第3話 主のいない魔導都市
メイドが部屋へ戻って来て、セシルの前にコーヒーを差し出した。
花開く前の蕾のような香りがカップから立ち昇る。
セシルはその香りを楽しむと、黒蜜色の液体をひとくち含んだ。
そしてカップをソーサーに戻すと、彼はファブレガスに視線を向けた。
「エインズは、私の兄なのです。幼いころに、私はこの家へ養子に入りましてね。それでも変わらず、兄さんは私を気にかけてくれました。市民にも人気のある政治家で私の誇りでした」
自分とエインズとの関係を明かしたセシルは、脇に置いてあった袋をファブレガスの前に差し出した。
「事件の日のことです。兄は、ロバート区長と会う前に私のところへやって来て、自分に何があってもロバートを許してやってくれと、これを置いていきました」
ファブレガスは差し出された封筒を手に取った。なかには書類が入っているようだ。かなりのボリュームがある。
「これは?」
「ロバート区長が関係した汚職の証拠資料です」
「なかを見ても?」
「どうぞ」
ファブレガスが中身を確認すると、羊皮紙に書かれた手紙や文書や帳簿などが入っていた。ウェルバニア王国の高位貴族から出された指示書と思われる文書もあった。
「ロバート区長が犯した罪はふたつ。エインズ区長殺害、そして汚職です。エインズ殺害の証拠をあなたが発見し、汚職の資料は私が持っている。動機は汚職の事実がエインズに公表されることを恐れたから。アスカ様の疑いは、これで晴れるでしょう」
「それでロバート区長は?」
セシルは立ち上がって、窓の方へ歩き出した。
「ゴウマから去ってもらいました。二度とここへは戻りません」
そう言うと彼は、ファブレガスに背中を向けて窓の外に視線を向ける。
「今頃は、創世神様のおわす神殿へと向かっている筈です」
小声で呟くセシルの声は、ファブレガスには届いていない。
「ファブレガス殿、すこし私の話を聞いてもらえますか?」
窓の外を見ていたセシルが振り返った。
頷くファブレガス。
「私は、テバレシアのペンドラ侯爵様と繋がっております」
「貴男が? では、貴男はこのゴウマをペンドラ侯爵に差し出すつもりですか?」
「まさか」と、笑みを浮かべて首を左右に振るセシル。
「いくつか誤解を解いておきましょう。ゴウマがテバレシアやウェルバニアの傘下に入らず独立勢力のような立場を採っている理由は、両王国に対する憎悪感情だけではありません。たとえ憎悪感情が無くても、テバレシアやウェルバニアの傘下に入ることはできないのです」
「憎悪感情が無くても、ですか。なぜでしょう?」
「真の理由は、この城に『主』がいないからですよ」
現在、ゴウマの意思決定機関として機能するゴウマ議会は、本来、主を補佐する機関。ゴウマの政治の最終決定は「主」が行う仕組みだった。
しかし、この城の「主」だった魔導士バーリンはテバレシア王国の勇者アーサー・ペンドラに討たれてしまった。約二百年前のことだ。
以来、この城は、いつか現れるという「主」の帰還を待っているのだという。
「ゴウマの在り方の最終決定権は、あくまでも『主』にあります。その主の意向に関わらず、ゴウマ議会がテバレシアやウェルバニアへの従属を決定することはありません」
「あなた方が待っているという『主』というのは?」
「『鍵』を持つ者だと伝えられています。それが何の鍵なのかまでは、議長以外には知りません」
しかしある頃から、ペンドラ侯爵がこの城に関心を持ち、自らの支配下に置こうと工作活動を始めたそうだ。
「ジャニス議長の秘書リータも言っていました。やはり、魔導士バーリンの遺産が目的なのでしょうか?」
「おそらくは。しかし問題は、魔導士バーリンが製作した魔導具を手に入れて何を企んでいるのかです。そこまでは分かりません」
セシルは目を閉じて首を左右に振った。
「貴男は、なぜ、ペンドラ侯爵と?」
ファブレガスが尋ねると、セシルは瞼を上げてソファーに腰かける骸骨騎士をじっと見詰めた。
「ペンドラ侯爵がゴウマの工作活動を始めた頃、親ウェルバニア派の区長たちが多くの議席を占めるようになっていました。地理的にもウェルバニアの国境に近い都市ですからね。そしてウェルバニア王国は、ゴウマに対し魔導具職人、魔導研究者、魔導具商人など魔導具に携わる者たちを根こそぎ自国へ移住させようとしていたのです」
ウェルバニア王国は、ゴウマの弱体化そして解体を画策していたようだ。この都市から魔導具を取り去ったら、辺境にあるただの小都市になってしまう。
「また、区長たちが持つメダルを入手しようと考えていたことも、明らかになっています」
ゴウマへ移住してきたウェルバニア王国の下級貴族が、区長選挙に出馬するようになったそうだ。彼らを区長に選出させたうえで、区長メダルを得ようとしていたらしい。
区長メダルがあれば、ゴウマ中央塔を抑えることができるからだ。
もっとも、区長メダルをゴウマの外へ持ち出すことは禁じられている。
区長は外遊などでゴウマの外へ出るさいには、議長にメダルを預けなければならない。さらに区長メダルは魔導具の一種で、ゴウマの外へ持ち出すと砂になって消滅するという。
とはいえ、親ウェルバニア派、とくにウェルバニア出身の者が区長メダルを持つことはゴウマの自治を危うくする可能性がある。
「そこで私はペンドラ侯爵の力を借りて、親ウェルバニア派、とくにウェルバニア出身の区長を排除してきました」
セシルの表情が歪んでいる。
「排除」が何を意味するか、彼はそれ以上語らない。
その過程で、セシルが手を汚すこともあったのだろう。
それとともに、今度は親テバレシア派が支持を拡大し始めた。
やがて、親ウェルバニア派と親テバレシア派が激しい政治闘争を繰り広げるようになり現在に至る。
じつは、この政治状況を作出することが、セシルの狙いだった。
両派閥が争っている間は、結果的にゴウマの独立性を維持できるからだ。
そして兄のエインズやジャニスのような独立派も、両派閥に対する批判を展開しつつ勢力を回復した。
しかし、セシルが作り上げた政治状況は危うさも孕んでいる。
「ペンドラ侯爵もウェルバニアと変わりません。さすがにゴウマ住民の移住までは持ち出しませんでしたが、それ以外は、ほぼ同じやり方でゴウマの支配を狙っています」
そこでセシルは、親ウェルバニア派と親テバレシア派を争わせつつ、ゴウマの支配を目論むペンドラ侯爵の要求を躱すことが自分の役割だと考えるようになった。
「そんな折、ジャニス議長の秘書リータから、アスカ王女がゴウマに滞在しているという報せを受けたのです」
「リータ殿が?」
セシルは笑みを浮かべて頷いた。リータはアスカの滞在先を訪ねた後、セシルの下へやって来たという。そのさい、彼女はセシルに提案した。
――あの王女さまと手を組めば、親テバレシア派の勢力を削れるんじゃない? あるいは内部分裂とか。
リータはテバレシアの情報を得るうち、リヒトラントの地をめぐってアスカとペンドラ侯爵との間に確執が生じると予想していた。
そしてゴウマとの関係についてアスカは、ゴウマの存在を尊重し協力関係を結びたいという「穏健派」である。一方、ペンドラ侯爵はゴウマを支配下に治めることを狙い、武力行使も辞さない「強硬派」だ。
アスカとペンドラ侯爵との争いが、そのまま親テバレシア派の内部抗争につながるとすれば、ゴウマの独立を維持できる可能性が拡大するというワケだ。
「本当にゴウマの自治を保障して下さるのなら、私はアスカ様と手を組みたいと考えたのです」
けれどもアスカはエインズ殺害の濡れ衣を着せられ、投獄されてしまった。ゴウマの街では反テバレシア感情が高まり暴発寸前だ。「アスカ王女を処刑せよ」などと、過激な主張をする者もいるという。
「アスカ様には悪いですが、良い面もあります」
「親テバレシア派が影を潜めますね」
ファブレガスの言葉にセシルは頷いた。
「ええ。しかしアスカ様が逃亡せず憲兵隊に拘束されたことで、ペンドラ侯爵にある口実を与えてしまいました」
すると、ドアをノックする音がした。セシルの秘書のようだ。
「どうした?」
「ペンドラ侯爵から、使者が参っております」
セシルとファブレガスは、顔を見合わせた。
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