第14話 ジーン、大混乱


「……君の部屋に案内しよう」


 気まずさを覚えながら、アメリアに声をかける。


 ジーンは彼女の足元にカバンがひとつだけ置いてあるのを見て、戸惑いを覚えた。


「ほかに荷物は?」


「これだけです」


 小声でアメリアが答える。


 どういうことだ?


「君の侍女は?」


「私ひとりです」


 なぜだ。訳が分からない。


「どうやってここまで来たの?」


「列車に乗って来ました。オルウィン伯爵領に着いたあとは、駅から乗合馬車に乗って、このお屋敷に一番近いところで降ろしていただきました。そのあとは歩いて来ました」


 度肝を抜かれた。


 侯爵令嬢がひとりで旅をして来たっていうのか? しかも乗合馬車だって? 正気か?


 うら若い女性が攫われもせず、よくぞ無事で着いたものだ。


 いや――考えてみると、彼女のこの奇抜な格好は、この上なく賢い自衛の手段なのではないか。ここまで派手で個性的だと、男たちは圧倒され、ちょっかいをかけようという気にもならなかったのでは……?


「先ほど君は『途中で犬に追いかけられたんです』と言っていたが……あれは乗合馬車を降りたあと、この屋敷を目指してひとりで歩いていた道中の出来事?」


 尋ねると、彼女が静かに頷く。


「はい、そうです」


 彼女は野犬に追われて命からがらここへ辿り着いたばかりだから、動揺は治まっていなかったはずだ。こちらに経緯を説明しようとして怖かったことを思い出し、声が大きくなったとしても無理はない。


 アメリアを見おろすが、視線を伏せているので目が合わない。


 ……当然か。出会ってすぐによく知らない男からあんなふうに怒られれば、誰だって心を閉ざす。


 アメリアが思い切った様子で顔を上げた。


「あの、先ほど病気の子供が寝ているとおっしゃっていましたが、お加減は大丈夫なのでしょうか」


「熱は下がっている」


「そうですか、よかった」


 ホッとしたように息を吐くアメリアを眺めおろし、ジーンは違和感を覚えた。


 ……演技には見えない。


 アメリアは本心から病気の子供を案じているように見えるのだが、そんなことがありうるのか? 会ったこともない、君に無関係な子供だろう。


 上手く言えないのだが、この世界の住人とは大きく異なる道徳観念を持った人……そんな突飛な存在が突然目の前に現れたような気分だった。安定していて、柔軟で、優れている。


 でも……そんなはずはない。


 アメリアは人格に問題があり、実家ではかなり手を焼いていたと聞いている。現に格好もメイクもこの上なく奇妙だ。下品というのとも違うが、規格外――すなわち常識外れといってもいい。


 分からない。この女性は一体なんなのだ?


 アメリアがカバンを持ち上げたので、ジーンは手を差し出した。


「私が持つ」


「いえ、大丈夫です」


「そういうわけにはいかない」


「あの――本当に大丈夫なので」


 アメリアがカバンを持っていないほうの手を上げ、制するように手のひらをこちらに向ける。ふたたび心を隠すような微笑み。


 その瞬間、あいだにはっきりと線を引かれた気がした。


 出会ってすぐ元気に挨拶してきたアメリアは、全開で笑っていて、フレンドリーで開けっぴろげだった。けれどジーンが「うるさい」と言ったあと、彼女が浮かべる笑みは変化した。


 ジーンは自身が取り返しのつかない失敗を犯したことを悟った。


 彼女が淡い笑みを浮かべたまま問う。


「それであの……オルウィン伯爵とはいつお会いできるのでしょう?」


「彼は先日事故で亡くなった」


「え……」


 アメリアが固まる。


「だけど私、オルウィン伯爵と結婚しなければ……」


「私が新当主のジーン・オルウィンだ。婚約契約は『オルウィン伯爵とアメリア・ファース侯爵令嬢が結婚する』という内容になっていたので、その契約は私が引き継ぐことになる――つまり君の結婚相手は私だ」


「そんな」


 アメリアはショックを受けているようだ。


 その反応を見てジーンもショックを受けた。なぜショックを受けたのか、ジーン自身も分かっていなかったのだが……。


「……君は前オルウィン伯爵と結婚したかったのか?」


「はい」


 はい……か。なぜ。


 アメリアが続ける。


「オルウィン伯爵はご親切な方だと伺っていました。私、オルウィン伯爵と結婚できるのを楽しみにしていました」


 ……ご親切? 後先考えずになんでもサインするのが『ご親切』なのか? それは『無責任』というのでは?


 ジーンの感情が一瞬乱れた。しかしすぐにこう思い直した。


 とはいえアメリアからすれば『ご親切』ということになるのだろう……少なくとも前オルウィン伯爵なら、出会ってすぐに「うるさい」なんて言わなかったはず。


 アメリアは前オルウィン伯爵が生きていたなら、玄関ホールで涙ぐむこともなかったわけだ。


 動揺を押し隠してアメリアを促し、二階の一番日当たりの良い部屋に連れて行った。


 扉を開けてやり、彼女を中に通す。


「――この部屋を使ってくれ。何か問題があれば、別の部屋を用意する」


「お気遣いありがとうございます」


 アメリアが頭を下げた。


 そして顔を上げ、また例の淡い笑みを浮かべる。


「それではこれで」


 パタン……扉が内側から閉められた。




   * * *




 ひとりになったアメリアは扉に寄りかかり、はぁ、と息を吐いた。


「オルウィン伯爵、亡くなってしまったのかぁ」


 顔も知らない、旦那様になる予定だった男性。


「そっかぁ」


 目がじわりと熱くなる。


 ……悲しい。


 結婚を楽しみにしてたから、悲しいな。でもそれはこちらの勝手な都合だ。


 亡くなった前オルウィン伯爵はそれどころじゃなかったよね。事故で亡くなる時、痛かったり、苦しかったりしたかも。


 お気の毒に。


 アメリアは前オルウィン伯爵の死を悼んだ。


 そして少したってから気分を切り替えた。


「先ほどお会いしたジーンさんが、旦那様になるのか。いきなり嫌われちゃったから、これからは彼の視界に入らないようにしようっと。イライラさせたら悪いものね」


 金に近い明るい茶の髪に、青灰の瞳をしたジーンは、とても綺麗な顔をしていた。だけど顔が綺麗なぶん、柔らかさがあまりなくて。最初、すごく怖い人かと思った。


 けれど「うるさい」と怒った理由が病気の子供のためだったのだから、悪い人じゃないみたい。あれは大きな声で喋ってしまったこちらが悪い。


 子供のために怒れるジーンなら、アメリアを追い出したり、折檻したりしないだろう。そういう危ない感じの人じゃなかったし。


 なるべく関わらないようにして、神経を逆なでしなければ、上手く共存できるんじゃないかしら?


 気分が上向いてきたアメリアは、ホッとして笑みを浮かべた。


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