュアの局部を舐めるように見る変態どものように、「ほーん、ここはこんな構造になっておるのじゃな」などと呟いている。


 やめるつもりはないらしい。

 めんどくさいなと、半ば放置しようとしていたそのとき、少女がぴくりと肩を揺らした。



「……ん、……ぅ……」



 ふいに、少女のまぶたがすこしだが痙攣し、小さな嗚咽が漏れた気がした。



 嫌な予感がする。

 訓練によって培われた第六感が、すこし距離をとれと叫んでいる。



 俺はそっと少女の傍から離れると、手術室の照明の当たらない場所で立ちながら、じっと後ろで手を組んで静止した。


 直後、少女のまぶたが徐々にだが開いていき、やがて虚ろな目を覗かせ始める。

 すでに髪先と同じく、眼球の色彩にも鮮やかな「緑色」がつきはじめており、それはやがて意識が戻るのと同じくして完全な光を灯すのだった。


 純白の少女、改めステラは虚ろな目でしばらく宙を眺めていたが、意識が戻ったのか、ぱちくりと瞬きをしたあと、周囲を見渡すために上体を起こした。そして、股の間を覗き込むネズミ顔の男と、視線がバチりとぶつかった。


 理解できなかったのだろう。


 事態を飲み込めないとばかりに、少女は寝ぼけたような顔で頭をこてんと傾けながら、義眼のピントが合わないとばかりに目をこする。そして、もう一度顔を上げてネズミ男が何をやっているのか理解し始めるや否や、さーっと顔から血の気が引いていく。

 傍にあった炉心の温度計のモニター画面の数字が、「500」から「300」近くへといっきに落ちていき、目と髪先が「水色」へと戻ってしまう。



「ステラちゃ~んや」



 ゲーテがニチャアと不気味な笑みで、ステラの名前を呼び始める。


「排水処理にはな。コツがいるんじゃよ。……ワシが教えてあげても、いいんじゃよ?」


 ぱくぱくとステラの口が開閉し、自然と、視線が真っ裸で手術台に横たわる自分の体へと向いていく。そこで、ようやく状況を理解したのだろう。次の瞬間、かっとステラの顔が赤面し、傍にあった炉心の温度計が「800」に急上昇するのが見えた。

 色彩と髪先が「水色」からいっきに「オレンジ」へと変化し、怒髪天を衝く勢いで、ステラが怒りやら恥ずかしさやらを爆発させるのが分かった。


 こうなれば、もう止める手段はないだろう。



「このっ、変態――――っっ!!!!」



 ステラはタオルで自分の体を隠しながら右手を握りこむと、ゲーテの鼻めがけてぶん殴るのだった。義肢はきちんと動作しているらしい。鼻血を出しながら吹き飛んでいくゲーテを、俺は無表情のまま眺めるのだった。

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