第44話 意地悪グリアのとんでもない失態①


 同時刻。


 西へ向かう列車の中で、カイルとジェマは隣席に腰かけている。


 彼らのホームであるファース侯爵家に戻るためだ。


 互いに冷めきった顔で、視線は一切合わさない。どちらもうつろな目つきであるのに、全身から殺伐とした空気を垂れ流していた。


「………………」


「………………」


 双方、頭の芯が痺れているような感じで、思考が纏まらない。


 けれど時折思い出したように、ふたりは互いへの恨みや憎悪や侮辱を頭の中で繰り返した。


 彼らはまだ気づいていない……ここからが始まりであることを。


 腐れ縁は、断ち切れないことを思い知ってからが、地獄――底なし沼のように深い深い穴に、絡み合って堕ちて行く。




   * * *




 さらに西部、同時刻。


 ファース侯爵家に奇妙な客人がやって来た。


 訪ねて来たのはエキゾチックな貴婦人と、十歳前後の少年。


 玄関口で応対した侍女頭のグリアは、相手の身なりが良いので、初めは丁寧に接した。深い皴が刻まれた気難しい顔を、精一杯愛想良くして尋ねる。


「どのようなご用件でございましょうか」


 その問いに対し貴婦人は微笑んでみせ、赤い紅を引いた唇をなまめかしく動かした。


「以前わたくし、アメリアさんと夜会で親しくなったの。お会いしたいのだけれど、いらっしゃるかしら?」


 は……アメリア? あの悪魔憑きに会いに来たっていうのか?


 グリアの口元がピクリと痙攣する。


 こいつはまともじゃない……グリアは嫌な目つきで客人を眺めた。


 そうさ、この女もアメリアの同類に違いない……男をたぶらかす赤い紅なんぞ引きおって。


 けれどグリアは念のため相手の家柄を確認することにした。


「マダム――あなたさまの旦那様は公爵ですか?」


「いいえ」


 落ち着いた声音で貴婦人が否定する。


「では侯爵?」


「いいえ」


「伯爵?」


「いいえ」


「子爵?」


「いいえ」


「男爵?」


「いいえ」


 段々と爵位を下げていっても、貴婦人の答えはずっと「いいえ」――……。


 ふたりは冷めた目つきで視線を交わす。


 グリアの態度が一気に悪くなった。


「それで? なんだい? アメリアに用だと? どんな用だか言ってごらんよ。さぁ、ほら」


「………………」


 無礼な態度を取られた貴婦人が不快そうにスッと瞳を細める。その途端、纏う空気にすごみが増した。


 けれど鈍感なグリアはその意味に気づかない。


 貴婦人のかたわらにいる少年が不安そうに体を強張らせたことで、彼が懐に抱っこしていた毛並みの良いフェレットが身をよじり、ピョンと飛び出して玄関ホールに降り立った。そのままフェレットが屋敷の奥に入って行こうとしたため、少年が慌てて捕まえようと身を乗り出した。


「だめだよ、ハイメ――僕のところに戻って!」


 少年がフェレットの名を呼んで制止をかける。少年はハイメの動きしか見ておらず、自らに迫る危険に無頓着だった。


 グリアが目を剥き、おそろしい唸り声を上げる。


「おい、このガキ! 薄汚いドブネズミもどきを、この由緒正しきファース侯爵邸に放しやがって!」


 肉厚で皴だらけの手を高く持ち上げ、少年の滑らかな頬をビンタしようとするグリア。


 その瞬間、貴婦人の黒緑の虹彩が赤く光った。


 ――ガツッ!


 鈍い音が響き、ふと気づいた時には、グリアは手首を貴婦人に拘束されていた。


 この細腕のどこにそんな力が……グリアが驚愕するほど、その貴婦人は握力が強い。


「は、離しなよ! おい!」


 グリアがひとりで大騒ぎをしていると、女主人であるファース侯爵夫人がフェレットを抱っこして玄関ホールに出て来た。


「このフェレットはどなたのペットかしら? グリアったら、玄関口で何を騒いで――」


「あ、ハイメ!」


 少年がホッとして声を上げる。


 ファース侯爵夫人は玄関ホールに佇んでいる貴婦人をまじまじと眺め、顔色を変えた。慌ただしくフェレットを少年に渡したあとで、うやうやしく膝を折る。


「――ディタ女王陛下、ご機嫌うるわしゅうございます」


 これを聞き、呆気に取られるグリア。


「は……え? じ、女王陛下?!」


 先ほどグリアは相手の爵位を確認している。しかしどうせそれをするなら、『王族か?』の問いから始めるべきだった。王族より下位の爵位を挙げたものだから、ディタ女王陛下からは「いいえ」の答えしか返ってこなかったわけである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る