第17話 ジーン、おじいちゃん執事に怒られる


 アメリアの部屋を出たあと、エレンは執事のもとへ行き報告した。


「アメリア様は食べものの好き嫌いはないとのことで、これからコックにその旨伝えます。それから、晩餐にはお出にならないとのことです。夕食は私がアメリア様の部屋にお運びします。今後の食事はずっと部屋で召し上がることになるでしょう――それをジーン様にお伝えいただけますか?」


 執事はしばらくプルプルと震えながら黙り込んでいた。たっぷり十秒経過してから、しわがれ声で尋ねた。


「……なぜ晩餐の席に出ないのだろう?」


「詳しいことは分かりません。ジーン様とアメリア様、おふたりの出会いの場で何かありましたか?」


 ふたたび十秒を要する。


「……ああ、確かに。ああ……アメリア様はほかに何か?」


「アメリア様はここで平和に過ごしたいとおっしゃっていました。そのためジーン様の視界に入らないよう、なるべく部屋から出ないつもりらしいです。そうすれば上手くいくとお考えのようで」


 ここでまた十秒。


「……歩み寄りは難しいだろうか?」


 そう尋ねられ、エレンは困ってしまった。自分はいざこざがあった場面を見てもいないので、原因も分からないし、この先ふたりがどうなるのか想像もつかない。


「アメリア様は『無理かもしれない』とおっしゃっていました。新しい環境で、今は自信を失っているのかもしれません。個人的な見解としては、気長に見守るのがよいかと思いますが……」


 執事の動きが完全に止まった。エレンは『息をしているのかしら?』と思わずゴクリと唾を飲んだ。


 長い十秒が経過し、執事がプルプルと頷いてみせた。


「……了解!」


 意外と軽快な返事が来た。




   * * *




 当主の執務室はお葬式状態である。


 自席に着いたジーンはデスクに肘を突き、『やってしまった』と額を押さえた。


 デスクを挟んで椅子に腰かけた友人のコネリーも気重そうな様子。


 コネリーが重い口を開いた。


「俺は遠目で見ていて胸が痛んだ。たぶんアメリア嬢は善良な女性だ」


「……分かっている。今ものすごく後悔している」


「なんであんなことを言ったんだよ」


 コネリーが咎めるので、ジーンは顔を上げ眉根を寄せた。


「お前がアドバイスしたんだろう――アメリアはうるさく騒いで男の関心を引こうとするから、毅然と対処しろと」


「いやそりゃ言ったけどもさ……実際に会ったら、なんか違うなって分かるじゃん?」


「……ぐうの音も出ない」


「アメリア嬢、ちょっと泣いちゃってたじゃん。可哀想だよ」


「魔が差したとした言いようがない……。僕自身が不思議で仕方ないよ、なんであんなきついことを言っちゃったんだか」


 打ちひしがれるジーン。


 コネリーは足を組み、腕組みをしてしばらくのあいだ考え込んでいた。


 やがて難しい顔で口を開く。


「……彼女があまりにも非凡だからじゃないか?」


「え?」ジーンは呆気に取られた。「どういう意味だ?」


「アメリア嬢は特別な存在だと思う。格好から何から、ぶっ飛んでいるよ」


「確かに」


 少し関わっただけだが、短時間であっても漠然と『すごさ』は感じた。


 感性、輝き、存在感――……『圧倒される』とはこういうことかと、ジーンはアメリアに対峙して初めてその感覚を知った。理屈じゃないのだ――なんだかよく分からないがすごい――シンプルにただそれだけのこと。


 コネリーが考えを口にする。


「非凡な人と関わる場合、受け手側は相当な胆力を要求される。……今お前は疲れていて、アメリア嬢と関われるほど健全じゃなかったということだよ」


「そうかもな。非凡な相手を好意的に解釈するのって、自分に余裕がないと無理だ」


「理解できないものは、けなしてしまうほうが楽だからな」


「全然楽じゃないよ。今、罪悪感に押し潰されそう」


 ジーンがガックリとうな垂れる。


 そんな場合ではないのだが、コネリーは物柔らかな笑みを浮かべた。


「そんなふうに素直に反省できるお前が、俺は結構好きだけどね」


「コネリー……」


「理解の範疇を超えたものをずっと蔑(さげす)み続けるやつもいる。こうなってくると、アメリア嬢の実家の連中はそういうやつらなんだろうな。下衆(げす)な自分と正反対だから、アメリア嬢の伸びやかさを否定するしかなかったのかも」


 アメリアは伸びやかでありつつも、常識的で辛抱強かった。


 玄関ホールで行儀良く待っていたアメリア。かなり待たされただろうにジーンが出て行った際に文句も言わず、礼儀正しく名前と用件を告げた。


 そんな彼女のことを実家の人たちはボロクソにけなし、悪評を広めたわけだ。


 アメリアは実家で虐待されていたのかもしれない。


 貴族令嬢が侍女も護衛も付けずに、列車と乗合馬車で嫁ぎ先に来る――どう考えても異常だ。


「――謝ってくる」


 ジーンの顔から迷いが消えた。自分が間違っていたのだから、筋は通さねば。


 コネリーが元気づけるように頷いてみせた。


「それがいい。仲直りして、これから彼女のことを大事にすればいいさ」


 そこへノックの音が響き、執事が入室してきた。


 こちらへ近づいて来る足取りがとてもスローリーだ。そのわりに雲の上を歩いているかのような不思議な軽やかさもある。


「――ジーン様、アメリア様の部屋付メイドから報告がありました」


 メイドからアメリアの件で報告……なんだろう。


 ジーンはコネリーと顔を見合わせてから、執事を促す。


「内容は」


 十秒経過……執事は十秒咀嚼しないと返事が整わない。


「……アメリア様は晩餐にお出にならないそうです」


「え、どうして?」


 びっくりして口を挟んだのはコネリーだ。


 ふたたび十秒沈黙。


「……これから食事は毎回部屋で召し上がるとのこと。アメリア様は平和に過ごすことをお望みですので、ジーン様はしばらく関わらないほうがよろしいかと」


 これにジーンはショックを受けた。自分に非があるのは分かっているから、なおさら。……とはいえ執事の忠告に従うのは正しいのか?


「だけど僕は謝りたいんだ」


 またまた地獄の十秒待機。


「……謝りたいのは、ジーン様の勝手ですよね? 謝って自分が楽になりたいだけですよね? 傷つけたアメリア様のことを、しばらくそっとしておいてあげるのも大人の気遣いではないですか? あんなに陽気なお嬢さんが部屋で食事をとりたいって、よほどですよ? 反省してください」


 クワッ――執事の眼光が鋭くなった気がした。


 ジーンは気圧された。ついでにコネリーも気圧された。


 そして十秒が経過し……。


「……失礼いたします」


 執事はプルプル震えながらお辞儀をし、ゆっくりとターンして執務室を出て行った。


 その後十分以上、ジーンもコネリーも身動きひとつ取れなかった。


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