第22話 超イッケメーン!


 その日、ジーンの妹がオルウィン伯爵邸にやって来た。


 メイドとローガン少年から手作りストラップについて報告を受けた、直後のことである。


 ――訪ねて来た妹のマチルダは、ジーンの八つ下で、現在十七歳。


 彼女は顔の系統も性格も、ジーンとは正反対だ。


 兄のジーンは、顔がド美形、性格は地味。


 妹のマチルダは、顔が地味で、性格はハッキリしている。


 マチルダは一年前に幼馴染と結婚しているので、すでにもう人妻である。彼女はせっかちだし、こうと決めたら行動は迅速。


 彼女はオルウィン伯爵邸の門前で馬車から降り、初老の門衛(もんえい)に向かってまくし立てた。


「ごきげんよう! 私はジーンの妹のマチルダといいます! 門の見張り、ご苦労さまです!」


 これを聞いた門衛はハンチング帽を脱ぎ、頭を下げた。


「どうも、はじめまして」


「私、あなたにお願いがあるの!」


「……はい?」


「申し訳ないのだけれど、このチケットを兄のジーンに渡してほしいの。あと、これから私が言うことを、彼に正確に伝えて――そうね、あなた、メモを取ってくれる?」


 いきなり面倒な頼みごとをする強者、マチルダ。


 門衛は初対面の令嬢からグイグイ来られて、困惑しかない。


 よく分からない紙のチケットを無理矢理押しつけられそうになり、門衛は慌ててバンザイをして、『受け取れません』の意思を示した。チケットの預かりよりも、『メモを取って、正確に伝言しろ』と言われたのがものすごく負担だった。


「あの、マチルダ様がジーン様に直接お渡しになられたほうが……」


「だけど私、ものすごく忙しいから!」


 えー……門衛はすっかり腰が引けている。


 彼は近くの鐘を振り返り、ふたたびマチルダのほうに視線を戻した。


「あのですね――鐘を鳴らして来訪を知らせますので、屋敷の前まで馬車で進んでください!」


「ええ? チケット、あなたが受け取って渡しておいてよぉ」


「無理です! さぁ馬車で真っ直ぐ進んで――鐘の音を聞けば、誰かが玄関口に出て来るはずですからね――さぁ行って、行ってください!」


 門衛は鐘に下がったヒモに飛びつき、景気良くガラン、ガラン、ガラン! と鳴らした。


 三回は、『重要なお客様がいらした!』の合図だ。


 そのまま門衛がそそくさと引っ込んでしまったので、マチルダは「もう!」と頬を膨らませてから馬車に戻り、御者に命じた。


「屋敷の真ん前まで進んで、お願い!」


 馬車がふたたび走り始めた。




   * * *




 ローガン少年は当主の執務室を出たあと、遠くで鳴る鐘の音を聞いた。――一、二、三回――ああ、これは『重要なお客様がいらした!』の合図だ。


 彼はまた執務室に引き返し、ノックをしてから入室して、ジーンに伝えた。


「門衛から今、鐘の合図がありました。重要なお客様がいらしたようですよ」


「分かった、すぐに行く」


 ジーンが玄関に着いたのと、馬車が屋敷前に横づけしたのがほぼ同時だった。


 馬車の窓から妹の横顔が見えたので、ジーンは外に出て行った。


「――マチルダ? どうした?」


 ジーンが声をかけると、マチルダが馬車の扉を開けて飛び出して来た。


「お兄様……!」


 ついさっきまで玄関まで行くことすら渋っていたのに、実際に兄を前にしたらニコニコ顔でハグをねだるという、現金なマチルダ。彼女にはこういう勝手なところがある。


 ジーンはよく分からないまま、懐に飛び込んで来た妹をハグしてやった。


 そうしてやりながら、『急にどうしたんだ?』と困り顔になり――……結局淡い笑みを浮かべた。


 ……我儘でせっかちで態度が大きい困った妹だけれど、どこか憎めないところがあるんだよなぁ……。


 なんというか、マチルダは『ポンコツ』なのだ。この押しの強さで、なんでもできてしまうと可愛げがないと思うのだが、マチルダの場合はドジでポンコツなため、ちょこちょこ痛い目に遭っているようだ。結果、彼女の『ぎゃふん』顔を見ることになり、周囲の人間は『仕方のないやつだなぁ』と許してしまう。


 ジーンの場合は特に、マチルダが八つも年下ということもあり、たまに腹が立つことはあるのだけれど、なんだかんだで可愛く思っているのだった。


「急にどうしたんだ、マチルダ」


「あまり時間がないの。今日立ち寄ったのは、お兄様に『いいもの』をあげようと思ったのよ」


「……いいもの?」


 聞いてもいないうちに、こんなふうに思うのもなんだけれど、絶対いいものじゃないだろ……。


 マチルダはハグを解き、ポケットから何かの紙片を取り出した。


 それを得意気に顔の横で振ってみせる。


「ジャーン! オペラのペアチケットよ!」


 えー……いらーん……。


 仕事が溜まりに溜まっていて、観劇どころじゃない。大体、オペラなんて『誰と』観に行くんだよ? 婚約者のアメリアとはまったく口をきいていないし、口をきいていないどころか、顔を見るチャンスさえないような状況だというのに。


 妹がチケットをグイグイ押しつけてきた。


「ほら、お兄様、受け取って」


「いや、マチルダ――」


「どうせ毎日暗い顔をして、仕事ばっかりしているんでしょう? たまには休憩しないと効率が悪いわよ。お兄様が息抜きしないとね、手伝っているコネリーさんも休みづらいと思うわ」


 痛いところを突かれた……確かにそのとおりだ。


 友人のコネリーはクールそうに見えて、情に厚いところがある。そろそろ休暇が終わるので彼は騎士団に戻らなくてはならず、そのことを気に病んでいる様子。帰る前に色々片づけておこうと考えているらしく、夜遅くまで仕事に付き合ってくれている。


 ジーンが考え込むと、マチルダがポンポンと肩を叩いてきた。


「花嫁さんとはちゃんと上手くいっているの?」


「花嫁って……まだ結婚はしていない」


「婚約者――アメリア様、だっけ?」


「うん」


「その……噂でちょっと聞いたんだけど……」


 マチルダが言い淀む。なんでもはっきりものを言うマチルダにしては珍しい。


 そうか……妹は情報収集が得意だったな……。おそらくアメリアの悪い評判をどこかで聞きつけたのだろう。アメリアの実家の連中は、面白おかしく娘をおとしめているようだし。


 ジーンは真面目な顔でマチルダを見つめた。


「――アメリアは素敵な女性だ」


「え?」


 マチルダが目を瞠る。


「お前がどこで何を聞いたか知らんが、アメリアに会ったこともないのに、悪い噂を一方的に信じるのはよくない」


 真摯に告げながら、ジーンの胸が鈍く痛んだ――お前がそれを言うか、と自分に対して呆れたからだ。ジーン自身、アメリアの良くない評判を事前に聞いたことで、対面した際に先入観にとらわれて見てしまった。


 けれど自分が失敗したからこそ、その行いの愚かしさがよく分かる。


 たとえ先入観があったとしても、ジーンのバランス感覚が優れていたなら、アメリアを傷つけることもなかっただろう。


 ジーンの端正な面差しに艶っぽい影が差す。


「………………」


 マチルダはパチパチ……と瞬きしたあとで、むふ……と口元を緩めた。すっかり面白がっている顔つきである。


「お兄様――私が聞いたのは『良い噂』よ。『アメリア様はとても可愛らしくて笑顔が素敵』という評判なのだけれど」


「……ん?」


「私ね、こちらのお屋敷で働いている庭師のお爺さんと知り合いなの」


「え、そうなのか?」


「私は顔が広いのよぉ」


 ……広すぎだろ。


「でもそうか、へー、あのお兄様がねぇ」


「なんだよ」


「いつも大抵のことはなぁなぁに済ませるし、何があっても滅多に怒らないじゃない? でもさ――『アメリアは素敵な女性だ』――キリィ! みたいな! ブフゥ――さっき美形が炸裂(さくれつ)してたわよ――うける~」


 肩をバシバシ叩きつつ、かがみ込む勢いで悶絶している。


 マチルダの頭や背中がプルプル震えているのを眺めおろし、ジーンは頬が赤らむのを自覚した。


「マチルダ! 兄をからかうんじゃない」


「だってぇ、あの顔を見て、『お兄様って超絶美形だったんだな』って久しぶりに思い出せたのよ! そしたらもう可笑しくなっちゃってさぁ――『アメリアは素敵な女性だ』――超イッケメーン! ブフフッ!!」


 は、腹立つ~~~~!!!


 ジーンが『くそう!』となっていると、マチルダが目尻を拭いながら(驚いたことに笑いすぎてちょっと泣いているではないか)、こちらを見上げた。


「庭師のお爺さんから、アメリア様とお兄様が一緒にいるのを見たことがないって聞いたの」


「……マチルダ」


「ちょっと心配してたんだ。それで今日たまたまオペラのチケットが手に入ったんだけど、私は行けそうにないし……勢いで訪ねて来ちゃった。もしも……ふたりが喧嘩か何かしているなら、これが仲直りのきっかけになれば、と思ったのよね」


 妹の気遣いが胸に沁みた。


 数分前までは『オペラなんて』と思っていたけれど、今は『アメリアを誘ってみようか』という気になっている。


 ふと思ったのだが、世界を変える存在というのは、目の前にいるマチルダや、婚約者のアメリアみたいな人間なのかもしれない。こういう人たちが持つ不思議な熱や純粋さは、他人を動かす力がある。


 ……良し悪しは別として、だけど……。


 ジーンは綺麗な笑みを浮かべた。


「ありがとう、マチルダ」


「いいのよ」マチルダもにっこり笑う。「じゃあもう一度ハグして、お兄様」


 兄妹は心のこもったハグをして、玄関先で別れた。


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