第2話 頑張って生きていると、良いことあるなぁ~♡
廊下の柱の陰で、侍女頭(じじょがしら)のグリアは思い切り顔を顰めていた。
五十代のグリアは、アメリアの母ファース侯爵夫人付きの侍女で、ほかの女性使用人を統括する立場にある。
グリアは廊下の先で交わされていた、三人のやり取りに聞き耳を立てていた。
そしてアメリアがその場を離れると、忌々しそうにアメリアの背中を睨みつけてから、サッとその場を離れた。
グリアの眉間と口元には深い皴が刻まれている。目つきは飢えた獣のようにギラついていて、厳(いか)めしいを通り越して獰猛ですらあった。
グリアはファース侯爵夫人の部屋に入って行き、あるじに告げ口をした。
「奥様、やはりアメリアお嬢様にはまだ悪魔が憑いているようですわ。目の周りに黒いラインを引いて、男を惑わし、悪魔を喜ばせているのです」
グリアは清貧(せいひん)をよしとする敬虔(けいけん)な信徒(しんと)で、派手なアメリアが悪い存在であると疑い、ずっと監視を続けてきた。数年前にアメリアが悪魔憑きであることを確信し、ファース侯爵家の人たちに厳しい折檻をするよう提案したのもグリアだ。
……夫は、ああいう派手なタイプの女と浮気をして、家を出て行った。ああいう女たちは皆、悪魔憑きだ。肉欲に溺れた夫はもう手遅れだが、これ以上悪魔にたぶらかされる被害者を出してはならない。
グリアは大昔に夫が出て行ったこと、その時味わわされた悔しさを思い出し、奥歯を噛みしめた。
「まだアメリアに悪魔が憑いているの?」
ファース侯爵夫人は顔を曇らせ、頬に手を当ててため息を漏らした。
「どうしたものかしら……わたくし、つらくて仕方ないわ」
ファース侯爵夫人は大変な横着者(おうちゃくもの)で、ものを深く考えるのが面倒なので、頭脳労働はいつも侍女頭のグリアに任せていた。だからファース侯爵夫人の「どうしたものかしら」は、『グリア、あなたがなんとかしてよ』の意なのである。
「奥様、お気の毒に」
「実の娘がおかしいって、本当につらい。産んだわたくしが悪者にされてしまう」
「視界に入るから、つらいのです。いっそ遠くにやっておしまいになっては?」
「え?」
ファース侯爵夫人は呆気に取られて侍女頭を見返した。グリアが気難しい顔で頷いてみせる。
「カイルさんを入婿(いりむこ)に迎え、アメリアお嬢様はここに住み続ける予定でしたが、外に出してしまいましょう」
「だけど……娘が今結んでいるカイルとの婚約はどうするの?」
「破棄してしまえばいい。カイルさんは侍女のジェマと良い仲のようですし」
「あら、そうなの?」
「ジェマをこの家の養女にして、カイルさんが入婿となるのは変更せず、ふたりを結婚させたらいかがです? ジェマは奥様の親戚ですし、男爵家の生まれですから、養女にするのも問題ないでしょう」
「でもそうなると、やはりアメリアが問題よ。カイルから婚約破棄された上に、悪魔憑き――誰も貰い手がいないわ」
するとグリアが悪い顔で告げる。
「気の弱い格下の貴族に押しつけてしまえばよろしいのです。ファース侯爵家の力を使えば、簡単なこと。――私、ちょうどいい相手を知っています」
「それは誰?」
「オルウィン伯爵です」
「ああ、確か……年齢は四十手前で、ものすごく痩せた、生気のない方ね……」
ファース侯爵夫人は呟きを漏らし、考えを巡らせた。
やがて小さく頷いてみせる。
「いいわね、そうしましょう」
* * *
二週間後、アメリアは両親に呼び出された。
書斎にて両親とアメリアがソファに着席したあとで、父から驚愕の知らせを告げられる。
「アメリア、私たちは問題のあるお前を矯正しようと頑張ってきたが、いい加減に見切りをつけることにした。もうお前はいらない。今日付でカイルくんとお前の婚約は解消された。カイルくんは侍女のジェマと結婚して、当家を継いでもらう予定だ」
「あの、では私はどうしたら」
「お前はオルウィン伯爵との婚約が新たに纏まった。すでに両家のサインは済んでいる」
「オルウィン伯爵とはどんな方なのでしょうか」
「年齢は三十八歳、ものすごく痩せていて、胃腸虚弱、生気がない男だ。なんでも人の言いなりになる、気の弱いタイプ」
アメリアはソファに座り直し姿勢を正すと、綺麗にお辞儀をした。
「承知いたしました。謹んでお受けいたします」
* * *
アメリアは自室に戻りながら、廊下で『ルン♪』とスキップした。
口元が緩みきっている。
普段は元気に振舞わないよう我慢しているのだが、今日だけは特別だ。
アメリアは小声で歓喜の呟きを漏らした。
「いやったぁ~♪ なんでも言うことを聞いてくれる、気の弱い男性と結婚できるぅ♡ これでもう食事抜きとか、トゲトゲの冠を頭に着けさせられる折檻とか、嫌なことをされなくて済む~♡ この家を出て行けるなんて、めちゃ幸せ♡」
うふ♡ 頑張って生きていると、良いことあるなぁ~♡
スーパーラッキー♪♪♪
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