第2話 イケメンヴォイスの凶鬼
――マグヌス暦 一五四年七月中旬。
エーテルナ王国とウェルバニア王国国境近くでは、エーテルナ王国軍約二千とウェルバニア王国軍約二千が戦闘を繰り広げていた。
土埃と血の匂い。軍馬の嘶き、地竜の咆哮。大地を震わす馬蹄の音。
兵士たちの雄叫びと金属のぶつかり合う音が戦場に響き渡る。
焦げ付くような夏の日差しの下、乾いた大地が血に染まる。
地竜に跨ったウェルバニア王国軍の指揮官は、そんな戦場の様子をどこか余裕の表情で注視していた。
戦功を焦り先走った部隊もあったが、その部隊が良い具合に敵を引き付けてくれた。おかげで敵主力部隊を横撃する格好になり、打撃を与えることができた。
虚を突かれたエーテルナ王国軍は、なんとか陣形を立て直したものの押し込まれている。
隣にいた彼の副官が声をかける。
「我が軍の優勢ですな。このまま一気に押し込めば我らの勝利は間違いないでしょう」
「ふん、そうだな」
ウェルバニア王国軍の指揮官がそう言って口角を上げる。
そのとき、
「……ん?」
彼は噴き上がる紅の飛沫を視界の隅に捉えた。
二度、三度と吹き荒れる紅の飛沫。
その光景は地竜の背から勝利を確信していた指揮官を愕然とさせるのに十分だった。
「あ、あれは? いったい何が起こっている!?」
ついさきほどまで、勝利を確信し勢いづいていた兵士たちが後退している。
その一点からウェルバニア軍の前線は食い破られ、陣形がかき乱されていく。
目を疑うような光景が広がっていた。
「きょ、『凶鬼』だああぁー‼」
前線の兵士たちが、悲鳴にも似た金切声上げて口々に叫んだ。
吹き荒れる血嵐の中心で、燃えるような赤髪の大漢が幅広のバスターソードを振り下ろす。彼が剣を振るたび、周りの兵士達が麦のように刈り取られていく。
大漢の周囲に幾度となく肉片が宙を舞い、紅の噴水が上がった。
なすすべもなく散ってゆく兵士たち。
圧倒的な力の暴威を目の当たりにした他の兵士たちは、戦慄のあまり身がすくんでいる。死の恐怖が波のように伝播して、兵士たちが後退る。
他方、バスターソードを薙ぐ赤髪の大漢も決して無傷ではない。
胸や脇腹に傷を受けている。しかし、彼は決して怯まない。
すべての感情と感覚をどこかへ置き去りにして、ただひたすら剣を振る。反撃を受けても前へ、前へと進んで、ウェルバニア王国軍を押し込んでゆく。
全身を真紅に染めた「凶鬼」が本陣近くまで食い込み、ウェルバニア王国軍指揮官に迫る。
たまらず指揮官が叫んだ。
「退却っ、退却だーっ! 退けえぇぇっ!」
『凶鬼』と呼ばれる赤髪の大漢が食い破った一点から総崩れとなり、ウェルバニア王国軍は潰走した。
怯え切った表情のウェルバニア兵が、時折、振り返っては遠ざかる。躓いて倒れた仲間を踏み越えて、我先にと駆けていく。
赤い髪の大漢は、肩で息をしながら地面に突き立てたバスターソードにつかまって身体を支え、ウェルバニア兵の背中を無表情に眺めていた。
「さすがは『凶鬼』。大手柄であった」
エーテルナ王国軍の指揮官が地竜の上から彼に労いの声をかける。
しかし、その言葉は彼の耳に届いていない。感情の見えない鳶色の瞳は、ただ前を見ていた。
――二年後。
太陽が昇り始める頃、燃えるような赤い頭髪と鳶色の瞳を持つ青年が、屋敷の庭で一心不乱に剣を振っている。
彼が剣を振るたび、刃風が樹木の枝を揺らし、朝露とともに汗が散る。
この青年こそ、戦場で「凶鬼」と呼ばれた大漢。
名をファブレガス・ヴァイスシュライバー。
エーテルナ王国の地方貴族ヴァイスシュライバー男爵家の次男坊である。この時十八歳。
優し気な顔立ちをしているが、全身筋肉の鎧をまとった195cmの体躯は、それだけで凶器だ。
彼の初陣は、十五歳になったばかりの頃。父と兄に帯同した山賊討伐だった。
ファブレガスは、たった一人で、百人の山賊を討伐したという。
ところがファブレガス自身は、初陣当時のことをよく覚えていない。気が付いたときには、肩で息をする彼の周りに山賊たちの骸が転がっていた。
以来、彼は「凶鬼」と呼ばれるようになった。
ファブレガス本人が戸惑うほど派手な二つ名だった。
その後も、王国騎士団に入隊したファブレガスは各地の戦場を転戦し数々の戦功を上げてきた。
やがて彼の功績はエーテルナ国王の側近の目に止まり、王女エルナの護衛騎士に抜擢された。
ファブレガスは剣先を下げて空を見上げた。大きく深呼吸してから、自分の上腕、胸に視線を向ける。
王女の護衛騎士といえど、決して気を抜くことはできない任務だ。
しかし、いつ敵の軍勢が襲いかかってくるか分からない戦場ほどではない。
鍛錬は怠ってはいないが、やはり感覚も身体も鈍っていくような気がしている。
ファブレガスは洗浄魔法で汗を洗い流し、自分の部屋へと戻った。
真っ白なブラウスに袖をとおし濃紺の上着を羽織る。
鏡の前で身だしなみを確認してから、片手剣を腰に帯びて護衛任務に向かった。
行先は赤レンガ造りの宮殿だ。
バラの弦が巻くアーチ形の門をくぐる。門を彩る白いバラの花が見ごろを迎えていた。
通称「白薔薇の宮殿」。エーテルナ王国王女エルナの宮殿だ。
王女の部屋の前に立つと、ファブレガスは深呼吸をした。
オーク材に薔薇の花の模様を彫り込んで装飾された扉をノックする。
「ファブレガスです」
甘く優し気なイケメンボイスが廊下に響く。
近くにいた使用人の女性たちが仕事の手を止め、あるいは立ち止まって振り返る。
「ファブレガス様だわ」
「ファブレガスさまよ」
「ほんとに素敵なお声ね」
「見て、あの逞しいお身体。ぞくぞくしちゃう」
などと頬を赤く染め、小声で話している。
そんな声を耳にしたファブレガスは彼女たちをチラ見して、俯き加減になり人差し指でこめかみを掻いた。
「入りなさい」
部屋のなかから女性の声がすると、ファブレガスはドアノブに手をかけた。
「失礼いたします」
ファブレガスが王女の部屋へ入る。
つぎに彼の目に飛び込んできたのは、金髪エメラルドグリーンの瞳を持つ王女。名をエルナ。
ちょうど、アスカの頭髪を金髪にしたイメージの可憐な少女だ。年齢はファブレガスよりも二つ年下の十六歳。
エルナ王女がファブレガスに笑みを向けている。
彼女の表情にファブレガスの心臓が跳ねる。どうにも直視できず俯いてしまった。
護衛騎士に任命されてからすでに半年が経過したが、いまだに主であるエルナの顔を正面から見ることができない。
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