第45話 意地悪グリアのとんでもない失態②
ファース侯爵夫人が険しい目つきでグリアを睨みつける。
「あなた、頭(ず)が高いわよ! マグニア王国のディタ女王陛下に敬意を払いなさい!」
矢のような叱責。
グリアはサーッと青褪めた。
マグニア王国――それは南方の大陸を治める、当国とは比ぶべくもない大国。そして魔術大国の異名を持つ、特殊な国でもある。
グリアは性根が捻じ曲がっているものの、一応外ヅラには気を遣っていたから、昔はここまで客人に無礼な態度を取ることはなかった。けれど年を取るごとにどんどん脳のブレーキが利かなくなり、結果イライラが抑えられずに、気に入らないものをついつい攻撃してしまう。
グリアは土下座する勢いで玄関ホールに跪いた。そうしながらグリアは『私が悪いんじゃない』と考えていた。これはすべて加齢のせい――年を取ったら怒りっぽくなる人はわりといるのだし、若輩者は年長者に敬意を払って寛大に許すべきだ。
ディタ女王陛下が冷ややかにふたりを見おろす。
「それで、アメリアさんはどちらにいらっしゃるの?」
「アメリア、でございますか……娘が何か無礼を働きましたでしょうか……?」
汗ばむファース侯爵夫人。
それを聞き、グリアが混乱のあまり口を滑らせる。
「アメリアは馬鹿娘だから、何かとんでもないことをやらかしたに違いありませんよ――あの娘の首を斬り落として、こちらの方に献上するしかありません!」
訪ねて来たディタ女王陛下は初めの段階で「以前アメリアさんと夜会で親しくなったの」と伝えているのだから、グリアの発言は何もかもが空気を読み違えている。
どちらにせよ「首を斬り落として」という悪趣味な発言は、大国の女王に聞かせていい内容ではない。
ファース侯爵夫人がグリアを怒鳴りつけた。
「ちょっとお前、黙りなさい! ディタ女王陛下のお話をまず伺ってから――」
「奥様! またアメリアのせいなんですよ! まったく厄介払いで遠くに嫁にやったってのに、どうしようもない悪魔憑きだ! 嫁に出さずに、裏庭で首を刎ねて殺しちまえばよかったんです!」
「グ、グリア!」
「何さ、奥様だってアメリアのことをいびって楽しんでいたくせに!」
「おやめなさい! ディタ女王陛下の御前(ごぜん)ですよ‼」
醜くののしり合う女主人と使用人。
ディタ女王陛下が扇をピシャリと手のひらに打ちつける。
「ほう――あなた方はわたくしの大切なお友達であるアメリアさんを、この家で虐待していたわけね?」
「は……いえ」
ドッと汗が吹き出すファース侯爵夫人。
ここに至り挽回不能であることを悟り、もはや歯の根が合わないグリア。
ディタ女王陛下が冷ややかに尋ねる。
「ファース侯爵夫人、こちらの使用人はグリアといったか」
「さようでございます」
「グリアはわたくしが連れて帰る――それでよろしいわね?」
「……理由をおうかがいしてもよろしいですか?」
「グリアはわたくしを愚弄し、そしてわたくしの息子であるルネ王太子を殴ろうとしたのよ」
ひっ……ファース侯爵夫人の喉が恐怖で引き攣る。ダラダラと脂汗が吹き出してきた。
この……この、大馬鹿者……! ファース侯爵夫人は殺意を滲ませてグリアを睨みつけた。
当のグリアは震えが止まらない。
「グリアは当国のルールで罰します」
ディタ女王陛下の声音は氷のようだった。
当国のルール……? ディタ女王陛下の言葉を聞き、ファース侯爵夫人はゾッと鳥肌が立った。
魔術大国として知られるマグニア王国――かの国では罪人の処罰もかなり独特だと聞いたことがある。斬首刑がとても平和に感じられるくらいの、おぞましい罰が下されるとか……?
「奥様、助けてください……!」
グリアに縋られ、ファース侯爵夫人はその手を激しく振り払った。
「ちょっと、触らないで!」
「奥様! どうかお願いでございます!」
「知らないわよ!」
ふたりが揉み合っていると、
――ウォオオオオオオオオン……!
裏山のほうで何かが啼いた。
ディタ女王陛下がハッとした様子で顔を上げ、眉根を寄せて何かを探るように視線を動かす。
ところがファース侯爵夫人とグリアには何も聞こえていないので、ディタ女王陛下の仕草はひどく奇妙に映った。
その直後。
……パラパラパラ……玄関ホールに例の黒い埃が落ちて来た。ここ最近、家人を悩ませているおなじみの怪現象だ。一体、なんなの……?
ファース侯爵夫人とグリアはこの黒い埃だけは認識できるので、怯えたように天井を見上げた。しかしどこからこの埃が落ちて来るのか分からない。
【――ДइШआःḖगКЯЭФЧذथरोЖ(悪人は地獄に堕ちる)】
ディタ女王陛下の赤い唇が密やかに動く。
不安げに眉尻を下げる、かたわらのルネ王太子殿下。それに気づき、ディタ女王陛下は安心させるように微笑んでみせた。
――おそらく裏山に棲んでいる『アレ』は、ファース侯爵家の悪意に執着している。よって無関係な領民までは襲わないでしょう。
マグニア王国の頑健な従者が進み出て来て、グリアを拘束する。グリアは憐れに許しを乞うたが、こうなってはもうすべてが手遅れである。
「それではごきげんよう」
ディタ女王陛下が踵を返すのを、ファース侯爵夫人は深く礼をとり見送った。
――腕を縄で縛られたグリアは、従者に引きずられるようにして、檻のついた荷馬車のところまで連れて行かれた。
ディタ女王陛下とルネ王太子殿下は、向こうに停まっている美しい馬車に乗り込んで行く。
「お前はこれに乗れ」
「は……あの、ですが」
檻のついた荷馬車には上から幌(ほろ)がかけられており、中は薄暗くてどうなっているのか確認できない。けれど生臭い息遣いが外まで漂ってくる。
グリアはおそろしくて仕方がなかった。
「な、中に何……が」
「大丈夫だ、人は食べん」
従者が檻の扉を開き、グリアを荷台に押し上げる。
グリアは腕を縄で縛られているため、上手く受け身が取れずに、転がって顔を打ってしまった。背後でガチャンと扉が閉まり、施錠の音もする。
私をひとりにしないで――ハッと背後を振り返ろうとした、その瞬間。
ツーッ――……粘つく何かが頬に落ちて来た。鼻が曲がるような悪臭だ。
目を見開き、真上を仰ぎ見たグリアは……。
異形の『何か』と目が合い、恐怖のあまり喉が裂けんばかりに絶叫した。
* * *
貴人用の馬車に乗り込んだディタ女王陛下とルネ王太子殿下は、気が抜けたように視線を絡ませた。
ルネ王太子殿下が心底がっかりした様子で口を開く。
「アメリアさん、僕の花嫁になってほしかったのに……ほかの人のところに嫁いでしまったなんて」
しょんぼり。
抱っこしているフェレットのハイメが顔を上げ、『大丈夫?』とクンクン鼻を動かす。ルネ王太子殿下はそれに少し慰められ、ハイメの背をそっと撫でてやった。
ディタ女王陛下が頬に手を当ててため息を吐く。
「もうちょっと早く迎えに来ればよかったわねぇ……まぁでも、済んでしまったことは仕方ないわ。今のわたくしたちにできることは、アメリアさんの幸せを祈ることくらい」
「そうですね」
「そしてファース侯爵家のことは、念入りに呪っておきましょうね♡」
あの可愛いアメリアさんを虐待していただなんて……ディタ女王陛下とルネ王太子殿下は深い怒りを覚えて顔を顰めた。
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