第38話 カイルとジェマの修羅場


 雑貨店でロウソクを選んでいたジェマは、婚約者のカイルが店内にいないことにかなりたってから気づいた。


「……え? カイル様? どこ?」


 ロウソクを握り締めたまま小走りで店の外に飛び出す。


 すると店員の中年女性がしつこく追って来て、


「お客様! ロウソクのお代をいただいていませんよ!」


 腕を掴んで制止してきたので、ジェマはカッとなり、腕を振り回してそれを払った。後ろで店員が転んだようだが、知ったこっちゃない――平民の分際で偉そうに注意してくるんじゃないわよ、馬鹿!


 そしてカイルの姿を探して周囲をぐるりと見回したジェマは、信じがたい光景を目撃する。


「な……あれは……アメリア?」


 開いた口が塞がらない。


 なんでこんなところにアメリアがいるの? よく似た他人? いえ、それはないか――あの忌々しい艶やかな金髪に、あの華やかな顔立ち――絶対にアメリアだ。


 ていうか、え? あの女、なんかものすごい超絶美形な男性に抱っこされてない??? はぁ??? なんで???


 まるで物語に出てくる王子様みたい……ジェマは男性の顔にじっと見入り、ぽうっと頬を赤らめた。


 髪色は茶と金のあいだくらいか。陽光が反射することで深みのある輝きを放っている。髪質はサラサラで癖がなく、清潔感があってジェマの好きな髪型だ。瞳は青みがかっていて……少し灰も入っているのかしら? 憂いが滲んでいて、そこがまたいい。


 ああ――なんて高貴な方なのかしら。きっとやんごとない特別な方なのね――爵位はものすごく高そうよ……『王族』か……あるいは『公爵』? 分からないけれど、あれだけ美形で気品があるんだもの、最低でも『公爵』に違いないわ。でもまぁ、あの上等な顔ならば、彼がただの『子爵』だとしても『あり』かもしれないけれど。


 ジェマはもともと『子爵』より下の『男爵』家の生まれであるのに、他人の爵位をあれこれ勝手に想像して、上から目線で許容範囲を決め始めた。


 ……それよりもアメリアよね、問題は! 四十くらいの胃腸が弱い年上男と結婚するはずよね? なのになんでちゃっかり若いイケメンに抱き着いて、色目を使っているわけ? はぁ? キモイんだけど! ものすごくムカつく! 相手の男性だってね『迷惑だ、気持ち悪い』と思っているわよ、絶対! 可哀想でしょ、離れなさいよ! バーカ、わきまえろっての、お前は嫌われ者なんだからさぁ! 魅力がまったくないからカイルにも捨てられたんでしょうが! 顔だけ女、くそアメリア!


 どんなに心の中で罵っても足りない。あのくそ女の顔をヒールで蹴ってやりたいわ――ジェマはギリと奥歯を噛んだ。


 イライラして頭の血管が切れそうになっていると、今度はなんと裏道からカイルが出て来たではないか。


 ……え? ジェマは目を疑い、まぶたを慌てて指でこすった。


「カイル……様?」


 目をこすってみても幻影ではないから、現実は変わらない。


 愛しのカイルが両手を縄で縛られ、兵士に小突かれながらトボトボ歩かされていた。兵士の横には立派な騎士もいて、ふたりは厳しい目つきで前を歩くカイルを睨み据えている。


 これじゃどう見ても、『罪を犯して拘束された小悪人・カイル』の図だ――いや、そんなまさか!


 ジェマはいつも周囲に男性がいる時はおしとやかな演技をして、『清楚なジェマ』像を崩さないように気をつけていた。けれどこの時ばかりは慌てていたものだから、うっかり素が出てしまい……。


「ちょっと、カイル様! 一体これは――何がどうなっているの! 説明して、今すぐに!」


 ジェマがヒステリックに喚きながら近寄ると、なぜかカイルだけが嫌悪を滲ませて顔を歪める。


 ……え?


 ジェマは理解ができない。……わ、私こそが、あなたの味方よ? それなのになんでそんなふうにゴミ虫でも見るような目をこちらに向けるの?


 頭の中はグルグルグラグラしていたが、とりあえず兵士に詰め寄る。


「ちょっとそこのお前! カイル様は次代のファース侯爵様よ――分かっているの? 平民のくせに頭(ず)が高いのよ、カイル様を放しなさいよ!」


「……るさい……」


 カイルがボソリと呟きを漏らしたのだが、ジェマは兵士のほうを見ていて気づいていない。


「ちょっと聞いているの、お前!」


 すると兵士の隣にいた立派な中年男性が進み出て来た。


「ご令嬢――『カイルは次代のファース侯爵様』――今そう言ったのか」


「は……ええと、そうですけど……」


 相手から発せられる圧がすごくて、後ずさるジェマ。


 男性の眼光がさらに鋭くなった。


「それがどうした。その程度の爵位でこちらを脅す気か? ならば聞け――私はバリー公爵だ、頭が高いぞ」


 怒鳴っていないのに、声音に圧倒される――そして告げられた内容もジェマにとっては衝撃で。


「え……」


 バ、バリー公爵……? この方が? じ、じゃあ、王族に次ぐ高貴な方じゃないの!


 ジェマが絶句していると、バリー公爵が威圧するように続ける。


「カイルは私の大切な友人であるアメリア嬢にしつこく付きまとった。彼女に危険が及ぶおそれがあるので、緊急で拘束したまでだ」


 付きまとったどころか、実際にカイルはアメリアの胸を揉んでいるのだが、バリー公爵はあえてそれを口に出さなかった。


 アメリアの名誉を守るためだ。目の前にいる女は狡賢そうなので、アメリアが傷物にされたかのように、あとで嘘を言いふらすかもしれない――だから余計なことは教えぬほうがいいだろう。


 そのような配慮から控えめな罪状になったが、それでもジェマが受けたショックは相当なものだった。


 カイルが恥じたように俯くのを見て、ジェマの顔から血の気が引き……よろける。


「う、嘘……」


「このバリー公爵が嘘つきだと?」


 堂々と返され、ジェマは瞳を泳がせカイルにすがった。


「ね、ねぇカイル様、嘘よね? アメリアなんかに付き纏ったりしていないわよね? だって――だって『あの』アメリアよ? 全然魅力がないじゃない……私と比べれば女としては下の下だし、あなたはまったくアメリアにそそられなかったんでしょ? だからアメリアのことは抱かなかった、指一本触れなかった。だけど私のことはすぐに抱いたじゃない? ねぇ――」


「……もう黙れよ」


「は?」


「黙れって言ってんだよ、ブス! どっか行けよ、気持ち悪ぃな! くそが!」


 突然カイルがブチキレた。瞳孔が危険に開いている。


 プライドの高い彼にはこの状況のすべてが耐えがたかった――大好きなアメリアに拒絶され、チカン扱いされた。それがまずものすごくショックで。


 ――俺が胸を触ったら、彼女は頬を赤らめて受け入れると思ったのに――なんでだよ、くそ!


 しかも兵士に拘束されているこの状況を、くそジェマに見られてしまった――この女は俺より下の下の下の下の下の下の下の下の下の下のくそ女なんだから、なめられたら終わりなのに! こいつが付いて来なければ、こんな場面を見られることもなかった!


 くそが、あとで対等みたいに勘違いして偉そうにしてきやがったら、ぶん殴ってやるからな!


「何よ、カイル様、どうして――」


「そもそもなんでお前、ここまでノコノコ付いて来てんだよ、うぜぇブスだな! お前みたいなキモ女は大人しく家に引きこもっていろよ! 目ざわりなんだよ! 何度か嫌々抱いてやったくらいで、いちいち自慢すんじゃねぇよ! もうお前の貧相な体なんか、見たくも抱きたくもねぇよ! お前なんてアメリアの百倍ブスじゃねぇか! おい聞け、馬鹿女――お前と寝たあと、キモすぎてこっちは必死で体を石鹸で洗ったわ、くそが!」


 ひどい……ジェマの顔から表情が消える。


 女のプライドが音を立ててヒビ割れ、ガラガラと崩れていった。


 力なく膝をつくと、雑貨店の女店員が腹を立てて近づいて来て、ジェマが握り締めていたロウソクを取り上げた。


「これは返してもらうよ、泥棒女! もう二度と店に来ないで!」


 地べたに座り込みうなだれるジェマを眺めおろし、バリー公爵が眉根を寄せる。


「……君たちはまったく、お似合いのカップルだな」


 これ以上ないくらいの侮蔑と皮肉だった。


 ジェマ、カイル――どちらにとっても。


 兵士にふたたび背中を小突かれ、カイルは先ほどわめき散らしたことが嘘のように、従順に歩き始めた。


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