第12話 ジーン様――婚約者のアメリア様がお見えです


 ――オルウィン伯爵家。


 新当主になったジーンは頭を抱えていた。次々に湧いて出てくる、債務、債務、債務、債務……。


 執務机には方々から届いた催促の手紙がてんこ盛り状態だ。


 内容は、『今度の守護聖人の記念日行事で周辺警護をお願いしているが、早めに打ち合わせに来てほしい』だの、『街道の整備をしてくれるという約束になっていたが、まだか』だの、『甥っ子をふた月ばかり預かってもらう件、約束より前倒しでお願いできないか』だの。


「……僕も胃に穴が開きそう」


 ジーンの声には悲壮感が滲んでいた。前オルウィン伯爵は胃を悪くしていたようだが、ジーンも遅かれ早かれそうなりそうだ。


 端正な面差しの彼が気だるげに俯くと、なんともいえない色気が滲む。


 友人のコネリーが心配そうにジーンの顔を覗き込んだ。


「大丈夫か、ジーン」


「大丈夫じゃない。つらい……」


 前オルウィン伯爵は想像以上にやらかしていた。『あの人は気が弱くて、なんでもかんでもサインしてしまう』という話は聞いていたのだが、こうして直面してみると想像以上だった。


 問題だらけなのに、後任のジーンが詳細を把握するのもひと苦労で。


 というのも、一番事情に通じているはずのオルウィン伯爵家の執事が八十代で、話を聞こうにも会話が成立しないのだ。何か尋ねると返事が来るまで十秒はかかるし、こちらが知りたいことは何も把握していないようなので用が足りない。


 とりあえず届いている手紙の山から、ひとつずつ確認していくことにしたのだが、開封するごとに面倒事が雪だるま式に増えていく。頭が変になりそうだった。


 ひとりではどうにも対処しきれないので、友人数人にお願いして、処理を手伝ってもらっているところだ。


 今執務室にいるコネリーは騎士であり、一カ月ほど休暇を取ってここに滞在してくれる予定だが、彼がいなくなったあとを思うと気が滅入ってくる。


「ジーン、先日判明した前オルウィン伯爵の『婚約者』のことだが」


 コネリーがジーンの顔色を窺いながら切り出した。


 ジーンの眉間に皴が寄る。


「確か、侯爵家のご令嬢だったか?」


「ああ、ファース侯爵家のご令嬢で、名前はアメリア。十九歳だから、君の六つ下だな」


「気の弱い前オルウィン伯爵が押しつけられた縁談か――どうせまともな話じゃあるまい」


 名探偵じゃなくてもそのくらいは分かるぞ……ジーンはため息を吐く。


 コネリーは否定しなかった。


「まぁそうだな。そして当然この縁談も君が引き継ぐことになる」


 ふたりは黙したまま顔を見合わせた。


 ――先日、書類の山から前オルウィン伯爵が署名した婚約契約書を発見した際、ジーンは天を仰いだ。


 入籍後に溺死してくれれば、まったく問題はなかったのに。そうすればアメリアは『前当主の妻』になったあとなので、婚約契約は履行されたことになる。よって次世代への債務として繰り越されることはなかった。


 しかし現状では他の債務同様、アメリアとのことも、新当主のジーンが責任を取らなければならない。


 ジーンの瞳は凪いでいて、諦めの色が濃かった。


「分かっている。僕はもう薔薇色の未来なんて夢見ちゃいない。前オルウィン伯爵の負の遺産を背負って、ボロボロになるまで搾取されて、胃に穴を開けて死んでいくんだ」


「元気出せよ」


「無理」


「とはいえアメリア嬢は結婚相手だ。どんな女性か気にはなるだろう?」


「そうだな」


「実は騎士団のコネを使って、アメリア嬢のことを詳しく調べてもらったんだ」


 友人のコネリーが示した気遣いに、ジーンは感謝の念を覚えた。


「手間をかけてすまない」


 いきなり対面するよりも、相手の情報はできるだけ把握しておきたい。不意打ちはもうこりごりだった。


「感謝するのは早い。あまり良い話じゃないから」


「……だろうなぁ」


「アメリア嬢は感情の起伏が激しくて、実家の人たちは相当手を焼いていたようだ」


「感情の起伏が激しいというのは?」


「大声を出したり、はしゃいだり――かと思えば、泣いたり、怒ったり」


「アメリア嬢は何がしたいんだ?」


「そうやって騒ぐことで、周囲にいる男の関心を引こうとするらしい」


「男好きということか……」


「どうもそうらしいな。とにかく派手好きと聞いたから、金遣いも荒いかも」


「僕と真逆だ」


「ジーンは見た目だけは派手なんだけどな」


「僕、性格は超保守的だから」


「そうだなぁ……つまりお前とアメリア嬢は水と油ってやつだ」


「攻撃的でうるさい人、苦手だなぁ……落ち着いていて優しい女性と結婚したかった」


 ジーンはがっくりと肩を落とした。……やだなぁ、結婚……。


「以上のことを踏まえて、アメリア嬢がやって来たら、気をつけてくれ」


 そうは言うが、コネリーよ。


「どう気をつければいいんだ?」


 ジーンは投げやりな気持ちになり、椅子の背にぐったりと寄りかかる。


 コネリーが眉根を寄せて答えた。


「彼女の扱い方にはコツがあって、なるべく強くきっぱりと命令するのが効果的らしいよ」


「僕は女性を怒鳴りつけたくない」


「怒鳴らなくてもいいさ――ただし毅然とした対応は心がけるべきだ。甘やかすと皆が迷惑する。最初が肝心だぞ、頑張れジーン」


 そう言われてもなぁ……ジーンは気が重くなった。


 ジーンは視線を巡らせ、話題を変えることにした。


「そんなことよりもコネリー、弟の具合はどうだ?」


「熱はだいぶ下がった。薬が効いたようで」


「よかった」


「弟(ローガン)のためにひと部屋用意してもらって、申し訳ない」


 コネリーの弟である十二歳のローガンは、昔からジーンに懐いていた。ジーンが今手いっぱいの状況だと知り、「僕も何かお手伝いをしたいです」と申し出てくれて、コネリーにくっついて先日この屋敷にやって来たのだ。


 ところが手伝いを頑張りすぎてしまい、熱を出してダウン。それからローガンはこの屋敷で静養している。


 ジーンは申し訳なさそうにコネリーを眺めた。


「そもそも十二歳のローガンに手伝ってもらったのがよくなかった」


「いや」とコネリー。「お前に手伝いを断られたら、弟は傷ついたと思う。できれば……熱が下がっても帰らせたりせず、『もう少し元気になったら、寝込んだぶん、こき使ってやるぞ』と言ってやってくれないか?」


「しかし」


「そのほうがローガンは喜ぶ。手伝いたくて来たのに、熱を出してしまって、今ものすごく落ち込んでいるんだ」


「……分かった。使用人がすぐに様子を見られるよう、一階の部屋で寝てもらっているが、熱が下がったなら二階に移そうか? そのほうが静かだし、よく眠れるだろう」


「やめてくれ! これ以上気を遣われると、ローガンの熱がまた上がる」


 というやり取りをしていたら、執務室の扉がノックされ、執事が入って来た。


「どうかしたか?」


 ジーンが尋ねると。


「ジーン様――婚約者のアメリア様がお見えです」


「は?」


 アメリア……アメリアって、さっき話していた、あのアメリア? なんで? 来訪を告げる手紙が、どこかに埋もれているのか?


 こんもりと山になっている手紙類の大半は、まだ開封されていない。


 ジーンとコネリーは思わず顔を見合わせた。


 あるじから返事がないので、老齢の執事はプルプルと震えながら待っている。


 それに気づき、ジーンは慌てて立ち上がった。


「彼女は玄関ホールにいるの?」


「さようでございます」


「すぐに行く」


 そう言いながら、ジーンはすでに歩き始めている。


「……俺は遠目で見守ることにするわ」


 友人のコネリーはそう言って、数歩遅れて歩き出した。


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