第23話 ジーン様が今夜オペラを観に、と
森から屋敷に戻る途中で、アメリアは鐘の音を聞いた。
――一、二、三回――なんの合図だろう?
玄関口のほうが騒がしくなったので、ルートを外れて足をそちらに向ける。
建物の西側を回り込むようにして、イチイの生垣のあいだから玄関のほうを眺めた。
すると。
婚約者のジーンが可愛らしい女の子と抱き合っていた。顔立ちの系統はアメリアと違って、癒し系だ。若草色のドレスが良く似合っている。
実家のジェマとも感じが違う――ジェマは『私、困っています』系の庇護欲をくすぐるタイプだが、こちらの彼女はほのぼの系。ウサギとかタヌキとか、そういう小動物を連想させられるような、ほんわかした感じ。
ふと、先ほどローガン少年から聞いた話が脳裏に蘇った――『ジーン様は、派手ではない、大人しい子が好きだとおっしゃっていました』――ああ、なるほどねぇ。
玄関前で抱き合うふたりは、とても親しそうだ。
……恋人同士なのかなぁ……アメリアはそう推察した。
貴族だと好きな人がいても、その相手と結ばれるのは難しい。最終的には政略結婚を受け入れ、恋は恋、結婚は結婚――と割り切って考える貴族は多いのかもしれない。
――女の子が何かの紙片をジーンに渡している。大きさ的に、オペラか演奏会のチケットだろうか。
アメリアは彼らから視線を切り、来た道を引き返した。……裏口から屋敷に入ろう。
「……可愛い子だったなぁ」
いつも陽気な彼女が珍しく顔を伏せ、眉尻を下げてトボトボ足を進めた。
* * *
アメリアが自室に戻ってくつろいでいると、部屋付メイドのエレンがお茶を運んで来た。
アメリアはエレンを見て、にっこり笑った。
先ほど少しだけ元気がなくなってしまったのだけれど、すでに元の状態に戻っている。
視線が絡むと、エレンも笑みを返してくれた。
「今日のおやつは旬のフルーツです」
「わぁ……!」
イチジクとマスカットだぁ……!
パァァ……アメリアの瞳が輝く。
それを見て、エレンはふふ、と笑みをこぼした。
「喜んでいただけてよかったです」
「好、き~♡」
「イチジク、お好きですか?」
「イチジクもマスカットも好、き~、そしてエレンも好、き~♡」
あら嬉しい……♡
滅多に声を立てて笑わないエレンが、耐えきれずに吹き出す。
お茶を給仕したあとで、エレンはアメリアの顔をチラリと眺めおろし、さりげなく切り出した。
「実はジーン様からご伝言がございまして」
アメリアはピクリと肩を揺らしてから、綺麗な瞳でエレンを見上げた。
これにエレンは少し困惑してしまう。
……美しい顔だから、表情が読みづらいわ……アメリアは落ち着いているようにも見えるし、びっくりして固まっているようにも見える。
ジーンとアメリアは婚約者同士――しかも同じ屋敷に住んでいるのに、現状は他人同然の間柄(あいだがら)だ。そんな中で「ジーン様からご伝言が」なんて言われたら、普通は戸惑うわよねぇ……。
けれど見たところアメリアのリアクションに、ネガティブな感情は滲み出ていないように感じられる。
エレンは躊躇いがちに用件を告げてみた。
「ええと、その……ジーン様が今夜オペラを観に、と……おっしゃっていました。夕刻、五時半に出れば間に合うそうです」
アメリアはすぐに小さく頷いてみせた。
「分かったわ」
エレンは注意深くアメリアの顔を眺め、念を押した。
「ではアメリア様はそれで問題ないですね?」
「OK~」
アメリアは口角を綺麗に上げ、親指と人差し指をくっつけて丸を作ってみせた――しかも両手、ダブルで。
エレンはホッとして小さく息を吐く。
「ジーン様にそうお伝えいたします」
アメリアはこくりと頷いてみせたけれど、彼女にしては言葉少なで、すぐにフルーツに視線を落としてしまった。
* * *
午後三時半すぎ、部屋付メイドのエレンは、アメリアの様子を見に行った。
五時半出発だから、あと二時間――着替えとメイク、髪のセット――やることはたくさんある。
アメリアはいつもメイクや着替えをひとりでこなしてしまうのだが、オペラを観に行くための支度となれば、そうはいかないはず。
幸い彼女はイブニングドレスを一着持っているようなので、その点はよかった。さすがにオペラを観るのに普段着のドレスではまずい。
部屋に入ると、バルコニーに佇むアメリアの後ろ姿が見えた。手すりに肘を突き、ぼんやりと庭を眺めている。
エレンはバルコニーまで歩いて行き、そっと声をかけた。
「アメリア様、大丈夫ですか?」
アメリアがゆっくりと振り返る。背後から陽光が当たり、逆光気味になった。
物柔らかに微笑みかけられて、エレンはなぜかドキリとした。
春の訪れとともに消える、雪のようだと思った――美しく、儚(はかな)い。
「……アメリア様?」
「大丈夫よ。どうかした?」
「支度を手伝います。あと二時間で完璧に身なりを整えて、玄関ホールに出て行く必要がございますので」
「んー……?」
アメリアは小首を傾げてから、にっこりと笑みを浮かべた。
「エレン、私には独自のこだわりがあるの」
「え……ええと、はい」
「支度はひとりでできるわ」
「ですが……」
「問題な~い、任せて」
アメリアが近づいて来て、こちらの肩に触れ、くるりと反転させる。
「さぁさぁ、大丈夫だから」
「アメリア様――」
「はいはい、任せて任せて」
肩に手を置かれて、そのまま軽く押される。
半身になって振り返ると、アメリアに笑顔でバイバイされてしまい、それ以上は粘れそうになかった。
まぁ確かに……アメリアにはファッション、メイクに独自のこだわりがあるようだし、ひとりのほうが集中して完璧に仕上げられるのかもしれない。
エレンは少し心配になったものの、アメリアの意思を尊重して、そのまま部屋を出て行った。
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