第39話 はじめまして
ぽつぽつと、水滴が目深にかぶったフードに落ち、弾ける。
俺は無意識に、コンクリートで暗く閉ざされた天井を見上げた。気象予報によると、ここら一帯に雪が降っているらしい。とはいえ、異常気象による春夏秋冬の四季が崩壊しているせいもあってか、冬の時期だというにもう数週間は止んでいない。
上層の基盤にはすべて雪を解かすためのロードヒーティング装置が完備されていると聞く。そのため、上層に降り積もった雪は路上の熱で溶け、雨水として中層へと降り、それでも貯水しきれなかった水は、排水スプリンクラーとして下層へと降ってくる。
どうやら先日の爆発による損傷にはすでに応急処置がされているらしく、あの爆発も長年放置されていた古いガス管が、誤って暴発したという内容で報道がされていた。何かしらの力が働いたのは間違いないだろう。
俺は赤くなった鼻を軽くすすりながら、ほぅ、と白い息を吐いた。
冬は嫌いだ。乾燥した空気は手をがさつかせるし、空にはいつも鬱々とした灰色の雲が首をもたげているバッテリーの出力は上がらず、義手もどこか錆びついたように動かしづらい。
息を吐けば口の中の水分がなくなる気がするし、目を開けるだけで眼球から水分が蒸発する。そのせいで毎朝、鏡で自分の顔を見るたび、死人のような目と見つめ合わなければならない。
個人経営のショップのショーウィンドウに反射した自分が映っていた。
生気のない表情を貼りつけ、光のない黒ずんだ目をこちらに向け、手に持つタブレットの光だけがぼんやりと顔を照らしている。俺は先を急ごうと踵を返すと、ガラスの中のそいつも枠の外へと消えていく。
俺が今いるのは、下層・セクター4の中心部にある中古ジャンクショップが立ち並ぶ大通りだ。
どうやら三百年後の世界にもクリスマスという概念はあるようで、下層の街並みは、普段のネオンをさらに水増しでもするようにしてイルミネーションが点灯している。
もっとも、おしゃれだの上品さなどというものは皆無の装飾で、ほとんどが点滅するたびに、サンタクロースがバコバコと全裸の女性に腰をふっているようなイルミネーションばかりだった。サンタもよだれを垂らすほど夢中になれる性サービス。そんなことをアピールでもしたいのだろうか。
手元のタブレットが示す赤い点はこの近くにあるらしい。俺はそれに引き寄せられるようにして、フードをかぶりながら通りを歩いていく。
どうでもいい。
そう思った。
今さら、この世界に興味など抱きはしない。
改めて辺りを眺めてみる。違法武器店で魔改造された弾薬を物色する全身殺戮兵器と化したサイボーグの傭兵、雨をしのごうとブルーシートとトタン屋根で路地裏に小さな小屋を補強する臭いそうな浮浪者、行き交うヒトビトに快楽は欲しくないかとドラッグをちらつかせる歯の抜けた売人。
そんな自分を少しでも刺激しようと、毒々しいネオンと、むせかえるような麻薬・硝煙・娼館の香水で溢れている場所だった。むろん、そのどれもが俺の興味を引くものではない。――ではなかったはずだ。だというのに……、なぜ、それはこんなにも捨てたはずの感情を刺激するのだろうか。
『いつか、わたしの代わりに……困っている子がいたら……』
『助けて、あげてね……』
声が聞こえる。
助けろと、体が勝手に動きだす。
今思えば、中層に上がるまで訓練場と擬似栄養食品を食べるだけの毎日で、無意識が少しでも刺激のあるものを求めていたのかもしれない。もしくは、それの姿に昔の自分を重ね合わせて、同情にも近しい感情を抱いたのか。
何にせよ当時の俺は、なんら感情の込められていない目で、違法武器を扱う店の一角にジャンク品のごとき乱雑さで放置されているそれを見た。
白い髪はドブにまみれて汚れ、身体パーツが所々欠損し、熱吸収臨界点に近いせいか黒色に変色しつつある『グリスニウム製人工血液剤 (G型ABA)』がそこから漏れ出している。そして、トタン屋根から滴る汚れた雨水にさらされたままのそれは、どこか虚ろ気な表情のまま下を向いていた。
手元のタブレットの赤い点は、それを示していた。
「おい、お前――」
気が付けば、俺はそれに話しかけていた。
それは自分が話しかけられたのが認識できなかったのか、あるいはその力さえなかったのか、ヒビ割れたアスファルトの水溜まりを眺めたままだ。欠損した左足と右腕の切断面からは、しきりにパチパチと漏電している。
「お前だよ、無視するな」
そう言って俺はそれの目の前に立つ。
俺の傭兵用のブーツが、バシャッ、と溝にたまる汚水を盛大に跳ねた。
そこでようやく、それは顔をゆっくりと上げ、俺の顔を見た。
「……お前、一緒に来ないか」
俺は少女に、左手を差しだした。
肘から関節のアクチュエーターが軋む音がする。金属製の左手にまだ慣れていないせいか、指先はアルコール依存症患者(アビューザー)のようにわずかに震えていた。
ばさりとフードが外れ、瞬間、少女の目と俺の目が交錯する。
少女の瞳はこの世のすべてを諦めたような黒で染まり、どこまでも星のない宇宙がポカリと口を開けているような目をしていた。瞳に広がる虚無は、意識をどこまでも吸い込んでいくように少女の自我を塗りつぶしている。
やがて少女もまた、震える手を差し出し、俺の手を握った。
それは冷たく、とても小さな手だった。
これが、俺とステラの最初の出会いだった。
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