第26話 アメリア、ジーンと再会
伸縮はしごのところまで来て、アメリアは一階の東角部屋に明かりが灯っていることに気づいた。
「……あそこって、ジーン様の執務室じゃなかったかしら?」
以前エレンに庭を案内してもらった際、屋敷を外から見て、どこになんの部屋があるのかをざっくり教えてもらったことがある。
「でも……ジーン様は今、愛人さんとオペラを観ているはずだけれど」
はしごに一旦手をかけたものの、やはり気になる。
アメリアは背負っているリュックのショルダーストラップを指で撫でてから、思い切って明かりのほうに足を進めた。
そして部屋の前まで辿り着いたのだが、レースのカーテンが閉まっていて中が見えない。
ただ、床まである両開きの大窓がわずかに開いていて――アメリアは足音を殺して窓辺に寄ってみた。
そうっとカーテンをよけて中を見ようとしたところ、窓にうっかり触れてしまったらしい。
キィ、と軋んだ音が辺りに響いた。
「――誰だ?」
尋ねられ、アメリアは少し躊躇ってからカーテンを横にずらした。
執務デスクに着いているジーンと視線が絡む。
ジーン様……なぜここにいるの?
アメリアは目を瞠った。
そして彼のほうも目を瞠っていた。いや――ジーンのほうが驚きは大きそうだ。すっかり固まってしまって動かない。
アメリアは小首を傾げ、小さな声で挨拶をした。
「……こんばんは」
すると。
「……こんばんは」
ハッと我に返った様子で、ジーンが挨拶を返してくれる。こちらに向けられた視線がとても柔らかく感じられて、記憶の中の彼とは様子が違った。
……前は『落雷』って感じだったけれど……今は『星空』って感じがする。
アメリアはホッとして緊張を解いた。
ジーンが席を立ち、こちらにやって来る。
反射的にアメリアは半歩下がった。
すると彼はピタリと足を止め、少し悲しそうな顔でこちらを見てきた。
「アメリア……少し話せる?」
「話……ええと、でも」
「僕と話すのは嫌?」
「ええと……大丈夫です」
語尾がものすごく小さくなってしまう。
ジーンが窓ガラスに手を置き、静かに話しかけてくる。
「初対面の時に、嫌な態度を取ってしまってごめんね」
アメリアは顔を上げた――すぐ近くにある青灰の瞳が、真っ直ぐこちらに向いている――虹彩が揺らめいて雨の日の海のようだと思った。
「あれは私がうるさくしてしまったから……」
「違う」ジーンの声はとても優しい。「声を落としてほしいなら、もっと別の言い方があった。嫌味な物言いをした時点で、僕の内面に問題がある。言い訳になってしまうけれど、僕はずっと疲れていて……元々貴族じゃなかったのに、前オルウィン伯爵が急に亡くなり、慣れない世界に放り込まれた。それからはトラブルの連続で、イライラして君に八つ当たりしちゃったんだ。君がありのままに振舞っても、うるさいなんて思わないから、元気に話してほしい」
アメリアはマジマジとジーンの端正な顔を眺めた。
なんというか、意外な話だった。
ジーンの外見はこの上なく貴族的である。彼には消しようのない品の良さがあり、そのことからアメリアは、『ジーンさんは生まれも育ちも貴族で、前オルウィン伯爵の死をきっかけに籍を移しただけなのね』――そんなふうに考えていたのだ。
「元は何をされていたんですか?」
「医者」
ジーンが端的に答え、淡い笑みを浮かべる。
アメリアは目を丸くし、すぐに花がほころぶような綺麗な笑みを浮かべた。
「すごーい!」
「……え?」
戸惑うジーン。
「ジーン様はお医者様でしたかぁ、尊敬です」
「いや、貴族の価値観だと、医者も弁護士も卑しい存在に該当するだろう?」
そもそも彼らは職業人を蔑視している。職業人の中では医者や弁護士は上の階級とみなされるが、それでも貴族たちからすれば遥かに下なのだ。
けれどアメリアはそんな価値観を全否定。
「そんな馬鹿な――うちの生まれた国ではお医者さんも弁護士さんも、ものすごく尊敬されていましたよ。色々な知識と経験が必要になる、素晴らしい仕事じゃないですか。うちは自分ができないことができる人のことを、すごいなって思います」
アメリアはおべっかを使っているつもりはないようだ――なぜなら語り口に妙な熱が込められていたからだ。
ジーンは呆気に取られ……半信半疑で尋ねた。
「君の実家であるファース侯爵家は西部だよね? うーん……? 西部で医者と弁護士の地位が高いというのは聞いたことがないのだが……?」
しまった――アメリアは慌ててスッと視線をそらす。
「いえ、西部じゃなくて、本当の故郷、の……」
「本当の故郷? アメリア、君はファース侯爵家の実子ではないのか?」
「いえ、なんて言ったらいいのか……」
アメリアはすっかり困り果てている様子。
ジーンのほうだって無理に追及するような真似はしたくないのだが、『もしかしてアメリアは実家で虐待されていたのでは?』という疑いを抱いていたので、生い立ちに秘密があるなら知っておきたいと思った。
夫になる自分が把握しておかないと、いざという時に彼女を護れないかもしれない。
あとでこっそり調べることも可能だろうけれど、できればアメリア本人から聞きたい。これまでずっとすれ違ってきただけに。
――まだ僕たちは部屋の中と外、同じ場所にも立てていないんだ――……。
ジーンは意を決して大窓を開け放ち、外に足を踏み出した。
もっと彼女を知りたい。もっと話したい。もっと声が聞きたい。
ねぇ、アメリア――……。
立ち位置を変えたことで、ジーンの視界に別のものが映った。
「ん……あれは何?」
ジーンが地面を指差すので、アメリアは振り返って視線を落とした。
すると、まさかの。
「やだ」
白いモコモコの列が背後にできている――よくよく見てみたら、ウサウサウサではないか――一、二、三、四、以下略――おそらく二十五匹、全部いるぅ!
モコモコの列はこんな具合にできあがっていた――始めの一匹がアメリアのドレスの裾を掴み、次の一匹が前の耳を掴み、そのまた次の一匹が前の耳を掴み……の数珠つなぎ方式だ。
ウサウサウサは耳を握って空中で左右に振ると良い音色を奏でるが、今回は全員が地に足をつけているため、道中では何も音がしなかったらしい。
「ウサウサウサ~! な、何しているの~!」
一匹目のウサウサウサが眠そうに目をこすりながら口を開く。
「アメリア~、あとでデザートくれるって言っただろこら~」
あとは大合唱。
「そうだぞこら~」
「プリン~」
「ヨーグルト~」
「アポーパイ~」
……謎に発音が良いのがいるなぁ……アポーパイ~。
「精霊? うわぁ、珍しい……山奥に行かないと見られないと思っていた」
ジーンが腕組みをして、興味深げにウサウサウサを見おろす。
「おい、アメリアがイケメンとイチャイチャしているぜ~こら~」
「ひゅーひゅーこら~」
アメリアは赤面し、ぐっと拳を握り、抑えた声で尋ねた。
「じ、ジーンさん……執務室に入れていただいてもいいでしょうか? ウサウサウサたちを一カ所に集めて、お説教します……」
恥ずかしがっているアメリアを眺めおろし、ジーンがくすりと笑みを漏らす。
「もちろん、どうぞ」
「ひゅーひゅー、ラブいぜ~」
「室内で本当は何する気だこら~」
ウサウサウサの悪質なからかいがやまないので、アメリアはキッと精霊たちを睨んだ。
「やめなさーい! ジーンさんにはほかに恋人がいるのですから、ご迷惑ですよ!」
「はぁ?」
ジーンは呆気に取られた。
「ほかに恋人なんていないけれど」
「え、でも……」
アメリアは眉根を寄せる。
「そういえばどうしてジーンさんはお屋敷にいらっしゃるんですか?」
「……ん?」
「今日は恋人とオペラを観に行くご予定と伺いましたが」
ふたり、探るように見つめ合う。ジーンの戸惑いは深まるばかりだ。
「いや――僕は君を誘ったつもりだった――五時半に出ようという約束だったのに、部屋を抜け出してしまっただろう。それほど僕とオペラに行くのが嫌だったとは……と落ち込んでいたんだが」
「私を誘った? え――あなたが恋人とデートに出かけるのを、着飾って玄関口で見送れ――という命令ではなく?」
「どういう意味?」
「だって私、昼間、見ましたよ――ジーンさんがすごく可愛らしい女の子と抱き合っていました。彼女にオペラのチケットを渡されていましたよね? だから私……今夜ジーンさんはあの子とデートするつもりなのだと思って……て勘違いだった?」
アメリアが目を丸くする。
ジーンは苦悩の顔つきで口元を押さえた。
「アメリア……! あれは妹のマチルダだ……」
「え、妹さん?!」
「マチルダは君と僕が仲違(なかたが)いをしているんじゃないかと心配して、オペラのチケットをくれたんだよ」
ガ、ガーン……!
オペラ……ジーンさんと観たかった……‼
アメリアがフラリとよろけ、ジーンが慌てて彼女の腰を支える。
誤解の解けたふたりは至近距離で見つめ合い……。
「ひゅーひゅー、そろそろチューしろこら~」
「大人のキスしろこら~」
品性の欠片もないヤジ……!
アメリアとジーン、ふたりの顔がボンッ! と真っ赤になった。
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