第10話 カイルとジェマの口論
自室に戻ると、ベッドの上に列車の切符が置かれていた。
アメリアはそれを手に取り、大切に胸に抱え込んだ。
――油断は禁物。
アメリアは大事なことを学んだ。
旦那様がいるオルウィン伯爵領に着くまで、油断してはだめだ。
今回アメリアは『切符が手に入らないかもしれない』とヤキモキさせられた。『裏山に列車の切符を置いた』と嘘をついたジェマは軽い気持ちだったのだろう。けれど振り回されるほうはたまったものではない。
身を清めてベッドに入り、アメリアは早めに眠りについた。
翌日は朝八時に家を出て、駅まではファース侯爵家が馬車を出してくれることになっていた。
けれど。
アメリアは日が昇らぬうちに起き出した。時刻は午前四時。
手早く身支度を済ませ、カバンを手に取る。ひとりで持ち歩けるように、荷物はこれひとつだ。この中には最低限の着替えと魔法のステッキが入っている。
出かける前にメモを書いた。
『町で乗合馬車を拾い、ひとりで駅に向かいますので、馬車は出していただかなくて結構です。これまでお世話になりました。さようなら。アメリア』
本来の出発時刻である八時に家を出ると、駅に着くのは列車が出るギリギリ前になる。また誰かに妨害されて、馬車を出してもらえませんでした、列車に乗り遅れました――なんてことになったら最悪だ。
だからアメリアは身内を信じないことにした。
しばらく通りを歩けば教会の前に出る。そこから乗合馬車が早朝に出ているはずで、それに乗せてもらって駅に向かったほうが確実だ。乗合馬車の運賃なら手持ちのお金で足りる。
アメリアは部屋の出口で立ち止まり、振り返った。
これまで寝起きして来た自室を最後にじっくりと眺め、微笑みを浮かべる。
「――さようなら、ファース侯爵家」
カバンひとつを手に提げ、アメリアは『ルン♪』とスキップしながら、元気に屋敷を出て行った。
* * *
――午前七時。
アメリアの元婚約者であるカイルが、ファース侯爵家を訪ねた。
アメリアとの縁は切れたもの、結婚相手がジェマに変わっただけで、カイルがファース侯爵家に婿入りすることは変わっていない。だからこうして不意に訪ねたとしても不自然ではないのだが……。
カイルが来訪したのを聞きつけたらしく、ジェマが嬉しそうに玄関ホールに出て来た。
「カイル様! 今日はいらっしゃる予定でしたかしら?」
「君の顔が見たくなってね」
カイルは上の空で答えながら、キョロキョロと玄関ホールを見回す。
それに気づいたジェマが訝しげに眉根を寄せた。
「あの、カイル様、どうかなさいましたか?」
「ああいや……そういえば今日はアメリアが旅立つ日だったよな? と思い出してさ」
ジェマの顔が強張る。唇の端をワナワナと震わせながら、ジェマはカイルに食ってかかった。
「――カイル様、アメリアお義姉様のことなど、どうでもいいではありませんか!」
「どうでもいい? 僕の元婚約者だし、君の義姉でもある」
男爵家に生を受けたジェマであるが、今はファース侯爵家の養子になっているから、アメリアとは義理の姉妹という間柄だ。
「義姉といっても、問題のある方です」
「そうさ――アメリアは変わり者だから、先方から縁談を断られるんじゃないのかな。けれどなかなか『縁談がなくなった』という話が出ないもので、少し気になっていたんだよね。どうなっているの?」
「縁談がなくなるはずありません。両家の契約事ですもの」
「しかし」
「アメリアお義姉様は結婚されるのです――四十手前の胃腸虚弱な男性と!」
「アメリアとは合わないんじゃない? そんな地味な男」
「あら、ピッタリですわよ。アメリアお義姉様が派手すぎるから、夫は地味でちょうどいい」
「そうかな、そんな弱々しい夫では、アメリアを制御できないだろう」
「カイル様? 何をおっしゃっておいでですの?」
「縁談がだめになって、アメリアはどうせこの屋敷で暮らすようになるさ――行くところがないと思い知れば、彼女も以前とは違って、わきまえるのではないかな。そうしたら受け入れてやらないこともない」
「カイル様!」
ジェマは顔を赤らめ激怒している。
カイルはジェマに反抗されて驚いた。彼女はいつもおしとやかで、カイルのご機嫌ばかり取っていたのに……。
「ジェマ、そんなふうに感情的に振舞われるのは好きじゃないな」
「あ……申し訳ございません、でも」
「でも、はやめてくれ。突っかかってこられるのは好きじゃない」
「………………」
「それでアメリアは?」
「……もう出ましたよ」
「は? 朝八時に出る予定では?」
カイルは先ほど「そういえば今日はアメリアが旅立つ日だったよな?」とうろ覚えであることを仄めかしていたのに、今度は「朝八時に出る予定では?」と記憶が明晰であることを示し、発言に矛盾が出ている。
八時出発というのをしっかり覚えていて、その上で朝七時にわざわざやって来たというのは、つまりはアメリアに会いたかった? ジェマは当然そう考える。だからジェマの顔色は冴えない。
「あの方、勝手なんです。置手紙があり、『町で乗合馬車を拾い、ひとりで駅に向かいますので、馬車は出していただかなくて結構』――ですって。日が昇る前に屋敷を抜け出したようですわ。もう今頃は乗合馬車に揺られて、駅に向かっているでしょう」
「そんな……」
カイルは目を見開き、喘ぐように息をした。
対面に佇むジェマはギリと奥歯を噛み、ドレスの布地を強く指で握り込んだ。
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