第4話 ミランダの課題
「彼の地には『ゴウマ』という、まつろわぬ民の治めるお城があることは知っているでしょう?」
テバレシア王国は、マグナシア帝国を支える十王国のひとつである。
今から約三百年前に、マグナシア王国はグランテラ大陸全土を支配下に治め、マグナシア帝国を建国した。そして初代マグナシア皇帝は十人の功臣に広大な領地を与え、彼らをその地の王とした。
現在はベリンガム公国を筆頭諸侯として、アルトランド獣王国、オルデシア共和国、ウェルバニア王国、テバレシア王国、ブライトン王国、ウルベイラ王国、コラス王国、グラント王国、ネオテルナ連合王国の十王国で帝国が構成されている。
テバレシア王国の東部に位置するリヒトラント地方には、かつて王国が存在していた。それがリヒトラント王国である。この王国も、かつてはマグナシア十王国のひとつだった。
しかし『マグナシア帝国全史』によれば、この王国は魔導士バーリンとともに帝国に対し反旗を翻したとされる。約二百年ほど前のことだ。
「東方動乱」と呼ばれている。
マグナシア帝国第六代皇帝ジョシノールの勅命を受けたテバレシア王は、第一王子、のちの剣聖王ルリと勇者アーサー・ペンドラに五万の軍勢を与えた。
彼らはリヒトラント王を討ち、リヒトラント王国王都を攻略。
リヒトラント王国は滅亡した。
そして「ゴウマ」は、テバレシア王国東部に位置する城塞都市である。
もともと、この城塞都市はリヒトラント王国の都市のひとつだった。
帝国の転覆を狙った魔導士バーリンが設計し、堅固な防御力を持つ城塞都市としても知られている。
東方動乱の鎮圧にあたったルリ王子と勇者ペンドラは、リヒトラント王国王都のほか多くの城や都市を攻略した。しかし、この城塞都市だけは落とすことができなかった。
その堅固な防御力が、剣聖王と勇者の力をも跳ね返したのである。
その後もテバレシア王国はゴウマの攻略を試みたが、いずれも失敗に終わっている。
こうして「ゴウマ」は、現在もテバレシア王国の支配を受けない自治都市として存続してきた。
リヒトラント王国貴族の生き残りがこの城塞都市に亡命した歴史もあり、現在でも反テバレシア感情が強い。
「ゴウマですか……」
アスカの言葉にミランダが頷く。
「彼らを我が王国の支配下に置きなさい」
事前にゴウマの存在については聞いていた。けれども、あの城塞都市をテバレシアの支配下に置くのは難しい。時間が必要だと、アスカは考えていた。
「服従しないようなら、反乱者として殲滅なさい」
おっとりした佇まいからは想像できない言葉が飛び出した。
「えっ!?」
笑みさえ浮かべて「殲滅しろ」などと要求する老婆に、アスカは目を丸くする。
ゴウマの殲滅とは、なかなかの無理難題。
アスカが兵を率いてゴウマへ攻め込むには、当然、軍編成が必要だ。
けれども、アスカは私兵を有していない。せいぜい二十名ほどの親衛隊がいるだけだ。
国王をつうじて軍を編成する場合、大臣や有力貴族たちの承認などが必要となる。
ペンドラ侯爵の派閥から、妨害を受ける可能性も高い。
だいいち、彼女には武力制圧をする気など微塵もない。
「おばあさま。ゴウマの民を我が王国の支配下に置くには、いずれにしても時間が必要ですわ。ましてや武力制圧なんて」
「じゃあ、あきらめるのね。リヒトラント公が、王太子になるわけじゃないのでしょう? なら、私はエドワードがリヒトラントを治めても、べつに構わないのよ?」
アスカは笑みを浮かべているが、内心歯噛みしていた。
「リヒトラント公が王太子になるわけではない」という情報を、ミランダに与えるべきではなかったと後悔した。
せっかく自分に流れを持ってきたのに、ひっくり返されてしまった。
もっとも、ミランダはエドワードがリヒトラント公になっても構わないと言っているが、おそらく嘘だろう。全力で妨害するはずだ。
リヒトラント公が王太子になるわけではないからといって、みすみすライバルに花を持たせるようなことを、この老婆が許すはずがない。
とはいえ妨害したところで、当分の間、ユリアンもリヒトラント公になることはできない。彼は、現在十二歳。成人するのを待っている間に、リヒトラント城はふたたび魔物の巣窟となってしまうだろう。
そうだとすれば、アスカが出した条件は悪い話ではない。ミランダの派閥に利のあるものだ。
どうやら「ゴウマの恭順」が、この話し合いを前に進めるキーワードになっているらしい。
「お尋ねしても、よろしいですか?」
「なぁに?」
「おばあさまが、ゴウマの恭順にこだわる理由は何ですか?」
「……簡単な事よ。あの城が我が王国に帰属しない限り、リヒトラントの統治が安定しないでしょう? そんな領地を、将来ユリアンに任せるのは可哀想じゃない」
「ユリアンが引き継ぐまでには、まだ時間があります。それまでお待ちいただけませんか?」
首を左右に振るミランダ。
「なぜです?」
「それまでに、我が王国の支配下にあるという保証はあるのかしら?」
なるほど。ミランダはアスカを信用していないということだ。
ミランダが言うことも理解できる。
内政関係に実績の無いアスカの言葉を鵜吞みにはできない。
しかし、ゴウマが恭順していない現在でも、リヒトラントの統治に問題が生じているわけではない。
ウェルバニア王国と戦争になったさい、彼の国に味方されると多少面倒ではある。
それでもリヒトラント城を修繕すれば、この城を前線の拠点にして対抗できるはずだ。
いいかえれば、リヒトラント城を制圧したいま、ゴウマは軍事的にどうしても抑えなければならない都市ではなくなった。
――まだ、わたしの知らない事情がおありのようね。
アスカは手元のカップを見詰めながら思案している。ミランダは、時折、カップに口を付けながらアスカの様子を窺っていた。
しばらくしてアスカは視線を上げると、カップを片手に答えを待つミランダに言った。
「わかりました。では、ゴウマの件、果たして見せましょう」
🌹
アスカとの会談を終えたミランダは、私室のテラスに置かれた椅子に腰かけて庭園の景色を眺めていた。
「うふふ。アスカちゃん、いいコだったわねぇ。自分が王になりたいのではなく、フリードリッヒのためにリヒトラントを治めたいだなんて。そう思わない?」
笑みを浮かべて、執事リースに話しかける。
すこし風が出てきて肌寒くなったからだろう。彼はブランケットを持っていた。ミランダのために用意していたようだ。
「しかし、あのような課題をアスカ王女が解決できるとは思えませんが?」
リースはミランダの肩にブランケットを掛けた。
「ふふ。アスカちゃんが、どんな答えを出すのか楽しみね」
「それに、あの課題では王女がペンドラに消されるのでは?」
冷たい風がふたりの頬を撫でるように通り過ぎる。
昼間は開いていた庭園の花たちも、寒そうに花弁を閉じている。
「そうね。これでようやく、『サンタンデル』がこの国から消えるわ」
ブランケットを羽織ると、ミランダは水色の瞳をきつく閉じた。
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