第32話 心の中でジェマをののしるカイル
――アメリアの実家であるファース侯爵家。
晩餐の席でカイルが「俺がすぐにオルウィン伯爵領に行って、アメリアを連れ戻して来ますよ」と言い出した時、ジェマは心底呆れ果てた。
……は? なんですって?
その上カイルはひとりで行くつもりのようである。彼の口ぶりからそれは明らかだった。
……は? え? 意味がわからない。あなたの現婚約者はこの私よね? なんで元婚約者のアメリアを、ひとりでいそいそと迎えに行くつもりなわけ? そんな勝手は許されませんから!
ドス黒い感情に呑まれて心の中で悪態をついていたジェマは、すぐにハッと我に返る。
だめだわ、このまま放っておけない、すぐに反対しなくては。
ジェマは顔を上げ、引き攣った笑みを浮かべた。
「カイル様――アメリアお義姉(ねえ)様を連れ戻すって、それ正気ですの? 皆様もびっくりなさっているんじゃないかしら。考えて直してくださいませ」
これまでファース侯爵家の人々はジェマに優しかったので、この問題提起に当然耳を傾けてくれるものと信じ込んでいた。
ところが。
まず初めに不快感を示したのは、家長であるファース侯爵だった。
「ジェマ、わきまえろ」
「お義父(とう)様……」
「養女の分際で家の決定に口を出すな」
ピシャリ――容赦のない言葉で、ジェマは頬を叩かれたような心地がした。湧き上がる殺意をこらえ、ドレスの布をグシャリと握り締める。
この時、壁際に控えている侍女頭のグリアが、なぜか『いい気味だ、小娘』とでも言いたげな嫌な笑い方をしたのが視界に入り、ますます不快な思いをする破目に。
グリア――あのクソ婆!
結局、これまで皆が私に優しくしてくれていたのは、『アメリアいじめゲーム』の一環にすぎなかったのだ……ジェマはそのことに気づいた。アメリアへの当てこすりで、年の近いジェマを持ち上げていただけ――本心からジェマのことを気に入って褒めていたわけではない。
ジェマはそれを受け入れた上で、素早く頭の中で計算する――この馬鹿どもにはあとで仕返しをしてやるとして、今はカイルのことに集中するべきね。
彼がアメリアを迎えに行くことはもう決定したようだ。ならば自分も一緒に付いて行く方向で上手く調整しなくては。
ジェマはにっこりと可憐な笑みを浮かべ、家長席を見遣る。
「お義父様、大変失礼いたしました。以降気をつけますので、お許しいただけますか?」
「まぁ今回は大目に見るが」
ジェマがすぐに従順な態度をみせたので、ファース侯爵は咳払いをして彼女を許した。
「お義父様、寛大なご配慮、いたみいります」
ジェマは芝居がかった一礼をしてから、
「さぁ、それでは、私も明日に備えて早く寝なくては――皆様、どうか安心してお待ちくださいませね――必ずアメリアお義姉様を連れ戻してみせますから!」
ジェマが力強くそう宣言すると、その場にいた全員が『……え?』というように眉根を寄せた。
隣席のカイルがすぐに硬い声で告げる。
「ジェマ、アメリアの迎えは俺に任せてくれ」
「あら!」
大声――そう、こういう時は声量で乗り切る。
「先方のオルウィン伯爵はカイル様がおひとりで訪ねて来たら、警戒なさるわ! このところ王都では貴族同士の決闘が増えているんですってよ――手袋を投げつけて、相手が拾ったら殺し合いになるのですって。そういうことが頭をよぎると、カイル様に会おうとせず、門前払いをするかもしれない」
「問題ない、その辺は――」
「けれど私が同行すれば、オルウィン伯爵は警戒せずに、友好的に話を聞いてくださると思うわ――アメリアお義姉様はものすごく変わっているから、先方でもそろそろ持て余している頃でしょうしね――私のように若い女性が優しく話しかければ、『アメリアならすぐに喜んでお返しするよ』と言ってくださるはず」
確かにな……家長席で耳を傾けていたファース侯爵は、ジェマの言い分に心を動かされた。
彼女の言うとおりで、ジェマは当たりが柔らかいし、その上そこそこ器量も良い――上手くオルウィン伯爵を丸め込めるのではないか?
なんならアメリアとジェマ、チェンジでもいいのかも?
ジェマが向こうに残り、オルウィン伯爵と結婚。
戻って来たアメリアは一生この家から出さない。アメリアとカイルは元鞘(もとさや)ということで、特に問題はなさそうである。
「ジェマ、カイルくんに同行してくれるか。何か揉めるようなら、君が先方の屋敷に残って、しばらくオルウィン伯爵をなだめてくれるとありがたい」
「もちろんです!」
笑顔で引き受けるジェマを横目で眺め、カイルは忌々しく思った。
くそ……ここでジェマの同行を断れば、「なぜ彼女が一緒ではだめなのだ」と疑惑の目を向けられるだろう。
なんて邪魔なクソ女なのだろう……カイルは婚約者のジェマに対して、毛虫に対して抱くような嫌悪感を抱いた。
オルウィン伯爵家にこのクソ女を押しつける良い案はないだろうか……。
* * *
翌日。
カイルとジェマはふたりで列車に乗った。
「カイル様、このドレス、どうかしら――似合っている?」
ジェマは精一杯可愛い声を出し、隣席のカイルに話しかける。
冷めた瞳で窓の外を眺めていたカイルは、『音がしたから振り向いただけ』というような心のない一瞥をこちらにくれてから、すぐに視線をそらしてしまう。
「……いいんじゃないか」
「そ、そう……カイル様に褒めていただけて、よかった♡」
ジェマは顔では笑い、心の中では盛大に泣きわめいた。
なんなのよ――私可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ可愛いでしょ‼ ――もっと私を見なさいよもっと褒めなさいよもっともっともっともっともっともっともっと――……‼
全部アメリアのせいだわ――あの魔女がカイル様に呪いをかけたんだ。
禁足地に勝手に入って護り石を盗っただけでは飽き足らず、呪いまでかけて行った――とんでもなく心が汚い女! いやらしい、アメリアは昔からそういう粘着質なところがあったものね!
昨夜、ジェマは口から出まかせで「大事な護り石をアメリアが無断で持ち出した」と語った。それが今や彼女の中では『真実』にすり替わっている。
ジェマはいつもそうだ――何か自分にとって嫌なことが起こると、自分が嫉妬している誰かのせいにして、架空の話をでっち上げる。ほかのひとに話すうちに、段々とそれが真実のように思えてくる。都合良く記憶が改ざんされるので、嘘をついている自覚はない。周囲にいる人間は頭の作りが単純なほど、彼女の話を丸々信用してしまう。
こうしてジェマの近くではいつも人の悪意が渦巻き、ゆるやかに人間関係が悪化していく。
そしてファース侯爵家の面々もジェマに良く似た性格をしているので、アメリアというクッション役を失った状態で互いに顔を突き合わせていれば、獣たちの共食いが始まるのは時間の問題なのだった。
* * *
旅程の四分の三まで来たあたりで問題が起こった。
途中の経由駅で列車が長いこと停まり、車掌が回って来て、降りるように促してきたのだ。
「この先のオルウィン伯爵領まで行きたいから、途中で降ろされると困るのだが」
カイルが訴えるが、車掌は首を横に振るばかり。
「この先でドラゴンが暴れているので、安全上の観点から先へは進めません」
「そんな……」
「取りすぎた運賃は窓口で払い戻しいたしますので、とにかく下車してください」
カイルはイライラしながらそれを聞いていたのだが、かたわらにいたジェマはにんまり。
幸先(さいさき)良いわ……どうせならアメリアがドラゴンに食べられてしまえばいいのに。
ジェマはニヤニヤ笑いをなんとか引っ込め、困ったような演技をしながらカイルに話しかけた。
「この駅はどの辺りなのでしょう? 私は地理に疎くて」
カイルがため息を吐いてから答える。
「この辺りはバリー公爵領だな――仕方ない、町に行ってこの先の交通手段を訊いてみよう」
「バリー公爵領! カイル様と町を見て回れるなんて、楽しみ! 今夜はふたりきりだし、ロマンチックな宿に泊まりましょうよ!」
はしゃぐジェマを眺め、カイルの顔から表情が消える。苛立ちさえもおもてから消えたことで、かえってゾッとするほど冷ややかな感情が透けて見えるかのようだった。
カイルはジェマを心の中で罵った――アメリアのポジティブさとはまるで違う、ジェマの自己中ぶりにはうんざりだ。気遣いができないのか、この女。
キモイ。うざい。ブス。黙れ。消えろ。
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