第40話 カイルに決闘を申し込むジーン
そんなこんなで、アメリアとジーンはクイグリー教会に戻った。
ロビーのところでバリー公爵が出迎えてくれたのだが、なんだか様子がおかしい。なんともいえない難しい表情を浮かべているのだ。
「カイルを拘束してここへ連れて来たのだが……あの男、変なことを訴えているんだ」
カイルを拘束……アメリアはまずそこに驚いてしまった。
先ほど胸を揉まれて、ナナちゃんに教わった護衛術で撃退した。その後アメリアのほうは大混乱で、カイルがどうなったのかまったく気にしていなかったのだ。
言葉も出ないアメリアに代わって、ジーンが尋ねる。
「彼はなんと言っているのですか?」
「旅立つ前、アメリア嬢がファース侯爵家の禁足地に入って、『護り石』を持ち出した、と――それを隠し持っていないか確認するために、体に軽く触れただけ――チカンなんかしていないから、すぐに解放しろと訴えている」
護り石、ね――……男性陣ふたりは、『まったくチカンするやつは、訳の分からない言い訳を考えつくものだなぁ』と辟易しながらも、アメリアのほうを振り返った。
「アメリア、護り石ってなんのことか分かる?」
ジーンに尋ねられ、アメリアは眉尻を下げた。
「分かりません……でも禁足地に入ったのは事実です」
「そうなの?」
「ジェマが……ええと、ジェマというのはカイル様の新しい婚約者なのですが、彼女の仕かけた悪戯(いたずら)に引っかかってしまったんです」
「悪戯?」
「オルウィン伯爵領まで行くための切符を、禁足地に隠したと言われて。――私は家族に好かれていないので、その切符を取り戻さないと、叱られるのはジェマではなく私です。新しい切符を買うお金は出してもらえないから、禁足地に取りに行くしかなくて」
ジーンが気の毒そうにこちらを見てきた。
「それは大変だったね、アメリア」
「でもそのおかげで蛙さんと狼さんに出会えたので、ラッキーでした」
アメリアがニコニコしているのを見て、ジーンとバリー公爵は胸を痛めた。聞いているほうは、『じゃあよかったね』という気持ちにはなれない。
たかが切符一枚――されど切符一枚だ。
切符一枚をネタに、近しい者に気持ちをもてあそばれたら、アメリアはやるせない気持ちになったはずだ。ひどいことをする。きっとそれは今回に限らず、何かにつけてそうだったのだろう。
善良な彼女がそんなふうに軽く扱われ、いじめられてきたのだと思うと、想像するだけで胸が痛む。よくそんな家庭環境で性格が捻じ曲がらなかったものだ。
「――私、カイル様と話してみます」
アメリアがジーンとバリー公爵に告げる。
けれど告げられたふたりは乗り気ではない顔だ。
「アメリア、やめておいたほうがいい」
「そうだな、ああいうやからには関わらないほうがいい」
アメリアはよく考えてみた。
さっきはこのふたりの言うことを聞かないで部屋をこっそり抜け出し、結果、迷惑をかけてしまった。今回もたぶん、彼らの言うことは正しいのだろう――アメリアよりも頭の良い人たちだし、ものの見方が偏っていないから。
だけど……。
「あの、もしかすると私はすごく大雑把な人間に見えているかもしれませんが、実はそうでもないのです。今回、カイル様とちゃんと話してケリを着けておかないと、あとになって『あの人、また訪ねて来るかも』って気になってしまいそうで……少し話してみて、良くない空気になったら、すぐに切り上げるというのはどうでしょうか」
これを聞き、ジーンもバリー公爵も、『アメリアの言うことには一理ある』と思わされた。
カイルはアメリアが顔を出さないと、本心を喋らないだろう。彼に本心を吐き出させないで追い返した場合、溜まりに溜まった情念がおかしな方向に捻じ曲がり、確かにまたアメリアに会いに来そう。
とはいえ、アメリアがちゃんと話せば、解決するのか? それもどうだろうか……おそらくそう上手くはいかない気がする。
考えを巡らせてから、ジーンはアメリアの瞳を見つめた。
「分かった、君の意思を尊重しよう」
「ジーンさん」
「ただし僕も立ち会う」
「――私も立ち会うぞ」
バリー公爵も続く。彼は強面(こわもて)なのに、アメリアを眺める目つきは完全に『お父さん』のそれである。
* * *
カイルは教会の会議室に留め置かれていた。
テーブルや椅子は部屋の隅に寄せられているので、部屋はガランとしている。
そんな中、フロアの中央に椅子が一脚置かれ、カイルはそこに腰を下ろしていた。
ここへ連行された際は手首を縄で縛られていたのだが、今は解かれている。兵士が近くで睨みを利かせており、カイルのほうも逆らうつもりはないようだった。彼は殴り合いの喧嘩をしたことがなく、荒事は苦手なのだ。
アメリアが部屋に入ると、カイルはパアッと表情を明るくした。
ところがすぐあとにジーン、そしてバリー公爵が入って来ると、途端に顔を歪めた。アメリアを忌々しそうに睨みながら、唸るように口を開く。
「――アメリア、ふたりで話をしたい」
「それは無理です」
アメリアが端的に答えると、カイルの眉根がさらに寄る。
「どういうつもりだ? アメリア」
「どういうつもり、とは……」
「まずごめんなさい、だろう。礼儀も忘れたか」
「え?」
「さっき宿の裏で、なぜ俺を殴った? お前、生意気なんだよ、逆らうんじゃねぇ。実家のファース侯爵家では『まとも』じゃないとずっと言われてきただろう? お前はおかしいんだよ、言動がさ。馬鹿だしヘラヘラしてるし人の命令を聞かないし。つーかお前さぁ――今さら何まともな令嬢ぶっているんだよ? ダメ人間のくせに――ずっと皆に嫌われていたよな? 思い出せよ――トゲのついた冠をかぶせられて、血が出たくらいでメソメソ泣いていたじゃないか――『痛い、やめて』って――お前のそういうみっともないところ、今は上手に隠しているのか? え? どうなんだ? 偉そうに、いっちょう前にレディぶりやがって、底辺女が」
ここまで屈辱的なことを言われたのは初めてで、アメリアはショックを受けた。
昔トゲトゲの冠をかぶらされて、血が出て怖かったことが鮮明に思い出され、じわりと涙が滲む。
……ジーンさん……今のを聞いてガッカリしたかな。そんな問題児だったなら、もう嫁にもらいたくないって思ったかも。どうしよう、恥ずかしい。
アメリアが耳を赤くして俯くと、かたわらにいたジーンがスッと前に出た。
え……ジーンさん?
彼が手袋を外し、カイルのほうに投げる。
「――拾うがいい、カイル」
ジーンの声音は冬の湖よりも冴え冴えとしていた。
顔立ちが美しく高貴なぶん、相手を冷ややかに見据えると、途方もないすごみがある。
かばわれているアメリアでさえ背筋がゾクリとするのだから、怒りを向けられている正面のカイルはもっとおそろしさを感じていることだろう。
「……は?」
カイルはポカンとして固まっている。顔色が紙のように白い。彼は明らかに怯えていた。
ジーンが続ける。
「私はジーン・オルウィン伯爵だ。お前は今、私の最愛の女性を侮辱した。決して許さない」
「な……え? オルウィン伯爵って四十手前の胃腸虚弱なオジサンじゃないのかよ?」
「前オルウィン伯爵は先日、事故で亡くなった。よってアメリアは新しく当主となったこの私と結婚する」
「そんな……」
カイルの目元が神経質に引き攣る。彼にとっては何もかもが大誤算だった。
アメリアの結婚相手が、よりによって目の前にいるこの美形だって? こんなの――どこに勝ち目があるっていうんだよ!
「決闘のルールは知っているだろう、手袋を拾え、カイル」
ジーンの言葉を後ろで聞いていたアメリアは震え上がった。
……決闘? どうして?
今、王都では貴族の決闘が増えているらしい。『手袋を投げる』という行為が『決闘の申し込み』に当たり、相手が『手袋を拾う』ことで『承諾』の意思表示となる。
だけど……ジーンさんは元医者のはず……剣は不得手では? アメリアは心配のあまり胸が張り裂けそうだった。
アメリアはジーンの身を案ずるあまり『やめてほしい』と願っていたのだが、バリー公爵は違う意見だった。
――彼は『オルウィン伯爵』として、もっとも適切な対処をしている。
ここで決闘を挑めないような男なら、おそらくこの先貴族としてはやっていけないだろう。温和で気弱なだけの当主では、妻も領民も護れない。周囲から食いものにされ、前オルウィン伯爵のような悲惨な運命を辿ることになる。前オルウィン伯爵は結果的にひとりで逝ったものの、事故に遭わずまだ生きていたなら、家族を不幸にしていたに違いない。
ジーンは確かに心優しい男だ。しかし彼は大切な者のためなら、危険をかえりみずに戦える――バリー公爵はその覚悟を見て取り、目の前の端正な青年がますます好きになった。
「バリー公爵、剣を貸していただけますか?」
ジーンが尋ねると、バリー公爵が探るようにじっと見返したあとで、腰にさしている剣を鞘(さや)ごと渡した。
「これを使え」
「ありがとうございます」
ジーンが剣を受け取り、スラリと鞘から引き抜く。
ただそれだけの動作だが、流れるように無駄がなく美しかった。
ジーンが剣を手にした瞬間、空気が一層重さを増す。
ジーンが剣先をピタリとカイルのほうに向けた。
「――立て」
「いや、俺は」
「私の大切な女性を侮辱したんだ、覚悟あってのことだろう」
「そんなつもりは……なくて」
「――手袋を拾え、カイル‼」
鋭い一喝。
長い長い時間が流れた。
やがて。
「……つ、付き合っていられない。ただの冗談なのに本気にして、あ、あげく決闘って……馬鹿らしい」
空白の時間を必死に埋めるような、聞くにたえない言い訳。声も小さくボソボソと早口だ。
カイルは出口のほうに向かおうとして、腰が震えて足が上手く進められずガクリと膝を折った。けれど気持ちだけは『早く外に』と焦っているのか、足に力が入らない状態で進もうとしてモソモソし、おかしなことになっている。
カイルが扉から出て行くまでに長い時間がかかった。
部屋にいる誰ひとりとして、それを引き留めなかった。
カイルは尻尾を巻いて逃げたのだ――恥ずべき臆病者には声をかけることすら厭(いと)わしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます