第3話 サイバーパンク
ゴウンゴウン、と何かが振動する音が聞こえる。
それに、水の流れる音と大勢の人が何かを作業する声だけが、ぼんやりとした意識のなかで響き合っていた。
わあ、わあ、と誰かが言い争っているような声が聞こえる。そして、それは意識が戻るにつれて、すぐ頭上で行われていることに気がついた。
声はどこか異界の言語で行われているようにして、まるで聞き取ることができない。日本語なのだろうか。それでもじっと聞いているうちに、ふいにどこかからか耳鳴りが近づいてきて――
【■■■■■■、□□□□――】
「うっ、ぐ――!?」
突然、頭のなかを弄られる感覚と、脳髄に響く激痛が全身に走った。
痛い。とてつもなく痛い。まるで脳に異物を混入させられているような感覚に、しばらくのあいだ俺は動くことができなかった。だが、すこし待ってみると、やがて変化は訪れ始める。
『だからよぉ! こんな下層落ちのニンゲンなら、絶対に人工臓器や高級チップの一つや二つは持っているはずだろ!! 今のうちに攫っていけば、バレるはずがねえ!!』
だが、さっきまでまるで異国語を話していた彼らの会話を、なぜか理解できるようになっていたのだ。俺はバレないように死んだふりをしたまま、彼らの会話を盗み聞きしようとする。
『でも、ぼくたち……この前に【三ツ橋】の型落ち銃器をテロリストに流通させたとかで、もう企業から目を付けられてんだよ? もしこの人が、本当に傘下の企業のお偉いさんの息子とかだったら、今度こそ……』
『あれは……!! 企業転覆とか妄言を吐く、コーポの怖さを知らねえバカやろうが勝手にやったことだ‼ 俺たちには関係ねえことだろ!!』
『でもさぁ……』
うっすらと目を開けると、そこは薄暗いゴミ山のような場所だった。
天井は低く、漏電しているケーブルが何本も絡みついているのが見てとれる。おそらくあの産業用の巨大なファンが、あの音の発生源らしい。どれも赤錆に汚れており、とてもじゃないが触りたくない。
そして頭上にいた者たちの格好だが、どちらもカーキ色のジャケットを羽織っており、同色のコンバットパンツの腰周りには小型拳銃がぶら下がっていた。
なにより特徴的なのが、彼らはどちらも顔全体を覆うフルフェイス型のヘルメットをかぶっており、一人はウサギのようなシルエット、もう一人はネコのような動物がモチーフにされているようだった。
ひどく錆びついた金属を使っているようで、ウサギ男の方はどうやら膝から下が義足らしかった。
『……お、起きたか! ……ほら、手を貸してやるよ』
そのとき、俺の目が開いたのを確認したのだろう。ネコのヘルメットをした男が、ひどくくぐもった声で喋りながら、タクティカルグローブ越しの手を差し出してきた。
『どういういきさつなのかは知らねえが、おまえさん、あのチルドレンどもの死体と混じって都市の最下層の給水管に流れ着いてきてな。気づいたときはビックリしたぜー!』
『そうそう、ハハハ、ぼくたちはスカベンジャーっていういわゆる掃除屋の事です。ああいう死体とか、ゴミとかを漁って暮らしているヒトです。困っている人を見逃せなくてですね、ああ、怖くないです。あなたをハハハ守れって言われまして~』
それに乗じて、ウサギもへらへらと喋りだす。
……何か、おかしい。
どこか薄っぺらいせせら笑いに、中身のない話し方をするこいつらを、俺は信用することができなかった。
あたりには見知らぬ同じような格好をした者や、さらには薄汚れたTシャツ短パン姿の少年たちが、ゴミ山から何かを拾い上げて背負っているカゴに入れていく。そんな光景だけが広がっていた。
まったく見知らぬ場所で、ただひとり。
そんな孤独感からか、俺が思わず彼らの手を取ろうとした。
――そのときだった。
「うわッ、オペラキャットだ! まだ生きてるぞ――ッ!!」
突如として地下空間内に響き渡った悲鳴。
その意味を理解した瞬間、あたりは阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
『くそッ、なんだってこんなときにチルドレンが……』
我先にと逃げ出す者、拳銃を構えて特攻する者。中には、そのままゴミ漁りを続行する者もいた。だが、大半が悲鳴をあげながら逃げ惑うだけだった。
今いるゴミ山の二つとなりのゴミ山、その頂上あたりに俺を追ってきたバケモノがいることに気がついた。そして、その紫色に光る眼と俺の視線が交錯した直後、やつは空間を裂くほどの咆哮を放った。
あのバケモノだ。
俺を殺すために、追ってきたんだ。
その瞬間、俺は再び襲ってきた恐怖に耐え切れず、気づけばヤツとは真反対の方向へと走り出していた。
『あっ、こら待て! くっそ、オレの金が勝手に逃げるな!!』
後方で何かをわめき散らす声が響いた気がしたが、無我夢中でゴミ山を駆け抜ける俺の耳にはまるで入ってこなかった。
幸い空間が暗かったこともあり、捕まることなくそのまま通路らしき場所へと出る。あたりには巨大なパイプ管がヘビのように絡み合った「地下水路」のような場所が広がっており、方向感覚も自分のいまいる位置も分からなかった俺は、とにかく上へ上へと昇るようにして走り続けた。
「死にたくない、死にたくない、死にたくない……」
走りながら喘ぐように出した声は枯れぎみで、それはすでに体が限界に近いことを示していた。
***
何百と曲がりくねった通路を越え、それでも走り続けると、やがて俺は倒れ込むようにしてボイラー室のような部屋へとたどり着くのだった。
普段ならば、石炭やら木炭やらを入れて稼働させているだろうかなり古い型のボイラーたちは、長い年月使われていないのかホコリをかぶっており、それを蜘蛛の巣の張った壁の光源が照らしだしていた。
座りこみ、息を整え、ゆっくりと後ろを見る。
当然ながら、彼らが追ってくることはなかった。
そこには、暗い道だけがどんよりと佇んでいるだけで、人の気配などというものは皆無だった。チュルチュルと鳴き声をしながら、頭上では数匹のネズミらしき動物がパイプの上を走り去っていく。
ここにいても何も始まらないため、俺は彼らに
しばらくカビとホコリ臭さの蔓延する室内を進んでいくと、自分の頬にピチョンという音とともに何かが当たり、俺は思わず顔をのけぞらせた。
「水……?」
だが顔を拭ってみると、どうやらそれは水滴だということが分かり、緊張が走った胸をなでおろす。よくよく耳をすませば、どこか遠くの方で連続する水音が響き渡っていた。
水道管でも破裂しているのかと思い、真相を探るべくさらに奥へと進んでいくと、天井からちょっとした滝のように水が流れ落ちている場所を見つける。
「…………」
なにより、その天井からは光が漏れ出しており、何やら人の声や雑踏が聞こえてくる。どうやら、あれはマンホールらしい。上から光が漏れ出ている。――ということは、あの上に地上があるはずだ。
……帰りたい。
その瞬間、地下などという閉鎖された空間に心が病み始めていた俺は、なかば狂信的な郷愁を覚えたままマンホールへと繋がるコンクリートに埋め込まれた
途中、何匹かのゴキブリが手に触れた気がしたが、元の生活に戻れるという思いだけが心の支えだった俺には関係のないことだった。
頭の中には、呪詛のようにして響き渡る「帰りたい」という想いだけがいつまでも渦巻いている。
マンホールから漏れ出る光を、まるで希望が降り注いでいるような感覚で縋った俺は、そのまま鋼鉄梯子を自分の手が赤錆で汚れるのすら気にすることなく登っていく。
やがて覆うように乗せられた、あまりにも重すぎる鉄板をどける。
瞬間、丸々と太ったドブネズミが俺の視界を横切り、その影が視界の端へと消えると同時に視界が真っ白くホワイトアウトする。ずっと暗かった地下空間にいたせいか、急に明かりが灯る空間に出たことで瞳孔が悲鳴を上げているらしい。
それでも、なんとかマンホールから這いずり上がり、元の生活に戻れるのならと俺は歯を食いしばって目の前の景色を見ようとした。
やがて、その光景は姿を現し始める。
……違和感。
自分がコールドスリープされていた施設の謎の経年劣化、自分を喰い殺そうとした謎の生物、先の妙な格好をしたスカベンジャーと名乗る男たち。
コールドスリープされている期間は、せいぜい数十年程度だと医者からは聞かされていた。であればこの世界は数十年後の未来ということになるはず。
だから、俺は想像すらしなかった。
きっと、そこまで街並みとかも変わっていないのだろうと。
人も、物も、街も、すこし進歩した程度で何も変わっていないはずだと。
だが、そこにあったのは親しみ慣れた景色、などでは決してなかった。
『近年、世界各国で起こっている事件、人間の人格を違法にアンドロイドの人格基盤に移植する技術が使われた事件が――』
『YAMIHA製の自動小銃『バリトン800S』がヴァージョンアップして帰ってきた! なんと、今回の対新生物用小銃は――』
気づけば――立ち尽くしていた。
あまりの情報量の多さに、脳が理解を拒んだからだ。
雑踏、騒音、そして喧騒。数えきれないほどの人がしゃべる声に、彼らの不規則に連続する足音たち。この街に朝はない。昼もない。あるのは漫然とした夜だけだった。
ふと、目を閉じてみる。
遠くで鳴り続けるクラクション、ホログラム状に映し出されるアダルト広告の
それらが何十にも重なって、ひとつの騒音として鼓膜へと響き渡っていた。直後、何かが立ち止まっていた体にぶつかり、思わずよろめいてしまう。
『――チッ、邪魔くせぇよ』
「あ、すみま……」
思わず謝ろうと振り返るも、あまりにも速い流れの人ごみのなかでは、肩をぶつけた当人を見つけることは叶わなかった。
行き交う人々の格好も普通のソレではない。
ほとんどが体の一部を機械化させており、なかにはフルフェイス型の外部ガジェットのようなものを装着している者もいた。光源を帯びたガジェットに、奇抜で毒々しい色のジャケットを着こなしており、それは機械と人間との境界線が融解していることを示していた。
「…………」
見上げれば、毒々しいピンクの「MOTEL」と蛍光色で主張する看板に、なにか銃器の宣伝と思われるホログラムがビルの上で回転している。空は見えず、代わりに配線や巨大なパイプ管が張り巡らされた天井が街全体を覆いかぶしていた。
『にしても、今日の排水スプリンクラーは盛大だな。そろそろ雨季だったか?』
『アア、らしいナ。たぶン上層か中層で、大規模な配管工事でもやってるんダロ』
道路脇に並ぶ屋台のせいで、食べ物の臭いと人の臭い、そして雨水のペトリコールが、思わず鼻を抑えたくなるくらいにまじりあっていた。
彼らはそんな劣悪な環境にも関わらず、これが日常だと言わんばかりに
どこまでも続く人々の喧騒と、雨でぬれたネオンの輝き。それらの放つ毒々しい光は、いつまでも行き交う人々の顔を染め上げている。
どこか、どうしようもなく遠い場所に来てしまった。
そんなあまりにも見知らぬ土地で一人なのだという孤独。胸の奥をざわつかせるどうしようもない
雨もネオンも、鳴りやまない――。
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