第37話 アメリア無双‼


 ふたりが対面する数秒前――はしごから降りて地面に着地したアメリアは、裏通りを歩き始めた。


 すると角から誰かがひょっこり現れたのだ。


 先を急いでいたので、アメリアはその人を意識することなく進み続けた。逆光気味で相手の顔がよく見えなかったというのもある。


 狭い通りで誰かとすれ違う場合、普通なら互いに気を遣い、左右に分かれるものだと思うのだが。


 角から現れたその人は真ん中で立ち止まり、行く手を塞いでいる。


 訝しく感じたアメリアはよくよく相手の顔を眺め――……ん? と違和感を覚えた。


 あれ? なんか見たことあるような?


「――アメリア!」


 名前を呼ばれた。声もなんとなく聞き覚えがあるぞ……。


 あ……カイルだ! 一拍遅れで気づき、アメリアは仰天した。一瞬、ここがどこだか分からなくなる。


 え……ここってバリー公爵領よね? 知らないうちに実家近辺まで移動しちゃったかと……びっくり~!


「……ご無沙汰しております」


 アメリアは気持ちのこもっていない挨拶をして、カイルの横をススッと通り過ぎようとした。ギリギリ壁際まで避け、なるべく距離を確保しながら。


 ところが。


「アメリア!」


 カイルが横っ飛びするように近づいて来て、グッとこちらの腕を掴んだので、ゾワゾワ~と鳥肌が立った。


 な、なんでいきなり腕を掴むの? 超怖い……! 恐怖で指先が強張る。


「は、離していただけませんか」


 動揺で声が裏返った。いつもはもっと元気に喋ることができるのに、この肝心な時には小さくて細い声しか出ないなんて。


 おそるおそる相手を見返すと、カイルの瞳孔が開いているのに気づき、余計に『ひぃぃ!』と腰が引ける。


 カイルがグイグイ詰め寄って来て、ふと気づいた時にはアメリアは建物の外壁に背中を押しつけられていた。カイルが覆いかぶさるように顔を近づけてくる。


 近いぃぃ……‼ ぎゃあ!


 アメリアは慌てて顔を背けた。


「ちょっと離して、やだ……!」


「アメリア、拗ねているのか? そんな態度じゃだめだ。お前が素直になると誓うなら、それなりに可愛がってやる。俺が大人の世界を教えてやる。喜べ、また実家に戻れるぞ」


「何が言いたいのか分からないです、とにかく離してください!」


「もっと触れてと素直に言えよ! 久しぶりに会えたんだ、もっとほら、顔をよく見せて――」


「わぁ、やだやだやだやだやだやだ――怖いよぉ!」


 掴まれた腕を振りほどこうとするのだが、離してもらえない! 頭の中は大混乱だし、怖いし、痛いしで、アメリアの瞳にブワッと涙が浮かぶ。


「怖いよ、ジーンさん、助けて……!」


「おい、ジーンって誰だよ!」


 苛立つカイル。アメリアが逃げようとするので押さえ込もうとして、つい手が滑った――たぶんわざとじゃなかった――たぶん不可抗力だ――カイルは咄嗟に心の中で言い訳をした。


 ムニュ♡


 アメリアの胸を右手で鷲掴み、頬を赤らめるカイル。


 ふわぁ、や、柔らか……♡


 その瞬間。


 プッチーン! 怒りと恐怖が振り切れ、アメリアはブチギレた。


 動揺してこんがらがっていた頭の中が一気にクリアになる――まるで冬の朝のようにクリアに。


 どこかで怒声が響いている。けれどアメリアは自分がすべきことに集中していた。


 前世日本で、お友達のナナちゃんが教えてくれたことが脳裏によみがえる――『ピンチの時は、まず落ち着いてね』――うん、分かったよ、ナナちゃん。それからどうしたらいい?


 ナナちゃんが手取り足取り丁寧に教えてくれたっけ――『ギリギリの状況だと、練習してしっかり身に着いているものしか出せない。うちが付き合うから、これから練習を重ねて体で覚えようね――ムキムキに鍛える必要はないけれど、護身術は大事。チカンに遭った時は、こうする』――正面から覆いかぶさってこられた時は――……


「――鼻、足の甲、金的」


 無意識に声に出していた。どれかでいいと言われた気がするけど、どうせだから全部やっちゃえ。


「まず鼻!」


 アメリアはカイルの鼻を掌底(しょうてい)で突き上げた。


「ふぐっ……!」


 カイルがのけ反る。


「次、足!」


 ドレスの裾を払って互いの足の位置を確認――右足を振り上げ、踵を思い切り相手の足の甲に叩き下ろす。


「ぐあっ――」


「――チカン、絶対許さん!」


 トドメだぁ!


 アメリアは相手の肩を軽く押さえ、右足を曲げて膝をカイルの下腹部に叩き込んだ。


 綺麗に入った! ありがとう、ナナちゃん!


「~~~~~~~~~~!!!!!!!」


 悶絶し、地面に崩れ落ちるカイル。


 それを見おろし、アメリアは唇を噛む。


 ふわん……怖かったよぉ……! 馬鹿カイル……! 変態……!


 踵を返して逃げ出そうとしたら、横手から誰かにふわりと抱きしめられた。


「――アメリア!」


 呼ばれた瞬間、ブワッと涙があふれてきた。


 声だけで分かったの――ジーンさんだ――!


 混乱しながらアメリアはジーンに抱き着く。清潔な匂い……落ち着く……うちのジーンさん……!


「こ、怖かったぁ~~~~~」


 ベショベショと泣き出すと、ジーンが抱きしめたまま髪を撫でてくれる。


「よしよし、偉かったね、アメリア」


「カ、カイルが……」


「名前を呼ばなくていい――ていうかこいつが元婚約者のカイルか」


「うえ、胸を揉まれたぁ……」


「……! 大丈夫、大丈夫だから」


「キモイよぉ、もうやだぁ、ジーンさんにも揉まれたことがないのにぃ」


「~~~~~~~~~~!」


 パワーワードに、ジーンも悶絶。頭を抱えたくなったし、ダウンしているチカンカイルを追い撃ちで殺したくもなった。


 ――時は少し巻き戻り、バリー公爵と打ち合わせをしていたジーンは。


 ふと脳裏にある光景がよみがえり、眉根を寄せた。


「……伸縮はしご」


 ジーンがポツリと呟きを漏らしたのを、対面に腰かけているバリー公爵が訝しげに見返す。


「どうしたね?」


「いえ――アメリアが以前、魔法のステッキで伸縮はしごを出し、二階の窓から抜け出したことがありまし……て」


 ふたり、無言で視線を交わす。


 ジーンは顔色を変えてソファから腰を上げた。


「すみません、ちょっと失礼」


 アメリアは自分がまず蛙に会う必要があるのだと訴えていた。それをジーンとバリー公爵が頭ごなしに却下したので、彼女は納得していないはず。


「私も行こう」


「宿の場所が分からないので、助かります」


 バリー公爵の先導でクイグリー教会を急ぎ飛び出したジーンは、アメリアがいるはずの宿に向かい。


 現地に着いてみると、バリー公爵の部下は言いつけどおり部屋の前で警備に当たってくれていた。


 急ぎ部屋に入ってみれば、嫌な予感は当たっていて、開け放たれた窓を一同は目撃することになる。その枠には伸縮はしごのフックがかけられていた。


 ジーンとバリー公爵と部下の兵士は一斉に部屋を飛び出した。


 そして裏道に回り込み、アメリアがチカンに襲われている場面を見て、颯爽と助けに入ろうとしたジーンたちであったが――……。


「――鼻、足の甲、金的」


 ガツッ、ドン、ドガッ……! 流れるようにチカンを地面に沈めたアメリアの雄姿を見ることとなった。


「あ……れ?」


 助けたかったのに、何もすることがなかった……!


 衝撃を受けるジーン。バリー公爵。部下の兵士。


 そして混乱しているアメリアを慌てて抱き留めて――で今に至る。


 ジーンはアメリアが泣きやみそうにないので、彼女の体をひょいと縦抱きした。そうしてからバリー公爵のほうを振り返る。


「アメリアを落ち着かせるため、部屋で少し休ませます。あとで教会に伺いますので」


「分かった」


 ジーンは地べたで悶絶しているカイルの背中を冷ややかに踏みつけ、宿のほうに歩き始めた。足元で呻き声が上がったようだが、一切気に留めない。


 泣いていたアメリアはまずジーンに縦抱っこされたことに驚き、次いで彼がそのまま歩き出したと思ったら、カイルをわざと踏んづけたのでそのことにさらに驚き――涙が引っ込んでしまった。


 アメリアが戸惑っていると、歩きながらジーンが優しく瞳を細める。


「ほら、アメリア――僕の首に腕を回して。落ちないように」


 しっかり太腿の下と背中を支えられているので落ちそうにはなかったが、アメリアは素直に従った。ギュッとジーンに抱き着き、彼の耳元で問う。


「……ジーンさん、うち、重くない?」


「全然重くないよ」


 優しい声。


 ジーンさんはムキムキマッチョじゃないけれど、こんなふうに軽々と抱っこできちゃうんだから、うちより全然力持ちだなぁ……アメリアはそんなことを考えていた。


 カイルに襲われた時は怖くて仕方なかったのに、今はすごく……アメリアはホッと息を吐き口元に笑みを乗せた。


「宿の階段のところで降りてあげますね」


「心配しなくても、君を抱っこしたままで階段を上がれるぞ」


「本当に?」瞳を和らげるアメリア。「部屋は三階ですよ」


「……分かった。そんなに頼まれたら仕方ない。階段のところで降ろしてあげる」


 ジーンの言い方が可笑しくて、アメリアはくすくす笑い出してしまう。


 ジーンも笑っているようだ。彼の大きな手があやすようにポンポンと軽く背中を撫でてくれる。


 アメリアは彼に護られていると感じた――この世界で一番近くにいて、うちを大切にしてくれる人。


「――ジーンさん、好き」


 抱き着いたまま顔も見えていない状態でアメリアがぼそりと呟きを漏らすと、背中を撫でてくれていたジーンの手がピタリと止まった。


 ……変なこと言っちゃった。ドキドキする……。


 アメリアはぎこちなく彼の肩に額をつける。


「――僕も好きだよ、アメリア」


 ジーンにキュッと抱きしめられ、アメリアは頬を薔薇色に染めた。


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