第3話 アスカの提案

 アスカはミランダの昔話を遮って、リヒトラント城の件に話題を変えようとした。

途端に、ミランダの表情が曇る。


「フリードリッヒに聞いたわ。なんでも卒業祝いの品に、お城をおねだりしたそうね」


「はい」


「アスカちゃん、いいこと? お城は政治の拠点であって、あなたの玩具じゃないのよ」


「おばあさまのおっしゃる通りですわ。ですから、わたしもお父さまの力になりたいのです」


「まぁ! フリードリッヒのために、あなたが領主になってリヒトラントを治めるというの? アスカちゃんは、父親想いの良い娘なのね。でも、それは殿方の仕事です。女がすることではないわ」


 ミランダの言葉は、一般的なテバレシア貴族たちの意識だ。

 女性が領主となって、政治の表舞台に立つなどという発想はない。女性は裏方となって、男性を支えるものだと考えられている。


「そうでしょうか? なぜ領地経営が男性の仕事と決まっているのか、わたしには理解できません」


 常識外れなことを平然と口にするアスカに、ミランダは顔を顰めた。


「な、なにを……」


 眉間に皺を寄せて何かを言いかけるミランダに構わず、アスカは言葉を続ける。


「あの地は交通交易の要所でありながら、王都から離れていること、リヒトラント城があのような状態だったこともあり、十分な整備ができておりません。ダンジョン化したリヒトラント城を制圧した今、彼の地を治める領主を置くべきです。わたしが、それをいたします。どうかお力をお貸しください」


 アスカは真っ直ぐな視線をミランダに向けた。両手をテーブルの縁にかけ、身を乗り出しそうな格好になっている。


 ミランダは目を丸くして、アスカの話を聞いていた。

 アスカの話が終わっても、ミランダの瞳はアスカのエメラルドグリーンの瞳に向けられている。


 視線を落とし、ミランダは優雅な所作でカップを口へ運ぶ。


 カップをソーサーの上に戻すと、アスカに微笑んで見せた。


 そして聞き分けの無い子供を諭すように、ゆっくりと語り掛ける。


「アスカちゃん、女はね、領主にはなれないの。それが、この国の慣例なのよ。リヒトラントを治めるのは、べつの方にお願いしましょう。ね?」


「では誰が? おばあさまも、お兄さまに任せたら良いとお考えですか? ……違いますよね?」


 アスカは、こてりと首を傾げて笑みを浮かべる。ミランダは真顔で、じっとアスカを見詰めている。


「おばあさまは、できればユリアンをリヒトラントの領主にしたいとお考えなのでしょう?」


 そう言うと、アスカは笑みを深めた。

 ミランダが表情を曇らせる。


 今やリヒトラントの地を治めること、すなわち「リヒトラント公」は「王太子」と同義であると理解されている。


 けれどもユリアンは未成年。

 すでに成年に達した第一王子エドワードを差し置いて、現在未成年の第二王子を領主にする正当性は希薄だ。


 かといって、エドワードをリヒトラントの領主にすることを認めてしまえば、自分の派閥が支持するユリアンの王位が遠のくかもしれない。


 ミランダは、ジレンマを抱えていた。

 表情を曇らせたまま、無言でアスカを見詰めている。


「リヒトラント城を制圧したのは、わたしです。お兄さまではありません。それなのに第一王子というだけで、お兄さまがリヒトラントの地を治めるのは、スジが通らないと思いませんか?」


 ミランダが、しぶしぶといったカンジに頷く。

 アスカの言うことには一理ある。あくまで「卒業祝い」なのだから、アスカがリヒトラントを治めるのは成人してからだ。問題は、彼女が「女性」であるという点。


 この王国では、女性を領主にすることは慣例に反すると解釈されている。けれども、アスカを領主にする手立てがないわけではない。


 ただミランダには、懸念していることがあった。


「そうすると、アスカちゃんがリヒトラント公となり、その後、王位を……」


 そう。この件に限っていえば、アスカを「リヒトラント公」にすることはミランダの計画を台無しにするおそれがあった。


 この王国で女性が王位についた歴史はない。


 「慣例」からいえば、女性が王位に就くことはないように思える。

 しかし誰も口に出さず議論しようともしないが、王位だけは例外と考えられている。

 王の子に王女しかいないという場合もあるからだ。


 女性領主は慣例に反するのに、女王は可能というのも奇妙な話だが。


 したがって「リヒトラント公」となったアスカが、次の王になることも不可能ではない。


 リヒトラント公が王太子の条件ならば、その後「リヒトラント公」となったアスカが王位に就いてしまう。第二王子ユリアンを王にすることができない。


 するとアスカは、ころころと笑い出した。


「おばあさま、リヒトラント公がつぎの王になるなんて、誰が決めたのですか? 少なくとも、お父さまからそのようなお考えを聞いたことはございません」


「アスカちゃんがリヒトラント城制圧の報告をしたさい、国王がそうおっしゃられたのでは?」


 アスカは殊更に怪訝な表情をして見せた。


「たしかに、ペンドラ侯爵はお兄さまを『リヒトラント公』とし彼の地をお任せするよう奏上いたしました。お父さまは、あくまで『検討する』とおっしゃっただけです。それに、王太子の話などありませんでした」


 ミランダは瞬きすると、振り返って執事リースの方を見る。リースは目を閉じて、首を左右に振った。


「不思議ですわね。いつの間にか、貴族たちの間で『リヒトラント公』が王太子の条件だという話が流れているのです」


 首を傾げながら頬に手を当てて、アスカは困ったような仕草をして見せた。


「まぁ……」


 ミランダは手を口に当てて、目を丸くしていた。


「いずれにせよ、お兄さまよりは、わたしがリヒトラント公になる方が、おばあさまの理想に近いと思いますわ」


「どういうことかしら?」


 アスカがミランダに示した道筋はこうだ。


 ユリアンが王立学園を卒業するまで、アスカがリヒトラント公として彼の地を統治する。ユリアンが卒業したらアスカがリヒトラント公を辞し、彼に委ねるというもの。ユリアンがリヒトラント公になれば、次期王位もユリアンに傾くというわけだ。


 ほかの道筋もある。たとえば、アスカがリヒトラント公として第二王子のユリアンを支持するというものだ。けれども、この道筋はミランダに警戒される恐れがある。


 そこで、アスカは最も無難な道筋を説明した。


「あら、アスカちゃんは王位に興味は無いの?」


 ミランダは、探るような目でアスカに尋ねた。

 ミランダの言葉に、アスカはこてりと首を傾げる。貴族たちの間でアスカが王位を狙っているという噂でも流れているのだろうか?


 ミランダの警戒を解くためにも、この点ははっきりさせておく必要がありそうだ。


「? ええ、興味はありません。女のわたしが王になろうとすれば、どうせ頭の固い我が王国の貴族たちが抵抗するに決まっています」


 宙を見上げながら、アスカは呆れたようにため息を吐いて見せる。


「アスカちゃんの場合は、それだけでは無いけれどねぇ……」


 と呟いたミランダは、顔を上げた。

 「女性領主」という障害はある。けれどもミランダが動けば、事実上、「女性領主」を実現することはできる。


「わかりました。でも、リヒトラント公にアスカちゃんを推すには、もうひとつやってもらわなければならないことがあるわ」


 首を傾げるアスカ。

 どうやらミランダは、アスカを「リヒトラント公」に推すにあたり条件を付けるつもりらしい。

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